じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)



【初めての方へ】
 
その名の通りサイトの概要を解説するページです。一番最初に読んで欲しいページだったりします。サイトの歩みについては、見てのとおりの略年譜です。気が向いたときに突然色々書き足します。整理しないとわけわからないことになるので。
 このWebサイト上にある全てのオリジナルの制作物(文章・データ・キャラクター)の著作権は全て管理人:みやもと春九堂に帰属します。無断での転載・転用・使用の一切を禁じます。

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みやもと春九堂
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サイトの歩き方・諸注意
サイト名について じーらぼ! か じーらぼ!言戯道場(げんぎどうじょう、と読みます。)
×→戯言道場
×→じーぼ!
管理人について みやもと春九堂(みやもとしゅんきゅうどう、と読みます。)
×→はるきゅうどう・はるくどう・しゅんどう
×→春九郎・春


1975年11月5日生まれの28歳です。男です。身長173cm、体重115kgのデブです。クマです。卯年で蠍座でA型です。執念深く情熱的とか出ます。なんだそりゃ。

フリーライターもどきのことをやっております。お仕事随時募集中です。

趣味とか結構色々あります。そのあたりはこのあたりを。
管理人の
呼び方について
電信(メール)や茶会席(掲示板)などでは、「家元」で統一すると便利。「家元」は肩書きなので、「家元様」は「社長様」とかと同じになってしまうので微妙にどうかと。悪い気はしませんが。

「春九堂」は屋号なので「春九+さん」で呼ぶのが実は正式。でも相当親しくないと、それはしないのもまた普通。

極々少数の人は「春さん」と呼ぶこともあります。この場合に限り「はるさん」と読む。

まぁ総じて「家元」ですますのが一番楽かと。

追記:結構な方の読者の方から、「家元でもいいんじゃないですか?」というメールをいただきましたので、別にOKです。でも

×→家

これは勘弁。

じーらぼ!読者の人は以下の文字列を漢字変換辞書に登録するといいです。
みやもと みやもと 固有名詞姓
春九堂 しゅんきゅうどう 固有名詞名
家元 いえもと 固有名詞(こうすると家元様でも一発変換)
サイトの内容
について
基本的には文章がメインです。トップページにある「みやもとな日々」が一番更新頻度が高く、エッセイ風のモノあり、コラム風のモノあり、SS風のモノありの駄文です。

ただ文章を書くのは面白くないので、イラストやら写真やらPOSERというソフトを使ったキャラクター達を登場させて遊んでます。シリーズモノの文章などもあるので、書庫を覗いてみて下さい。

オンライン・オフラインでの企画も様々やっています。オフラインでの企画のメインは「プロジェクトアフロシリーズ」、通称「PA」です。素人なりのエンターテイメント性・イベント性を考えて、色々やっています。

オンラインは言戯道場という読者参加型の単文企画です。月に一度行っております。毎回1000通ほどの投稿があり、採用されるのは100通前後という競争率の高い投稿企画です。採用者には得点が加算されて特典が得られたりします。
サイトの方針
について
相互リンクは基本的に受け付けておりません。ごめんなさい。リンクページも用意してありますが、個人的ブックマークと化しています。

当サイトへのリンクは自由ですが、内容の一部または全部の無断転載・転用の一切を禁じています。著作権は全て管理人のみやもと春九堂に帰属します。

アクセス解析つけています。リンクされているところとかリファラで結構チェックしてます。面白いところがあったりすると、知らぬ間にブックマークされているかもしれません。リンク報告はしていただければ必ず見に行っております。

目指すべきは「小規模エンターテイメント」です。所詮は素人なので出来ることなど限られていますが、日常の中で、じーらぼ!を見たり読んだり参加したりしてくれた方が「くすっ」とでも笑ってくれたら、また何か感情が動いてくれたら、それでOKだと思っています。

