じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2004年04月27日-12:48 のつぶやき】

TA・WA・GO・TO


先生からメールをいただきました。

といっても、別にマイ恩師ではないので、そこんとこヨロシクメカドック(古)。

なにはともあれ、「先生」ですよ「先生」! 僕も『学校へGO!』で国語の担当というようなギミックをやらせていただいているわけですが、マジモノの先生です。

しかも歴史。僕の一番好きな科目。マジ好き。イイ国作っちゃったり(1192年鎌倉幕府成立)、イクイクホテルベルサイユだったり(1919年ベルサイユ条約調印)、思わず白紙に戻しちゃったりもする(894年菅原道真が遣唐使を廃止)

こんないい加減な年号並べたところで、本当に歴史が好きなのかとかツッコマれてしまうと、リアクションに窮してしまうのですが、本当に好きです。女教師とか。あれ。


まぁ何はともあれ、そんなマクラから始まってしまったわけですが、静岡県裾野市の高校生の皆さん、見てますかー? 春九堂ですよー! いつも見てくれてありがとうございまーす! やっほー! 富士山ー! カーガミーモチー!(意味不明)


というわけで、先生からメールを戴いてしまったのです。詳しくは(先生に対する愛を込めて語ると、昨日の文化論モドキの比ではないくらいまで)長くなってしまうので割愛しますが、なんでも生徒さんも、ウチのサイトを読んでくれていて、そのメールをくれた先生との間で話題にまでなるというじゃありませんか。こんなに嬉しいことはありません。

足かけ6年のサイト運営ですが、このようなケースは初めて。まだお若い先生でいらっしゃるので(といっても、ほぼ同年代)僕がサイトを始めた頃は学生さんだったりしたわけなんですよね。いや、僕自身そうだったわけですが。ましてや生徒さん達は、現在三年生だとしても、当時は12歳。小学生ですよ。小学生。


いやはや時間が経つのははやいものだと思うと同時に、インターネット利用環境の普及と進化は目覚ましいものがあるなぁと思うわけです。

僕が高校生の頃なんかは、インターネットなんか普及もクソもなかったですからね。それ以前に、まずパソコンがそんなに普及していなかったわけですよ。なにしろNEC帝国全盛時代で、一台30万円とか当たり前でしたから。

それでもどういうわけか高校に上がる前からMSXだの8801だののパソコンを所持していた僕は、高校に上がると同時に9801デビュー。そしてエロゲー三昧の日々に突入。


そうしてゲームをやったり、プログラムを組み始めたりしていたわけです。ATOK(一太郎にのっている漢字変換ソフト)なんか、まだ6でしたからね。今いくつだよ!という感じです(調べたら最新版はATOK17でした。すげえ)

ちなみに趣味として文章を書き始めたのも、その頃。日記なんかは、それ以前にもつけていたわけですが、「不特定多数の人に見られる・人に見せる」という文章を意識して書き始めたのは、まさにこの頃でした。


それ以前は日記と作文と、ごくごくたまに書く手紙だけ。作文はそんなに苦手ではなかった、否、むしろそこそこ得意だった方なのかもしれませんが、そんなに数多く書かされるものでもありませんでしたからね。

でも、作文のコンクールで県知事やらなんやらから表彰されたりする、そこまでいかなくとも「褒められる」ということは、かなりの快感でしたし、「文章を書く」ということが好きになる、大きなきっかけになったのは間違いありません。

では何故、頻繁に文章を書くようになったかというと、一つにはパソコンのワープロ機能の飛躍的な向上がありましたし、なによりもパソコン通信というものがあったのです。しかも今も継続しているNiftyやPC-VANなどの大規模ネットワークではなく、小規模な草の根ネットというヤツです。

ですが、当時は電話回線定額サービスなんていうのもありませんでしたので、接続料金が怖い。そこで行き着いたのが、アマチュア無線を使ったパソコン通信『パケット通信』というものでした。これ知っている人は本当にマニアだと思うぞ(笑)。


さて、アマチュア無線とは御存知の通り、国家試験を受験して取得するアマチュア無線技士資格を元に、自分の無線局を開局して、電波の届く範囲で交信するというもの。そして、その電波を使ってパソコン通信が出来たのです。

