【 2006年05月08日-03:18 のつぶやき 】
■ オヤジの心。
といっても実父のことではありません。さて、三十路ロードに踏み込んで数ヶ月、世間的には身も心も大人になりつつも、まだまだ花の三十歳児を謳歌している僕ですが、最近気がついたことがあります。
それは、その場の会話のテーブルに出されたタームを用いて、放たれた瞬間に場がクッタリとしてしまうような、くだらないダジャレやギャグ。いわゆる「オヤジギャグ」というものが理解できる様になってきたのです。
若い頃はオヤジギャグはまるで理解できず「なんでそんなくだらないこというんだろう?」と思い、「笑い」について考える様になってからは「そんな低レベルなことしか思いつかないのか」と冷笑の対象にしかなりえませんでした。
しかし最近それが理解できる様になってきてしまったのです。というのも、オヤジと呼ばれる人々はそれぞれ相応の歳を経てきた方々ですし、それ故に様々な経験も豊富です。そして若い衆より「人のために」という気持ちが強く、また場の空気を読めるものだと思うのです。
しかし、同時に「俺が俺が」と前に出る様な真似はしなくなるという傾向も見て取れます。もう少し突っ込むと、会話の場にあっては場を盛り上げる具体的な主役は若い衆に譲り、自分は敢えて駄目な方の道化的役割になろうとする傾向ですね。
いわば強いキャラクターに対するドジで弱い引き立て役、またはベビーフェイスに対するヒールという構造です。そしてオヤジ達はその役割構造の中に進んで飛び込んでいくのです。
そしてそれはいわば地雷原があったら、進んで踏みに行って危険を知らしめるという、行きすぎた自己犠牲的精神のあらわれのようなものだと思うのです。
しかしながら、オヤジ達は歳を重ねる毎に、やがてその当初の意識を忘れ、ただ惰性で「地雷を踏むだけ」の行為を繰り返す様になっていくのではないか、と。そんな風にも思うのです。
ですから若人の皆さん、オヤジギャグをただのつまらなく寒いモノであるだけとは考えずに、地雷を踏んでその危険性を後進に身を以て示してくれているのだと考えて下さい。
そしてそうした先人達の自己犠牲の上に築かれた安全な土台の上に、自由に翼を広げて下さい。それでこそオヤジ側も地雷を踏んだ甲斐があると思うのです。
そう、決して冷笑だけに終わらせず、さながらジェットストリームアタックに対したアムロ・レイのガンダムのように踏み越えていって下さい。それでこそ地雷を踏んだオヤジ達も踏み甲斐が、踏まれ甲斐があると思うのです。
というわけで、そこのお嬢さん。
早速ですが僕の後頭部を素足で
踏んでみませんか?
(ええ、自己犠牲の精神ですとも(若干目を逸らせながら))
それは、その場の会話のテーブルに出されたタームを用いて、放たれた瞬間に場がクッタリとしてしまうような、くだらないダジャレやギャグ。いわゆる「オヤジギャグ」というものが理解できる様になってきたのです。
若い頃はオヤジギャグはまるで理解できず「なんでそんなくだらないこというんだろう?」と思い、「笑い」について考える様になってからは「そんな低レベルなことしか思いつかないのか」と冷笑の対象にしかなりえませんでした。
しかし最近それが理解できる様になってきてしまったのです。というのも、オヤジと呼ばれる人々はそれぞれ相応の歳を経てきた方々ですし、それ故に様々な経験も豊富です。そして若い衆より「人のために」という気持ちが強く、また場の空気を読めるものだと思うのです。
しかし、同時に「俺が俺が」と前に出る様な真似はしなくなるという傾向も見て取れます。もう少し突っ込むと、会話の場にあっては場を盛り上げる具体的な主役は若い衆に譲り、自分は敢えて駄目な方の道化的役割になろうとする傾向ですね。
いわば強いキャラクターに対するドジで弱い引き立て役、またはベビーフェイスに対するヒールという構造です。そしてオヤジ達はその役割構造の中に進んで飛び込んでいくのです。
そしてそれはいわば地雷原があったら、進んで踏みに行って危険を知らしめるという、行きすぎた自己犠牲的精神のあらわれのようなものだと思うのです。
しかしながら、オヤジ達は歳を重ねる毎に、やがてその当初の意識を忘れ、ただ惰性で「地雷を踏むだけ」の行為を繰り返す様になっていくのではないか、と。そんな風にも思うのです。
ですから若人の皆さん、オヤジギャグをただのつまらなく寒いモノであるだけとは考えずに、地雷を踏んでその危険性を後進に身を以て示してくれているのだと考えて下さい。
そしてそうした先人達の自己犠牲の上に築かれた安全な土台の上に、自由に翼を広げて下さい。それでこそオヤジ側も地雷を踏んだ甲斐があると思うのです。
そう、決して冷笑だけに終わらせず、さながらジェットストリームアタックに対したアムロ・レイのガンダムのように踏み越えていって下さい。それでこそ地雷を踏んだオヤジ達も踏み甲斐が、踏まれ甲斐があると思うのです。
早速ですが僕の後頭部を素足で
踏んでみませんか?
(ええ、自己犠牲の精神ですとも(若干目を逸らせながら))