【 2003年09月09日-11:41 のつぶやき 】
■ 怪談♪怪談♪
怪談スレッドが微妙に盛り上がってきている。皆さん怖い体験を見聞きしているのねなどと、最近怪談づいている僕はウハウハだったり。「うひゃー!」とか叫んでみたり。
よく「怪談をしていると霊が集まってくる」と云われたりする。なるほど、浮遊霊なんかは賑やかなところに呼ばれたりするという事もあるようだから、もっともだと思う。
ところで、「怪談をしたりして霊をバカにしていると祟られてとり殺される」なんてことも耳にすることがある。で、それは誰がいうのかといえば、大概は霊能者の皆様だったりする。
こういうのは所謂「通説」なのだけど、疑問に思ったのは「んじゃあ実際にとり殺された人はどれくらいいるのだろう」という事。怪談にはいくつかのパターンがあるけれども「亡くなった人つき」の怪談は、大概「原因不明の最期を遂げた」という事になっている。高熱が続いて〜とか、心臓の病で〜とか。
これは聞いている側の恐怖をワンランクアップさせるオプションなのだけれども、冷静に考えると怪談はよっぽど身近な話でないかぎり伝聞話になるわけで、縁もゆかりもない人間が死因を知るはずもないので、当たり前に原因不明なのじゃないだろうかと思うのだ。
心不全という死因を出すパターンも多いが、ぶっちゃけた話、心不全とは様々な原因があっておこる心臓トラブルなわけで、細かいことを説明しても医学知識がなければわかるわけもないし、これが死因として公表された場合、一般知識としては「原因不明」とほぼ同意語といっても過言ではない。
「原因不明の高熱が続いて」云々というのも多い。それも病因を赤の他人が知る由もないので、当たり前の事。ちなみに高熱が続く症状がでる病気なんていうのは腐るほどあるわけだけれども、そのどれに罹患したのかなどわかるわけもないし、死に至るような病であるならば、身心の衰弱から様々な合併症を引き起こすわけで、それもまた当たり前に「原因不明の死」になってしまう。
やはり多いのが「交通事故死」なのだけれど、交通事故による死者数は日本での過去十年間の平均を見ても年間約9000〜10000人だ。これが原因がはっきりしている事故であった場合(明確な機械トラブルによる暴走や、自然災害時によるもの)を除いたとしても、他は全て「人為的事故」となる。
そう考えた場合、即死であったケースなどでは原因は、当たり前だが永久に「原因不明」である。原因がわかっていても大概の場合は「人為的ミス」であり、故意にそのミスを犯したとしたら事故ではなく事件となるので、事故を起こした人にとって理由が明確なものなどあまり無いだろう。
「原因不明のよそ見」「原因不明の居眠り」「原因不明の携帯電話を取り落としてパニック」「原因不明の速度オーバー」並べていると頭が痛くなってくるが、そのうちのどれが祟りによるものだというのだろうか。
ともあれ、いくつかのタイプにわけられる「怪談」の中で、人死にが加わるモノは、よっぽど奇怪な死に方をしない限り、信憑性にかけるといえるのではないだろうか。というか正直怖がる必要がない。
まー何が云いたいかっていうと「この話をきいた(**を見た)後、原因不明の心不全(交通事故)で亡くなった人がいるんだってさ」とかいうオチで怖がらせるのは、かなりチープだということ。また多くの自称・霊能者さんのそういう云い方は、信憑性が薄いということだ。
「呪い」やら「祟り」などで死を迎えるという恐怖は、その「尋常じゃない」ところに恐怖があるわけだから、怪談をする際に、そうしたオプションがついている場合「原因不明」で片づけてしまったりというのはつまらないと思う次第である。
じゃあってんで「尋常じゃないお話」を聞いてしまった場合はどうするのかといえば、その話をしてくれた人に対処法を聞くのが一番である。それを知らないというのは、かなり矛盾しているし、「守護霊が強いから俺は平気なんだ」とか云うヤツは、鉄板でペテンであるので怖がる必要もナシ。
で、怖い話をきいてしまったり見てしまったり(テレビの怪談特集とかでね)して、忘れようとしてもそれがフラッシュバックしてしまって怖い怖いと思ったら、何が怖いのか、何が祟りそうなのかを自分の中でしっかり整理して、祟りを起こしそうな、話の軸のメインの霊なりなんなりを見出して「お話し聞きました。成仏出来るといいですね。明るい方に行ってくださいね」と祈るのがいいらしい。
「可哀想」という同情はNGだとかいうけど、まぁ実生活であっても同情自体が心底不幸な人間にとっては「余計なお世話だ」と思うような事だったりするので、NGといえばNGということで。
ちなみに、この対処法というか、このテキストの大筋は、数年前、とあるお寺の御住職から聞いた事なのだが「祈るのが好いらしい」と云った後に、こう付け加えられた。
「まぁ怖いと思うのは自分の観念の事ですからね。思いこみが錯覚を呼んでしまうし、そうした心のトラブルが事故を呼んだり、交感神経を刺激して心拍数を下手に上げさせたりするわけですよ。だから自分の観念に対して「祈った」という観念で対抗するわけですね。お祓いとか御供養は生きている人間にとってはセラピーみたいなものですから。「**をしたから大丈夫」というのを自分でやっているだけですよ。怖いと思った分祈ったという代償を自分の中で昇華できれば大丈夫というわけですね」