無線通信では電波の届く範囲は限られています。もちろん、使用する周波数帯によっては遠洋漁業をしている船の皆さんとも交信できたりしますが、僕の使っていた周波数帯及び設備では、遠くて数km程度がいいところでした。

無線の面白いところは、遮蔽物がなく、大規模な装置であれば、かなり遠くまで電波を送受信できるということです。学校にアマチュア無線設備をいれている部活動の皆さんは、屋上やタワーにアンテナを立てましたし、登山家の皆さんは山頂からCQを出したりしていました。そうすると同じ周波数帯でも数十キロのエリアをカバー出来たりするのです。

例えば、東京は神田のTDUこと東京電機大学には立派な設備がありますので(今でもあるのかなぁ?)、埼玉にある僕の家とも交信出来たりしました。この2局の距離はおよそ30キロほどあるわけです。


さて、閑話休題。パケット通信を始めた僕は、電波の届く範囲で活発に運営しているBBS(電子掲示板/正式には電波電子掲示板ですのでR-BBSといっていました)を探しました。BBSというものは、現在インターネット上に多く存在する掲示板と、あまり変わりがありません。

一つ大きく違うのは、もっと公共性が高かったということでしょうか。個人発信の日記というようなジャンルではなく、情報交換・意見交流という、それぞれの局の人が皆で書き込み、成立させるというものだったのです。無論、創作を発表したり、なにげない日常を書いたエッセイ風の書き込みもありました。

さらに「公共性」を強めるのが、それぞれが国家資格取得者であるということです。無線局にはそれぞれコールサインというものが発行されるわけなのですが、そのコールサインは当たり前のこと個人が特定できますし、電波探知をすれば、その人の住居すらも特定できます。

数十キロをカバーするとはいえ、基本的には「ローカル(地元)」と表現されるようなエリアですから、発言には注意しなくてはいけませんし、インターネットと違って秘匿性は低く、それを意識した発言や書き込みになるのです。つまりは「発言」に「責任」がつきまとうわけですね。


そういう「ステージ」で、僕は毎日のように文章を書きました。個人宛のメールもそうですが、その周波数帯で電波を受信すれば、その文章は読みとれます。ですから「誰に読まれても大丈夫」な内容にしなければならないわけです。

無論、専用ソフトウエアを使って暗号化することも出来ましたが、敢えてそんな面倒をするようなことは、あまりありませんでした。

ちなみにどれだけの文章を書いたかというと、多い時は1年間で1500件ほどの書き込みをしました。掲示板ですので、基本はレスの応酬になるわけですが、話題提起としてのオリジナルの文章も相当数あったと思います。

一件の長さは大体400〜800文字。長ければ2000文字程度だったと思います。他にも小論文や創作などもあわせると、どのくらいの量になったか、想像もつかないほどです。


そうした中で、人との考え方の違い、文章の違い、知識の違い、そういうものを「文章化」された中から、どんどん吸収していったわけです。

当たり前ですがアマチュア無線をやる人には、様々な年齢の方がいますから、40代・50代の方と親しく意見交換するなどのことも、決して珍しくはありませんでした。このあたりはインターネットとあまり変わりないかも知れませんね。


勿論、人と直接会うこともありました。今では「オフ会」、有線(電話回線BBS)用語では「お茶会」、そしてR-BBSでは無線用語で「アイボール」というのですが、年齢差も様々ある中で、前任の方から引き継いで、17歳当時に幹事をやらせてもらったりもしましたねぇ。

ローカルエリアの最寄り駅前に、ある者は車で、ある者は自転車で集まってファミレスで粘りながら、ひたすらに喋り、さらにファミレスを梯子する。

文章というフィルタ、電波というフィルタを通して普段意見交流をしている分、そうしたフィルタを取り除くと、余計に話はつきません。夜明けまで、なんてこともしばしばでした。


年齢差・立場を超えた交流というのは、非常に面白いものです。でもそうしたところで大切になるのは、やはり礼儀であり言葉遣いであり、そうした諸々を含めた「態度」でした。

もともと礼節を重んじる武道をやっていたり、体育会系に属していたので、そういう面で苦労することはありませんでしたが、そういう年齢差のある交流の中で会得したものも多くあります。

