じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)


【過去のつぶやき】
 2006年07月の【家元のつぶやき】のバックナンバーです。

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2006年07月のバックナンバー

佐々木健介という男。(2006年07月03日-06:47)
ワールドカップ考(2006年07月04日-10:58)
どうせなら静音専用車両とか作ろうぜ。(2006年07月05日-14:04)
想い出のお店バトン(2006年07月19日-17:37)
ダーツやってますか?(2006年07月27日-12:41)
薔薇族再々復刊に寄せて。(2006年07月28日-21:26)
ブラックにしてくれ。(2006年07月30日-23:05)


佐々木健介という男。


八年間webで文章を書いてきて、プロレスを題材にしたモノもいくつも書いてきましたが、その中で佐々木健介というレスラーをメインにした文章も書きました。

当時僕は健介の根性と身体作りに対するスタンスは大好きだったのですが、あまりにも師である長州力の色を濃く受け継ぎ過ぎていて、またその一本気な性格が悪い方向&ダメな方向に行ってしまっているのを揶揄した文章を書きました。

端的に云えば、往時新日本を支えた武藤、蝶野、橋本らの闘魂三銃士に比べてあまりにもしょっぱかったわけです。この3人が猪木・坂口・藤波・長州の次の世代を担うという明らかさがあったのに比べて、二枚落ち三枚落ちというのを凄く感じていたんですよね。


が、新日本プロレスを離脱後、長州力率いるWJに移籍、WJのエースとして君臨するも、団体の経営難に直面し、団体は崩壊。親代わりでもあった長州力という存在から、身も心も文字通りの「親離れ」をして、フリーとして様々なリングに活躍の場を求めるようになってからの健介の大躍進は今更語ることはないでしょう。

なにしろ世界柔道やオリンピックで活躍した元・柔道王という肩書きを持つ小川直也以上にTVメディアなどの露出も多いわけですから。「プロレスファン以外にも有名なプロレスラー」という意味では、今や日本一かもしれません。

無論これは「鬼嫁」こと北斗晶の存在があってこそのものですが、リング外・プロレス外での評価以上にリング内でのプロレスラーとしての評価も鰻登りに上がっていきました。

DDTでの自らのオマージュレスラー藤沢一生(現・健心)との邂逅、ドラゴンゲートでのフロリダブラザーズがらみの試合&ケンスキー佐々木の登場、全日本プロレスでのチャンピオンカーニバル2005優勝などなど、本当に枚挙にいとまがありません。


そんな中でも、昨年7月18日に行われた、プロレスリングNOAH東京ドーム大会での『小橋建太 vs 佐々木健介』戦は、プロレスファンの間で語り継がれるべき、素晴らしい試合になりました。

名勝負製造器であり、今やホウキとでも熱い試合が出来ると云われるほどの小橋に対して、WJ崩壊からの1年半で、その評価を一気に上げてきた健介。若手時代に全日本プロレスとジャパンプロレス所属という形で交錯した瞬間があったものの、その後十数年を経て、まさか東京ドームでお互いがプロレス界を牽引する存在となって対戦するとは夢にも思わなかったでしょう。

そして試合はプロレスでしか有り得ない、プロレスでしか見ることの出来ない究極の肉弾戦を繰り広げ、何人ものファンの胸に「プロレスを好きでよかった」という思いを抱かせるにいたりました。僕もこの日の東京ドームは生観戦していたのですが、観ながら大泣きしてしまったほどです。

その後、小橋と健介はある意味でスペシャルな関係になり、佐々木健介二十周年記念興行のメインでは健介・小橋組という反則級のタッグを結成。これもまた素晴らしい試合を見せてくれました。


この二人に任せておけば、プロレス界は大丈夫。そんな安心感さえあった昨今ですが、先日NOAHの緊急記者会見で、小橋建太選手の右腎臓腎盂部に腫瘍が発見され、摘出手術の為に次期シリーズ以降を無期限で欠場するということが発表され、プロレス界は悪い意味で大激震しました。

6月の札幌大会でGHCタッグベルトを奪取し、今後の活躍がさらに期待されていた時期でもあり、また7月16日には脳梗塞でセミリタイヤ状態にあった高山善廣の復帰戦として、『秋山準・三沢光晴 vs 小橋建太・高山善廣』というビッグカードも発表された矢先であったので、本当にプロレス界はどうなってしまうんだという不安ばかりが募ってしまったわけです。

小橋が手術の為欠場というのは致し方のないこと。絶対王者・鉄人と呼ばれた彼ですから、相手が悪性腫瘍であろうがなんであろうが、必ずその試合に勝って生きて帰ってきてくれるという期待を胸に、ひたすら無事を祈るだけなのですが、ぽっかりと穴の空いてしまった試合カード、そして存在感はいかんともしがたいところです。

若手で躍進著しい丸藤正道や、小橋のタッグパートナーである本田多聞らが代役に名乗りをあげましたが、高山善廣復帰戦のスーパーカードとしては、やはり一枚・二枚落ちは否めないところ。一体どうなるんだろうと思っていたところに、なんと健介がその穴を埋めてくれたのです。


報道によれば、その日は海外で仕事が入っていた健介。しかし依頼から3分で、その仕事を断って、出場オファーを受けてくれたとのこと。なんとも健介らしい男気溢れる即断じゃないかと目頭が熱くなる想いでした。

