【 2006年12月16日-04:54 のつぶやき 】
■ とある まちのラーメン屋 の話。
「んちわー」
「はい、いらっしゃい」
「えーと、チャーシューメン大盛りにライス」
「こってり?こてこて?」
「今日はゴテゴテで!」
「はいよう!」
そんな言葉を交わしながら、窓際の奥のテーブルに座る。すると、奥からママが出てきて、コップに入ったお冷やとサービスでコーラをつけてくれる。
「久しぶりねぇ」
そんな言葉をかけられるが、久しぶりといっても2週空けたか空けないくらいかのことだ。いや、それでもやっぱり云われてみれば確かに久しぶりなのかもしれない。以前は多いときは週に一度は顔を出していたのだから。
木曜日が定休。だから週刊プロレスを買いにコンビニまで出向いて、そのままの足でこの店に来ることは出来ず、それでも何度かそれを忘れてはバイクで来てしまうこともあった。朝は11時から14時まで。夜は18時半から23時まで。「チャーシューがうまくいかなかったから」なんて理由で、店を閉めていることもあった。
かといって、ことさら頑固というわけでもなければ、客に無礼な言葉遣いをする勘違い野郎というわけでもない。人当たりのいい笑顔で応対し、手早くラーメンを作り、餃子を焼く。チャーハンを作るのはママの仕事で、2人ともいつもニコニコしていた。
脱サラして横浜の店で修行を詰んで、ようやく店を開いたと聞いたのが、越してきて2年目の事だったと思う。それから10年間。僕はこの店に通い続けてきた。
ラーメン・B(仮名)。それが店の名前。横浜で修行したから「港」のBをそのまま名前につけた。どこにでもあるような「まちのラーメン屋」然とした店構え。そしてその実「まちのラーメン屋」であって、僕が通った理容室や整体の人達と、店で会うこともあった。
まだ流行初めのトンコツベースの醤油ラーメン。チャーシューはコトコトと煮込んだ煮豚型で、一枚の大きさは女性の掌ほど。それが4枚はいるのがチャーシューメンで、この店の看板メニューだった。トッピングにはシナチクとゆで卵、湯がいたホウレン草にキザミネギ。それから海苔が二枚。
それにテーブルにおかれたオロシニンニクを投入し、お酢を一回し。それが僕の定番だ。ラーメンのどんぶりは据え置きで、ごはんの茶碗を左手に、右手の箸でどんぶりを一回し。汁をたっぷりからめた麺をすくい上げる。それだけでチャーシューは崩れて、麺にからむから、それをごはん茶碗の上で2回バウンドさせて、一気にすする。
咀嚼しながら、そこにごはんをかきこんで、一緒に咀嚼する。ふるふると頼りなく震えるチャーシューをつまんでごはんとともにかっこむ。汁をたっぷり浸した海苔をごはんにのせてかっこむ。麺を喰い、ライスをかきこみ、そして仕上げはスープをレンゲですくって、ごはん茶碗に少し残ったライスにかけまわす。ノリになってしまった飯粒も、スープに浸して箸でこそぎ、それを飲んだら、試合終了のゴング。それが僕のいつもの食べ方だった。
本当にどこにでもあるラーメンだったけれども、その味は僕にとってはカルチャーショックなみに美味かったし、だからこそ多くの友人知人をここに連れてきては、我がことのように「どうだい美味いだろう」なんて自慢してきた。
他にも固形燃料を使って、テーブルで蒸す特大シュウマイや、薄皮でボリュームのある餃子なんかもあった。でも、いつでも決まって頼むのはチャーシューメン。仕上げに背脂をどんぶりに振って脂を落とす、その回数で「あっさり・普通・こってり」なんていう設定ができた。
食欲旺盛でギトギトなもの大歓迎だった若い頃の僕は、「こってり」の上を勝手につくって、いつでも「ごてごてで!」なんて云っていた。それが若干胃にもたれるようになってからは、普通にこってり。三年くらい前からは、ときどき「普通で」と頼むようになっていた。
歳を経ることによる、嗜好の変化や消化能力の低下を、僕はこの店のラーメンの設定で指標にしていた、そんなフシさえあるくらい、僕はこの店に通い続けてきた。
