じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)


【過去のつぶやき】
 2006年08月の【家元のつぶやき】のバックナンバーです。

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2006年08月のバックナンバー

最強の武器。(2006年08月02日-16:20)
どうこういうつもりはなかったんですが(2006年08月03日-04:16)
お詫びの品という罠。(2006年08月06日-18:12)
ほとばしる若き日の情熱を今一度。(2006年08月10日-12:11)
記憶鮮明。(2006年08月14日-01:38)
終戦の日から一夜明けて(2006年08月16日-04:24)
巨匠・稲川淳二先生風にプロレスを語ってみる。(2006年08月17日-16:06)
よっしゃ!リベンジやー!(スペイン語で)(2006年08月22日-16:17)
夏も終わりですが(2006年08月25日-06:13)
ほんとうに有名だった怖い話。(2006年08月30日-07:13)


最強の武器。


先日、都内のファミレスに客を装った男が押し入り、女性店員に刃物の様なものを見せながら脅し、売上金を狙った強盗をしようとしたところ、厨房にいた調理担当店員がラーメンをゆでるために沸かしていた熱湯をボウルに入れて、男にぶっかけて撃退したという事件がありました。

なんとも機転の利いた撃退法ですが、実際これは極めて有効な対処方法だったと思います。特に夏場ですから着衣の露出も多いですし生地自体も薄いですから、熱湯の威力たるや相当なものだと思いますしね。

人間は本能的に極度の熱や冷感、その他刺激に対して、そこから離れようとする反射行動を起こしますから、熱湯とはいえ80〜90度程度の温度であっても、相手を無力化させるには十分な温度だと思います。


また刃物vs熱湯という対立構造の中でも、液体という攻撃方法自体が極めて有効なんですよね。というのも、刃物や打撃、場合によっては銃弾なども、その攻撃は「点」であり「線」ですが、液体は「面」や「塊」などの有機的な広がりをみせるわけでして、そうした大量の液体に対処する術はないんです。

つまり、どんな格闘技や体芸の達人であっても、至近距離から液体を身体に浴びせかけられた場合、完全にはかわすことはできないわけです。勿論間合い次第では飛び退ることが可能な場合もあるでしょうけれども、至近距離から不意を突いた攻撃であれば十中八九かわすことは出来ません。


余談ですが、かつて梶原一輝原作のマンガ『悪役ブルース』において、主人公の一人であるプラチナ・アポロの父について、こんなエピソードがありました。

彼はギリシャ系の美男子でテクニックにも優れたスーパースターでしたが、サーキット中に地元ギャングの息がかかったフットボール上がりのレスラーとの試合で、八百長をするようにもちかけられます。ですが硬派でならす彼はその申し出を断り、相手レスラーをリング上でギッタンギッタンにしてしまうんです。

無論、泥を塗られたギャングとしては彼に制裁を加えようとするわけですが、チンピラどもがナイフをもって襲いかかった程度では、逆に撃退されてしまい歯がたちません。そこでギャングは、彼の不意を突き、濃硫酸をアポロの父の顔面目掛けてぶちまけるという非道の所業を行って報復を果たしたわけです。


アポロの父は硫酸を防ぎきれず、顔は非道く焼けただれ、両眼を失明。かつて美男子であった容貌は見る影もなくなり、怪物のような顔になってしまいます。プロレスもできなくなってしまい、財産も失ったアポロの父は、残されたその強靱な肉体をもって、最悪の職業「殴られ屋」となるのです。

幼いアポロに手を引かれ、酒場のゴロツキに自らを殴らせる日々。そんな中でアポロは次第に父に殴りかかるゴロツキ達の身体の動きを目に焼き付け、相手の動きを読み指示をするという能力を養っていきます。

その能力をもって、アポロの父は「闇のプロレス」に登場。盲目ながらもアポロが奏でるギターの旋律による指示に従って闘うようになります。最初こそ苦戦したものの、次第にアポロはその才能を開花、相手の動きに対応して指示をするのではなく、相手の動きを先読みして父に指示を送るという、天才を発揮するようになるのです。すげー(若干棒読みで)