と。ちなみにこの御住職は、医学部卒の方だったりするわけで、なるほどなぁとか思ったりした次第。
というわけで諸君、安心してレッツ怪談。
よく「怪談をしていると霊が集まってくる」と云われたりする。なるほど、浮遊霊なんかは賑やかなところに呼ばれたりするという事もあるようだから、もっともだと思う。
ところで、「怪談をしたりして霊をバカにしていると祟られてとり殺される」なんてことも耳にすることがある。で、それは誰がいうのかといえば、大概は霊能者の皆様だったりする。
こういうのは所謂「通説」なのだけど、疑問に思ったのは「んじゃあ実際にとり殺された人はどれくらいいるのだろう」という事。怪談にはいくつかのパターンがあるけれども「亡くなった人つき」の怪談は、大概「原因不明の最期を遂げた」という事になっている。高熱が続いて〜とか、心臓の病で〜とか。
これは聞いている側の恐怖をワンランクアップさせるオプションなのだけれども、冷静に考えると怪談はよっぽど身近な話でないかぎり伝聞話になるわけで、縁もゆかりもない人間が死因を知るはずもないので、当たり前に原因不明なのじゃないだろうかと思うのだ。
心不全という死因を出すパターンも多いが、ぶっちゃけた話、心不全とは様々な原因があっておこる心臓トラブルなわけで、細かいことを説明しても医学知識がなければわかるわけもないし、これが死因として公表された場合、一般知識としては「原因不明」とほぼ同意語といっても過言ではない。
「原因不明の高熱が続いて」云々というのも多い。それも病因を赤の他人が知る由もないので、当たり前の事。ちなみに高熱が続く症状がでる病気なんていうのは腐るほどあるわけだけれども、そのどれに罹患したのかなどわかるわけもないし、死に至るような病であるならば、身心の衰弱から様々な合併症を引き起こすわけで、それもまた当たり前に「原因不明の死」になってしまう。
やはり多いのが「交通事故死」なのだけれど、交通事故による死者数は日本での過去十年間の平均を見ても年間約9000〜10000人だ。これが原因がはっきりしている事故であった場合(明確な機械トラブルによる暴走や、自然災害時によるもの)を除いたとしても、他は全て「人為的事故」となる。
そう考えた場合、即死であったケースなどでは原因は、当たり前だが永久に「原因不明」である。原因がわかっていても大概の場合は「人為的ミス」であり、故意にそのミスを犯したとしたら事故ではなく事件となるので、事故を起こした人にとって理由が明確なものなどあまり無いだろう。
「原因不明のよそ見」「原因不明の居眠り」「原因不明の携帯電話を取り落としてパニック」「原因不明の速度オーバー」並べていると頭が痛くなってくるが、そのうちのどれが祟りによるものだというのだろうか。
ともあれ、いくつかのタイプにわけられる「怪談」の中で、人死にが加わるモノは、よっぽど奇怪な死に方をしない限り、信憑性にかけるといえるのではないだろうか。というか正直怖がる必要がない。
まー何が云いたいかっていうと「この話をきいた(**を見た)後、原因不明の心不全(交通事故)で亡くなった人がいるんだってさ」とかいうオチで怖がらせるのは、かなりチープだということ。また多くの自称・霊能者さんのそういう云い方は、信憑性が薄いということだ。
「呪い」やら「祟り」などで死を迎えるという恐怖は、その「尋常じゃない」ところに恐怖があるわけだから、怪談をする際に、そうしたオプションがついている場合「原因不明」で片づけてしまったりというのはつまらないと思う次第である。
じゃあってんで「尋常じゃないお話」を聞いてしまった場合はどうするのかといえば、その話をしてくれた人に対処法を聞くのが一番である。それを知らないというのは、かなり矛盾しているし、「守護霊が強いから俺は平気なんだ」とか云うヤツは、鉄板でペテンであるので怖がる必要もナシ。
で、怖い話をきいてしまったり見てしまったり(テレビの怪談特集とかでね)して、忘れようとしてもそれがフラッシュバックしてしまって怖い怖いと思ったら、何が怖いのか、何が祟りそうなのかを自分の中でしっかり整理して、祟りを起こしそうな、話の軸のメインの霊なりなんなりを見出して「お話し聞きました。成仏出来るといいですね。明るい方に行ってくださいね」と祈るのがいいらしい。
「可哀想」という同情はNGだとかいうけど、まぁ実生活であっても同情自体が心底不幸な人間にとっては「余計なお世話だ」と思うような事だったりするので、NGといえばNGということで。
ちなみに、この対処法というか、このテキストの大筋は、数年前、とあるお寺の御住職から聞いた事なのだが「祈るのが好いらしい」と云った後に、こう付け加えられた。
「まぁ怖いと思うのは自分の観念の事ですからね。思いこみが錯覚を呼んでしまうし、そうした心のトラブルが事故を呼んだり、交感神経を刺激して心拍数を下手に上げさせたりするわけですよ。だから自分の観念に対して「祈った」という観念で対抗するわけですね。お祓いとか御供養は生きている人間にとってはセラピーみたいなものですから。「**をしたから大丈夫」というのを自分でやっているだけですよ。怖いと思った分祈ったという代償を自分の中で昇華できれば大丈夫というわけですね」
と。ちなみにこの御住職は、医学部卒の方だったりするわけで、なるほどなぁとか思ったりした次第。
というわけで諸君、安心してレッツ怪談。