さらに自身のブログでも、6月30日の記事にて


皆様へ
7月16日 NOAH武道館大会

命一杯、努めさせて頂きます。
              佐々木健介


というシンプルながらも、魂のこもった一言で意気込みを語ってくれました。本当にこれ以上の事はないと思います。発表にも喜びましたが、それ以上に健介自身の綴ったこの短い言葉に本当に胸が熱くなりました。


これは小橋建太という一人のプロレスラーであり人間である存在の命がかかった状況だからこそ生まれたものかもしれません。そう考えると複雑な心境でもあり不謹慎でもあるかとも思うのですが、それでも敢えて云いたい。これがプロレスなんだと。こんなドラマが起こるからこそのプロレスなんだと。

命一杯。本当に素晴らしい言葉です。健介のこの男気溢れる行動は、必ず小橋の応援になるはず。いやむしろこんなことをされたら、嬉しくて、そして悔しくって、小橋が戻ってこないわけがない。そんなことすら考えてしまいます。

プロレスを愛し、プロレスを見続けてきた者として、7月16日という日を決して見逃してはならない。今僕は、心の底からそう思っています。なんとしてでも、武道館2FスタンドB席の片隅からでも、この日の全てを目に焼き付けようと思います。



健介ありがとう!頑張れ小橋!!
(テイクザドリーム前奏からグランドソードに繋ぐ入場曲で健介が来たら、その時点で涙腺決壊だろうな…)



[ 2006年07月03日-06:47 ]  



ワールドカップ考


サッカーと共に熱狂的サッカーファンがあまり好きではない僕ですが、現在開催中のドイツワールドカップサッカーはそれなりに楽しませてもらいました。

元を正せば浦和レッズお膝元に生まれ育ち、Jリーグが発足する前から自宅から徒歩3分の近所には「サッカー最中(もなか)」を売りにする和菓子屋があったわけで、住んでいる土地柄からもサッカーには縁深かったのかもしれません。

なにしろ「キャプテン翼」より遙か昔1970年から放送された梶原一輝原作の元祖サッカーアニメ「赤き血のイレブン」のモデルとなった浦和南高校のお膝元でもあったわけですから。そんなわけでJリーグ発足時には、地元民として何度も浦和レッズを応援するためにスタジアムに足を運びました。


まーそんなこんなでサッカーが嫌いな僕ですが(あれ?)、サッカーをうるさく語る方々がワールドカップサッカーになると騒ぎ出す人々をして、こういう事を云うことがあります。「にわかがわかったようなこといってんじゃねえよ」と。また彼らのいう「にわか」が不甲斐ない試合をした選手を批判するにあたっては「そういうことはJリーグでの普段の試合みてからいえよ」と仰ることも多かろうと思います。

サッカーにせよ野球にせよプロレスにせよですが、長い観戦歴を持つファンは、一様に大きな話題にあがったときだけのファンを毛嫌いし、軽蔑するようです。確かに競技自体が苦しい時代などもあるわけで、そうしたときにも足げく会場に通い、競技にお金を落として支えたという面では「にわか」とは一線を画しているのかもしれませんが、果たしてワールドカップサッカーという舞台においては、その論理が通用するでしょうか。

サッカーという競技だけならば、古参がにわかを卑下する様は僕はさしてなんとも思いませんが、舞台はワールドカップなのです。出場選手は各国を代表して国と国とが競う競技会に出場しているわけです。日本代表は文字通り日本代表であり、サッカー選手の日本代表である以上に、日本人の代表でもあるわけなのです。


その選手を応援または批判することに、サッカー観戦歴が必要だとは僕は思いません。古参のサッカーファンが観戦歴20年なのだとしたら、僕の日本人歴は30年なのです。日本人として、田舎に現存する資料でわかっているだけでも過去十何代の日本国籍を持ち、日本国土に根ざしてきた日本人です。その日本人が日本代表を応援・批判したりすることの、なにがおかしいのでしょうか。

国際舞台での国歌斉唱儀礼という場面でガムを噛み、国歌を唄わず、素人目にも不甲斐ない試合をする。そんな国代表の姿を国民が見て「情けない」と感想を出すのはおかしいのでしょうか。またそれをして例えば古参サッカーファンが「にわか愛国だ」と批判できるほど、彼らは日々愛国の情と日本人としての矜恃をもって生活しているのでしょうか。


僕はこうした古参ファンの体質が大嫌いです。またこうした性質が色濃く見受けられるあらゆるスポーツのファンが大嫌いです。真のファンならば、自身の愛する競技に、にわかでさえも注目が集まることを大いに喜び、自身の知識と歴史に誇りをもち、にわかがにわかで無くなるような導き方をすべきでしょう。そう考えると、にわかを揶揄する古参ほど情けなく傲慢な存在はありません。

今更、万葉を紐解くまでもないことですが、我が国は言霊の幸ふ国です。語り部の国であり、物語の国です。そして言霊を操り、流行を作り出す現代の語り部はテレビマスコミ等のメディアであり、そのチカラがあってこそのワールドカップの盛り上がりだと思います。

つまり、にわかが多いのは、その語り部達のチカラであり、その後語り部が語ることをやめてしまった途端に、にわかが消え去るのは、普段からサッカーを見るもの、つまりファンの語り部としての役割が不足しているからではないでしょうか。

