■ この道は

先日、『田舎』に行ったときの事です。

友人数人と連れ立って長野県の『田舎』に帰省したわけなのですが、ばあさまも御歳九十一歳(今年九十二歳です)。当たり前ですが、負担をかけるようなことは避けなければいけません。

というわけで、居る間のおさんどんは自分達で行うわけですが、野菜は村中どこでも新鮮なモノが手に入るモノの、肉や魚といった他の食材が手に入りにくいのです。

というのも、村に一件だけある「よろずや」は、微妙に賞味期限という言葉がアウターゾーンの彼方にすっとんでいたりするんですよね。

この現象は僕がガキの頃から変わっていないらしいのですが、今回も購入したペットボトル飲料の賞味期限が『20040420』という素敵な表示だったりして、「(品質管理の悪さが)変わってねえー!!」とビビったりたじろいだりしました。

ちなみに当たり前ですが、そんな飲料でも定価で販売しています。そしてそれを普通に飲むのが『田舎』スタイル。暑かったので、あっさり飲み干しましたよ、ええ。


まぁそんな素敵な我が田舎にあっては、まともに生活をしている家では自家用車を複数台持っているのが当たり前で、それに乗って「町」まで買い出しにいくというのが定石なんです。

また住民の数自体が少ない集落内では相互互助の精神が当たり前にありますので、ばあさまの食材も一緒に買ってきてくれたり、車に一緒に乗せてもらったりということが普通にあるわけなんですよね。

しかし。今回は急の来訪、しかも友人連れで、若い衆が合計4人(内一人はクマ)。ストックの食材を使うわけにもいきませんので、当たり前ですが買い物に出かけることにしました。

しかしここで問題が発生。というのも「足」がない。チャリもなければ、バイクも車もありません。ですが「よろずや」で生鮮(鮮?)食品を買うのは、ちょっとアレがソレ。

というわけで、村の周囲は長野五輪景気で随分と変わっているはずという期待を込めて、徒歩で店を探すことにしました。「とりあえず県道まで出て、コンビニかなんかありゃ助かるよな」という程度の望みでしたが。

まぁ最悪の場合はタクシーを使って行こうということで、友人達と連れ立って出かけたわけですが、集落の外に出てみても、家の数は増えたような気がするけれど、店とかは全くありません。むしろ新築家屋の増加に正比例して車の数が増えているような気がします。

いやあーな予感を感じつつ、既に隣の集落に位置するところで、聞き込みを開始。すると「踏み切りを越えたところにスーパーがある」という情報を得ることが出来ました。まぁ来た道を戻ってさらに先に行くというルートだったわけなんですけれどね。

そんなわけで、情報が正しいことを信じつつ、また「歩いて十分くらいだよ」という、おばやんの言葉を信じつつ、途中の青果の路地販売で購入したトマトを丸かじりしたりしつつ、てくてくと踏み切りへと向かったのです。

しかし「10分」で辿り着いたのは、元の集落でした。当たり前です。自分の集落から10分かけて歩いてきて、そのスーパーの情報を得ることが出来たのですから。

さすがに「気づけよ」とか思わないわけでもないのですが、血を引いているとはいえヒキコモリの都会っ子(都会っ子って!)と、地元の人間とでは歩く速度が違います。

そもそもセミの声に耳を傾け、田畑を渡る風を感じながらのそぞろ歩きです。仮に地元の人間の速度で10分ならば、僕らにとっては20分30分といったところなのかもしれません。

そう考え直すことで、「くそお!騙しおったなぁ!」と叫びながら地下足袋、学生服にゲートルを巻いて、ナショナルランプを胸前にくくりつけ、左右の耳の上に懐中電灯を鉢巻で巻き付けて、夜の内に集落を壊滅に追い込もうなどというアレでソレなリアル八墓村はしないで済んだわけです。


しかし県道に出て、それから10分。さらに10分と歩を進めるも、一向に踏み切りは近づいてきません。というか、実は踏み切りの存在は、車で集落に来たときに通った記憶があるだけで、どれくらい離れているかという事を理解していなかったのです。

さすがにくたびれてきて、足も痛みだし、店を見つけたら「ブローニングの九連発を下さい。弾はダムダム弾で」とオーダーしそうになりかけていた頃に、ようやく踏み切りを発見。ですが教えてもらった店は、集落の「よろずや」と変わらぬ品揃えと品質管理っぷりで、当然精肉を売ったりもしていません。

ぐったりと項垂れ、色々な意味でナニかを諦めつつ、周囲を歩いていると周辺地図の看板を発見。そこで近辺にスーパーが有ることを確認して、再び移動し、ようやく買い物をすることが出来ました。ちなみに帰りは当然タクシーです。


帰宅後、無事に食事をしながら買い物をしてきた事をばあさまに話すと、「へえあんなとこまで行ったンかい。村からじゃ二里だか三里だかもあるだろうに」



一里=約4km



おい、どこが「10分で着く」んだ。
隣の集落のおばやん。




一緒に行く友人達には「お墓参りとかで山の中歩くから、はき慣れた靴で来てね」と云っておいたのですが、まさかアスファルトで舗装された道を店を求めて歩きつめるのに役立つとは思いませんでした。


ちなみにその後聞いた話では、その踏み切りの側は、昔は遊郭やら芸者さんたちの置屋なんかもあったそうで、集落の男共は、そこに憂さを晴らしに行っていたそうです。

もちろん徒歩で。灯りも何もなく(今も殆どないです)、舗装もされていない道を、です。なんつーか御先祖様ら、おねーちゃん遊びするのに気合入りすぎなんじゃないでしょうか。

まぁ昔の人はそれくらい平気で歩きましたし、逆に現代人の我々が歩かなくなり過ぎたという風に考えるべきなんでしょうけどねぇ。


ところで、当みやもと家の家系は、僕から十八代先まで遡ることが出来るそうなんですが、五代だか六代だか前の当主というのは、集落を含めた地域を管理していたお城の御用学者だったそうで、門弟達も数百人からいたそうなんです。

ところが、嫁さんをもらわなかったのか、先に亡くしたかで跡継ぎがおらず、妹夫婦を養子にしたらしいんですね。

まぁそんな御先祖様なのですが、多くの弟子をもち、リスペクトされるべき学者という存在だったにも関わらず、結構な道楽者だったらしく、遊びが過ぎて、あっさりと身上を潰してしまったらしいのです。

しかし遡ること江戸の中期から末期のお話です。遊ぶといっても集落に賭場やら遊郭やらがあるわけもなく、やはり先ほどの今は踏み切りがあるエリアまで、通い詰めていたらしいとの事でした。


ある程度の知識が付いて物事の分別もつくようになった頃に、この御先祖様の話を聞いた僕は「明らかに僕には、この御先祖様の血が色濃く流れているっぽいなあ」などと思っていました。

まぁ「遊び」の種類は違えども、「楽しむこと」の為には後先を考えないというあたりが、明らかに「血」かなぁ、と(笑)。

写真があるわけでなし、絵やらなにか遺品が残っているわけでもなく、代々の墓に弟子達が建てて遺した墓石と墓碑があるだけの御先祖様ですが、偶然にも御先祖様が「遊び」に出かける為に歩いた道を漫ろ歩いて、また少しその御先祖様に親近感を覚えたりした、とまぁそんなお話でした。


まぁ御先祖様が同じ道を歩いて、身上を潰すほど豪快なのに比べ、子孫の僕は同じ路上を歩く途中で、スキップをして



足を挫いたりする程度の
スケールなんですけれどね。

(あ、あとマメも作ったよ!<自慢のつもりか)

(C) G-LABO Gengi-DOJO.