じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2005年04月15日-11:55 のつぶやき】

春。


春、なんである。

これを書いている4月半ばの今は、まだ時折肌寒い日が続くこともあるが、それでも春は春なんである。

日本には四季というものがある。ご存知の通りの春夏秋冬だが、それぞれ天体の動きによって、カレンダー上には春分・夏至・秋分・冬至といった季節の区分があり、そこを基点に季節をわけている。

とはいっても、あくまでもカレンダー上でのこと。夏らしい強い陽射しと蒸し暑さ、秋の肌寒さと木々の色づき、冬の痛いほどの冷たい風と舞い散る雪。これらのものなどがあって、はじめて季節を体感することが出来る。

では、春はどうかと考えると、うららかな陽射しのもとで草木が芽吹き、梅桃桜が咲き乱れ、そして散る――そんな風景を思い浮かべる。これが日本の春だ。

駅のホームでは、駅員の真似をして一人で構内アナウンスをしてみたり、彼にしか見えない列車を誘導したりする人が現れ、路上では彼にしか見えない討論相手に神や政治について熱弁をふるい、勢い余って全裸で走り出すものも現れ、深夜の路上ではトレンチコートをムササビの如くはためかせる怪人(コートの下は裸)なども現れる。これもニッポンの春だ。

前者はともかく後者のような現象で春を体感したくはないものだが、春先にはどうにもこうした人が多い。ここまで極端ではなくとも、ぶつぶつと独り言をいいながら歩いたり、無機物…例えば電柱や郵便ポスト、自動販売機などに話しかけている人が多いような気がする。そして僕はそういう人達を見る度に、「ああ、春なのだなぁ」と思うのだ。

しかしこうした人々が特殊極まりない存在かといえば、そんなこともない。デザイン会社に勤めていた折、僕の周りは独り言の多い人が満載だった。そしてもちろん僕も例外ではなかったのだが。

そのオフィスには何台かの最新型のパソコンと「かろうじて生きてます。半分化石になりかけてます。えーと、その、無理させると死に(壊れ)ますよ?」という旧式のパソコンが一台あった。その会社で僕は広告のデザインなどをしていたのだが、普段は最新型でサクサクと作業をするものの、〆切間際の緊急時には人手を増やして作業を行い、割り当て上、くだんの旧式パソコンを使うこともあった。

そもそもパソコンで作業をする人間は独り言が多い。作業中に「あー違うって」「こうじゃないなあ…」「えーと、ここが○○文字だから…」「やっべ!間違えた…なにやってんだよ…」と試行錯誤や小さな失敗などをブツブツと独りごちるのだ。これは決して珍しいことではないし、それを気にする事もない。

独り言の多さは作業の多さ・忙しさに比例するといっても過言ではないだろう。作業が増えれば試行錯誤も増え、その過程でミスも増えるからだ。そしてそれらが煮詰まってくるほどに、独り言もエスカレートしていく。「あー!もう!なんだこれ!!」「だめだー!間に合わねえー!!」と独り言なのか絶叫なのかわからないモノが増えてくるのだ。

そうした絶叫系独り言の引き金となるのは、多くは自分の起こしたミスだ。些細な操作ミスであったり、文字の打ち間違いであったりと、自分の行動によるものである。つまり怒りの矛先は自分にしか向けられず、結果独り言になるしかない。しかし、これがパソコンのマシントラブルなどが原因になったりすると、話が変わってくる。

例えば数時間かけて完成間際まで行ったデザインを保存しようと思ったら、マシンがフリーズ(機能停止)した――というような場合である。いや普通の状態ならば、それも「作業を進める毎にこまめに保存しておかなかった自分のミス」として扱うのだろうが、〆切間際の追い詰められた人間にはそんな正論は通じない。

当然のようにマシンを責め立てる。烈火の如く怒り、ブツブツと悪口雑言を並べ、場合によっては顔面パンチならぬ画面パンチで体罰(?)を加えることもある。傍目から見たら「機械相手になにを…」と思うだろうが、ぼくのいたオフィスでは、それがわりあい日常的な光景だった。そして、この状態になった同僚達を咎めてはいけない。それどころか触れてもいけない。ツッコむなんて以ての外だ。それが暗黙の了解だった。

そして数年前の春先のある日、事件は起きた。デザインの作業というのは結構マシンパワーを使う。スクーターに喩えるならば最新型パソコンはスカイウエーヴ400、対して旧式パソコンは懐かしのボーカルやミントといったところだ。そしてデザイン作業は搭乗者、体重120キロ超の、ぼくみたいなのが乗ると考えてもらいたい。