今、我が国はあらゆるスポーツ人気が下降気味ではありますが、どんなスポーツにせよその競技について、全く未見の者にであっても魅力あふれるドラマを語り伝え、興味を持たせることができるファンこそが、にわかをにわかではなくすることが出来る唯一無二の語り部なのではないかと思うのです。

そしてまた同時に、そうしたファンこそが、生観戦なりグッズ購入なりで、お金を落とすこと以外の形で、そのスポーツを支えることが出来る存在なのではないかな、と考えています。


なにはともあれ、次のワールドカップサッカーは2010年。釜本邦茂さんに憧れた世代から、奥寺康彦さんに憧れた世代へ。Jリーグ発足からキング・カズこと三浦知良選手に憧れた世代を承けて、昨日引退を表明した中田英寿さんに憧れた世代へと時代は繋がれていきます。

その次の世代が、どんな戦いを見せてくれるか楽しみにしつつ、まずはこの四年間を頑張ってきた現日本代表選手達の労と頑張りに拍手を送りつつ、3連続ワールドカップという舞台で闘い、ブラジル戦を最後に引退した中田英寿さんの第2の人生を応援したいと思います。



[ 2006年07月04日-10:58 ]  



どうせなら静音専用車両とか作ろうぜ。


だが、その代償として、貴様が10秒喋る毎に私は貴様の心臓を3秒間止める(秘孔を突いた後のをケンシロウ面で)

まぁ上は携帯電話とかの話なんですけれども、携帯電話の普及は構わないんですが、どうして「電車内・バス内での通話はご遠慮下さい」というマナーを守れない人が多いんでしょうかねえ。

あれなんですかね、喋ってないとチアノーゼ(酸欠)でも出るんでしょうかね。喋ることでしか体内に酸素を取り込めないとか。ガキの頃から謎だったんですけど、どうして「喋るな」と云われても喋ってなきゃいられないんでしょう。本当に謎です。

そういう人達って映画で銀行強盗とかが乱入してきたときに「騒ぐな!」って云われてるのに「きゃー!」とか叫んじゃって、一発目で撃たれ死ぬパターンを知らないんでしょうか(フィクションです)?盗人は手や指を切断されるという刑罰をしらないんでしょうか(日本じゃないです)?嘘をつくと地獄で閻魔大王さまにヤットコで舌を抜かれるということをしらないんでしょうか(迷信・民間伝承です)


まぁ若干話が逸れてしまいましたが、そんな携帯電話の通話マナーの悪さに悶々とする中で、先日こんなことがありました。舞台は終バス間際の地方路線バス。乗客は僕を含めた5人で、それぞれバラバラの座席に座っていたんです。運転手は四十がらみの男性。独特の車掌発声から考えても、相当ベテランなのだと思われるような感じでした。

で、何が起こったかっていうと、一人の若い女性が、そのバスの始発乗り場からこっち、ずーーーーーーーーーーっと携帯でしゃべってたわけですよ。まぁさほど大きな声で話していたわけではないんですが、これはもう明らかなるマナー違反。

ですが、終バス間際の時間帯。乗客の誰も彼も疲れ切っている空気が蔓延していて、誰も注意するわけでもなく、無視状態。まぁ疲れ切っていなくても注意する人は中々いないかもしれませんけれども。ですが、車内には明らかに「このバカ女うるせーなー」という空気が蔓延していて、なんともピリピリしたムードが車内に充満していたわけです。


そして、その若い女性の目的地であろうバス停に到着して、彼女が料金を入れるときにそれは起こりました。運転手さんが、マイク入りっぱなしの状態で

「携帯電話いい加減にしてくれませんかね!!ルール守れないなら二度と利用しないで下さい!!」

と、文字通りビシビシビシビシっと言い放ったんですよ。実際のセリフとはディテールが違うと思うんですが、相当強い口調で実に毅然と言い放ったわけです。


いやもう、正直しびれました。感動しましたね。立ち上がって拍手をしながら「ブラボー!おお、ブラボーッ!よく云ってくれた!!」と、その毅然たる態度と勇気にスタンディングオベーションを送りたくなるほどでした。

で、そういわれた若い女性は、さながら抜き打ちテストを突然告げられた女子高生のような口調で「ええー」とかなんとかいいながら、逃げるようにバスを下りていったわけですが、その様子は運転手さんの一喝に明らかにビビってたじろいでいました。

その後の車内も、誰も口を開くことはありませんでしたが、車内はそれまでの「どよーん」とした空気から一変し、運転手さんに対する無言の賞賛に溢れていたと思います。なんというかこう、無音の大喝采が鳴り響いていましたね。


まぁ言葉遣いの問題や、注意の方法やタイミングとしては間違っているというか、首を傾げてしまうようなところも多々あるとは思うのですが、運転手さんは確かにプロであったし、その義務を果たしたと思うわけです。第一、なかなか出来る事じゃあないと思いますからね。本当に感心しました。

その後、何事もなかったように運転を続ける彼の背中には「毅然」という文字が、極太ゴシック体で張り付いているように見えましたね。こういう運転手さんがいてくれることに、その路線ユーザーとしては嬉しくなりました。


