じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2005年05月19日-11:43 のつぶやき】

僕と僕の足の角質との確執。 -4-


−前回までのあらすじ−

『伝説のマタギ うっかり暴発』 そんな記事が夕刊紙面三面記事の片隅を飾った経緯はこうです。里におりたはずのクマを求めてガラスの街・コンクリートジャングル・飛んでイスタンブール。猟銃を携えたまま飯田剛蔵さん(89)はさまよい歩き続けました。あるときはタイ米を推進するタイ人女性に詰られ、あるときは熊先生と呼ばれるヒゲの世界史教諭に布団に呼ばれたり。そんなスリリングな冒険の最中、伝説の秘宝を求めて飛び込んだ古代遺跡のような建物の奥で、飯田さんは彼の人生最大のファンタジーに遭遇したのです。白い指、黒い髪、濡れて光った瞳と紅い唇。白い肌、そして朱に染め上げられた長襦袢。格子戸の向こうから手招きする誘惑は、幼い日に丁稚先の使いで入った吉原(なか)で見た情景のようでした。幼い日に体験した初めての性的興奮。でも当時の飯田さんは幼すぎて、その感覚の処理の仕方はおろか、その感覚がなんなのかもわかりません。ただただもどかしさばかりが心に積もって、用事も終えずに無我夢中でその場から駆けだしてしまった…そんな想い出の中の情景。そして今、そんな記憶が飯田さんの脳裏に鮮烈に蘇ったのです。ですが、齢八十九、米寿を越えた老体の飯田さんです。人生経験は十二分に積みましたが、今度は別の事情でナニがアレしなくて、ソレがもうアレなのです。飯田さんは胸の高鳴りとは反対に、凪の海のような両足の親指の間を虚しく思い、それから己の手に握られたブローニング猟銃を握りしめました。「ワシだって…まだイケるんじゃい!」 既にクマの事なんかすっかり忘れています。格子戸に駆け寄る飯田さん。走馬燈のように今までの人生が頭の中を照らし出していきます。丁稚に出て苦労ばかり重ねた少年時代。大店を継ぎ、東北は藏元の名家の令嬢と一緒になった青年時代。醤油をガロン単位で飲み干して徴兵を逃れ「いつでも戦争に出られるように」という言い訳の元に猟を趣味とした中年時代。初めてのクマ狩り、伝説へのプレリュード。未だ語り種となっている山長・赤カブトとの抗争。銃を置いて引退を決意したあの日…そして止められずに、未だ現役にしがみついている今。まるで古の少年ジャンプの打ち切り最終回のような回想です。しかしここは現代日本の西川口、略してNKGです。古代遺跡のような外観の建物は、丸海老グループが運営する「ソープランド・色街★レトロ(姉妹店に「色街★ラスベガス」あり)」。一見、郭の遊女の様に見えた女性は泡姫の加奈美ねえさん(自称22)です。突如として猟銃を持って飛び込んできた爺さんにマネージャーも加奈美ねえさんも大慌て。非番の日や待機時間はインターネットで暇つぶしをしている加奈美さんは「>>1、おちつけ!」「通報しますた!通報しますた!」と大パニックです。既にニュー速@VIP板には「爺さんがソープに猟銃もってブーンしてきた件について」というスレまで立っており、あまつさえ秒殺状態でクソスレ認定されdat落ち寸前だったりもしています。「うわ、なんだアンタ!」「ワシだってまだ青春なんじゃー!」「もまいらもちつけ!お茶ドゾー!」「やめろー!」「青春ー!」「ブーーーン!」 最早収拾不可能な状態。カオティックとはまさにこの事です。ローションは撒き散らされ、泡が宙を舞い、BGMは笠置シヅ子の「東京ブギウギ」。そんなグチャドロの揉み合いを一変させたのは一発の銃声でした。そう、飯田さんの持っていたブローニング銃が暴発したのです。「色街★レトロ」に響き渡った一発の轟音に、誰もが硬直し、時が止まります。幸いにも散弾は誰にあたることもなく、天井に無数の小さな穴を開けただけで済みました。銃声とタイミングを合わせたように曲と曲の切れ間になっていたCDプレイヤーが次のBGMを奏でます。陽気なワルツの前奏、続いて脳天まで突き抜けるような陽気な声で歌い出されたのは昭和の喜劇王・エノケンこと榎本健一の『洒落男』でした。♪俺は村中で一番 モボだといわれた男――マネージャーと加奈美ねえさんとに抑えつけられていた飯田さんは、静かに目を閉じると口の中で呟きました。「さらば我が青春」――。そんな風に飯田さんの心のアルカディア号が宇宙空間でジョリーロジャー旗をはためかせて出航した頃、クマはすっかり緊張しきっていました。「ウーフ。くすぐったくなって、おねえさんを蹴り飛ばしちゃったらどうしよう。クマーン…(困)」 しかしそんなクマの心配を余所に、リフレクソロジストのおねえさんは着々と準備を進めています。おねえさんは今、自分が交通事故級の危険に晒されていることに気がついていないのです。さぁ困りました。さぁ大変です。まさに一瞬で生死をわけるような、階段のスベラーズに土踏まずで立つような、はたまた空弾倉が一つだけのロシアンルーレットのような危機的状況であります。まさにお互いの魂を削り合うような熾烈、いやさ苛烈な戦い。ここ、さいたまスーパーアリーナの側のフットケア店はローマ時代のコロッセオか。はたまた野見宿禰と当麻蹴速の起源相撲か。勝ち残り、命を勝ち取って店を出るのはどっちだ。すっかり忘れ去られている気がするが、クマの足の角質はとれるのか。今、たった今、二人の命運を分ける運命のゴングが鳴り響きます!!
―――――――――――――――
――蹴り飛ばしちゃったらどうしよう。

