じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2004年07月04日-11:12 のつぶやき】

そうめんとは違うのよね。


というわけで『ぬめぱと変態レィディオ24時間生放送 -pato vs 24人の美女スペシャル-』の、僕の出演時間帯聞いてくださった皆様、本当にありがとうございました。

さて、放送中に貧乏食事な話を少ししたわけなんですが、それについて質問のメールをいくつかいただきましたので、解説したいと思います。

現在、実家暮らしをしている僕ですが、元より男ということもあって放任主義であった我が家ですから、若い当時こそこそと隠れるように家に帰ってきたり帰ってこなかったりだとか「大学の友人の家に泊まり込んでどうこう」というフェイクの元に、かつて恋人の家に転がり込んだりなどしておりました。

他にも事務所やらオフィスに泊まり込みで早朝に帰ってくるという仕事やら、店がはねる時間が午前2時3時で、タクシー代もらって一駅戻った街に行き、始発まで時間を潰すというような生活もしていたので、そういうのも隠れ蓑になっていました。

ぶっちゃけ、両親家族には未だに内緒にしている、僕の人生の暗部の頃の話だったりします(in 20代前半)。ああ、父さん母さんごめんなさい(土下座)。


さて、そんな懺悔も済んだところで。

これは友人のアパートに転がり込んで生活していた時の事です。当時の僕達は安いバイト代のみでの貧乏生活。しかも給料日前の事でした。

そこで2人でバラバラに近所のスーパーに原付で出動。それぞれのスーパーで安売り乾麺を大量購入しまして、なんとかバイト代の支給日まで頑張ろうと決め込んだわけです。

しかし帰ってきた2人のビニル袋から出てきたのは、膨大な量の『揖保乃糸』。違う種類の乾麺を求めて、違うスーパーに出かけたはずなのに「一番安かったのがコレだった」という理由で、2人の間にシンクロニシティが生まれてしまったんです。いらない、こんなシンクロ本気でいらない。

「ケータイで連絡とって違うのにすればよかったじゃん」なんて云う人もいるでしょう。ですけど、アレです、ケータイなんかとっくに止められてたよ貧乏ナメんな。ていうか、2人とも地域の系列店に行っちゃったから、特売の品目が限られていたのだと気づいたのは、コレを書いている今でした。軽く死にたい。


失礼、取り乱しました。

2人で大量の『揖保乃糸』を目の前に、崩れる男をしていた我々は、とりあえずそれでもまずは飢えを満たすことを考えました。

当たり前ですが『揖保乃糸』は普通に食せばとても美味しい乾麺です。というわけでお湯を沸かして乾麺を茹で、同時に簡単な麺つゆを作ります。そして2人の飢えた男が、山盛りの揖保乃糸に挑んだわけですが、当たり前のこと速攻で消え去りました。まさに秒殺。

その後に残されたのは、腹はふくれたものの、既に『揖保乃糸』の味には飽きてしまったという困りものの万年育ち盛りの男が2人。しかも2人の人間の一食の量にしては、購入してきた『揖保乃糸』の量が明らかに目減りし過ぎです。

このままではいかん。安く食いつなぐはずの食料が、ちょっと風流な時節の食べ物大食い大会になってしまっています。そもそも乾麺を選んだのは「煮込んだりしてのびれば、米より食い延ばしが出来るから」という理由だったはず。普通に喰ってどうするんだ。


それからが大変でした。

一応それぞれに学校やらバイトやらの生活もあるので、アパートで食べる御飯は2食。そして給料日までは残り10日間ほど。つまり20食×2名分=40食の喰いつなぎをしなくてはなりません。

そこでまずは全ての『揖保乃糸』を開封。それを目分量ではありますが、均等に40食分に分けました。そしてその一食分の食料の少なさに愕然とする2人。そこで無い知恵を絞ってどうやって食いつなぐかということを考えました。

オーソドックスに煮麺にする。砕いておかゆ風にしてみてはどうか。最後の手段の米が少量残っているので炊き合わせてみてはどうか。つゆにつけるとすすりこんでしまうから、パスタや焼きうどん風にするのはどうか。シーチキンの缶詰があるからマヨネーズと和えてサラダ風にしてみてはどうか…エトセトラエトセトラ。