アポロ親子は闇のプロレスで常勝無敗となり、彼の奏でるブルースは悪魔の旋律と呼ばれるようになり、そんなキャリアを持って、青年になったアポロ自身も闇のプロレスで活躍。

幼少時代から血生臭い現場を目に焼き付け、父親譲りのレスリングテクニックと、各地を渡って幼い頃から身につけさせられたムエタイ、カンフーなどの英才教育を受けた彼は、まさに華麗なる天才にして悪魔の如き強さと残忍さを併せ持った「悪魔の子」として讃えられます。

 プラチナ・アポロ
 プラチナ・アポロ
 闇に輝く不吉な星よ
 神の子 イエス・キリストならば
 我らがアポロは 悪魔の子

彼が闇のプロレスの会場に登場するや、観客は、そんな歌を唱って彼に声援を送るのでした――。


というように、故・梶原一騎先生も液体での攻撃は避けられないとおっしゃっておられるわけでして、非常に有効な攻撃なんですよ。まぁ熱湯を浴びせられた相手がどうなるかに関しては、開祖・片岡鶴太郎尊師、現代の巨匠・上島竜平師匠、東の雄・出川哲朗、西の雄・山崎邦正らの資料をそれぞれ調べていただければと思います。


ちなみに前述の『悪役ブルース』は、その後、梶原一騎先生が逮捕され連載が中止、さらに連載誌が消滅するわ、梶原先生が亡くなってしまうわというグダグダの嵐に巻き込まれ、最終的には梶原一輝先生の実弟である真樹日佐夫先生に原作を委ねられるという、なんとも素晴らしくグダグダな展開を見せ、その内容も相当グダグダになっていくのですが、まぁソレはアレでナニかなと。

ちなみに本作の本当の主役は吹雪純也。空手界で将来を嘱望されていたが、大会にて喉を狙った抜き手が対戦相手が体勢を崩したため反則の目突きになってしまうという事故を起こし反則負けするが「なんでもありが空手だろう」などと発言してしまい、空手界を追放。さらに対戦相手の治療費を稼ぐため、テレビ番組のバラエティ企画、悪役レスラーの「ミスターゼロを倒しまショー」に出演するも、ハンデとして後ろ手に手錠をかけられた状態のゼロに秒殺されてしまう。吹雪はその後ゼロへのリベンジを願い出るが、アメリカへ渡って空手の試割エキシビジョンをするようゼロに要請され、二人は渡米。お互いに衝突を繰り返しながらも友情を深めていき、純はカラテキッドとしてレスラーデビュー。ジャパニーズレッグラリアット(のど元への跳び回し蹴り)を武器に、アメリカのWWFやNWAのリングにあがるが、売り出し中のカラテキッドをエースにしようという筋書きで、八百長を指示した会長の言を諸般の事情ではねのけてしまったため、アメリカマット界を追放されてしまう。そんな中で食い詰めた二人が最後の手段としてたどり着いたのが「闇のプロレス」であり、そこでプラチナ・アポロに出会い、ジュンは彼にボコボコのギタギタにされてしまったりするのであったというところで、先ほどの話が出てくるわけです。

まぁその後の展開はアポロがメキシコマットで華麗にデビュー。ジュンはジュンで、アポロをおいかけつつ、マスクマンのザ・カミカゼとなり、ミスターゼロのもう一つの顔というか素顔である「ガラガラ蛇のモーガン(アポロの父の親友)」に教わったヒールテクニックと関節技、空手を武器にそこそこ活躍。しかしメキシコ遠征中のタイガーマスクに完膚無きまでに叩き潰され、アポロとジュンはリベンジの為に日本へ渡るも、再び敗北(この時のアポロの逆立ち殺法とか、ジュンの三角跳びとか、ガソリンを掛けてマスクを燃やすという乱入劇とか非常に熱かった)。足を負傷したアポロは帰国してしまうが、ジュンはそのまま日本に残り、ラッシャー木村らの元国際プロレスはぐれ軍団に入り、ヒールファイトを展開するもグダグダになり失敗。はぐれ軍団も解散してしまい、タイガーも突然引退したため目標を見失いつつあったが、その後タイガーこと佐山サトルが発足した新格闘技シューティングに参加し、いつの日か佐山を打倒せんとトレーニングに励むという、クッチャクチャな終わり方でした(フォントサイズ小部分は読み飛ばし推奨)。いやーそれにしても、我ながらよく覚えているもんですねえ。


