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■ さくぶん
28歳になって一日が過ぎた。
〆切を抱えている原稿やその資料と睨めっこする日々が、これから当分の間続くことになる。まぁそれはそれで好いのだけれども、ふとした拍子に「どうして自分は文章を書くことを好きになったのか」ということを思い返してみたりした。
この話題については以前、侍魂の健ちゃんとも話したのだけれども、どうやら彼と僕は同じような経路を辿ったようで「初めて」は「小学校の作文」だった。
今でもあるのかどうかはわからないけれども、市の作文冊子かなんかのコンクールがあったりして、課題作文や自由作文で表彰されたりするのだ。そしてその上には県があって、今度は国があったりする。で、ガキの時分、そういうところに選ばれたりすることは、ちょっとした「誉れ」であった。
僕が最初にそういうものに選ばれたのは小学校一年生の時だ。それから小学校では毎年、中学でも何故か毎年、高校でさえもなんらかの形で選ばれたりしていた。
誉められること、なんらかの形で認められることは、どんなに幼くても快感を伴う。否、単純に嬉しいことなのだ。だからまた、書く。
「認められる」タイプの優等生型の作文というのは、こう書けばいい、という歪んだ理解もあったりした。だけど決して優等生な作文ではなく、当時から感じたことや考えたことを単純に書いていたように思う。どちらかといえば先生が余白に赤書きしてくれる「面白かったですよ」や「〜が伝わりました」という評価というか感想の方が嬉しかった。
多分それが最初のキッカケなのだろう。文章を書き続けることになった、文章を書くことが好きになった、ということの。
昔のことほど鮮明に思い出す、なんていう年齢ではないのだけれども、今でもその「初めて」の作文の内容は、はっきり覚えている。
僕には三歳上と六歳上の姉がおり、その作文は、三歳上の姉との仲違いについてを書いたものだった。タイトルもズバリそのまま「きょうだいげんか」であったと覚えている。
それは姉の机の引き出しに入っていたマンガを僕が勝手に読んでいたことを姉が鋭く見抜き、僕を叱責するというもので、僕は糾弾された「罪」を必死になって否定する――という汗みどろの心情を描いた一人称のストーリー。
そこに描かれた「姉」という存在は僕にとって「恐怖」そのものであって、ある意味みっともない暴露話ではあったけれども、これは書いた年齢からしても、本人の記憶してからも間違いなく「ノンフィクション」だった。
そう考えると僕が文章を書き出すことになったきっかけは、その「恐怖の姉」あってのものなのかもしれない。まぁいずれにしてもその他諸々、姉らや家族には感謝することしきりな人生を送ってきているのだが、こんなところでまた一つ「恩義」を再発見した、というお話しである。
ところで、とっくの昔に嫁いだその「恐怖の姉」だが、祖母の命日の墓参を前に実家、つまり我が家に帰ってきている。
ちなみに僕は今金髪ボウズ頭にヒゲ面という、かなりダメな面体でいるわけなのだが、我が「恐怖の姉」は、それを見るや否や左の眉をきゅいっと上げて「あんた28歳にもなってなんなのそれはー?」と、チクリというかグサリというかの直球を投げて寄越した。
身長差は20cm、体重にしておよそ1/3、年齢差は3年。そんなものは男女差であって体格差であって、生物としての差に過ぎない。
そういう意味では「ケンカ」なんてものにはならなくなってから十年以上が経っているわけなのだけれど、僕はやっぱり当時と同じで、不用意に上がる心拍数に、ちょっと目を泳がせるようにして苦笑いを浮かべたり、曖昧な返事を返したりするしか出来ないのだ。
そうして今、自室に戻ったあと、こうしてそんな顛末を文章に起こしたりしているあたり「きょうだい」の関係もかわっていなければ、僕がやっていることもかわっていないわけで。「我ながら変わってないなぁ」なんてぼやきながら、煙草の煙をはきだしたりするのである。
28歳一日目の、そんな夜の出来事。
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