1998年 10月17日 |
樂書屋春九堂本舗<電脳出張所>として開設、運営を始める。同時期に知人の兄貴氏(兄貴の館)が運営を開始。当時はまだ「テキストサイト」とか「日記サイト」等という呼称はなく、ノンジャンル文章系という方向性皆無な滑り出しだった。 |
1999年 1月19日 |
高校時代からの友人ゴンザレス・グレイ氏と共同運営という形になり、「我意奇知<ガイキチ>研究所」としてリニューアルスタートを開始する。ゴンザレス・グレイ氏は書記長という肩書きとなり、春九堂は所長という肩書きを自称することに。ちなみに当時のフルネームはポヤッチォ春九堂だったのだが、何故その名になったのか未だに不明。 |
11月某日 プレPA |
兄貴の館主催オフ会に参加要請。気乗りがしなかったのだが、なんでもするという兄貴にほだされ「じゃあ、待ち合わせ場所でアフロかぶれや」と強制。初のアフロオフとなる。このとき他にアフロを被った者達の中に、「裏MIZUHAの憂鬱」の、みずは氏がいた。 |
2000年 1月1日 |
リニューアルを敢行。サイト名「ガイキチ研究所(Guikitch-Laboratory)」を変更し、略称を正式名称とする。結果としてG-LABOという名称が誕生。以降定着する。 |
2月某日 |
「兄貴の館」の兄貴氏と共同執筆で、みずは氏や当時付き合いのあったサイト管理人や読者さん達を登場させたSS「女学生ハンターM」の執筆開始。みずは氏や兄貴のキャラやサイトの方向性は、ここで決まったと云っても過言ではないような気がする。同年3月に連載終了(全8話)。 |
2000年 5月11日 |
初のオンライン読者参加型企画「エンサイクロペディアG/Gの辞苑(現・言戯道場)」を開始。春九堂、肩書きを我意奇知道
家元と改める。以降家元の肩書きが定着。不確定であったりポヤッチォであったりした姓を、ノリだけでみやもととする。 |
8月11日 PA1 |
有明ビッグサイトにて、初のアフロオフ企画「プロジェクトA
アフロで有明」を開催。広く混み合ったコミケ会場で、アフロだけを目印に遭遇出来るかという無謀な「ウォーリーを探せ!」ゲームだった。 |
2001年 1月1日 |
前年末に「ガイキチ列伝(現・Gの伝説)」全十話、「Gの辞苑(現・言戯道場)」全14回のロールアウトが完了した為、しリニューアル。ガイキチのGだけではなく言戯<Gengi>のGとして「G-LABO言戯道場」と改名する。トップページにアフロパンダの太々君が登場。 |
8月11日 PA2 |
有明ビッグサイトにて、2回目のアフロオフ企画「プロジェクトA2
アフロで有明その上アロハ」を開催。内容は変わらないが、人数が大幅に増えて大変なことになった(笑)。 |
10月7日 PA3 |
浅草はなやしき遊園地にて、3回目のアフロオフ企画「プロジェクトA3
アフロだよ!全員集合!」を開催。はなやしき遊園地内のBeeタワーという観覧車のようなものを参加者で占拠し、全員アフロとサングラスを装着して降りてきた後、遊園地内をアフロ装着のまま遊ぶという悪夢のような企画となった。はしゃぎ過ぎた参加者がいて、ちょい失敗。 |
12月24日 PA4 |
下北沢ムーンライト(レンタルカラオケパーティールーム)、4回目のアフロオフ企画「プロジェクトA4
戦場のメリーアフロマス」を開催。24:00から翌朝までのクリスマスパーティーを開催。料理などは全て持ち込みの、ポトラックパーティーのようになる。参加希望者が多く抽選となったが、成功。人生最初の女装を経験する。 |
12月末 |
兄貴の館主催「第2回痛いサイト選手権
キングオブイターズ'98」にエントリーされる。同時期にリレー801SSがスタートする。春九堂は第6章を担当。ちなみに選手権の結果は準優勝(痛くない方の)。一位は「LINE
ON」。最強痛いサイトは「ろじっくぱらだいす」。 |
2002年 1月1日 |
ようやく定着したG-LABOというサイト名だが「じーろぼ」だの「じーれぼ」だのと読まれていることが発覚。春九堂の名も「しゅんくどう」「はるくどう」「はるきゅうどう」等と読まれている事が多く、わかりやすくする為にリニューアルを敢行。幼稚園児でも読めるように「じーらぼ!」となる。最後の「!」は「こう読め!」という意味の「!」 |