とはいえ、ここで機転を利かせて強盗を撃退した店員を讃えるだけではいかんわけです。今回の場合こそ上手くはいきましたが、お湯がかからなかったり、よしんばかかっても耐えられる程度に温度が低かったりした場合、またかけられた犯人が逃亡せずに激昂した場合などは非常に危険です。

「熱い熱い熱い!!」などと暴れ回りながらナイフを振り回して、近くにいた人が滅多刺しにならないとも限らないわけです。バケツリレーのように次の熱湯を用意して次々とかけることができれば話は別ですが、やはり非常に危険であることに変わりはありません。乾坤一擲に過ぎます。


さらに、相手が強盗目的であり、用意してきた刃物を凶器として使用するという行為を見せたという証言供述があるからこそ、今回のケースは問題にされていないのかもしれませんが、「暴力行為を予告する脅迫」という実被害に対して「熱湯による火傷」という防衛は、若干過剰防衛気味でもあると思われます。

といっても、どこに熱湯をかけたのかにもよりますが、熱湯での火傷はせいぜいI度から悪くてもII度ですし、掌一つ分の面積で体表面積の1%といいますから、まぁボウル一杯の熱湯を正面からぶっかけて全面命中したとしても、夏の着衣で考えれば、多くても全体で15%前後いくかいかないか程度でしょう火傷に関してはコチラを参照

これならばひどくても中等度、基本的には軽傷程度の火傷です。そうしたことも考えて、大きなダメージを与えすぎることなく撃退できたということで問題にされていないのかもしれませんね。

しかしこれが大鍋一杯の熱湯で全身にぶっかけたとなると話は違います。一定以上の体表面に火傷を負うと、人間は一瞬でショック症状をきたします。場合によっては、火傷自体がということではなく、そのショック症状によって命に関わる事態にもなりかねません。火傷とは非常に危険なものなのです。


ですが、記事によると犯人は「ベージュ色のジャンパーに黒ズボン」という夏にしちゃ随分と厚着をしていた様子。そこに熱湯をぶっかけられたということは、露出は随分と少なかったわけで、鍋からボウルに移した時点で相当温度は下がりますし、さらにぶっかけて着衣にかかった段階でどんどん下がりますから、かけられた段階では高くても80−90度前後。

ということは衣類に吸い込まれた分と衣服越しに感じる温度でも60−70度というところでしょう。大体煎れたてのほうじ茶くらいでしょうか?上島竜平師匠ならば「うわ!熱熱あつあツあつ!!ちょっっっなにすんだお前ら!!!!!!(帽子を叩きつけながら)」というような素敵リアクションが出来る程度の熱さだと思います。あんまり大したことないですね(笑)。

ちなみに犯人はまだ逮捕されていないそうで、これくらいの火傷なら病院に駆け込むほどのものでもないでしょうから、今頃水風呂に浸かったりオロナインを塗りたくったりしながら、いつ警察がくるかと戦々恐々としているのではなかろうかと思います。


まぁこの件で一番心配なのは、頑張った厨房担当の店員さんが、その後「熱湯コック」などと呼ばれ



「あいつを怒らせると熱湯をかけられるぜ」
などとネタにされて
傷つかないかということですね。

(そう遠くないバーミヤンなのでバイクで都内に行ったときに覗いてみようかな…)



[ 2006年08月02日-16:20 ]  



どうこういうつもりはなかったんですが


昨夜の亀田興毅選手のファン・ランダエタ選手とのWBA世界ライトフライ級王座決定戦ですが、それをして幾人かの意見で「あれはプロレスだ」というものを見かけまして、それに対して個人的に大激怒しています。

プロレスは純然たるエンターテイメントです。リング上にレフェリーは存在しますが、判定で決着がつくということはありません。乱入や反則、不透明決着で試合を終えるケースもありますが、それらはプロレスではさして問題になることではありません。