閉店間際に駆け込んでラーメンをすすった後、一万円札で御題を支払おうとすると、マスターに「あーお釣りないから、今度でいいよツケとくからさ」なんて、云われることも何度かあった。別段名乗ったわけでもないのに、それでいいのかなんて思ったりもしたけれど、これが常連なんだよな、なんて思うこともあった。
2年くらい前だろうか。他にもラーメン屋を開拓して、何カ所かをローテーションしながらラーメンを楽しむようになってから、あまり「B」には顔を出さなくなってしまっていたのだけれど、2ヶ月ぶりくらいに訪れた僕を、マスターとママは、いつも通りに迎えてくれた。
久しぶりに頼んだ「チャーシューメン大盛り・普通にライス」は、やっぱり美味しかったのだけれど、少しだけ塩味が濃いような気がした。久しぶりだからかな、なんて気に留めはしなかったのだけれども、いつもより水を飲む量が多かった気がした。久しぶりに会うママはいつも通り、ちょっと派手目の化粧と明るい笑顔だったけれども、マスターは随分痩せていたように感じた。
それからまた何度かBに足を運んだのだけれど、やっぱりちょっと味が違うような気がしていた。他の店に通うようになったこともあって、Bの味が自分の味覚に合わなくなったのかなと、少し寂しく思っていた矢先、突然店が閉まってしまった。
休業日というわけではないので、首を傾げたのだが、次に来たときに店のシャッターには「都合により○月いっぱい、おやすみさせていただきます」という張り紙がされていた。「ああ、閉店してしまったわけではないのだな。おやすみをとってどこかに旅行にでも出かけたのだろうか」なんて考えていたのだけれども、その月を過ぎても、店は一向に開く気配がなかった。
それからまたしばらくして、店の近くを通ったとき、シャッターが開いていたのを見て、僕は、ああ、再開したのだなと思ったのだが、本来ならばその時間は準備休憩中の時間で電気が消えているはずなのに、店に明かりが灯っているのを見た僕は、若干いぶかしく思って、店の前へとバイクを向けた。
すると店には、スーツ姿の男性が何人かいて、なにやら書類を見ながら内装を調べているようだった。テーブルの椅子も、カウンターの椅子も全て上げられていて、あからさまに営業をしている様子はない。そんな様子を見て、僕が思ったのは「改装するのかな?」ということだけだった。
それからまたしばらくした後のことだ。店の前をバイクで通り過ぎると、「準備中」の札は下がっていたけれども、今度は椅子も並べられていて営業をしている様子だった。でもカウンターに座ってテレビを見ていたのは、マスターでもなければママでもなく、若い女性。しかも店内も改装した様子はなかった。
新しくバイトの子を雇ったんだろう。そんなことを考えて、それでも営業が再開されたことを喜びつつ、僕は店の前を後にした。それから一週間ほど経ったある日、僕はこの店のファンでもある友人と2人で、Bに訪れた。今度は営業時間中だったし、若干味が濃いかなとは感じていたけれども、友人の希望もあっての久々のB。コッテリで腹を満たして、胃もたれと闘うのもまた一興だなんて思いながら店に入った。
オーダーを取りに来たのは、例の若い子だった。見ればカウンターの中で調理をしているのも中年の男性で、マスターやママはいないようだ。店の名前はそのままだったし、メニューも同じだ。チェーン店というわけではないので、そこまでスタッフが変わるということはないだろうし、どうしたのだろうと思いながらも、いつも通りの注文を、違う相手に伝える。
それからラーメンが運ばれてきて、いつも通りのチャーシューのサイズや具に安心しながらもすすると、今度は味が薄いように感じた。それは確かに、いつも通りの「B」の味なのだけれども、なにか少し物足りないような感じで、美味しいのだけれども、なにか少し足りない気がする。僕は少し首を傾げたくなる衝動を抑え込みながら、友人と他愛もない話をしつつ、いつも通りにラーメンをすすり、具を頬張った。