割と真剣に悩みました。悩んで悩んで「あの。僕くすぐったがりなんで、優しくして下さい」とか云おうかと考えたのですが、優しくソフトタッチされたら余計にくすぐったくなってしまい、おねえさんの命の蝋燭が瞬間的に燃え上がって消えてしまうかもしれない。

結果として僕は貝のように黙り込むことに決めました。

――なあに。いざとなったら口の肉でも唇でも舌でも噛み締めて、くすぐったさを痛みで封じ込めばいいんだ。

たかだかフットケアに来ておいて、なんでそこまで悲壮な覚悟を決めなければいけないのか、全く持ってよくわかりませんが、とにもかくにも僕は覚悟を決めたのです。


しかしながらおねえさんは黙らせたままではいさせてくれませんでした。「オイルリフレクソロジーの方なんですが、どの程度の強さで行いましょうか?」 例のササヤキボイスでそう訊ねられた僕は

「所詮女性の非力、普通にやったところで水鳥の羽でくすぐる程度に違いない。そんなソフ…ソフィ?ソフィスティケイテッド?ソフトタッチ?なことされたら、貴女の命が危ないんだ」

と思い、一言だけ告げたのです。

「強めでお願いします」と。


しかし息が詰まるような緊張はそこまででした。自ら選んだグレープフルーツとミントのハーブオイルを嗅がせてもらい、再び椅子を安楽な角度に倒された僕は、未だ鼻から入り込んでくる香り高い酸素に誘われて、一気にリラックスの国に羽ばたいてしまいました。

足下の方では、タオルにくるまれていた足にオイルが塗られているようです。次いで軽石か何かで足の側面を擦る感触がありました。

ざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざり…きめ細かく軽石を擦ってはオイルを浸透させていっている様です。決して強い擦り方ではないのですが、丁寧に仕事をしてくれているというのが非常によくわかります。

お金を払っているのだから当たり前といえば当たり前なのですが、こんな事を他人にしてもらうのは初めてですから、思わず申し訳ないような気分になってしまうほどです。


片手で足を固定して、片手で軽石をあてているのでしょうが、持ち方を心得ているということなのでしょう、ちっともくすぐったくありません。それどころか軽石の擦る感触も非常に気持ちがよいのです。

そうこうする内に軽石での角質除去は、いよいよ足ノ裏角質城の本丸たるカカトに入ったようでした。円を描くように細かく、それでいて今までより確実に強くあてられる軽石。時折オイルを浸透させて、足の裏が傷まないようにしてくれています。

心配していたカカトの裏側にあるひび割れエリアは、特に重点的にオイルをまぶしながら擦ってくれたので、全く痛みはありません。この時僕は確実に落ちてゆく角質の感覚に「ああ、今日は来てよかったなぁ」としみじみ思いました。


やがて足の裏の角質落としタイムが終わったのか、スネあたりに触れられる感覚がありました。そうそう先ほどから感覚感覚と繰り返していますが、椅子が再びリクライニングしたことで、僕の目には自分の腹しかみえておらず、なおかつ気持ちよさに既に眼を閉じていたので、足の方は見えていないのです。

まぁそんな感じで、あくまでも感覚の記憶なのですが、スネからフクラハギに向かってオイルを塗られ、さらに足首、先ほど角質を落としたカカト、それぞれの足指の間から甲にかけて、万遍なくオイルが塗られてゆきます。

