■ 水とコーヒー #4

「昔の家の中で捜し物をするのよ」

「捜し物、ですか…でも何を?」


「死体」


あっさりととんでもないことを云ってくれる。僕は唖然として先輩の目を見つめたが、そこには全くからかう表情もなにもない。真剣そのものの表情だった。

「死体、かもしくは、それに類するものね」

「いや、でも先輩。うちには死体なんかないですよ。殺人事件がおきたとかそういう部屋でもなかったし、葬式もうちじゃあげてないですし」

「うん。そうでしょうね。だけどこれは貴方の精神の中のことだから。現実はあんまり関係ないのよ。死体っていうのもイメージなのよね。私が貴方を誘導して、貴方の頭の中にある家を探せば、きっとどこかに死体か死に直結するイメージの何かを見つけるわ」

「じゃあ、その死体っていうのは…」

「うん、貴方にツいてる女性のよ」

背中が途端に寒くなり、全身から冷や汗が吹き出すのがわかる。多分シャツに隠れた部分は鳥肌になっているだろう。


「正直…怖いです」

「そうよね。でも大丈夫よ。私も一緒にいくから」

「え?」

「んー…なんかトンデモっぽいけど、まぁ事が事だしね。出来るだけ信じてちょうだいね。意識を同調させて、貴方が見ている光景を私も見るのよ。そうすれば私にもそれが見えるから。私が誘導して貴方の家の中を明確にしていくから、その中では貴方が私を誘導するっていう感じね」

「なんか…また、わかったようなわからないような…」

「うん、でも別に危険があるわけじゃないから。試してみる感じでね」

「はい。でもどうやって?」

「えーと、まぁ簡単な方法だと普通にリズムをあわせればいいんだけどね」

そういうと先輩は右手の人差し指でテーブルをコツコツと叩き始めた。

とんとんとーん・とんとんとんとん

とんとんとーん・とんとんとんとん

とんとんとーん・とんとんとんとん

「いちにーさぁーん、ごーろくしちはち、いちにーさぁーん、ごーろくしちはち」

とんとんとーん・とんとんとんとん

とんとんとーん・とんとんとんとん

「わかる?」

「ええ。なんか運動部のかけ声みたいっすね」

「あはは!そうねぇ。うん、大丈夫。強がりでもそれだけ余裕があれば大丈夫よ」

そういって微笑むと、先輩は左手を差し出して僕にも手を出す様に促した。そしてテーブルにおかれた僕の手の甲に掌をかさねる。温かい。単純なようだが、それだけで僕の恐怖心は少し薄らいでいった。

「私がこうやってリズムを刻むから、貴方は心の中で『一二三・五六七八』って唱え続けてね。口では色々説明してもらうから呟かないで、心の中でね。どんなものを見ても、なるべく驚かないで、帰って強く数字を念じてね」

「はい、いちにーさぁーん、ごーろくしちはち、ですね」

「そうそう。ちょっと練習してみる?」

「いや、大丈夫です」

「それじゃ玄関前から行きましょう。目をつむってね。外からの情報は少ない方が集中しやすいから」

「…はい」

云われるがままに僕は目を閉じる。そして懐かしい団地の外観を思い出そうとしていた。

「おうちは団地の何階にあったの?今何が見える?」

「2階です。今思い出してるのは外の窓枠ですね。二階の…僕の部屋です。東側にあって、どの窓にも鉄製の柵がかかってたんですよ。多分落ちない様に」

「そう、色は?カーテンもみえるかしら」

「柵はオレンジのペンキで塗られてましたね。何度か塗り替えられたけど、大体いつもオレンジだったなぁ。カーテンは…水色のペイズリーだったと思います。網戸でよく見えないけど」