食べ終わった頃、店員の子が他のテーブルにラーメンを運んだ帰り際、僕は思いきって疑問をぶつけてみることにした。「ねぇねぇ、僕結構ここ長く通ってるんだけど、前のマスターはどうしたの?」と。すると店員の子は、少し困ったような顔をしながら、小さな声で僕の疑問に応えた。
「あ、えと、私はよくしらないんですけど…ちょっと前に亡くなった…みたいです」
それは僕の中で、一番考えたくなかった回答だった。随分痩せたように感じたマスター。濃くなったように感じていた味付け。休みがちになった店。そして突然の長期休業。「その結果」を考える要素はいくつもあった。だけど、いや、だからこそ、その回答は考えたくなかった。
一緒にいた友人も、彼女の応えを聞いて驚いていたし、それから後の僕らの食卓は随分と寒々しく、まるでお通夜のようだった。ラーメンの味は確かにBの味だったし、店名も変えないでメニューも変えないということは、きっと同じ店で修行をした弟弟子かなんかなんだろう。
だけどよく見れば、本棚の上に張られていたママが通っていたフラメンコ教室の手作りポスターもなくなっていたし、マスターが書いた港の絵もなくなっていた。相撲好きの夫婦だったから、力士の手形やサインがあったのだけれども、それもなくなっていた。そこかしこにあったマスターとママの痕跡は、すっかり消え失せていた。
しばらくして「あの、サービスです」と、店員の子が持ってきてくれたのはウーロン茶で、ママがいつもサービスで出してくれたコーラではなかった。放心したように、その実色々なことを考えながら、食後のタバコを立て続けに吸った僕らは、ウーロン茶を一気に飲み干すと勘定を済ませて、車に乗り込んだ。
それから家までの短い距離、僕は涙がこぼれそうになるのをこらえながら「やっぱり、マスター具合悪かったんだなぁ…」と小さく呟くと、友人は「味変わったっていってたもんね…」と慰めるかのような口調で返した。その云い方が、無闇に優しく感じて、僕は何か云えば声が震えるかも知れないと思い、また黙り込んで、そのまま投げやりな挨拶を交わして、僕らは別れた。
マスターと僕は、お互い名前も知らなかったけれど、“でっかい兄ちゃん”と“マスター”で通じていた。店のイチファンがこんなことを思うのは、おかしいのかもしれないけれど、お線香の一本もあげたい、心底そう思った。本当にあそこのラーメンにはお世話になったのだ。一言御礼をいいたい、そう思った。
ある意味で、今の「B」はもとの味に戻ったのかも知れない。だけれど、僕の足は自然とまた店から遠のいてしまった。10年以上通い続けた店に、そこにいけばいつでもいたマスターやママがいないことに、まだ気持ちが追いつかないのだ。
そんなことがあってから、もう2ヶ月くらいになるだろうか。今日、ハードディスクのデータ整理をしていると、前のケータイで撮影した写真のデータファイルがいくつもでてきた。そしてその中には、何枚も「B」のラーメンの写真があった。マスターが作ってくれた「チャーシューメン大盛り・こってり」だ。
最後の画像の撮影年月日は2005年6月6日13時24分。それ以降もBのラーメンは何度も食べているのだけど、それは記憶の中。こんな形で手元にマスターの作品が、形見みたいに残るとは思わなかったけれども、まだ「味が変わった」とも思っていない頃の写真だったのが、少し嬉しい。
この写真を見つけて、友人と2人で行った夜には抑え込んでいた涙が、今頃になって溢れかえった。きっと、あの味に飢えれば、僕はまたきっとBに行くのだと思う。だけど、まだしばらくはいけない。新しくなったBで、僕が首を傾げたくなった物足りなさは、マスターとママ。あの夫婦の優しさと笑顔も、またBの味であり至上の調味料だったのだから。

マスター。随分遅くなったし、しばらく顔を見せなくてごめんなさい。長い間、美味しいラーメンを、本当にありがとう。本当に本当にありがとう。そして、おつかれさまでした。ゆっくり休んで下さい。