なぜならば、それすらもひっくるめてプロレスであり、プロレスにとってのジャッジとは、最終的には観客が下すものだからです。どちらが勝った負けたかではなく、試合・興行全体が、面白かったか面白くなかったか、そしていい試合だったかそうではなかったかを観客はシビアに判断します。

そしてその審判の天秤が負の方向に傾いた途端、ファンはその団体の興行に足を運ばなくなります。そして結果として団体の崩壊にすら繋がるのです。事実、そうした団体が過去に多くありました。


そうした意味でプロレスファンは非常にシビアです。つまりプロレスは対戦相手との勝負以上に、観客との勝負に勝たなくてはいけないというエンターテイメントなのです。「お金をとって試合をみせる、観客を満足させる」という「プロ」としての当たり前のことです。

プロレスは試合前に勝敗結果が決まっているのだから八百長だという意見も多数ありますが、ファンからしてみれば勝敗結果はさして重要なことではありません。勝敗を売り物にしているわけではなく、試合結果だけを楽しむものではないからです。

そもそも公然と試合結果を決めてどうこうということをしているわけでもないのですから「対観客」という視点において観客はそれを知る由もなく、観客対レスラーという構造においても、興行対観客という構造においても、やってみるまではわからない、まさに真剣勝負だと僕は考えています。

それらのことから、僕はプロレスは勝敗を重視するスポーツや競技とは全く違うエンターテイメントだと考えています。「勝敗」を売り物にするのではなく「試合」というドラマを売り物にするエンターテイメント、それがプロレスの特殊性だと思うのです。


ですがボクシングは違います。いや、違うはずでした。ボクシングは勝敗が重視される競技です。チケットを売って興行を打つという点では他のプロスポーツとなんら変わりありませんが、例えば数十万円のチケットを購入して試合を観戦し、試合がたった数秒で終わってしまったとしても、それを受け入れなければなりませんし、勝敗を売り物にしているのですから、それが当たり前のことです。

ですが昨夜行われたモノは「亀田ボクシング劇場」というボクシングという競技や、日夜懸命に練習し続けている選手を侮辱したモノだと感じました。あの試合をみて、カタルシスを得られた人はどれだけいるのでしょうか。全くボクシングを未見の人がみて、リング上で行われた攻防に「すごかったねぇ」と唸らせるようなものがあったのでしょうか。

対戦相手のランダエタ選手のテクニックにこそ目を見張るものがありましたし、初めての世界戦で12R動き続けた亀田選手の頑張りにも拍手を送りたいとは思います。ですが、これが視聴者という「観客」がもたらした結果です。これ以上でもこれ以下でもないと思います。


あんなものはプロレスではありません。少なくとも対観客に重きをおくプロレス団体の試合では、こんなことはありえないのです。あれとプロレスを同一線上において語ることは、真剣に観客を納得させ、楽しませることに腐心している真っ当なプロレス団体や所属レスラーに対しての侮辱以外の何者でもありません。

プロレスでならば、その団体だけが潰れる程度で済むような試合だったでしょう。ですが対戦相手との勝敗に重きをおき、世界中でランキングを争い、「ボクシング」という競技の歴史と伝統をもって行われる世界の名を冠する王座戦ではありえてはいけないことだったと思います。

なにやら憤りのままに書いてしまいましたが、プロレスとボクシングはまるで違うものですし、あの規模の会場で、あの時間の全国放送網を使って生放送をして、というような状況下にあっては、あのような試合や試合結果、そして終了後の観客側が持つフラストレーション度合いというものはプロレスでは起こりえません。

仮にあったとしたら、そんな団体は即潰れますし、事実として既に一つ同局で放送した団体は崩壊し、別局で同じ事をやらかした団体も潰れかけていますからね(苦笑)。

まぁ、そんなことがあってもボクシングは潰れないでしょうし、これからも亀田兄弟のボクシング劇場は続いていくでしょう。しかし今回のあれは、日本の、そしてWBAに属する世界のボクシング界に、一つの重い十字架を背負わせるような、衝撃的な出来事だったと思います。