基本的にサイトバレとか全然平気なので、閉鎖は「飽きたら」か徹底的に厭になることがあったりしたらって感じです。モットーは「継続は力」です。

ころころハンドルネームを変えたり、サイトをぽんぽん閉鎖したり復帰したりというのは個人的には好きではありません。
メールについて 誹謗中傷メールはいりません。凹むし、ウザいので。応援メールとか凄く励みになります。御返事は殆ど出来ません。茶会席(掲示板)に書き込んでいただいた方がまだ返信率は高いかも知れません。ものすごく遅くなってからメールの返事が届くこともあります。ごめんなさい。

でもいただいたメールは記憶するくらいよく読んでいます。データもしっかりバックアップしてあります。一通一通いただいたメールは全て、このサイトの記念碑だと思っています。

時々管理人が壊れます。慰メール(いめーる)を求めてみたり、えっちらほい画像メール(ちょっとえっちなチラりん画像メール)とかを募集したりもします。そして凄く救われたり盛り上がったりします。

女性読者様は全て女神様です。ちなみに、えっちらほい画像メールとか慰メールは随時募集しています(笑)。
じちゃんねる
(掲示板)
について
宣伝行為は一切禁止しています。削除されます。削除するのが面倒なので、宣伝目的の書き込みはしないで下さい。しつこいとIPアドレスを晒します。プロバイダやサーバーにに苦情を提出することもあります。

基本的に書き込みはマナーを守ってくれればOKです。マナーというかエチケットです。書き込みには基本的に敬語を使いましょう。やりとりは失礼の無いように。

脈絡のない書き込みとかは無視されます。面倒事は避けましょう。なるべく居心地のいい空間になるように御協力願います。
キャラクター
について
アフロパンダの太々君…エントランスページや他のページで微笑んで反っくり返っている彼です。太々という名前は読者さんからの公募で決まりました。中国語での意味は「**夫人」とか「奥様」なんですが、字面と語感で選びました。一応オスです。男の子です。

趣味は格闘技・料理、特技は風邪などの看病という設定になっています。元は春九堂が考えた絵本のキャラクターでした。いつか実現させたいです。


必殺代理人のナオキ君…POSERというソフトから適当に生まれたキャラクターです。姓不詳。身長175cm体重65kg、見ての通りのヤセマッチョですが、すぐに脱ぎたがるという性質を持ちます。むしろいつでも全裸です。

テキスト内での映像的説明が必要なときに出現します。よって代理人。額に輝く代理の2文字が彼のカルマです。剃り込みの入った謎のモミアゲがチャームポイント。お洒落な股間の検閲印におすぎもピーコも仰天です。


マナーアップバットマン先生…これもPOSERから生まれたキャラクターです。深夜プラスONEという大好きなサイトの鬼首毒虫様をモチーフとして誕生しました。当サイトの「圧縮人生相談室」というコンテンツを担当していますが、一時休止中です。

ナオキ君のような全裸人やマナーを守らない人間を、圧縮バットでガンガン粛正する頼もしい人です。身長173cm体重不明。ガクランの下は妙に不健康な肌の色をしています。

圧縮バットとは王貞治選手が愛用していた複数の種類の木材を薬品などで接着し圧縮成型したバットで普通の削り出しバットより反発力が大きかったといいます。現在プロ野球では使用禁止。