とまぁ、ここで記事を終わらせてしまえば日曜版新聞生活面の読者投稿コーナーのような形で締めくくることが出来るわけですが、ここまで書いて、ふと気づいたことがあるんです。それは「なんで車内での通話がマナー違反なんだろう」ということと、そこに根ざすであろう「なんで車内での通話を不愉快に感じるのだろう」ということです。

いや、そんなもんバス会社なり鉄道会社なりが決めたガイドラインなんだから、そこに反したらマナー違反だろうよと云ってしまえばそれまでなんですが、それは正論ではあれども自分の感じた疑問に対する説明にはなりえませんからね。ちょっくら考えてみることにしましょう。

まず第一に携帯電話の通話電波が車内にいるかもしれないペースメーカー等の医療機器の誤作動を引き起こす可能性があるという点。これはもう人命に関わる話ですから、携帯電話の通話如きと比べて、許されるわけがない行為、明らかなるマナー違反です。

「優先席付近では電源をオフに」という放送がかかることはありますが、ペースメーカー等の医療機器を付けた方が、必ずしも優先席に座れるとは限りませんし、座っているとも限りません。そういうわけで、携帯電話の使用、および電波を送受信し続ける通話はお控え下さいというのは、勿論わかっています。

ですが、携帯電話がペースメーカー等の医療機器に影響を及ぼすであろう範囲は22cmであるとされています。つまり、それ以上離れていれば危険性はないというわけですね。つまり、よっぽど密着混雑している状態でなければ、その面での問題はないという見方も出来てしまうわけです。


となると、これはもうペースメーカー等の医療機器の誤作動云々とは違うところでの話になるわけです。例えば、僕が経験したようなガラガラの車内での通話。少なくとも本人がペースメーカーを入れているわけでもなければ、危険性もないわけですが、僕は明らかに不愉快でしたし、車内にもそうした空気が蔓延しており、運転手さんはブチギレ金剛と化しました。で、これはなんでなのかって話になるわけですね。

そもそもがなぜ「マナー違反」になるのかといえば、それは「その行為を不愉快に感じる人が大多数であるから」ということになるわけです。で、なぜ「不愉快に感じるのか」ということを色々考えてみたのですが、僕の体験したパターンでいうと、一つには既に「車内での通話はしてはいけない」という前提があり、それがアナウンスされているにも関わらず、それを堂々と破っているという事自体に不快感を覚えるパターンがあると思うんですね。なんだかニワトリタマゴですが(苦笑)。

そしてもう一つは根源的な話になるのですが、「車内」という公共の場で、「携帯電話での通話」という私的な会話を垂れ流されることに対する不快感が根底にあるのではないかと思うわけです。これは大声で騒ぐ馬鹿者共や、泥酔客の迷惑行為、またヘッドフォンからの音漏れなんかと同列の不快感なんでしょうね。

これらを総合すると、ガラガラの車内で、さほど大きな声ではないですが通話していた、あの若い女性に対する不快感や運転手さんのブチギレ金剛っぷりも、なんとなく辻褄が合うような気がしてきます。


でもなんですな、公の場での私的行為による不快感という話になると、先ほど例示した他の行為なんかも非常に不愉快なわけですよ。無論携帯電話の場合は、その前に例示したペースメーカー等の医療機器への影響ということもありますし、泥酔するほど酒は飲まず、ヘッドフォンステレオも持たず、車内でバカ騒ぎをしない程度の常識は持っていても、一般的に携帯電話は持っている人が多いということから、ことさら注意されているのだとは思うのですけれどもね。

でも「他のお客さまの迷惑になりますので」という注意で云々というならば、もっと全面的に注意をするべきなんでしょう。つまり要約すれば「車内ではお静かに」ということです。

って、うわー…なんでしょうコレ。書いてみて今自分でびっくりしちゃいましたよ。なんですか、この小学校低学年に注意するような文言は。ヒドイです。これはもうなんともいえない酷さですよ(苦笑)。その程度の事が今の日本人は守れなくなっているのかという、なんともいえない情けなさがこみ上げてきましたよ。若干思考停止しちゃうくらいの勢いですよ。

なんといいますか、車内での携帯電話の話から、如何に今の日本人が公私の区別が出来ないほどに気配りやらというものが出来ていないかという話になってしまいましたが、書き上げてみて、なんとも情けない気持ちにとらわれています。勿論我が身も振り返っての事ですが(苦笑)。皆さんも、くれぐれも「車内ではお静かに」というマナーを持って、公共の交通機関を利用して下さいませ。



以上、電車内で大イビキをかいて寝ていたらしく
車掌さんに「大丈夫ですか?」と気まずそうに
起こされた経験のある春九堂がお届けしました。

(多分、これも周りを不愉快にする迷惑行為だよね…)



[ 2006年07月05日-14:04 ]  



想い出のお店バトン


汁の人から表題のバトンが回ってきました。このバトン以前から『S&S』の話は聞いていて、僕もあの当たりはバイクでウロウロしていた時期があるので、店の存在は知っていたりしたわけですが、未だに未訪問。

勿論閉店はして欲しくないので、それを前提にはしたくはないのだけれども、なんとか閉店前に一度は行ってみたいものです。しかし予定がきゅうきゅうで、それもままならないことになりそうなのですが…。むむぅ。頑張れおはらん、俺がハンバーグを食べられるその日まで。