文章においては「読みやすいこと」、会話においては「(発音や表現ふくめて)聞き取りやすいこと」。それに加えて「聞き手・読み手の興味をひき、なおかつ楽しんでもらえれば、なお好し」という、当たり前のようでいて難しいことが、「表現する」という行為の上で、とても重要になるのだと再認識したのも、こうした環境の中での事だったと思います。

少なくとも5・6年、多ければ3倍以上もの年長の方々に、16・7の小僧っ子が戯言に付き合ってもらう(聞かせてもらう・聞いてもらう)には、よっぽど上手に表現し、盛り上げなくてはならなかったものですから。


同時に、日本語の表現の広さや深さに気づかされたのも、この頃でした。文章も会話も言葉のパズルです。単語から文節を作り、文節を組み立てて文章にする。構成や意味が同じであっても、その組み合わせも長さも全く違うものになる。

そしてそれによって好悪の評価までされてしまうというのですから、難しい。さらには相手によってそれを使い分けなくてはならないわけですから、難解を究めるわけです。


でも、だからこそ面白い。深く考えるまでもなく、日本語は日本独自の言語ではありますが、漢字はその根元を象形文字に持ち、具体的な出自は名の現すとおり漢(中国)の文字。

そして、その中国の文字も大元は大陸西方のインドからの出自。さらには北方・西方・東方・南方でそれぞれに進化した文字を総じたものです。

それが半島を伝わって、あるいは大陸からダイレクトに、あるいは南洋から北方から集まって、形成されたのが今の日本語。

私たちが日常的に使っている言葉には、アイヌ(もとは関東・東北地方に広がっていた原住民族だそうです)の言葉も、南方(沖縄や九州)の言葉も多く混ざっているのです。

そう考えると日本語は、まさにアジア圏の言語の坩堝です。これに、ドイツ語・英語・ラテン語を主体とした、外来語まで入ってきて定着しているのだから、もうその難解さはとんでもないものです。

それを自由自在に使いこなして会話しているのが、我々日本人なんですよね。そう考えると、とにかく凄い。やたらと凄い。面白過ぎる。


前述したように、日本語のみならず言葉の表現についてさえ難しいのに、その「言葉」さえも難しいのだから、もはや「面白い」としか言い様がないわけです。

語彙の多さ、表現の多さも、世界の言語形態に類を見ないのが日本語。それだけに繊細な表現も出来るし、思考もできる、だからこそ文化も成立させられると、そう見ることもできるわけです。まぁ、ここまでくると、やや右よりの祖国バンザイ賛歌になってしまうのですが、これは結構大切な事だと思っています。

何がいいたいかというと、「言葉」とはそれだけ大事なものなんだ、と認識することが、今に至る第一歩だったかなぁということ。

えらそうに云ってますが、まだまだまだまだまだまだまだまだ修行中のひよっこ以下なわけなんですけどね。オマケにこうやって、言葉を浪費しているわけですし、乱れた言葉の文章で、日本語文化破壊の一端を担っていそうな雰囲気すらあるわけですが(笑)。


ともあれ、「日本語は難しいし面白いし楽しい」ということ。出来れば、もっと日本語を深く知りたいな、と思うとともに、年々新語は生まれてくるけれども、表現は稚拙化し、言葉が乱れているといわれて久しい世代にも、自分達の話している言葉に興味をもってもらえれば、と思いつつ、こうやって日々文章を打っているわけです。もちろん、「楽しみながら」ですが。


実は、当サイトの企画である『言戯道場』なんていうのは、その最たる例なんですよね。

言葉・表現とは、自分の意識に描いた情景を、相手に伝える為の手段。そして、その巧拙は、どれだけ相手の想像力を刺激し、なおかつ、どれだけ正確に、相手の意識に自分のモノと同じ情景を描かせることが出来るか、という事だと、僕は思うんです。

微細に渡った表現を用いれば、つまり文章を細かく具体的に表現して伝えれば、相手により正確に近い情景を描かせることは可能です。数値、色、形状、方向、配置などの表現がそれ。

さらに共通認識のあるモノを提示する、または比喩を使えば、相手の記憶キャッシュにあるデータと照合して引き出すことも出来ます。これはちょっと高等。

そして、その上にあるのが、単純に相手の想像力任せにしてしまえるもの、相手の想像力を強く刺激する表現です。つまり、言葉・表現に、含みをもたせたりすること、想像の幅を与えることです。