たくさん、たくさん、ごちそうさまでした。
「はい、いらっしゃい」
「えーと、チャーシューメン大盛りにライス」
「こってり?こてこて?」
「今日はゴテゴテで!」
「はいよう!」
そんな言葉を交わしながら、窓際の奥のテーブルに座る。すると、奥からママが出てきて、コップに入ったお冷やとサービスでコーラをつけてくれる。
「久しぶりねぇ」
そんな言葉をかけられるが、久しぶりといっても2週空けたか空けないくらいかのことだ。いや、それでもやっぱり云われてみれば確かに久しぶりなのかもしれない。以前は多いときは週に一度は顔を出していたのだから。
木曜日が定休。だから週刊プロレスを買いにコンビニまで出向いて、そのままの足でこの店に来ることは出来ず、それでも何度かそれを忘れてはバイクで来てしまうこともあった。朝は11時から14時まで。夜は18時半から23時まで。「チャーシューがうまくいかなかったから」なんて理由で、店を閉めていることもあった。
かといって、ことさら頑固というわけでもなければ、客に無礼な言葉遣いをする勘違い野郎というわけでもない。人当たりのいい笑顔で応対し、手早くラーメンを作り、餃子を焼く。チャーハンを作るのはママの仕事で、2人ともいつもニコニコしていた。
脱サラして横浜の店で修行を詰んで、ようやく店を開いたと聞いたのが、越してきて2年目の事だったと思う。それから10年間。僕はこの店に通い続けてきた。
ラーメン・B(仮名)。それが店の名前。横浜で修行したから「港」のBをそのまま名前につけた。どこにでもあるような「まちのラーメン屋」然とした店構え。そしてその実「まちのラーメン屋」であって、僕が通った理容室や整体の人達と、店で会うこともあった。
まだ流行初めのトンコツベースの醤油ラーメン。チャーシューはコトコトと煮込んだ煮豚型で、一枚の大きさは女性の掌ほど。それが4枚はいるのがチャーシューメンで、この店の看板メニューだった。トッピングにはシナチクとゆで卵、湯がいたホウレン草にキザミネギ。それから海苔が二枚。
それにテーブルにおかれたオロシニンニクを投入し、お酢を一回し。それが僕の定番だ。ラーメンのどんぶりは据え置きで、ごはんの茶碗を左手に、右手の箸でどんぶりを一回し。汁をたっぷりからめた麺をすくい上げる。それだけでチャーシューは崩れて、麺にからむから、それをごはん茶碗の上で2回バウンドさせて、一気にすする。
咀嚼しながら、そこにごはんをかきこんで、一緒に咀嚼する。ふるふると頼りなく震えるチャーシューをつまんでごはんとともにかっこむ。汁をたっぷり浸した海苔をごはんにのせてかっこむ。麺を喰い、ライスをかきこみ、そして仕上げはスープをレンゲですくって、ごはん茶碗に少し残ったライスにかけまわす。ノリになってしまった飯粒も、スープに浸して箸でこそぎ、それを飲んだら、試合終了のゴング。それが僕のいつもの食べ方だった。
本当にどこにでもあるラーメンだったけれども、その味は僕にとってはカルチャーショックなみに美味かったし、だからこそ多くの友人知人をここに連れてきては、我がことのように「どうだい美味いだろう」なんて自慢してきた。
他にも固形燃料を使って、テーブルで蒸す特大シュウマイや、薄皮でボリュームのある餃子なんかもあった。でも、いつでも決まって頼むのはチャーシューメン。仕上げに背脂をどんぶりに振って脂を落とす、その回数で「あっさり・普通・こってり」なんていう設定ができた。
食欲旺盛でギトギトなもの大歓迎だった若い頃の僕は、「こってり」の上を勝手につくって、いつでも「ごてごてで!」なんて云っていた。それが若干胃にもたれるようになってからは、普通にこってり。三年くらい前からは、ときどき「普通で」と頼むようになっていた。
歳を経ることによる、嗜好の変化や消化能力の低下を、僕はこの店のラーメンの設定で指標にしていた、そんなフシさえあるくらい、僕はこの店に通い続けてきた。