オイルと掌の感触が非常に心地よく、なるほどこれがリフレクソロジーというヤツか、気持ちがよいモノだのう…などと呑気に構えていた次の瞬間、僕は激痛に思わず顔をしかめました。


激痛の発生源は両足の外ズネ。いわゆる腓骨の正面から側面部分です。僕は両足の腓骨に疲労骨折の癒着痕とコンパートメント症候群という疾病を持っていまして、調子が悪い時はリアルに一歩も歩けないほどの痛みが、外ズネから足首外くるぶしにかけて走り、調子がいい時でも歩きっぱなしや立ちっぱなしだと、あっという間に腫れ上がって痛みをもってしまうんです。

この日は特に歩いたりしたわけではないのですが、それまでの疲れが溜まっていたせいもあるのでしょう、外ズネはかなりかちんかちんになっていましたので、そこをぐいっとやられて強烈な痛みが走ったのです。

それまでリラックスしまくっていたものですから、そのギャップに思わず失禁しそうになるほどのショックでした。危ういところで尿道を締め上げて事なきを得たのですが、いつも自分で揉んでほぐすより痛い=かなりおねえさんの力が強いということを頭の中で整理して、歯ぎしりしそうになりながら「す、すみません、もう少し弱くお願いできますか」と頼みました。

「あ、やっぱりそうですよね。随分腫れてらっしゃるので、大丈夫なのかなって思ったんですが…」との足下からの声に、気づいてたんならこうなんとかしてくれっていうか強くって頼んだの自分じゃん!ダメじゃん!とやり場のない思いを下唇を柔く強く噛み締めることで処理して、僕は再びリラックスの海に沈み込もうと努力することにしました。


それからは、かなり弱く柔らかく優しくやってくれたのでしょう。ひたすら「気持ちいい」としか言い様がない時間が過ぎてゆき、何度か眠りの河を船で渡ったり戻ったりするほどでした。

意識をはっきりと取り戻したのは、それまでの掌の感覚とは違うタオルで足を包まれてオイルを拭き取られる感触があってから。コースは角質落とし含めて1時間に満たないものだったのですが、それでも効果は抜群でした。というのも、意識を取り戻した直後から足を尋常じゃなく軽く感じたんです。

椅子を起こしてもらい、足の裏を見てみると、まー綺麗になってること。ひび割れ痕はまだ残っていますが、足の裏から足全体が細くなったようにすら思えます。しかしながらおねえさんは極めて残念そうな顔で僕に云いました。


「申し訳ありません。カカトの角質なんですが、全然取りきれませんでした」


正直「え?」と思いました。それくらい綺麗になっていましたし、触っても実際柔らかいのです。ですが、おねえさんが指でカカトを触ると、確かに明らかに他の足の裏の部分とは色が違うというか皮の薄さが違うことがわかります。

つまり、自分では今まで見たことがないくらいに綺麗に薄くなったカカトだと思っていた現状が、普通の人(ここに来るお客さん)の「角質がヒドイ状態」だというのです。

僕は角質除去だけではなく、オイルリフレクソロジーも存外に気持ちよかった事もあって、「じゃあ、あと何回か通えば完全にキレイになりますかねー」と聞いてみたのですが、おねえさんはひどく悲しそうな顔をしながら、ササヤキボイスで、こう云ったのです。

「そうですねえ…通っていただいてもキレイになるとは思うのですが…角質除去の専門のところに行かれた方がよろしいかと思います。かなり年季の入った角質になっていますので…」


はい、見捨てられました。しかもおねえさんは丁寧に、近場の角質除去専門店を教えてくれました。ここでならお客様の角質も落としてくれるはずです…という言葉とともに。

あの悲しげな表情と声。おねえさんはおねえさんなりに、プロ意識と自信を傷つけられたのかもしれません。っつーか、僕のカカトの角質って一体どんだけひどいんでしょうか。

それにしても、よもや初体験のフットケアのお店で、その道のプロフェッショナルにさじを投げられるとは思いませんでした。やはり僕にはこんなオシャレなところは似合わないということだったのでしょうか。

酸素吸入用の鼻チューブは消毒されて3ヶ月間キープしてくれるとのことでしたが、残念ながら二度と使われることはないでしょう。さようなら僕の鼻チューブ。さようなら初めてのフットケア。さようなら僕のフットケアバージン。そして、これからもよろしく、僕のカカトの角質――。