おそらくは、これが一番難しく、また日本語独特のものだと思うんですよね。五七五の17文字で、森羅万象の情景を現す「俳句」などが、それです。


言戯道場では、そういうものを考えてもらって、それを募集したいわけです。もちろんこれは遊びですからルールはありません。

「そのもの」自体を使わず、どれだけ「そのもの」を呼び起こさせる・想像させる表現が出来るか。しかも、出来れば、それを短い表現や言葉に託す、という言葉遊びなわけです。

そうした考えのもとにやっている『言戯道場』ですから、『学校へGO!』という学生向けコンテンツと連動したせいか、投稿者の年齢層は、最年少は12歳で、最高が41歳、平均年齢は21.88歳、約22歳と、投稿者層が「学生主体」になっていることが、とても嬉しいんですよね。

ちなみに投稿者数は、現在までに286人。男女比1:6となっていて、当サイトの読者層の女性比率の低さも出ているわけですが。インターネット利用者が男女比同率になったとか一部で報道されていましたけど、あれはウソですね。報道機関はもっと正確なデータを出して欲しいモノです(被害妄想)。


さてさて、どうにも悪いクセで、説教くさく、自分語りやら、風呂敷を広げすぎたと反省する次第ですが、冒頭に立ち戻って、何が云いたいかというと、教師という存在は「学校・学生時代」という同年代の人間に囲まれた社会にあって、家族を除けば、唯一に等しいほどの「世代を隔てた付き合いの出来る存在」なわけですから、その関係を大事にして欲しい、ということです。

無論、教師と生徒という社会的立場もあるわけですし、師弟の関係であるからこそ礼節も十二分に必要。ですが、それを強調して意識するのは授業中程度のものでいいと思うわけです。

勿論、度を過ぎた馴れ馴れしさは論外だし、失礼があるのは以ての外ですが、その「立場」を超えたところで、人間同士の付き合いが出来れば、これほど有意義な事はないのではないかと思うわけです。

自分の経験論だけで断定的に語ってしまうのは、少々乱暴で危険かもしれませんが、長く歴史を見渡してみても、そういう関係が様々なことを学べるというのは大いにアリなわけですしね。

まぁ小難しく考えずとも、「あずまんが大王」の、にゃも&ゆかり先生と生徒達みたいな関係が理想的だよねって事なんですが(笑)。


そしてその先生と生徒とを結びつける話題に、僕なんぞのサイトが役に立っているということが、とてつもなく嬉しかったということなんです。

ああ、サイトやっていて本当によかった、とまぁそういう事です。うーむ、何故だか知らんが、妙に照れますな(笑)。


そしてもう一つ。説教くさくて申し訳ないのですが、「アタマの柔らかい若いウチに、日本語に興味を持ってください」ということです。

最も身近な「言葉」という存在に興味をもつと、一気に世界が広がると思います。文化・歴史・技術・芸術、そうしたものの全ては「言葉」で伝えられ、継承されてきているものなのですから。

「アタマの柔らかい若いウチ」というのも、結構重要です。わからないことがあったら、誰かに聞ける、そして知っている・調べることに協力してくれる存在がいるというのは、非常にありがたいことです。

まさに学生だから許されること。しかも高校以上の学校では、そういうことはあまりありません。自分で調べてナンボの世界に、一気に変わってしまいますからね(最近はそうでもないとか…なにしろ正しいレポートや小論文の書き方だの、正しいスピーチの仕方話し方なんてのが、「一般教養」に入ってるとか、かなり愕然なんですけどね…)


雑談の領域でもなんでもかまいません。一文字の漢字の成り立ち一つでもかまいません。ほんの少し興味と疑問をもって、課外でもなんでも、先生や先人にそれをぶつけてみてください。

それが、きっと違う新しい世界を開く一歩になると思います。勿論自分で調べることも大事ですけどね(笑)。そして、多くを話し、多くを読み、多くを書いてください。きっと、今以上に、日本語の面白さにハマると思いますよ。


ああ、なんかもう、随分と説教くさくなってしまいました。歳なんだなーとか思ってしまいます。がっくりだこんちくしょう。まぁ最後にもう一つだけ云わせてもらえれば、





僕も妙齢な美女先生に、色々イロイロな疑問を
カラダごとぶつけたいって事なんですけどね。

(えーと…台無し…?)




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