■ 少し不思議なお話を。

先週の水曜日あたり、僕は少々不思議な夢を見た。

もともと重度の不眠症である上に、眠りが浅いものだから夢を見ることはしばしばある。だけどその日に見た夢は違っていた。

僕と会話をしているのは女性。顔はよく見えないし覚えていない。話していた内容も覚えていない。ただ、安らかな時間がゆっくりと流れていくような感覚があった。

あたたかい気持ちと少しのぬくもり。それと「知らない」のに「知っている」……そんな矛盾した感覚の「匂い」。


それが彼女との最初の出会いだった。

その夢をみた昼に、僕は友人に話している。

「不思議な夢をみたんだ」
「知っているようで、知らないようで……そんな女の人と話している夢」
「楽しかったんだ。不思議な感じ」

それから数日の晩。僕は決まったように彼女の夢を見た。夢の中で僕は僕であるし、他の誰でもない。

あるがままの日常のあるがままの日々を生きている確かな僕であり、僕そのものだった。夢の中であるのに変質していないのが、不思議といえば不思議だった。


どうやら彼女は僕の恋人らしい。

顔は見えないのだけれど。


会話の内容や、夢の中の僕の感じている空気、それと僕の思考というか気遣いというか……そんなもので僕はそれを確信した。

ちなみに僕には今「恋人」なんて呼べる女性は存在しない。かといって過去の回想の夢なのかといえば、それもどうやら違うようだ。


顔の見えない夢の中だけの恋人。

不思議な感覚は続いた。


彼女と僕は「彼女と僕の日常」を夢の中だけ共有しているようなところがあった。日に日に明確になっていく「夢」。


ある夜、僕は自分が寝床にしているベッドで、彼女と会話している夢をみた。いや、夢の中で会話した。

会話の内容は覚えていない。ただ、この夢がリアルタイムであるということだけを強く強く認識した。


その晩、彼女の顔は見えなかったけれども、僕は彼女を抱いたようだった。

朝を迎えて、さすがに僕も少々戸惑った。そして話すべきかどうか、少し躊躇したのだけれども、少し「その勘/感」が強い友人に一連の出来事を話してみた。

「でも亡くなった人はいないんだ」
「全くイヤな感じはしないんだよね」
「知っている気配じゃない。だけど知っているような……馴染んだような感じなんだ」
「今までに逢った人じゃないのかも知れない。この先に逢う人なのか……」
「心当たりはまるでないんだ」

その時の会話の断片、僕の台詞。その晩は大勢の人が我が家に寝泊まりしたのだけれども、彼女も何かを感じていたらしい。

ちなみに僕はといえば、いつも通り眠っていたのだけれども、なかなか眠れず……そしてその晩も彼女はやって来て、横になったままの僕と少し会話をして口づけをしていった。

記憶には顔にかかった猫っ毛な髪質の感触と、濡れた唇と舌の感覚が刻まれた。

もう「夢」だと云うには生々しすぎるようなのだけれども、現実には起こりえない事だし、寝ている状態での事だから「夢」と片づけるしかない……そんな感じだった。

「心配ないと思うわよ」
「悪い感じがしないというのが一番だし」
「これから出会う人なのかも知れないし」
「時季が時季だからね」


――時季。

そう、御存知の通り八月はお盆だ。夢を見始めたのが迎え盆の十二日から十三日の朝にかけて、彼女に相談したのは十五日だった。

「送り盆過ぎても続くようなら、考えた方がいいかも」
「問題ないと思うけれども」

送り盆は十六日だ。ところが僕は、その日から仲間と旅行に出ることになっていた。そして旅先ではすっかりくたびれ果て、ぐっすりと眠った。はずだった。

翌朝、少なくとも僕に夢を見た記憶はなかった。だけど友達は口々に

「寝言云ってたよ」
「なんか楽しそうに話してた」
「笑ってた」

と僕に云った。僕は正直耳を疑った。だけど、僕をからかおうにも彼らには「彼女」の話をしてはいなかった。

そして、その日の晩も僕はどうやら寝言を云っていたらしい。その上、少し悲しそうに魘されていたとも云われた。


僕に「彼女」の記憶はなかった。


十七日。少しだけUターンラッシュに揉まれながら帰路を急ぐ。何度かSAで休憩を取りながら夜半に自宅に辿り着いた。友人達の車を見送り、玄関に入る。

家人は長い旅行に出かけているので、僕だけしかいない家。それは先週頭からの事だった。


だけど、どうしてだろうか。僕は

「寂しい」

そう思ったのだ。


賑やかで楽しかった旅先、そして旅路。それが終わったからだろうか。否、違う。「家が寂しい」。そう感じたのだ。そしてそれは、とても奇異な感覚だった。

「ただいま」

おかえり、という言葉を期待したわけじゃない。ただ習慣のような独り言を口に出しただけだった。だけど「当たり前に応答がない」ことに、僕はまた少し心細くなった。


その晩、僕は少し喉に痛みをおぼえた。何の気なしに体温計をくわえると、どうやら微熱があるようだ。

少しはしゃぎ過ぎたかな、なんて自重しながら市販の風邪薬を飲み下す。ふわふわとしたまま床に着いて、いつの間にか眠ってしまっていた。


その晩「彼女」は来なかった。


翌晩もまだ微熱は続いていて、薬を飲んで気がついたら眠っていた。当たり前のように朝が来て、僕は夢さえも見なかった。


ただ、どうしてだろう。

その朝、僕は少し間抜けな発声練習をして、喉の痛みがないことと自分が健康を取り戻している事を確認したら、不意に涙がこぼれそうになったのだ。

それは起き抜けの頬に細い猫っ毛の触れる感覚が残っていたからではなく、一晩腕枕をしたかのように右肘が痺れていたからでもなく、それでも「夢」を見ることさえも出来なかったからでもなくて――。

説明は出来ないけれども、ただただ涙が溢れて。やがて湿った温もりが頬から顎を伝って、布団に小さなシミを作った。ただ、それだけだった。


誰もいない家に、もう寂しさは感じなかった。

だから僕は、涙を数滴零しながら短く独りごちるだけにとどまることにした。


「ばいばい。また、いつか、どこかで」


独り身の寂しさの生んだ幻想か。不思議なロマンスの体験か。そんな事はもうどうでもよくて。涙が溜まって重くなった瞼を閉じたら、見えない「向こう側」に「顔の見えない彼女」の笑顔が咲いたように思えて――。


僕はもう数滴だけ涙を落とした。



2003年。夏らしくない夏の終わりの、少し不思議なお話。

(C) G-LABO Gengi-DOJO.