■ 『いただきます』という言葉。

なんとも情けなく悲しい話です。

元記事に関してはこちらグーグルキャッシュを読んでいただきたいのですが、本当になんといったらいいのか…。こういう考え方の人もいるのだなぁと思いつつも、頭痛を感じてしまうような話題です。

リンク先の記事が消えてしまう可能性もあるので、かいつまんで説明しますと、食事をするときの「いただきます」に対する考え方に関する記事です。TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という投書があり、そこから「いただきます」という言葉に関しての話題が拡がったという話。

で、そもそも「いただきます」ってサービスや料理を作るという行為に対してだけのものなんでしょうか?いや、もちろんそれもあるでしょう。確かに作り手への感謝というものが一番最初に来てしかるべきだと思いますし、じゃあってんで「こっちは金払ってんだから、そういうサービスを受けて当たり前」と考えるのも、ありといえばありなのかもしれません。

でも僕はそれだけじゃあないと思うんですよ。「いただきます」というのは、調理やサービスといったものだけではなく、素材を作り上げた農家や業者の方々への感謝でもあり、さらにそれ以上に、料理となった素材自体への感謝の念のあらわれだと思うんです。


少々概念的な話になってしまいますが、食肉にせよ野菜や穀物にせよ、元々は全ては生き物です。豚肉は豚という生き物ですし、牛肉は牛です。鶏肉はニワトリだし、魚肉だってさまざまな魚の肉です。当たり前のことですよね。そし野菜にせよ穀物にせよ、全ては「生命」なんですよ。

その生き物を殺し、生命を奪うことで食物へと変え、人間はそれを摂取することによって自らの命を長らえる事が出来るわけです。つまり言い方を変えれば、人間は他の生命を喰らう事によって生きているんです。まぁこの世界の全ての生き物はそうやって生きているわけですけれども。

したがって、僕は「いただきます」という言葉は、調理・サービス、生産者に対する感謝の念以上に、並べられた素材そのもの、元は生命あった者達への「生命をいただきます」という感謝の念が現れてしかるべき者だと考えているんです。


これは余談ですが「いただきます」対語になっている「ごちそうさまでした」の「馳走」という言葉は「もてなしのために四方を走り回る」という意味で、これこそ「もてなし」つまり調理やサービス・生産に対しての感謝になるわけです。

ですが「いただきます」単体では、文章的には「なにをいただくのか」という事が抜けています。つまりかなり広義的に「いただく」という意味になり、その中に僕は「生命をいただきます」という意味も含まれるのではないだろうかと考えられるんじゃないかなぁと思うわけですよ。

で、こうして考えてみると「食事」という行為にあって、並べられた料理に対し「いただきます」と生命や素材達への感謝を示し、食べ終わりに調理・サービス、生産者に対して「生命を美味しく食べられるよう調理いただいて、ありがとうございました」と「ごちそうさまでした」を云う、そういう形こそが、食事のあるべき姿なんじゃないかなとも思うわけです。あくまでも僕の考え方では、ですが。


なんというか「食べる」という事への意識の低さ、ひいては食べ物に対する意識の低さ、生命への意識の低さというものを感じさせられる話題でした。皆さんは「いただきます」って、しっかり云っていますか?


しっかし、なんというかまー実際「生命をいただいている」というところにまで考えを至らせていたら、料理を残すだなんだも出来ないし、こんな話題があがることもないと思うんですけど、そういう時代なんでしょうかねえ…。



とはいえ「出されたモノは(喩え人が残したものでも)
残さず食べる!!」を実践し過ぎた結果
現在の僕の体重があるという
驚愕の事実もあるわけなんですが。

(うん…まぁ残すのはよくないけど、食べ過ぎはもっとよくないよね…)

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