とまぁそんなわけで『想い出のお店バトン』、やってみたいと思います。「お店」っていうところがいいよね。駄菓子屋さんて、そういえば「お店屋さん」って呼んでたなあ。なんとも曖昧な表現ではあるのだけれども、それだけ子どもが欲しがる全てのものが置いてあったわけなんでしょうね。ではいってみましょう。でも悩むなあ、これは。


『(もう一度行きたい…) 想い出のお店バトン 』

1. お店の名前と簡単な場所を教えてください
『レストラン&BAR Sure』。JR池袋駅北口を上がって線路沿いを真っ直ぐ。線路高架の手前の信号を左折したところの『ビジネスホテルレイ』地下1階に、そのお店はありました。ハイネケンのボトル看板が目印でしたね。点灯していれば営業中。


2. そこは何屋さんですか?
BARです。裏メニュー的なフード類もどれも素晴らしく美味しかったのですが、基本的にはお酒を飲むところでした。ブームより前にダーツマシンが2台おいてあり、後年には「ダーツバー」の銘を冠していましたが、基本は骨太なBARでしたね。


3. そのお店との出会いと、その時の感想を教えてください
出会いはまだ二十代そこそこの頃でした。久しぶりに会った高校の同級生が紹介してくれて、池袋で飲み歩いた後に連れて行ってくれました。

最初の感想かー。なにしろガキでしたし、料理もそこそこ出来て日本酒一辺倒だった僕は「外で原価考えたらバカみたいな金額を払って酒を飲む」事にまるで意義を見いだせなかったので、ただただ「うへえ高そうだなあ…」としか思わなかったかな。そして絵に描いたようなBARのスタイルに正直面食らいました。あとマスターが渋くてかっこよかった(笑)。


4. どれくらいのペースで通っていましたか?
都心が遠い埼玉県民なので、月一ペースくらいかな。短ければ週2とか週1とかもありました。間に2年くらい行かない時もあったのだけれど、池袋で遊ぶときのシメは必ずそこでしたね。


5. 誰と行く事が多かったですか?
いつのまにか自分にとって「とっておき」の店になっていたので、「その店を紹介してもいい」と思える友人とだけ行くようになりましたね。なんていうか居酒屋ムードで飲まれてもBARの雰囲気を壊すし、お酒が飲めない人をただ連れて行っても退屈だろうしという感じで。


6. そのお店の一番のウリ(商品、メニュー、店員など)は何ですか?
全てです。でもマスターのバーテンダーとしての確かな技術、そして人柄だったかなあ。広くてしっかりした石板のカウンターや、バックバーの充実さ、そして裏メニューのフードなんかも素晴らしかったけど、なによりも人柄が一番だったと思います。僕の知る中でも最高に格好佳い大人の男でした。


7. そのお店は今もありますか?
昨年末に惜しまれながら閉店しました。


8. 7で「ない」と答えた方、お店の閉店時の状況を教えてください
思い出すだけで既に涙が出そうです。ラストウイークは何回通ったんだっけなあ。最終日は現在・過去の常連が大集合して、とにかく尋常じゃない盛り上がりでした。開店直後から押しかけて、ずーっと居座り続けました。閉店のその時まで。

最後はマスターと記念撮影をしたり、お礼の品を贈ったりしつつ、僕にダーツを教えてくれた最初の達人であったマスターとラストゲームを行い、マスターのオリジナルバレルを頂きました。変な云い方になりますが、これは僕にとって、そのお店の「形見」のようなものです。

友人達もマスターから様々な形見分けをしてもらったりしつつ、本当に最後の瞬間まで立ち会いました。お店の歴史の中では僕みたいな半可な常連の存在は小さなものですけれども、そこに立ち会えたことが嬉しく、なんというか気恥ずかしい言葉を使えば、その日その時は、一つの青春時代からの卒業式のような気持ちでした。


9. そのお店について語りたいだけ語ってください
なにを語ればいいのか迷ってしまいますね。水商売をやったときのトラウマ的なモノから洋酒が嫌いになり、ビール以外は受け付けなくなっていた僕に、美味しいカクテルと、その楽しみ方を教えてくれたお店であり、今の僕の最大の趣味となっているダーツを教えてくれたお店でもあります。

そして多くの友情がこの店で花開きましたし、多くの出会いもありました。とかく居場所を見失いがちな二十代後半という暗蒼色な青春期にあって、このお店は確かにBAR=止まり木だったのだと思います。

今でも池袋のその界隈を歩いていると、緑色に照るハイネケンのボトル看板を探してしまう自分がいて、胸を締め付けられることがあります。このお店とマスターが残してくれたものは、あまりにも大きすぎましたから。

子どもの頃に小説や映画で覗き見た大人の世界。青年になって成人して、斜に構えながらも何処かで憧れていた世界。その全てが、このお店にはありました。だからと繋げるのは巧い云い方ではありませんが、僕のこのお店に対する感情は、初恋にも似た憧憬だったのだと今は思うのです。


10. そのお店に何か言葉をかけてあげるとしたら何でしょう?
万もの言霊を込めて、一言だけ。

「ありがとう」

それに尽きます。


※最後にこのバトンを回す3人の名前を教えてください

自由に持って行っちゃって下さい。メールで報告をいただければ、読みに行きますしヒトコト欄で紹介させていただきますのでー。


[ 2006年07月19日-17:37 ]  



ダーツやってますか?


