■ 水とコーヒー #3

「でも、なんていうかその、霊ですか。そういうのってどういう風に見えるんですか?」

「見えるっていうかねえ。まぁなんだろう。普通の人と変わらないわよ。ただ明らかに、他の人には見えていないってだけ」

「へえ…?」

「んー。例えばさ、雑踏の中でキミは普通にまっすぐ歩く?」

「まぁそうですね」

「色々人が歩いているのに?」

「ああ、そりゃ避けて歩きますよ」

「そうよね。向こうもそうしているわけ。見えているから避けて歩く。だから不注意だったり滅多なことがない限り、雑踏でもぶつかったりしないわけ」

「そうですね」

「でも、周りに見えてない人がいたらどう?」

「…ああ…」

「そういう風に見えるのよ。見えてない人が見えるって感じ」

「なんかすごく、今納得しました」

「そういう人が多い場所でなら、キミも見てるかもしれないんだよ?」

「えー?それはないでしょう」

「どうかしらね。だって例えば渋谷のスクランブル交差点とかあるじゃない。信号が青になったら一斉に歩き出すよね。すごい雑踏が。あれが“生きている人”だけだって確証がある?証明できる?」

「それは…」

「まぁそういうことなのよ。その程度のものなの」

先輩は僕の持ってきたオレンジジュースを飲み干してから、そう云った。あくまでも軽い口調で。


「なんか、その、例えば苦しそうな表情をしていたりとか、そういうのはないんですか?」

「んーそうね。あるよ。そういう人も沢山いるわよ」

「そういうのこう、寄ってこないんですか?」

「どうなのかなあ?あたしには滅多にないよ。なんていうか、そういう人って大概が一人で同じ行動繰り返しちゃってるのよね」

「…例えば?」

「食後に話すことでもないかもなんだけど…飛び降り自殺をした人って、何度も飛び降りるのよ。飛んだ直前の意識しか残ってないから、それがなんていうんだろう焼き付いちゃってるのよね。だから何度も飛び降りてる。学生時代の通学路にね、そういう現場があって、それは結構参っちゃったわね」

「うわぁ…そりゃあ…」

「そういうのは、やっぱりちょっとショッキングよね。でも意識して見ていない限り、どうこうっていうのはないわよ」

「意識して見る…ってどういうことですか?」

「んーと…例えば毎日キミが通勤してくる道があるわよね。そこでいつも同じ時間に電車に乗る人がいたとするじゃない。その人のことじーっと見つめたりする?」

「や、そんなことはしないですよ」

「じゃ、逆に見られていたら?毎日じーっと、ね」

先輩は僕の目を覗き込む様に目を大きくして見つめた。なんだか気恥ずかしくなって視線をそらす。

「そりゃ、なんかこうあんまりいい気はしないし、気になりますよね」

「同じ事。だから意識して見たりしない限り、向こうもこっちにアプローチをかけてきたりはしないわ」

「…なるほど」

他にもいくつかの質問をしたが、先輩の応えはいつでも的確で、僕はバカの一つ覚えのように「なるほど」や「へぇ…!」という感嘆の声を返し続けることになった。そしてその度に僕の彼女に対する、そして彼女の“個性”に対する信頼度は増していった。


なんだかんだでケータイの時計表示をみると、既に時間は11時近くになっていた。天使が通るタイミングというやつだろうか。会話も一段落して、2人とも飲み物を口に運んでいた。先輩は僕が持ってきた3杯目のオレンジジュース、俺はジンジャーエールから烏龍茶に変えていた。

コトリ、とテーブルにグラスをおいて一息吐くと、先輩は「さて…」と一言おいてから、再び会話の口火を切った。店内に流れている白々しいカンツォーネや他の客の話し声や食器の音などが、妙に遠くに聞こえた。なんとなく緊張してしまう。

「水泳教室。楽しかった?」

スカされたような話のフリに、思わず僕は少し面食らいながら質問の意図を読み込もうとしていた。

「ええっと…そうですね。楽しかったと思いますよ。友達もいましたし」

「そう。小学生の頃っていったわよね。ずっとこっちに住んでいたの?」

「いや、違います。こっちには会社入ってからですね。先輩はご実家でしたっけ」

「そうよー。大学は下宿してたけどね。会社に通うのが楽で戻っちゃったの。じゃあ小学校の頃はどこに?」

「あ、S県です。そこの県庁所在地のU市ですね。その前はS市です」

「あら、引っ越ししたんだ」

「親父の転勤が多かったもんで。結構転々としてましたね。一番長かったのはU市ですけど」

「じゃあ転校生経験ありなのね」

「あーそれがないんですよ。生まれてすぐ、幼稚園卒業、中学卒業、高校卒業、大学卒業で引っ越ししてたんで」

「区切り区切りで引っ越ししてたのね」

「そうですね。親父が単身赴任状態になってた時期もありましたよ(笑)」

「そうかそうか。じゃあ貴方が一番長く住んでいたのはどこになるのかな。U市?」

「そうですね…小・中と9年間ですから、一番長いです」

「うん、そしたら、そこまで辿ってみましょうか」

「え?辿るって?」

「んーと…簡単な催眠術みたいなものよ。あ、大丈夫よ、別に無意識の間にどうこうとかそういうことじゃないから。っていうか、そんなのできないしね(笑)」

「はぁ…」

訝しげに首を傾げながら生返事をする僕に対して、先輩は少し困った様な表情をしながら説明する方法を考えているようだった。

「えーとね…占いっていうか…なんだろうな。私の一つの方法なのよね。うーん、なんだろう。私って、見えるけれど、底の方まで見透かして見えるわけじゃないのよ。だから相手の協力が必要になるのよね」