閉店間際に駆け込んでラーメンをすすった後、一万円札で御題を支払おうとすると、マスターに「あーお釣りないから、今度でいいよツケとくからさ」なんて、云われることも何度かあった。別段名乗ったわけでもないのに、それでいいのかなんて思ったりもしたけれど、これが常連なんだよな、なんて思うこともあった。
2年くらい前だろうか。他にもラーメン屋を開拓して、何カ所かをローテーションしながらラーメンを楽しむようになってから、あまり「B」には顔を出さなくなってしまっていたのだけれど、2ヶ月ぶりくらいに訪れた僕を、マスターとママは、いつも通りに迎えてくれた。
久しぶりに頼んだ「チャーシューメン大盛り・普通にライス」は、やっぱり美味しかったのだけれど、少しだけ塩味が濃いような気がした。久しぶりだからかな、なんて気に留めはしなかったのだけれども、いつもより水を飲む量が多かった気がした。久しぶりに会うママはいつも通り、ちょっと派手目の化粧と明るい笑顔だったけれども、マスターは随分痩せていたように感じた。
それからまた何度かBに足を運んだのだけれど、やっぱりちょっと味が違うような気がしていた。他の店に通うようになったこともあって、Bの味が自分の味覚に合わなくなったのかなと、少し寂しく思っていた矢先、突然店が閉まってしまった。
休業日というわけではないので、首を傾げたのだが、次に来たときに店のシャッターには「都合により○月いっぱい、おやすみさせていただきます」という張り紙がされていた。「ああ、閉店してしまったわけではないのだな。おやすみをとってどこかに旅行にでも出かけたのだろうか」なんて考えていたのだけれども、その月を過ぎても、店は一向に開く気配がなかった。
それからまたしばらくして、店の近くを通ったとき、シャッターが開いていたのを見て、僕は、ああ、再開したのだなと思ったのだが、本来ならばその時間は準備休憩中の時間で電気が消えているはずなのに、店に明かりが灯っているのを見た僕は、若干いぶかしく思って、店の前へとバイクを向けた。
すると店には、スーツ姿の男性が何人かいて、なにやら書類を見ながら内装を調べているようだった。テーブルの椅子も、カウンターの椅子も全て上げられていて、あからさまに営業をしている様子はない。そんな様子を見て、僕が思ったのは「改装するのかな?」ということだけだった。
それからまたしばらくした後のことだ。店の前をバイクで通り過ぎると、「準備中」の札は下がっていたけれども、今度は椅子も並べられていて営業をしている様子だった。でもカウンターに座ってテレビを見ていたのは、マスターでもなければママでもなく、若い女性。しかも店内も改装した様子はなかった。
新しくバイトの子を雇ったんだろう。そんなことを考えて、それでも営業が再開されたことを喜びつつ、僕は店の前を後にした。それから一週間ほど経ったある日、僕はこの店のファンでもある友人と2人で、Bに訪れた。今度は営業時間中だったし、若干味が濃いかなとは感じていたけれども、友人の希望もあっての久々のB。コッテリで腹を満たして、胃もたれと闘うのもまた一興だなんて思いながら店に入った。
オーダーを取りに来たのは、例の若い子だった。見ればカウンターの中で調理をしているのも中年の男性で、マスターやママはいないようだ。店の名前はそのままだったし、メニューも同じだ。チェーン店というわけではないので、そこまでスタッフが変わるということはないだろうし、どうしたのだろうと思いながらも、いつも通りの注文を、違う相手に伝える。
それからラーメンが運ばれてきて、いつも通りのチャーシューのサイズや具に安心しながらもすすると、今度は味が薄いように感じた。それは確かに、いつも通りの「B」の味なのだけれども、なにか少し物足りないような感じで、美味しいのだけれども、なにか少し足りない気がする。僕は少し首を傾げたくなる衝動を抑え込みながら、友人と他愛もない話をしつつ、いつも通りにラーメンをすすり、具を頬張った。