若干更新の間が明いてしまいました。いやはや夏は中々に忙しいもんです。そのうち色々なモノがアレしたりすると思いますので、楽しみにして下さっている一部の皆様はアレをアレしたりしていてくださいませ(よくわからない)


さて、最近話題が少ないせいか、何通か「家元、最近ダーツやってますか?」というようなメールをいただいたりします。結論から申し上げますと、やってます。むしろバリバリやりまくっています。

とはいってもダーツバーに投げに行く機会は週1回あるかないかで、あとは自宅か自分のダーツチームのメンバー達と練習会と称して市内に出来た投げ放題の店にいっては夜明かし投げ込んでいます。

しかしながら全体の練習量はめっきり減ってしまいました。理由は簡単で肘をぶっ壊してしまったからです(笑)。大体三ヶ月くらい前でしょうか、自分の中でそこそこのセオリーが出来上がってきて、まだまだ甘いところはあれども、納得できるダーツが打てるようになってはきていたんですよね。

ですが、その投げ方ではどうしても、あと一歩が足りないという状況になってきまして、色々な投げ方を試していたんです。まさに暗中模索。しかしその中で一つたどり着いた「深くテイクバックしてスパっと投げる」というのを身体にしみこませようとガンガン投げ込んでいたら、どうにも肘をおかしくしてしまったようで…。

僕の場合は腕がぶっといので、深くテイクバックする=肘を深く曲げる→若干無理矢理曲げる→しかも肘を動かさないように絞り込む→腱を傷めるという感じでして。まぁそもそもが、ろくすっぽ準備運動もしないでガンガン投げ込んでいたら、当たり前ですけどどっかおかしくしますよねえ…。皆さんも本当に気をつけて下さい。


でも、まぁいい機会だとは思うんですよね。肘が痛みで逃げるような、そしてそれを押さえ込まなくてはいけないような負担のかかるテイクバックをしていたら、おそかれ早かれ肘はダメになったでしょうし、そんな投げ方でこの先何十年も続けていくことは無理ですから。

そんなわけで現在肘をこれ以上傷めないようにカバーしつつ、フォームを模索しながら、投げているといった感じです。最近ダーツライブであんまり打っていないので、どうなのかはわかりませんが、ライブレーティングは10から7まで下落しました(笑)。ほんと頑張らないといけませんねえ。

まぁ、そんな中でも地元のダーツバー連盟(?)の週一のリーグ戦には、自分のダーツチームで参戦しているんですけどね(笑)。個人勝率もそこそこいいのですが、折り返しも過ぎた現状では既にチーム優勝はなくなりましたが、次回も同じチームで参加出来たら、相当いいところまでいけそうな感じです。これも今後楽しみですね。


そんなわけで相変わらずダーツにハマっていますですよ。大きな大会に出るなどの目標が今のところないので、エンジョイしつつ少しずつ腕を上げられていったらなあ、なんてことを考えたりしています。


そして現在のメインバレルですが…。














卓上旋盤買って、バリバリ自作してます。
(既に5作品くらい作ってます。ハマり方間違ってるよね…うん)



[ 2006年07月27日-12:41 ]  



薔薇族再々復刊に寄せて。


先日のことです。友人にこんなことを云われました。

「家元はホントにホモネタが好きだよねえ」

ああ、なんということでしょう!非道く心外な話です。みやもと春九堂(三十歳)、健全極まりない成人男性です。

おっぱいが大好きで大好きで大好きで大好きで、多分原稿用紙換算で1000枚以上「大好き」と書き連ねても足りないくらいに、おっぱいが大好きな健全極まりない男性であります。文字数換算で「大好き」133333回+「大」1文字ですよ。

そんなわけで、友人には猛抗議をしたわけですが、友人は柳に風といった風の涼しげな顔でそれを受け流すと「ほうほう、それじゃあねえ…」といって、畳みかけるように僕が如何にホモネタ好きであるかを立証しようとしました。

曰く、僕のipodの中に、洋楽ならばマイケル・ジャクソン、カルチャークラブ、クイーン、ペットショップボーイズ、デッドオアアライブなどが中心であること。邦楽ならば槇原敬之と平井堅のベストアルバムがたっぷり濃厚に入っていることを指摘。

さらにお笑い芸人でオススメはと聞かれると即座に「おぎやはぎのホモネタ!!」と嬉しそうに応えることを指摘。ついでに、ホモネタ好きでもない人間が唐突にこんな本の制作に携わったりタイトルを命名したりはしないということを指摘。


そうした指摘を重ねられるほどに、僕は自分でも「ああ、俺ってホモネタ大好きっこなんだなぁ…」と納得してきてしまいました。


とまぁそんな納得を迎えた僕なわけですが、そんなこととはあまり関係なく、伝統のゲイ雑誌でありヤマジュンこと山川純一氏を世に送り出した『薔薇族』が二度の廃刊を経て、再度復活を果たしたそうです。まさに不死鳥の如し。昭和の「文化」目撃者である伊藤文學編集長の熱意と執念を感じます。

こうなると、生き延びることこそが使命のような感もあり、是非頑張って欲しいところ。そしてこの再々復刊第一号にはヤマジュンの『ひとつの青春が終わった』が収録されています。

確か既刊単行本「君にニャンニャン」「兄貴にド・キ・ド・キ」「ワクワクBOY」の3冊には未収録で「ウホッ!!いい男たち 〜ヤマジュン・パーフェクト」には収録されているものの、こちらは既に完売しておりますので、ヤマジュンファンとしては見逃すべからざるチャンスになるかと思います。

といっても雑誌『薔薇族』は、やはり特別嗜好品なわけで、そうそう簡単に購入は出来ないとは思いますけれども(笑)。



ちなみに僕は取扱店にて
直接購入予定です。

(新宿2丁目のど真ん中に立ってやるぜ!)