つまり「動かないことはないが、無理をさせればイカレる」、そんな状態なのだ。しかし〆切間際でデザイナーはおろか、パソコンを使える人間全てを動員しての作業中のことだ。使えるならば使った方がいい。無理をさせないコツを掴んでいれば、なんとかなる――科学技術の最先端であるはずのパソコンを使うのに“コツ”なんていうアナログな単語が出てくること自体が不思議ではあるが、事実そうだったのだ。

その日、旧式パソコンを割り当てられたのは、ベテランデザイナーの同僚Kだった。彼は旧パソを扱うコツを体得しており、午前中は問題なく作業は進められた。工程を二・三進めては保存、無茶な作業はしない。静かに、穏やかに、時折旧パソをなだめたりおだてたりしつつ、彼は着実に作業を進めていっていた。

しかし午後に入って強大な作業の波がやってきてから状況は変わったようだった。いちいちちまちまと保存していてはラチがあかないと思ったのだろう。ひょっとしたら、午前中を上手くやりすごしたことで、過信があったのかもしれない。力作とも呼べるであろう求人広告のデザイン作業を進めている時に、それは起こった。

「あッ!」というKの声に、彼の前にある旧パソを覗き込むと、画面が停止していた。マウスをカチカチとクリックしたり、四方八方に動かしたりするも、全く変化はない。そう、旧パソが機能停止したのだ。Kはそれまでのデータを保存していなかった為、作業進捗は全て水の泡となった。

周囲のスタッフも事件に気づき、フロアに緊張が走った。Kさんがキレる――誰しもがそう思ったが、彼は椅子の背もたれに体重を預けると、落ち着いた表情で手元の缶コーヒーを飲み干し、深いため息をついた。

さすがベテラン、落ち着いたもんだよ――誰もがそう思い、フロアの緊張が解けた次の瞬間だった。Kさんは勢いよく椅子から立ち上がった。その勢いで彼の座っていたガスチェアはウイリーしながら、数メートルバックして仰向けに倒れる。そしてそれと同時に、彼は掴み掛からんばかりの勢いで旧パソを怒鳴りつけた。

「てめぇ!何止まってんだよ!!全部無駄か!全部無駄かよ!!どんだけだ!どんだけだよオイ!!ちょっ…ちょっとお前、そこ座れッッ!!!

設置されているパソコンに向かって、座れもなにもあったものではないのだが、“暗黙の了解”が発動して、敢えて誰もツッコまなかった。Kは既に言語をなしていない様な悪口雑言を旧パソに浴びせ続けている。

やがてKは旧パソに縋り付くようにしゃがみ込み、しばらくして立ち上がると、着いてもいないホコリをズボンから払ってガスチェアを戻し、何事もなかったかのように作業を再開した。周囲を見渡してみると、オフィスの奥の方で、所長が目を丸くしたまま固まっているのが見えたが、気にしないことにした。バイク乗りにしかわからないことがあるように、パソコン使いにしかわからないことがある。ぼくらに出来ることは、Kをそっとしておいてやることだけだった。

この事件と関係あるかどうかはわからないが、しばらくして、春の人事異動でKさんは栄転した。そして旧パソは廃棄され、最新型のパソコンが数台導入された。これは、ひょっとしたらKの置き土産だったのかもしれない。そしてもう一つ、置き土産があった。それは彼がキレた時のセリフ。

どうにも、そのフレーズが魂に響いたらしく、その後しばらく、マシントラブルでフリーズした時や、なにかの時に、このセリフが多用された。もちろんぼくも例外ではなく、会社を退職して数年が経った今も、時々このフレーズが口をつく。そしてその度に、ぼくは「あの春」を思い出すのである。

ちなみに、先月のこと。既に売り払ってしまった旧愛車はバッテリーがヘタれてきていて、それでもだましだまし乗っていたのだが、寒い日が続いて乗らなかったこともあり、遂に完全に沈黙。

よりによって急いで出かけなければならない朝にエンジンがかからなくなった愛車を前に、ぼくはそのセリフを言い放った。

「ちょっ…ちょっとお前、そこ座れッ!!」

春、なんである。
4月15日の記事:表題『てれびっこ』は個人情報の問題からも配慮の足りない不適切な表現が多くありましたので、削除しました。本件につきまして掲示板でご指摘いただきました「春日」さんに御礼申し上げます。


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この記事の直前の記事です。
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再会の「はじめまして」。
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