食べ終わった頃、店員の子が他のテーブルにラーメンを運んだ帰り際、僕は思いきって疑問をぶつけてみることにした。「ねぇねぇ、僕結構ここ長く通ってるんだけど、前のマスターはどうしたの?」と。すると店員の子は、少し困ったような顔をしながら、小さな声で僕の疑問に応えた。
「あ、えと、私はよくしらないんですけど…ちょっと前に亡くなった…みたいです」
それは僕の中で、一番考えたくなかった回答だった。随分痩せたように感じたマスター。濃くなったように感じていた味付け。休みがちになった店。そして突然の長期休業。「その結果」を考える要素はいくつもあった。だけど、いや、だからこそ、その回答は考えたくなかった。
一緒にいた友人も、彼女の応えを聞いて驚いていたし、それから後の僕らの食卓は随分と寒々しく、まるでお通夜のようだった。ラーメンの味は確かにBの味だったし、店名も変えないでメニューも変えないということは、きっと同じ店で修行をした弟弟子かなんかなんだろう。
だけどよく見れば、本棚の上に張られていたママが通っていたフラメンコ教室の手作りポスターもなくなっていたし、マスターが書いた港の絵もなくなっていた。相撲好きの夫婦だったから、力士の手形やサインがあったのだけれども、それもなくなっていた。そこかしこにあったマスターとママの痕跡は、すっかり消え失せていた。
しばらくして「あの、サービスです」と、店員の子が持ってきてくれたのはウーロン茶で、ママがいつもサービスで出してくれたコーラではなかった。放心したように、その実色々なことを考えながら、食後のタバコを立て続けに吸った僕らは、ウーロン茶を一気に飲み干すと勘定を済ませて、車に乗り込んだ。
それから家までの短い距離、僕は涙がこぼれそうになるのをこらえながら「やっぱり、マスター具合悪かったんだなぁ…」と小さく呟くと、友人は「味変わったっていってたもんね…」と慰めるかのような口調で返した。その云い方が、無闇に優しく感じて、僕は何か云えば声が震えるかも知れないと思い、また黙り込んで、そのまま投げやりな挨拶を交わして、僕らは別れた。
マスターと僕は、お互い名前も知らなかったけれど、“でっかい兄ちゃん”と“マスター”で通じていた。店のイチファンがこんなことを思うのは、おかしいのかもしれないけれど、お線香の一本もあげたい、心底そう思った。本当にあそこのラーメンにはお世話になったのだ。一言御礼をいいたい、そう思った。
ある意味で、今の「B」はもとの味に戻ったのかも知れない。だけれど、僕の足は自然とまた店から遠のいてしまった。10年以上通い続けた店に、そこにいけばいつでもいたマスターやママがいないことに、まだ気持ちが追いつかないのだ。
そんなことがあってから、もう2ヶ月くらいになるだろうか。今日、ハードディスクのデータ整理をしていると、前のケータイで撮影した写真のデータファイルがいくつもでてきた。そしてその中には、何枚も「B」のラーメンの写真があった。マスターが作ってくれた「チャーシューメン大盛り・こってり」だ。
最後の画像の撮影年月日は2005年6月6日13時24分。それ以降もBのラーメンは何度も食べているのだけど、それは記憶の中。こんな形で手元にマスターの作品が、形見みたいに残るとは思わなかったけれども、まだ「味が変わった」とも思っていない頃の写真だったのが、少し嬉しい。
この写真を見つけて、友人と2人で行った夜には抑え込んでいた涙が、今頃になって溢れかえった。きっと、あの味に飢えれば、僕はまたきっとBに行くのだと思う。だけど、まだしばらくはいけない。新しくなったBで、僕が首を傾げたくなった物足りなさは、マスターとママ。あの夫婦の優しさと笑顔も、またBの味であり至上の調味料だったのだから。

マスター。随分遅くなったし、しばらく顔を見せなくてごめんなさい。長い間、美味しいラーメンを、本当にありがとう。本当に本当にありがとう。そして、おつかれさまでした。ゆっくり休んで下さい。
たくさん、たくさん、ごちそうさまでした。