[ 2006年07月28日-21:26 ]  



ブラックにしてくれ。


といってもコーヒーではなく、どちらかといえばコーヒーはカフェオレが一番好きであり、そんなこととは全く関係なく、仮面ライダーの話です。

1987年放送開始ですから、放送当時僕は12歳。普通に育っていれば「特撮ヒーロー」からはとうの昔に卒業していていい年齢だった僕は、唐突に「仮面ライダーBLACK」の熱心なファンになっていたんですよね。

といっても、それまでの世代直撃であったはずの1号・2号・V3あたりからの仮面ライダーには、さして関心がなかった、というか、そもそもがさして特撮ヒーロー好きの子どもではなかったんですけどねー。何故、BLACKにだけ突然興味を持ってしまったのかは、自分でもよくわからないんですよ。なんであの時間にテレビをつけていたんだろう自分。

ですがまぁ、ディスクシステムの仮面ライダーBLACKのゲームを発売日当日に購入し、ライダーのバク転アクロバットな姿にしびれたり、相手の弱点を見極め、バイタルチャージシステムでライダーキックかライダーパンチにライフを削って攻撃力を振り分け、乾坤一擲の一撃を繰り出すという、なんともシビアなボス戦にしびれたりもしていたので、やっぱり相当熱心なファンだったといえると思います。


まぁそんなコアな話はともかくとして、BLACKなんですよ。元々この作品は仮面ライダーシリーズの初期コンセプトへの原点回帰として作られたライダーなんですよね。ストーリー的には、同年同月同日に生まれ、兄弟同然に育てられた秋月信彦と南光太郎が悪の組織の誘拐され、次期後継者として怪奇バッタ男に肉体を改造されてしまうというところから始まるわけです。

で、その最中に、光太郎のみが洗脳前に逃げ出す事が出来て、彼の養父であり親友の実父である秋月教授の話で、改造されてしまった自分達を取り巻く数奇な悲劇的運命を知り、彼を追う悪の秘密結社ゴルゴムを相手取り、仮面ライダーBLACKと名乗って親友を助け出すことを大目標として闘うという、なんとも悲しい背景を背負ったストーリーだったわけです。改造されて人間ではなくなってしまった自分に悩んだり、親友を放置して逃げてきてしまったことを悔いたり、色々背負い込むわけですよ。


しかも助け出そうとしていた信彦はすっかり洗脳されてしまい、記憶は知識として残っているものの、再会時にはすっかり悪の後継者・シャドームーンになってしまっていたり、そのシャドームーンの登場時のシルエットもかっこよかったりしたんですよねー。

なおかつ、関節のスキマから筋組織的なモノが覗いたりしている、どちらかといえばチョイグロな有機的デザインのBLACKに対して、シャドームーンはシルバーメタリックなメカメカしいボディという、若干ライダー以上にライダーっぽいスタイルだったりもして、これもまたかなり興奮したわけですよ。

そもそもがライダー同士の闘い(実際にはライダーではなくバッタ改造人間だが、一応制作側ではライダー認識されているらしい)というのは、昨今の平成ライダーシリーズと違って禁じ手中の禁じ手であり、そんなシーンが繰り広げられ、なおかつそれが親友同士であり、孤独な闘いを乗り越えてでも救いたい相手だったという葛藤がまたよかったわけです。

こうした悲劇的な初期設定と展開、最終回の若干救いようのないエンディング、総じて最後の最後まで影を背負いまくりの主人公、というような様々な設定によるストーリーは、いわば相当「大人向け」であったと思うんですよね。だからこそ突然、それまで興味の無かった仮面ライダーに引きこまれたのかもしれません。


で、そんな葛藤と悲しみを背負ったヒーロー・南光太郎を演じていたのが、俳優の倉田てつをさん。後にNHK朝の連ドラ、しかも名作「君の名は」のリメイクで、主人公・後宮春樹役に抜擢された俳優さんです。

高身長・小顔・足長のプロフィールは、それまでのどちらかというと柔道家・空手家的な体型のヒーローとは一線を画していましたし、「笑っていいとも」の「いい男選手権」に登場時には、用意された水泳選手の顔出し穴つきカキワリから、はにかんだ笑顔を覗かせて会場中の「キャー」をかっさらったほどでした(よく覚えてんなそんなもん)

しかし、そんな倉田てつをさんにも弱点がありました。劇中ではさほど気にならなかったのですが、若干野太いこもりがちな声質であり、BLACKの主題歌「仮面ライダーBLACK」は、作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童というスーパーヒットメーカーコンビによる傑作ソングであったにも関わらず、歌手ではない倉田てつを本人に唱わせるという大冒険に踏み切ってしまったため、歴代ライダー主題歌の中では、異彩を放つ…というか、若干黒歴史的な扱いになってしまったりしたんです。