二人の御先祖様…ナオキ君とバットマン先生の遠い御先祖様です。二人は親戚なのか?一体ルーツは?二人の極端までの性格の違いは??いやまだ何も考えてないだけです。
サイトの主な歩み
1998年
10月17日
樂書屋春九堂本舗<電脳出張所>として開設、運営を始める。同時期に知人の兄貴氏(兄貴の館)が運営を開始。当時はまだ「テキストサイト」とか「日記サイト」等という呼称はなく、ノンジャンル文章系という方向性皆無な滑り出しだった。
1999年
1月19日
高校時代からの友人ゴンザレス・グレイ氏と共同運営という形になり、「我意奇知<ガイキチ>研究所」としてリニューアルスタートを開始する。ゴンザレス・グレイ氏は書記長という肩書きとなり、春九堂は所長という肩書きを自称することに。ちなみに当時のフルネームはポヤッチォ春九堂だったのだが、何故その名になったのか未だに不明。
11月某日
プレPA
兄貴の館主催オフ会に参加要請。気乗りがしなかったのだが、なんでもするという兄貴にほだされ「じゃあ、待ち合わせ場所でアフロかぶれや」と強制。初のアフロオフとなる。このとき他にアフロを被った者達の中に、「裏MIZUHAの憂鬱」の、みずは氏がいた。
2000年
1月1日
リニューアルを敢行。サイト名「ガイキチ研究所(Guikitch-Laboratory)」を変更し、略称を正式名称とする。結果としてG-LABOという名称が誕生。以降定着する。
2月某日 「兄貴の館」の兄貴氏と共同執筆で、みずは氏や当時付き合いのあったサイト管理人や読者さん達を登場させたSS「女学生ハンターM」の執筆開始。みずは氏や兄貴のキャラやサイトの方向性は、ここで決まったと云っても過言ではないような気がする。同年3月に連載終了(全8話)。
2000年
5月11日
初のオンライン読者参加型企画「エンサイクロペディアG/Gの辞苑(現・言戯道場)」を開始。春九堂、肩書きを我意奇知道 家元と改める。以降家元の肩書きが定着。不確定であったりポヤッチォであったりした姓を、ノリだけでみやもととする。
8月11日
PA1
有明ビッグサイトにて、初のアフロオフ企画「プロジェクトA アフロで有明」を開催。広く混み合ったコミケ会場で、アフロだけを目印に遭遇出来るかという無謀な「ウォーリーを探せ!」ゲームだった。
2001年
1月1日
前年末に「ガイキチ列伝(現・Gの伝説)」全十話、「Gの辞苑(現・言戯道場)」全14回のロールアウトが完了した為、しリニューアル。ガイキチのGだけではなく言戯<Gengi>のGとして「G-LABO言戯道場」と改名する。トップページにアフロパンダの太々君が登場。
8月11日
PA2
有明ビッグサイトにて、2回目のアフロオフ企画「プロジェクトA2 アフロで有明その上アロハ」を開催。内容は変わらないが、人数が大幅に増えて大変なことになった(笑)。
10月7日
PA3
浅草はなやしき遊園地にて、3回目のアフロオフ企画「プロジェクトA3 アフロだよ!全員集合!」を開催。はなやしき遊園地内のBeeタワーという観覧車のようなものを参加者で占拠し、全員アフロとサングラスを装着して降りてきた後、遊園地内をアフロ装着のまま遊ぶという悪夢のような企画となった。はしゃぎ過ぎた参加者がいて、ちょい失敗。
12月24日
PA4
下北沢ムーンライト(レンタルカラオケパーティールーム)、4回目のアフロオフ企画「プロジェクトA4 戦場のメリーアフロマス」を開催。24:00から翌朝までのクリスマスパーティーを開催。料理などは全て持ち込みの、ポトラックパーティーのようになる。参加希望者が多く抽選となったが、成功。人生最初の女装を経験する。
12月末 兄貴の館主催「第2回痛いサイト選手権 キングオブイターズ'98」にエントリーされる。同時期にリレー801SSがスタートする。春九堂は第6章を担当。ちなみに選手権の結果は準優勝(痛くない方の)。一位は「LINE ON」。最強痛いサイトは「ろじっくぱらだいす」。
2002年
1月1日