4月13日 PA5 |
個人情報保護法案拒否!共同アピールの会の銀座デモパレードにて「プロジェクトA5
アフロがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を開催。銀座から日比谷公園までのデモパレードの一角に異様なアフロ集団が出現。沿道応援含め、50人以上が参加。 |
6月14日 PA6 |
新宿のトークライブハウス「ロフトプラスワン」にて初のトークライブイベント「プロジェクトA6 AFRO
FICTION」を開催。多くの方に手伝っていただき、150人以上の参加者を集めることとなる。二次会新宿パセラでのオールナイトオフ「アフロナイト」にも80人以上の方が参加。 |
8月24日 PA7 |
アフロオフ企画を誘致しようという企画の結果、北海道札幌市にて「プロジェクトA7
北北東に進路をとれ!」を開催。バイクで東日本を縦断し函館・室蘭・長万部・登別・札幌と一週間以上に渡る旅をしながらのイベントとなった。 |
10月12日 B-1
GP'02 |
さいたま市ROUND1大宮店においてB-1GRANDPRIX'02を開催、参加者合計76名のボウリング大会となる。当日開催されたテキストサイト最強タッグトーナメント(ボウリング大会)では、兄貴氏(兄貴の館)とタッグチーム「AS砲」を結成し参加。見事ブービー賞となってバツゲームを喰らうことに。 |
2002年 10月17日 |
サイト開設より4周年を迎える。 |
12月 24.25日 PA8 |
新宿のトークライブハウス「ロフトプラスワン」にて第2回目のトークライブイベント「プロジェクトA8
アフロマス2〜サンタがアフロでやって来る!〜」を開催。平日のクリスマスイブという状況にあって、どういうわけか120人以上が参加。第一部はトークライブ、第2部はアダルトタイムというわけのわからん状況になった。 |
12月 27.28日 |
インターネットストリーミングTV局「あっ!とおどろく放送局」の「第1回カリスマサイト管理人始発までトークバトル」という番組に生出演。全国のお茶の間(つーかパソコンモニター)にオールナイトで、醜態をさらす。番組内でリアルタイムに2002年の「痛いサイト選手権」を主催、オンライン投票でリアルタイムに投票を受け付けたが、何故か「じーらぼ!」がブッチギリ優勝を遂げる。ありえない。 |
12月 28.29日 |
インターネットラジオ局「ラジ@」の年末特番「ナマハチ!」内の「みかか」生放送に出演。初対面にも関わらず、ネットママドル兼詩人のコトウユウキさんの母乳を利用して作成したチキンラーメンを真夜中の3時過ぎくらいに、食することになる。なるほどウチのサイトはどうやら痛い系らしいと納得し始める。 |
12月30日 |
東京国際展示場・有明ビッグサイトで行われたコミックマーケット63に、「花火」管理人ショーキチ君の同人サークル「光子力スクラッチ」の委託販売扱いで、「太々君ワイドサイズバスタオル」を販売。サイトを知らない方にもお買上げいただき、2001年8月のPA2で宣言した「コミケに次に来るときはグッズ販売で進出」という目標を果たす。これにて地獄の年末スケジュールが終了。本気で死ぬかと思った。 |
2003年 1月17日 |
通算500万ヒットを達成。
(記念企画で恥をかく。キャー。) |
1月 18.19日 |
インターネットストリーミングTV局「あっ!とおどろく放送局」の「第2回カリスマサイト管理人始発までトークバトル」という番組に再び生出演。なんつーか、年末からコッチいつの間にか「面だし上等」になってしまっているような気がするが、既にPA5の記事が朝日新聞の一面に載ってしまった段階から、考えてみればそういうことだったのかもしれないと無理矢理自分を納得させる。ありえない。 |
2003年 2月27日 |
『宮本春九堂』から『みやもと春九堂』に改名。
(特に意味はなかったり。字画の問題で。) |