まぁ個人的には一番衝撃的だったのは
試合前の国歌独唱だったんですけどね。

(衝撃的過ぎてお茶吹きました。国歌聴いて笑ったの初めてだよ。T-BOLANファンの人ごめんなさい

面白すぎたので追記です。

今回の亀田選手の対戦相手であるフアン・ランダエタ選手はベネズエラの方なのですが、試合を観た人々から「今回の試合の判定はひどかった。貴方が真のチャンピオンです」というようなランダエタ選手への応援メッセージメールが、在ベネズエラ日本大使館に大量に送付されているそうです(笑)。

いや、本来なら在日本ベネズエラ大使館に送るべきなんじゃないでしょうか(笑)。在ベネズエラ日本大使館にいるのは、日本人ですよ(笑)?まぁなにかの手違いか勘違いかでそうなったかベネズエラ大使館でググるとトップに来るのが在ベネズエラ日本大使館なのでそうなったかというところなのでしょう(笑)。

それにしても、素晴らしいのは、在ベネズエラ日本大使館のサイト運営担当の方です。この珍事件(?)にも冷静に対処し、同サイトには

お知らせ(ランダエタ選手へのメール)

 世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦のフアン・ランダエタ選手への沢山の激励のメールを送り頂いていますが、送付頂きましたメールつきましては、フアン・ランダエタ選手がベネズエラに帰国次第、同選手にお渡ししたいと思います。

 なお、当館はベネズエラに所在する日本大使館で、東京に所在するベネズエラ大使館ではございませんのでお知らせ致します。
という文章が(笑)。

ランダエタ選手へメッセージが届くのはありがたいことですが、公費運営とはいえ「本当にお疲れさまです」と、ねぎらいたい心境です。この爽やか過ぎる余談によって、亀田ボクシング劇場でささくれた気持ちが随分と癒されましたね(笑)。いやー笑った笑った。


[ 2006年08月03日-04:16 ]  



お詫びの品という罠。


数日前、コンビニエンスストアに寄ったときのことです。

その日は僕が購読している『週刊プロレス』の発売日だったんですが、この週刊プロレス、最近は部数が落ちているせいか、コンビニによっては週によって入荷したり入荷しなかったりするんですよね。

おまけに入荷したとしても当然少部数なので、昼過ぎには売り切れていることも多数です。そういうわけで、どうしてもその週のモノが欲しい場合は、出来る限り発売日当日に近所のコンビニを、本が見つかるまで回るという巡礼的行動をしなくてはならないわけです。

ちなみに出版元であるベースボールマガジン社や、その他定期購読サービスに申し込むという方法もあるにはあるんですが、僕にとってはNGなんですよね。なぜかというとプロレスファン歴も長くなってくると、倦怠期みたいなモノが訪れることもありまして、例えば期待していた興行や試合で、とんでもなくしょっぱい試合や悪い方向での期待外れという裏切り行為を喰らうと、その団体だけではなく、しばらくプロレス界全体がイヤになることもあります。そうなりますと、速報性があるわけでもなく、必要な情報はネットで収集出来るという環境もあるわけですから、そんな興味を失った状態ではプロレス専門誌なんかにはまるで価値を見いだせなくなるわけですよ。そんな雑誌を購読し続けるなんて、金をドブに捨てるようなもんですから、却下なわけです。

まぁ、僕にはバイクという手軽な足があるものですから、そうそう苦ではないのですが、それでも何件もコンビニを回るのはさすがに労ではあります。なにしろ自宅から1kmほどの一番近いところからはじまって、一番遠いところでは5km程先(笑)。その間に10件ほどのコンビニを回るわけですから面倒っちゃ面倒なわけです。


さて、その日は5件目、大体自宅から3kmほど離れたセブンイレブンにて、ようやく週刊プロレスを手に入れることが出来ました。ついでに食料も買い込み、飲み物なども購入したわけですが、レジのおばちゃんが、見るからに若干やる気ナッシングな方でして。

