【 2004年10月02日-20:31 のつぶやき 】
■ 視線。
どういうわけか、僕はよく通りすがりの人にジロジロと見られる。
そりゃあ確かにこれほどのデブはなかなかいないだろう。身体がデカイということは、身につけているモノも必然デカイわけで、そうすると色々な規格からはみだしているわけで、目立つだろう。だからジロジロ見られたりするというのはわからないでもない。
正直、それはあんまり感じの好いモノではないのだ。通りすがりの見知らぬ人からジロジロみられる。それも眼があうわけでもなく、まんべんなく見られているのだ。なんというか「観察」されているのだ。
人間の視線というものには、ある程度の意思が込められ、そして人間はその「視線にこめられた意思」を感じることが出来ると僕は思っている。自意識過剰ではなく、目には見えないモノだけれども、視線にはそういう性質があると思うのだ。
そして僕が通りすがりの人の「ジロジロ」に感じるのは「好奇心」なのだ。
人間の好奇心の源は「自分とは違う」ということ、また「自分の知っているモノとは違うこと」だと思う。
そういう観点から考えても「規格外」である僕は、人の好奇心をかき立てやすいのだと思う。で、だからやっぱりジロジロ見られる。で、それはやっぱり感じの好いモノではないのだ。
しかも、その顔は大概にして「驚愕」という感情を、表情のどこかにちらつかせているものだから、なおさらやりきれないところがある。まぁ珍しいほどのデブということなので、仕方のないことなのかもしれないけれども、やっぱり感じの好いモノではないのだ。
自分や自分の知っているモノとは違うという「好奇心故の観察」、そしてその観察が高じて自分の中に一つの感情が芽生える。それはその対象を「異質」だと認識するところから始まる「差別」だ。
眼の色、肌の色、体型、髪の色、髪型、身体的な異常や欠損、動作の異常、服装。それらが「異質」だからこそ「好奇心」をかきたてる。そして観察して受け入れられなければ排斥しようとする。それが差別だ。
でも、ニワトリタマゴの話になってしまうけれども「異質」であると認識された段階で、既に「差別」は始まっているのかも知れない。
人と違うことが「イケナイ」とされるきらいのある、僕らの住む世界のいかんともしがたい部分を、そんな些細なところから微妙に感じ取ってしまうと、なんとなくではあるけれど、ちょっと憂鬱な気分になる――。
と、そんな事を知人の女性に話したら「そんなに難しく考えないでも、人間って大きなモノには自然に眼がいっちゃうものだから、それだけでしょ」と、軽く云われました。
で、そう云われた僕はというと、先ほどまで交わしていた別の話題(その女性が新しく買ったと自慢していた『なんとかかんとかブラ』というシロモノの話。こんな話されるあたりナイスなまでに男扱いされてない)のモノで、見事に作り上げられたナイスバッティング!やったぜホームランだ!級のボリュームな胸に、視線が釘付けになったりしておりまして、ええ。
反論などする必要もそれ以上の思考も必要なく、ただ肯くだけだったという、限りなくお馬鹿な話でした。
いやー、大きいモノは視線をひきつけますなー!
人間心理の真理ですな、これはッ!!
(セクハラです。しかし女性の胸って変幻自在なのねー)
そりゃあ確かにこれほどのデブはなかなかいないだろう。身体がデカイということは、身につけているモノも必然デカイわけで、そうすると色々な規格からはみだしているわけで、目立つだろう。だからジロジロ見られたりするというのはわからないでもない。
正直、それはあんまり感じの好いモノではないのだ。通りすがりの見知らぬ人からジロジロみられる。それも眼があうわけでもなく、まんべんなく見られているのだ。なんというか「観察」されているのだ。
人間の視線というものには、ある程度の意思が込められ、そして人間はその「視線にこめられた意思」を感じることが出来ると僕は思っている。自意識過剰ではなく、目には見えないモノだけれども、視線にはそういう性質があると思うのだ。
そして僕が通りすがりの人の「ジロジロ」に感じるのは「好奇心」なのだ。
人間の好奇心の源は「自分とは違う」ということ、また「自分の知っているモノとは違うこと」だと思う。
そういう観点から考えても「規格外」である僕は、人の好奇心をかき立てやすいのだと思う。で、だからやっぱりジロジロ見られる。で、それはやっぱり感じの好いモノではないのだ。
しかも、その顔は大概にして「驚愕」という感情を、表情のどこかにちらつかせているものだから、なおさらやりきれないところがある。まぁ珍しいほどのデブということなので、仕方のないことなのかもしれないけれども、やっぱり感じの好いモノではないのだ。
自分や自分の知っているモノとは違うという「好奇心故の観察」、そしてその観察が高じて自分の中に一つの感情が芽生える。それはその対象を「異質」だと認識するところから始まる「差別」だ。
眼の色、肌の色、体型、髪の色、髪型、身体的な異常や欠損、動作の異常、服装。それらが「異質」だからこそ「好奇心」をかきたてる。そして観察して受け入れられなければ排斥しようとする。それが差別だ。
でも、ニワトリタマゴの話になってしまうけれども「異質」であると認識された段階で、既に「差別」は始まっているのかも知れない。
人と違うことが「イケナイ」とされるきらいのある、僕らの住む世界のいかんともしがたい部分を、そんな些細なところから微妙に感じ取ってしまうと、なんとなくではあるけれど、ちょっと憂鬱な気分になる――。
と、そんな事を知人の女性に話したら「そんなに難しく考えないでも、人間って大きなモノには自然に眼がいっちゃうものだから、それだけでしょ」と、軽く云われました。
で、そう云われた僕はというと、先ほどまで交わしていた別の話題(その女性が新しく買ったと自慢していた『なんとかかんとかブラ』というシロモノの話。こんな話されるあたりナイスなまでに男扱いされてない)のモノで、見事に作り上げられたナイスバッティング!やったぜホームランだ!級のボリュームな胸に、視線が釘付けになったりしておりまして、ええ。
反論などする必要もそれ以上の思考も必要なく、ただ肯くだけだったという、限りなくお馬鹿な話でした。
人間心理の真理ですな、これはッ!!
(セクハラです。しかし女性の胸って変幻自在なのねー)