「はぁ…」

「例えば今の貴方だけど、見えるのは見えるんだけど、それがなんなのかはわからないの。わかるのは貴方にあまりよくない影響を及ぼしているっていうことだけ。宗教とかやってるわけじゃないから、いわゆるお祓いみたいなのを期待されても、それはできないのよ。ご供養とかそういうのもよくわからないし」

“私”、“貴方”。いままで“あたし”と“キミ”だったものが変わっていた。今まで僕の目を正面から見て話をしていた先輩は、今は僕の目を見てはいるモノの「その向こう側」をも見ている様な表情をしていた。

ああ、始まっているんだ――僕は直感的にそれを悟った。

「だから辿っていくの。これは一つの方法。貴方の一番長く住んでいた“家”。それは貴方という存在を構成している大きな要素になるの。だからそれを辿って、今の貴方に現れている変化を探すわけ」

「よく…わからないなりに、なんとなくわかりました。はい」

ごくり、と喉を鳴らして唾液を飲み下す。

「あの…」

「ん、なあに?」

「やっぱり、なんかツいてるんですか?」

「あ、うん。そうね」

随分軽く云ってくれる。

「えと、その…どんな…人が?ってか、人なんですか?」

「ああ、それは間違いなくヒトよ。女の人。結構若い」

「女の人?!」

記憶を一気に検索する。いや、知りうる限り取り憑かれるほどの恨みをもたれたり、というか今既に死んでいたりする過去の恋人や友人は存在しない…はずだ。

「えと…心当たりがないんですけど…」

「でしょうね。貴方には心当たりがまるでないと思う。だから私もちょっと困っているのよ。私はこの人から何も聞くことができないから」

「え…と、それって?」

「あー…うん、あのね、例えばこの人が貴方の親類縁者だとか、ご先祖さまだとか、そういうのなら、なんとかわかるのよ。メッセージっていうか、なにをして欲しいのかとか、貴方がなにをすべきなのか、とかね。あとは恨みを持っている場合とか」

後半の言葉は僕を十分に脅かしつつ、安心を与えるものだった。そうではない、ということは、どうやら僕にツいている人に僕は恨まれているわけではないらしい。

「だから、私も貴方も、というかむしろ貴方が、この人をシる必要があるの。そうすれば私もこの人をシることができるから。そうすればなんとかできると思うのよね」

安心していいのだか、困惑していいのだかわからない。理解していいのか、理解できるのかもわからない。ただ、そうすべきなのだというならばそうするべきなのだと、僕は自分の理性やら理解やらを放置して、先輩の言葉に頷いた。


「でも、それでなんで昔の家を?」

「うん。さっきもいったけど長く住んだ家って、その人の存在を構成する大きな要素なのよ。宗教じみた言い方をすれば『魂を作り上げた場所』なの。だからそこを辿って、この人との繋がりを探すのよ」

「え、でもじゃあそんな昔からのことなんですか?」

「そういうわけじゃないわ。こういうのにはあんまり時間的な縁って関係ないから。ただ相手―今は貴方ね、それが無自覚な場合、探すのには一番適した方法というだけ。多分、貴方はその記憶とイメージを辿ることで、この人に会えるわ。その中でね」

「うーん…まぁやってみます…」

「ええ、そうそう。まぁ、やってみましょ、でいいのよ。そんなに重苦しく考えないでいいから。貴方は私と普通に会話していればいいだけ。ただ、なるべくでいいから、その中で見たもの見えたものは隠さず話してね。そうでないと私も何も出来ないから」

最後の一言を云うとき、先輩は確実に僕の目だけを見つめていた。それだけ大事なことなんだろう。そう認識すると、途端に恐怖感がこみあげてきたが、先輩はこれまでの会話の中で、ここ数ヶ月の間中、僕の身の回りに起きていた様々な奇妙な事や、漠然とした不安感だの恐怖感だのに、全く触れなかった。

だからこそ、僕は先輩の言葉を信じて従おうと思った。本当に必要なこと、本当に根本的なことだけを、先輩は僕の口から話させようとしているのだ。そしてそれだけでなんとか出来ると思う、そう云ってくれている。それだけでいいのならば、僕も恐怖感を抑え込むことが出来るだろう。

先輩の目を見つめながら、僕は黙って大きく頷いた。


「――それじゃ、始めましょうか」

(C) G-LABO Gengi-DOJO.