後に数人ならんでいるにもかかわらず、ちょーっとグダグダな感じで作業してたんですよね。そんなもんですから僕も少々イライラさせられまして、後で控えてる人も舌打ちしたりとかしてますしね。いや気持ちはわかりますけどね(苦笑)。

ようやく支払いを終えて商品の入った袋を受け取って、若干急ぎ気味に店を出て、メットインに荷物を放り込んで帰ったわけなんですが、帰宅後に中身をみてビックリ。なんと一番のお目当てであった週刊プロレスが入っていないじゃあないですか。

まさかバイクのメットインの中に忘れたのかと、外に出て調べてみたんですが、メットインの中にもありません。ご存じのようにコンビニの商品梱包は店員さんのお仕事です。代金を支払って、梱包された袋を受け取るわけですから、責任の所在は店員さんにあるわけで…。


まぁそれでもレジも立て込んでいましたから、仕方ないかなぁと思いつつ、レシートをみて電話をしてみたんです、その時は「これから取りに行きますんで」というつもりでね。ところが電話に出た人に用件を伝えたところ「確認してまいりますので」と云って保留にされ、十分以上待たされた挙げ句戻ってきた第一声が「あー、こちらでお預かりしてますね」というものだったんですよ。

おいおい、その言いぐさはないだろう、と。おとなげないとは思いますが、正直カチンと来ました。第一声が「申し訳ありません」なりなんなりで、ミスへの詫びがあって然るべきだと思うんですよ。それが「お預かり」とは何事だと。こちとら預けた覚えはねえよと。

なのでそのままストレートに「お預かりって、そちらの梱包ミスですよね?預けた覚えはないんですが」と、少々怒気をはらんだ声で云ったんですよねー。いや、本当におとなげない。お恥ずかしい。

するとさすがに相手もマズイと思ったのか、慌てた風情で急に態度どころか声色まで変えまして。「大変申し訳ありませんでした。これからお届けに伺いますので、ご住所と連絡先をお教え願えませんか」と云われたんですよ。

いや別に取りに行くからいいよとか思ったんですが、急に職業意識に目覚めたのか、恐縮しまくりで「お届けしますので」と繰り返すので、結局持ってきてもらうことになったんです。


電話を置いてから15分後くらいでしょうか、玄関のチャイムが鳴ったので出てみると先ほどの電話の相手らしいセブンイレブンの制服を着た男性が来ていまして。「大変申し訳ありませんでした…こちらお詫びにもなりませんが…」と、2つの袋を渡したんです。

一方は週刊プロレスですが、もう一方はお詫びの品ということなんでしょう。まぁ断るのもアレなんで、受け取ったんわけですが、玄関先でもう一方の袋を開けてみると、中には二本の「酸素水」500mlボトルが入っていました。

まぁたったそれだけの出来事なんですけれ、なんといいますか、ちょっとしたミスでコンビニの仕事も大変だなぁと思いましたね。


で、まぁいただいたもんはいただいたもんなんで、ありがたく「酸素水」を飲んでみたんですが…なんですかね、これ。どえらいマズいんですけども。蒸留水みたいな味がします。人工的な味の水といいますか…旨味もなにもないんですよね。ミネラルウォーターとかと違って。しかもそれが2本。ええっと?なにこれ、いやがらせ?

いやまぁ実際は「お詫びの品」ってことで、選んで持ってきたら「俺、これ飲めないんだけど」というような事になるのを避ける為に、お茶でもジュースでもなく水にしたんでしょうけども(笑)。

それにしてもマズイです。結構水は色々なの飲んでるつもりなんですけど、この「酸素水」なるものは、群を抜いてマズイですね。こんな思いしてまで身体に酸素いれてどうなるっていうんでしょう。5倍の酸素っていわれてもねぇ。どうなんだアサヒ飲料。

それともあれですかね、僕が電話口でイラついてたから酸素多く摂らせてリラックスさせようっていう算段なんでしょうか。ちょっと前から流行ってた酸素バーとかそんな感じで。うーん、やるなセブンイレブン!ならばその意気込み、飲み込んでくれよう!!(多分絶対違う)