こうして僕の初めてのフットケア体験は終わりました。再び自分のズボンに履き替えて靴下を履いて店を出た僕。オイルリフレクソロジーの効果か、足はこれまでにないほどに軽く感じました。ですが、その足取りが、これまで以上に重かったことは云うまでもありません。


<完>



『新・僕と僕の足の角質との確執』
<角質除去プロフェッショナル編>
に、ご期待下さい。

(どうやら、大宮ルミネにあるらしい。今度こそ…ッ)

−エピローグ−

「わ、ワシの青春…ッ!!」 飯田さんが目を覚ましたのは病院のベッドでした。見知らぬ天井から視線をおろすと、ベッドの周りには、娘や娘婿、そして中学生になる孫娘の顔が見えます。「お父さん!」「おじいちゃん!」「お義父さん…よかった…」次々と安堵の表情を浮かべる家族達。飯田さんはまだよく状況がわかっていないようで「ワシは…どうしたんじゃ…」と、あまりにもステレオタイプな惚けた台詞を口にしました。「飯田のオヤジさん、少しお歳を考えてもらわないと困りますなぁ」 家族の向こう側から顔を覗かせたのはヨレた背広を着込んだ老齢の男性でした。「おや…山さんじゃないか」「管轄が違うところの騒動にクビを突っ込めるほど偉くも若くもないんですから、無理させないで下さいや。ま、誰も怪我がなかったんでいいんですけどね」 そういうと山田三郎警視正(59)はヤニで黄ばんだ歯を見せて笑います。「しかし不思議な事もあるもんですなあ。装填していない散弾が暴発する…そんなこともあるんですな。ねえ、オヤジさん」 そういうと似合わないウインクを一つ。それで飯田さんも全てを飲み込みました。狩猟区以外で実弾を装填した猟銃を携帯することは、銃刀法で禁じられているのです。「ま、叩けばホコリしか出ないような場所だ。天井に穴が空いたからってどうってこともないんでしょうが…こっちで精算しておきましたよ。なあにオヤジさんが受け取りを拒否したこれまでの謝礼に比べれば、雀の涙ほどですから」「山さん…すまねぇなあ…」 飯田さんはほっとしたような、どうしたらいいのかわからないような曖昧な表情でポツリと云うと、身を起こして深く頭を下げました。「よしてくださいや。こんなことなんでもないんですから。それじゃあたしはこれで…」 飯田さん一家に軽く会釈をすると山田刑事は病室を去ろうとしました。飯田さんは頭を垂れたままでしたが、ドアノブに手をかけた山田刑事の背中に、気がかりだったことを訊ねました。「山さん…クマは…クマはどうしたんじゃろうか…」「さぁ…どうしたんでしょうなあ。でもね、オヤジさん。あたしらが今よりちっと若い頃にいた山奥とは、ここは違うんですよ。どれだけ凶暴なクマだって、アスファルトの道を歩いてちゃ、足が痛むってもんです。今頃里山に帰って、あなぐらで足の裏のひび割れでも舐めてるんじゃあないでしょうかねえ…」「そうか…そうじゃろうな…」「…それじゃこれで…」「…山さん……ワシゃあ今度こそ引退するよ…」 ドアノブを回しかけた山田刑事の手が止まります。「今回の事で思い知ったよ…いつまでも想い出に浸ってちゃあいかんのじゃ…銃は捨てて、硬くなったカカトを軽石で削ることにするさ…」「引退…ですか…まぁ、それもいいでしょう…あたしも今年の末には定年です。そしたら二人で山歩きでもして…今度は山菜でも摘みましょうや」「ああ…待っちょるぞ」「それじゃ…」 こうして一人の伝説のマタギは銃を捨て、孫娘に甘いお祖父さんになりました。趣味の山歩きから帰ってくると、孫娘はお祖父さんの足をお湯で洗ってあげて、軽石でカカトを擦ってあげます。そしてお祖父さんは孫娘にお小遣いをあげるのです。そうしてだんだんとマタギの硬い硬いカカトは、柔らかくなり、飯田さんの笑顔も柔らかくなっていきました。一方その頃、クマは里山でタウンページを開いては、どのフットケアの角質除去専門店に行くべきか悩んでいました。そのカカトは、ずっとずっと硬いままで、ときどきひび割れ、クマは痛みに耐えきれずに泣き声をあげているそうです。「クマーン…あんよが痛いよう…」 全国のフットケア専門店の皆さん。もしクマがあなたのお店に行ったら、優しく、しっかりと角質を除去してあげて下さいね――。<了>





なんだったんだろう、このシリーズ。
(書き終えて自分でもよくわかりません)



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2万本ダーツ計画。
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../2005/200505230734.html