ようやく定着したG-LABOというサイト名だが「じーろぼ」だの「じーれぼ」だのと読まれていることが発覚。春九堂の名も「しゅんくどう」「はるくどう」「はるきゅうどう」等と読まれている事が多く、わかりやすくする為にリニューアルを敢行。幼稚園児でも読めるように「じーらぼ!」となる。最後の「!」は「こう読め!」という意味の「!」
4月13日
PA5
個人情報保護法案拒否!共同アピールの会の銀座デモパレードにて「プロジェクトA5 アフロがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を開催。銀座から日比谷公園までのデモパレードの一角に異様なアフロ集団が出現。沿道応援含め、50人以上が参加。
6月14日
PA6
新宿のトークライブハウス「ロフトプラスワン」にて初のトークライブイベント「プロジェクトA6 AFRO FICTION」を開催。多くの方に手伝っていただき、150人以上の参加者を集めることとなる。二次会新宿パセラでのオールナイトオフ「アフロナイト」にも80人以上の方が参加。
8月24日
PA7
アフロオフ企画を誘致しようという企画の結果、北海道札幌市にて「プロジェクトA7 北北東に進路をとれ!」を開催。バイクで東日本を縦断し函館・室蘭・長万部・登別・札幌と一週間以上に渡る旅をしながらのイベントとなった。
10月12日
B-1 GP'02
さいたま市ROUND1大宮店においてB-1GRANDPRIX'02を開催、参加者合計76名のボウリング大会となる。当日開催されたテキストサイト最強タッグトーナメント(ボウリング大会)では、兄貴氏(兄貴の館)とタッグチーム「AS砲」を結成し参加。見事ブービー賞となってバツゲームを喰らうことに。
2002年
10月17日
サイト開設より4周年を迎える。
12月
24.25日
PA8
新宿のトークライブハウス「ロフトプラスワン」にて第2回目のトークライブイベント「プロジェクトA8 アフロマス2〜サンタがアフロでやって来る!〜」を開催。平日のクリスマスイブという状況にあって、どういうわけか120人以上が参加。第一部はトークライブ、第2部はアダルトタイムというわけのわからん状況になった。
12月
27.28日
インターネットストリーミングTV局「あっ!とおどろく放送局」「第1回カリスマサイト管理人始発までトークバトル」という番組に生出演。全国のお茶の間(つーかパソコンモニター)にオールナイトで、醜態をさらす。番組内でリアルタイムに2002年の「痛いサイト選手権」を主催、オンライン投票でリアルタイムに投票を受け付けたが、何故か「じーらぼ!」がブッチギリ優勝を遂げる。ありえない。
12月
28.29日
インターネットラジオ局「ラジ@」の年末特番「ナマハチ!」内の「みかか」生放送に出演。初対面にも関わらず、ネットママドル兼詩人のコトウユウキさん母乳を利用して作成したチキンラーメンを真夜中の3時過ぎくらいに、食することになる。なるほどウチのサイトはどうやら痛い系らしいと納得し始める。
12月30日 東京国際展示場・有明ビッグサイトで行われたコミックマーケット63に、「花火」管理人ショーキチ君の同人サークル「光子力スクラッチ」の委託販売扱いで、「太々君ワイドサイズバスタオル」を販売。サイトを知らない方にもお買上げいただき、2001年8月のPA2で宣言した「コミケに次に来るときはグッズ販売で進出」という目標を果たす。これにて地獄の年末スケジュールが終了。本気で死ぬかと思った。
2003年
1月17日
通算500万ヒットを達成。
(記念企画で恥をかく。キャー。)
1月
18.19日
インターネットストリーミングTV局「あっ!とおどろく放送局」「第2回カリスマサイト管理人始発までトークバトル」という番組に再び生出演。なんつーか、年末からコッチいつの間にか「面だし上等」になってしまっているような気がするが、既にPA5の記事が朝日新聞の一面に載ってしまった段階から、考えてみればそういうことだったのかもしれないと無理矢理自分を納得させる。ありえない。
2003年
2月27日
『宮本春九堂』から『みやもと春九堂』に改名。
(特に意味はなかったり。字画の問題で。)