でもやっぱりマズイので
残る一本は冷蔵庫の肥やし確定です。

(水割りとか作ったら、美味いのかなぁ…)



[ 2006年08月06日-18:12 ]  



ほとばしる若き日の情熱を今一度。


「愛している」と唱えることで、私の想いが少しでも貴方に伝わるならば、私は何度でも唱えましょう。

ですが何度その言葉を繰り返しても、私の想いの深さには遠く及ぶことはありません。

百度繰り返しても微々たるものなのです。千も万も変わりはありません。

遠く億兆や那由他の向こう、無量の彼方に繰り返したとしても、私の想いの全てを貴方に伝えることはできないでしょう。

言葉に意味がないのではなく、私の想いが深すぎるのです。


ですが、それでも私は、この言葉を繰り返すでしょう。そうせずにはいられないのです。

暗い闇の中を彷徨い歩く私にとって、この言葉は幽かなる灯火になるのです。

届かない想いであっても、かすかな温もりと光を与えてくれる希望なのです。

まるで、まだ目の利かない赤ん坊が、それでも必死に手を伸ばして母を求めるように。

私は求め、繰り返し続けるでしょう。


貴方に私の想いが少しでも伝わるように。

ただただ想いと願いとを込めて――。



――愛しています。おっぱいを。



という壮絶なオチを含んだセリフを必死に覚えさせられる夢を見て、今朝はぐっしょりと汗をかいて起きた春九堂です。ちなみに夢の中では監督らしき人に、呼吸のタイミングやら「ここまでは一息で」「畳みかけるように」「トーンを落として」とか演技指導までされているようでした。なんだこれ。

あのまま夢を見続けていたら、一体なにをやらされていたんだろうと不安だったり楽しみ半分だったりするのですが、なんでこんな夢を見たのかと云えば、まぁなんのことはない、先日シェイクスピアなんかの戯曲集を読んだり、久しぶりに『アマデウス』『太陽は夜も輝く』という、お気に入りの仰々しい映画を立て続けに観てしまったからなんででしょう(笑)。

まぁ最後の一文だけヒドイ事になっていますが、夢の中でさえも、お前はおっぱい大好きかと。どんだけなんだと。まぁなんというか、夏ですらね!ちょっとくらい頭おかしくなったりもしますよね!!そりゃあね!!!(でも、こんなおかしくなりかたをしているヤツは表に出しちゃあいけないと、我が事ながら他人事のように警戒したりしております)


さて閑話休題。今までも何度か書いてきましたが、かつて僕は映画が大好きな少年でした。といっても、ちょくちょく映画館に観に行けるほど小遣いが充実していたわけでもないので、もっぱらテレビ放送とレンタルビデオがメインだったんですけどね。

各曜日のプライムタイムに放送されていた映画番組や正午過ぎから夕方前に放送されるテレビ東京系列のマイナーな映画。そして深夜の映画番組。特に土曜深夜は多いときは3局で映画を放送していたので、夜明け近くまで観ていたりしました。

で、そんな中で観た映画の一つを、ここ数年ほど無性に観たくて探しているんです。しかし監督や出演者はおろか、タイトルさえわからないので、まったくの手探り状態なんですけどね。

確か中学時代ですから、かれこれ15・6年ほど前にテレビで放送された映画ですね。ということは仮に日本でも上映されていたとしたら、それよりさらに遡ること5年6年の作品といったところではないかと思います。

というのも、登場人物の服装やら時代設定、メイクなどや映像の荒さなんかを思い出せるだけ思い出しても、80年代より前の作品とは思えないからというだけの理由なんですが(笑)。


ジャンルでいったらサスペンススリラーというような感じになるんでしょうか。作風からして明らかにアメリカ映画だと思うのですが、覚えている限りのストーリーはこんな感じです。

***

舞台はアメリカの森や山に面した、小さな小さな田舎町。そこには小さな学校があり、学年別のクラスというわけではなく、年齢の違う子ども達が一つの教室で授業を受けている。年少者は10歳になるかならないか、一番年上の子は十代半ば前くらいで人数は10人もいなかったような。担任の教師は若い女性。

