|
■ エイプリルフールに考えた。
そういえば、今日は4月1日・エイプリルフールということで。一つ気の利いたウソでもついてみるかなぁと思ったのですが、なんにも思いつきません。どうしよう。
それでもなんとか頭を捻ってみたのですが「ウソをつく」という行為を意図的にするというのは、とても難しいことなどだと気づきました。
どういうことかといいますと、「ウソをつく」という事を人間が学ぶのは、自己防衛の為であったりすることが大半だから、ということなんです。
自分に都合の悪いことを隠そうとして、事実と違うことを云う。これがウソの原点だと思います。ですから、通常は自分に都合の悪いことで、追いつめられないと「ウソをつく」という行為、また発想が、自然発生的には出ないわけです。
ちなみにコレは日常生活上の「ウソをつく」ということであって、人を楽しませる為に現実とは違うことを云う・虚構を演じるという点での「ウソ」とは違います。これは芝居であったり演劇であったりドラマであったり、いわゆるフィクションといわれるもの。
役者や作家をはじめとした、そういうエンターテイナーというのは、「作り話」を構成して「ウソをつく」わけです。受け手側もこれを「エンターテイメント」として受け取るからこそ、「ウソ」を「ウソ」とは認識せず、その虚構を楽しむわけですが、これっていうのは、物凄く高度な文化なのではないかなぁ、と、僕なんかは思うわけです。
さて、話を「ウソをつく」に戻しますと、「追いつめられる」か「エンタメに徹するか」という分岐にいたるわけです。こりゃあまいった。こりゃあ難しい。
「追いつめられる」といえば、僕にとっては〆切だったりするわけなんですが、これならいくらでも「言い訳」も「ウソ」も出てきます。いや仕事しろよって話なんですが(笑)。それにそんなウソをココでついても、まるで意味がないですしね。
ところが「エンタメ」側のウソっていうのは、ちょっと今頭が回らない。これじゃあ、小規模エンターテイメントサイトを名乗っているのに失格ですよねぇ…うーん。
と、まぁ、こんな事を考えていたんですが、「ウソをつく日」とされている、またはそれが許されるエイプリルフール。で、ウソは「真実ではないことを真実にみせかける」ということ。
すると「エイプリルフールに真実ではないことを真実にみせかけておいて実は真実であることを明かす」というのも、真実か真実でないかはわからなくなるわけです。
つまり「エイプリルフールに真実ではないことを真実にみせかけておいて実は真実であることを明かすフリをしておいて実は真実ではないかもしれないことをいっている」という事かも知れないわけですね。
いわば全体が「ウソ」ということ。いわば今日この日に「エイプリルフールだからウソをつきますよ」という共通認識のの元に為される、全ての発言は「ウソ」であるかもしれないという可能性をはらんでいるわけです。
なんかグチャグチャになってきましたが、例えば僕が
「今までずっと隠してきましたけれども、本当はデブじゃないんです」
というのは、単純明快なウソですが、
「今までずっと隠してきましたけれども、本当はデブなんです」
というのもエイプリルフールという日にあっては、ウソなのかもしれないということになるわけです。やった!僕激痩せ!!突然激痩せ!!!まぁ、そんなわきゃないんですけど。
こういう二重三重に仕掛けて真相がどれなのかわからなくする。または真実が紛れ込んでいるんじゃないかと思わせるというのは、「エンターテイメントとしてのウソ」としては、結構高等なものではないかなーと思うんですよね。まぁうまくいくかは別として。
というわけで、そういう前提の元に、以下の発言をお読み下さい。
反転するなよー(笑)。
『今月17日に結婚します。』
ごめん、やっぱなんも思いつかなかった。 (というか並べようとした「真実かも知れない」思わせるネタが危険球過ぎて思考停止) お友達がね。 4/2 AM00:15 追記 【解答】 (■)
|
その他の記事 |
つ、つかれた……。
この記事の直前の記事です。
../2004/200403312150.html |
花散らしの雨の夜に。
この記事の直後の記事です。
../2004/200404021922.html |
|
|
|