ちなみにBLACKは原作の「仮面ライダーBLACK」のデザインにより近づけた続編シリーズ「仮面ライダーBLACK RX」に、ストーリー・主役ごと引き継がれるのですが、その際の主題歌は、ばっちりとヒーローソングの雄・宮内タカユキ氏に変更され、独特の節回しと強烈なヒーローソングボイスに「やはりこうでなくては!」と納得と感動をおぼえ、てつをソングと対比したときの、あまりの落差に軽く目眩をおぼえるほどでした。

(まぁ余談ですがRXは無印BLACKが硬派だったのに比べて、生まれたときからの宿命に巻き込まれて、両親は殺されるわ、改造人間にされるわ、養父も殺されるわ、兄弟のように育てられた親友をその手にかけることになるわと、色々背負い込みすぎの暗色ヒーローであるはずの南光太郎が、妙に明るい性格になってしまっていたり、ヘリコプターの操縦免許は取っちゃうわ、無印BLACKはライダーキックとライダーパンチという肉体を武器にしたバトルだったのに、リボルケインとかいう光剣を使うようになるわ、そのフィニッシュ技は格好良く構えて跳んだと思ったら「仁義なき戦い」のヤクザ刺し風の刺し貫き方だったり、怒りの王子バイオライダーだとか、悲しみの王子ロボライダーだとかに変身してボルティックシューターとかいう銃を使うわ、ライドロンとかいう車に乗って仮面ドライバーになっちゃうわ、バイクも何台も所持しちゃうわ、死んだはずのシャドームーンは実は生きていて登場しちゃうわで、いわゆる続編にありがちな、かなりしっちゃかめっちゃかな状態の展開になってしまっていて、主題歌以外のクオリティは激下がりして興醒めした覚えがあったりするんですけどね。うん、まぁ余談です)

でも、かといって倉田てつをが音痴かといえばそんなことはないんですよね。リズム感がないかといえばそんなこともないんです。彼なりに必死に唱い、旋律を追いかけ、最後の「ブラーック」では、肺腑にある空気とエネルギーを熱い吐息としてMAXで吐き出すが如き、迫力あるセクシーボイスを披露してくれているほどです。

しかしそれでも、それでもなお、やはり歴代ライダーソングの中では、この曲は黒歴史寄りなんです。おそらく、曲も歌詞もよく、本編のストーリーや、倉田てつをさん自身の芝居もよく、全体的な完成度が極めて高い中での主題歌だったので、余計に浮き上がってしまったのかもしれません。

ですが、毎週欠かさず観ていた僕にしてみれば、未だにこの曲を耳にしたりカラオケで歌ったりすれば「6年生にもなって仮面ライダー」という若干の羞恥心はあったけれども、それでも毎週楽しみにしていた日曜の朝を思い出すことができる、想い出の名曲であることに変わりはないんですけどね。


さて話はかわって、昨今話題のYOUTUBEには、恐るべき種類と量の映像がアップロードされていまして、特撮関係の映像も充実しているんですよね。無論、歴代仮面ライダーのオープニング・エンディングや変身シーンも存在し、BLACKのそれも例外ではないのですが、とんでもなくマニアックな映像がアップロードされていたので紹介させていただきます。


なんと倉田てつをによる「仮面ライダーBLACK」
レコーディング風景風のPV
です。




うーわー…すーげえー…。
(徹夜明けにうっかり800cc献血しちゃった形相で)




しかしこれ、本当に凄い。気合いを入れる為か、南光太郎顔、つまり眉毛を吊り上げ硬直した表情で懸命にレコードディングに臨むてつを。時折若干目を泳がせながら色々な意味でガッチリ唱う若き日のてつを。

そして最も注目すべきは終盤の右サイドからの映像です。右拳を握り、直角に曲げた腕を上下させ、なおかつ左足でもリズムをとるてつを。「beat it」当時のマイケル・ジャクソン風衣装とも相まって、その若干必死気味なリズムの取り方をするてつをに、もう、うっとりクラクラです。言い換えれば激萌えといっても過言ではないほどです。てつをかっこいいよてつを(明らかに的を外した表情で)


本編でこんな映像を見た覚えはないので、なにかの特典映像、もしくは特番映像の一部なんだと思います。おそらく仮面ライダーBLACK番宣番組で、主題歌レコーディングの現場にナビゲーターが潜入という体で撮られたものなんでしょう。なんにせよ非常にレアかつ癒される動画なので、興味のある人は是非視聴の上、ある意味伝説にまで昇華した「てつをヴォイス」を堪能して欲しいと思います。

ちなみにYOUTUBEには仮面ライダーBLACK本編の英語字幕動画が何本かアップされているので、悲しみを背負いまくりのヒーロー仮面ライダーBLACKの勇姿や、脳改造を逃れた南光太郎が、腰巻き一枚姿でバトルホッパー(バイク)にまたがって大逃走という、ある意味で激萌えシーンに身悶えて欲しいと思います(第2話収録)



それにしても、前日の『薔薇族』復活話の直後に
今日の「倉田てつを激萌え」発言という流れは
若干問題あったような気がします。

(うん、でもまぁ、倉田てつをは僕の初恋の人ですから(何?)



[ 2006年07月30日-23:05 ]