一食毎にとまではいきませんでしたが、上のメニューは全て試しました。

割と好評だったのが煮麺。カサを増やす為に煮込みすぎて歯ごたえゼロな上に噛まないので満腹回路が作動せず(ゆっくりよく噛んで食べると少量でも満腹になりますよ!)無駄に消化がいいので栄養はそこそこあるはずなのに、妙に病み上がりないし病人っぽい心境になってしまいます。

なにしろ当時の2人の間で流行していた(?)言葉は「だぁめだぁ、リキがでねぇ〜…」(「ドラゴンボール」の悟空口調で)でしたからねぇ。でもコレに冷や飯を投入して卵を溶いてオジヤにしたものも好評でした。

逆に全くダメだったのが、おかゆ風、焼きうどん風、サラダ風。ぶっちゃけ煮麺以外全部です。

おかゆ風は「クズレワンタンスープ」になりさがってしまった素麺に泣き、焼きうどんは茹でた段階で失敗していたのか、炒めようとしたらフライパンにこびりつきまくって食すにも至らないかも知れないという危機に陥り、絶叫をあげながらこびりついた『揖保乃糸』を木べらとシャモジで剥がしたりしておりました。

そして問題がサラダ風。最初は美味いと思ったんです。マヨネーズとシーチキンと晒しタマネギを和えて、そこに『揖保乃糸』を投入するというものなんですが、最初は美味かったんです。最初は。


自信があったものですから、作り置きを出来るくらいの分量を作ってしまったのですが、タマネギの絞りが足らなかったのか次第に水っぽくなってくるサラダ揖保乃糸。おそらくは揖保乃糸からも水が出ているのか、水っぽいどころの騒ぎじゃなくなってきているサラダ揖保乃糸。既にすすりこめるくらいの状態になっています。

それをどうしたものかと思案した挙げ句、僕のいない間に友人が水を切らずにマヨネーズを足すという暴挙に。

宿を世話になっている立場で強いこともいえないのですが、このドゥルドゥルな物体を前にどうしてくれるんだと小一時間説教をかまし(空腹は人間を怒りっぽくするよね!)、まず水を切って醤油を混ぜ、鰹節を混ぜたりするなどの工夫を凝らしたのですが、どうにも味が濃く、仕方なくなけなしの揖保乃糸を継ぎ足して、結局3日間くらいのあいだ、それを食べ続けるという結果になりました。

以来、サラダ揖保乃糸が僕の料理のレパートリーから抹殺されたことは云うまでもありません。永久欠番というか、封印したい記憶です。なんか最後の方はタマネギがヒネた様な臭いしてたし。


そんな地獄と揖保乃糸な日々を通り抜け、いよいよ迎えた給料日。僕ら2人が向かったのは、食べ放題の焼肉屋だったのですが、どういうわけか目の前に山とおいてある肉には手が伸びず。トングで次々と野菜やフルーツを皿にのせては、草食動物のようにもさもさと喰い続けました。

たかだか10日間ほどの、オンリー揖保乃糸生活だったのですが、後にも先にもあれほど新鮮な野菜が美味しいと思った瞬間はなく、気分は遭難した船の船員。なんであんなに野菜を求めたのかということに、今になって「ああビタミンが不足していたんだなあ」と気づいた次第なんですけどね。

まぁ長々と書いてきましたが大した貧乏食生活だったわけではなく、ただ偶然と料理の知識の無さ、そして下手さ加減が招いた不幸だったわけなのですが、これを機に料理を研究し、腕を磨いたというキッカケになったという、そんなお話しです。揖保乃糸に他意はありません。

ひょっとしたら、現在に至って、僕が麺系の料理が得意になったのは、ここがスタートなのかもしれません――。



なんて事を書いていたら



本日の夕食は『揖保乃糸』でした。
(昼にコレ書いたら、夕食に出た次第…いや美味かったですよ?)



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てなわけで。
この記事の直前の記事です。
../2004/200407032227.html
言戯道場総評 御題:旅に出る 〜そうだ○○に行こう〜
この記事の直後の記事です。
../2004/200407070230.html