【 2004年10月05日-03:12 のつぶやき 】
■ 疲れを感じる瞬間。
皆さんはどのようなときに「疲れ」を感じますか?
人間は、単純に肉体を酷使すれば筋肉が疲労し、全身の倦怠などの疲れを感じます。また身体を動かす燃料源となる栄養が枯渇してくると、これもまた疲れを感じます。
ですが、身体を動かしてはいない場合の疲れというのは、なかなか意識しにくいものです。正確にいえば、身体を随意的に動かしていなくても、人間の身体が生命活動を続けている限り、エネルギーを消費します。
また、身体を起こして生活しているだけで1Gの重力と体重に耐えなければなりませんから、それだけでも筋肉を収縮させることになり、エネルギーを消費します。そして結果として「疲れる」わけです。
また思考や学習などによっても人間はエネルギーを消耗しますし、喜怒哀楽やストレスといった精神活動でも消耗するのです。
このように「疲労」というものには実に色々な形があります。また一般的には「身体を動かした」という意識がない活動ほど、疲労を認識しにくいという傾向もあるようです。
さて、僕の日常というのは、そう言い切ってしまうには些か恥ずかしいのですが、一応「頭脳労働」でして、疲れを認識しにくい活動ということになります。
適当に食事さえしていれば、座りっぱなしでひたすらキーボードとマウスを動かしているだけですから、確かにわかりやすい肉体的な「疲労」とは無縁ですし、「疲労」自体が認識しにくいわけです。
しかし当たり前のことですが、認識しにくいからといって、疲労しないわけではありません。自覚症状が無い分、静かに、ですが確実に、仕事の効率が落ちてきたり、おかしな行動に出てみたり、と「歪み」が出てくるのです。
そして、そうした行動のおかしさやクオリティの低下などから「あれ?今自分おかしくないか?」と認識したときに、ようやく「疲労」を認識する、というわけです。
先日のことです。天候不順で腰が絶不調な為、買い物に出かける気にもなれず、さりとて家の中にはロクに食べ物というか食材も無く、僕はただただ〆切に追い立てられていました。
その上、睡眠もまばらで、主に椅子に座ったまま気絶する、というような滅多にない忙しさの中、僕は、ふと独り言を漏らしたのです。
「おなかすいたなぁ…」
と。
デブの面目躍如といった発言ではありますが、独り言など滅多に言わないものですから、自分で自分の発言を耳にしたときに、その言葉があまりにも重々しく、なおかつ溜め息混じりだったので、笑いが込み上げてくる…はずが、なぜか込み上げてきたのは涙でした。
「おなかがすいた」と独りごちながら涙を流す、もうすぐ29歳のデブです。これ以上情けないというか笑える存在もなかろうと、その後しばらくヘラヘラと笑いながら脱力してしまったのですが、この時ほど「ああ、今自分疲れてるんだなぁ」と痛感したことはありませんでした。

※画像は著しく好意的にディフォルメされたイメージです※
ちなみに、DTPの仕事をしている最中に煮詰まって、手慰みに上の画像を作ってしまったという今現在の状況も、かなり疲れてるんだろうなぁと、今ここまで書いていて初めて認識したのですが
また泣いたりしないうちに
今日はベッドに入って寝ようと思います。
(現在時刻AM3:00か…おなかすい…(うるるっ)あわわ)
人間は、単純に肉体を酷使すれば筋肉が疲労し、全身の倦怠などの疲れを感じます。また身体を動かす燃料源となる栄養が枯渇してくると、これもまた疲れを感じます。
ですが、身体を動かしてはいない場合の疲れというのは、なかなか意識しにくいものです。正確にいえば、身体を随意的に動かしていなくても、人間の身体が生命活動を続けている限り、エネルギーを消費します。
また、身体を起こして生活しているだけで1Gの重力と体重に耐えなければなりませんから、それだけでも筋肉を収縮させることになり、エネルギーを消費します。そして結果として「疲れる」わけです。
また思考や学習などによっても人間はエネルギーを消耗しますし、喜怒哀楽やストレスといった精神活動でも消耗するのです。
このように「疲労」というものには実に色々な形があります。また一般的には「身体を動かした」という意識がない活動ほど、疲労を認識しにくいという傾向もあるようです。
さて、僕の日常というのは、そう言い切ってしまうには些か恥ずかしいのですが、一応「頭脳労働」でして、疲れを認識しにくい活動ということになります。
適当に食事さえしていれば、座りっぱなしでひたすらキーボードとマウスを動かしているだけですから、確かにわかりやすい肉体的な「疲労」とは無縁ですし、「疲労」自体が認識しにくいわけです。
しかし当たり前のことですが、認識しにくいからといって、疲労しないわけではありません。自覚症状が無い分、静かに、ですが確実に、仕事の効率が落ちてきたり、おかしな行動に出てみたり、と「歪み」が出てくるのです。
そして、そうした行動のおかしさやクオリティの低下などから「あれ?今自分おかしくないか?」と認識したときに、ようやく「疲労」を認識する、というわけです。
先日のことです。天候不順で腰が絶不調な為、買い物に出かける気にもなれず、さりとて家の中にはロクに食べ物というか食材も無く、僕はただただ〆切に追い立てられていました。
その上、睡眠もまばらで、主に椅子に座ったまま気絶する、というような滅多にない忙しさの中、僕は、ふと独り言を漏らしたのです。
と。
デブの面目躍如といった発言ではありますが、独り言など滅多に言わないものですから、自分で自分の発言を耳にしたときに、その言葉があまりにも重々しく、なおかつ溜め息混じりだったので、笑いが込み上げてくる…はずが、なぜか込み上げてきたのは涙でした。
「おなかがすいた」と独りごちながら涙を流す、もうすぐ29歳のデブです。これ以上情けないというか笑える存在もなかろうと、その後しばらくヘラヘラと笑いながら脱力してしまったのですが、この時ほど「ああ、今自分疲れてるんだなぁ」と痛感したことはありませんでした。

※画像は著しく好意的にディフォルメされたイメージです※
ちなみに、DTPの仕事をしている最中に煮詰まって、手慰みに上の画像を作ってしまったという今現在の状況も、かなり疲れてるんだろうなぁと、今ここまで書いていて初めて認識したのですが
今日はベッドに入って寝ようと思います。
(現在時刻AM3:00か…おなかすい…(うるるっ)あわわ)