「中から見なくちゃわからないなら、そこはいいわ。階段を上がって二階に行ってね」

とんとんとーん・とんとんとんとん。

「扉がみえる?どんなものかしら」

「鉄製です。真ん中あたりに新聞受けの穴が空いていて…所々ペンキが剥げてます」

「鍵は?」

「持ってます」

「じゃ、開けて入りましょうか」


とんとんとーん・とんとんとんとん。


「はい、玄関です」

「“ただいま”は?」

「あ、はい。ただいま…」

少し気恥ずかしくなりながら、ぼそりと口に出す。先輩のクスリと笑う声が聞こえたが、おかげで少し余裕が出てきた。

「返事はない?」

「あ、そうですね。ないです。誰も帰ってないみたいです」

「そう。玄関には靴がある?」

「えーと…親父の予備の革靴と、姉貴のスニーカーと、サンダルと…僕のスニーカーもあります」

「みんなが普段履いている靴はないのね?」

「あ、はい。ないですね。みんな出かけてます」

「そう。見慣れない靴はない?」

「…ない、と思います」

「そう。靴箱はある?中を開けてみて」

「あ、はい。特にかわったことはないですね。ああ、なんか親父の靴磨きをしたときの臭いがします。靴磨きの…なんだろワックスみたいな?」

「うんうん、随分鮮明ね。変わったことがなければ靴を脱いで家に上がってね」


とんとんとーん・とんとんとんとん。


「はい。あがりました」

「右手と左手、なにがあるのかしら」

「えと、右手は居間への扉と両親の寝室への襖があります。左手はトイレで、その左奥が洗濯機のある洗面所で、その右側が風呂です」

「なるほどね。じゃあトイレからいきましょう。変わったことがある?」

「いえ、なんかでも懐かしいです。コンクリにペンキ塗っただけのトイレだったんですよね。冬は寒くって」

「ふふ。じゃあそのまま洗濯機の前に行ってみてね」

「はい、特になにもないですね」

「誰かの服とかある?」

「えーと、洗濯物が積まれてますけど、特に違和感はないです。玄関側との仕切りの上が棚になってるんですけど、そこにも特になにか変わったものはないですね。うわーなんか懐かしいな。思い出せるもんですね、あんまり使わなかったけど、野球のグローブがあそこにおいてあったんですよ」

「お父さんからのプレゼントね」

「そうです。よくわかりますね」

「同調してるから」

「ああ…なるほど…」


とんとんとーん・とんとんとんとん。


「お風呂場、見てみましょうか」

「はい。あーここの扉立て付けが悪かったんですよね…懐かしいな、追い炊き釜だ。ハンドル付の…元栓がこっちで…洗面台もあって…特に異常はないです」

「お風呂の中も?フタしまってない?」


途端に僕は少しギクっとした。確かに頭の中で見ている風呂にはフタがかかっていた。三枚のパネル式のフタだ。ひょっとしたらこの中に死体が。女の死体がうずくまっているのかも知れない。

「…あけなきゃですか?」

「ええ。大丈夫よ。一緒にいるから」


とんとんとーん・とんとんとんとん。


「はい…」

僕は意を決して、意識の中で顔を背ける様にして風呂のフタをあけた。そして薄目で中を見る…とはいっても意識の中での出来事なのだが。しかしそこには水が張ってあるだけで、なにもなかった。

「なにもないわね」

「…ええ。ないです。沸かす前に水だけ張ったみたいですね」

「OK。じゃ次にいきましょうか」

「両親の部屋ですか?」

「そこは後回しね。居間に入ってみましょう」

「…わかりました」


とんとんとーん・とんとんとんとん。


残された部屋は三つしかない。居間と隣接するキッチン。そして姉貴達の部屋と僕の部屋だ。その全てを僕(僕たち?)は回っていった。キッチンでは冷蔵庫を開け、流し台下の収納や食器棚まで調べた。居間は収納スペースもないので一目瞭然だった。ただ懐かしい空気が鮮明にそこにはあっただけだった。

姉貴達の部屋は二段ベッドと机が二つ。収納はないので探す場所はほとんどなかった。念のためベッドも見たがなにもない。ベッドの下の暗闇にもなにもなかった。

いよいよ自分の部屋に入る。ここには押し入れがあるので、そこに大きな可能性があった。先輩がいうには「確実に死体かそれに類するものがあるはず」なのだから、恐怖の瞬間との遭遇は確実に近づいているわけだ。僕はおそるおそる部屋中を調べたが、そこにも死体はなかった。


「残るのは…ご両親の部屋だけね」

「えと、その…行かなきゃダメですか」

「そりゃあね。ちゃんとしたいでしょう?」

「…はい」

現実の方で先輩が重ねた掌が僕の右手を少し強く握った。

「大丈夫よ。ちゃんと唱えてね」

「…はい」


(いちにーさぁーん、ごーろくしちはち)

とんとんとーん・とんとんとんとん。

(いちにーさぁーん、ごーろくしちはち)

とんとんとーん・とんとんとんとん。

(いちにーさぁーん、ごーろくしちはち)

とんとんとーん・とんとんとんとん。


両親の部屋へと続く襖の取っ手に手をかけて、僕は何度も数を唱えた。先輩の指が刻むリズムが、心なしか優しく緩やかで、僕の気持ちも少しずつ落ち着いてくる。


(いちにーさぁーん、ごーろくしちはち)

とんとんとーん・とんとんとんとん。


そして僕は、襖を開けた。

(C) G-LABO Gengi-DOJO.