その町に逃走中の強盗犯(?)グループがやってくる。銃を持ち、顔を隠すためにパーティー用のお面タイプのマスクをつけている。透明アクリルっぽい地の上に、サンタクロースのような顔が描いてある面をつけた男がリーダー。サディスティックな凶悪犯。

彼らは生徒達を人質にして立て籠もろうとしたのか、子ども達を脅し襲う(?)。やがて女性教師と生徒達は逃げ出し(?)、森の中へと逃げるのだが犯人達はそれを追い、壮絶な人間狩り状態の逃亡・追走劇が始まる。

次第に追い詰められる子ども達だが、洞窟の中の水脈を潜り抜けてなんとか逃亡(?)。しかしどういうわけか犯人達は追いつき、彼らを殺害すると示唆。その中で追い詰められた子ども達と教師は、やがて攻撃性に目覚め、逃げるのではなく戦うことを決意する。

慣れ親しんだ森を利用して罠を仕掛け、木々の枝を折り先を鋭く削り、さらに焼きをいれて強化するなどの武器を造る。この時から、狩る者と狩られる者が逆転する。犯人達は次第に追い詰められ、最後は落とし穴にはまったかなんかしたところを、無表情な子ども達に刺されて死ぬ。

エピローグは数日後の風景。いつも通り何事もなかったかのように授業をしている教室。その後にはホルマリン漬けにされた数々の標本。その中身は一体…。


***


というような感じのストーリーでした。ビデオもパッケージだけ見たことがあるような気がするのですが、黒か深緑のパッケージの表に、件のリーダーが被っていたお面のパッケージだったと思います。こんな感じのマスクです

そんなわけで、もしどなたか上記のストーリーやパッケージなどを覚えていてタイトルなどをご存じでしたら、是非メールで教えていただければ幸いです。


それにしても、記憶を頼りにあらすじを文字起こししてみて思ったんですが、ホントろくでもねぇストーリーですよね(苦笑)。一度観たきりの映画の内容をよく覚えているなぁと自分でも感心しましたけどね(笑)。

ちなみになんでこの映画に拘っているかといいますと、生徒達の一人の女の子が、当時非常に好みのタイプでして、なおかつ、おっぱいが大きかったような記憶があるからです。記憶は美化されがちですので、これは確認しなければ、と!十数年の間変わっていない、僕のおっぱい好きを検証するためにも、もう一度彼女に逢いたいのです!!



心より、ご協力をお願いします!!
(ろくでもない理由で申し訳ありません…)



[ 2006年08月10日-12:11 ]  



記憶鮮明。


先日話題に上げた映画ですが、正体が判明しました。

いやはや聞いてみるもんですね!世の中には知っている人がいるもんだなぁと本当に驚きました。タイトルは洋題を『FORTRESS』、日本発売時のビデオタイトルを『復讐教室』、日本での放送時のタイトルを『リトルソルジャー 砦の奇跡』というそうです。ハンドルネーム:臭さん、本当にありがとうございました。それにしても、3つも名前があるなんて、なんてゴージャスなんでしょう(笑)。

さて、色々な映画批評サイトなどから検証してみますと、本作はそもそもアメリカではなくオーストラリアとアメリカの共同制作で、1985年にオーストラリアでテレビ映画として制作されたものなんだそうです。日本でいうところの2時間枠サスペンスドラマみたいなものなんでしょうか。

テレビ映画なので、もちろん劇場公開はなし。日本では88年に放送され、ビデオも発売されましたが、現在は廃盤のようです。古くから営業しているレンタルビデオにならばあいてある可能性はあるそうですが、探し回るのは中々に困難ですね。

DVDは日本では発売されていないので、入手は実質不可能。色々探し回ってみたところ、一応海外Amazonの方ではDVD・VHSともに取り扱いがあるようです。まぁそこまでするのもアレなので、入手困難といったところなんでしょう。うーん残念。


ちなみにあらすじを検証してみたところ、舞台はアメリカではなくオーストラリアの荒野で、強盗犯ではなく誘拐犯で、教師と生徒は誘拐され、そこから逃げ出したことでマンハントがはじまり、次第に狩るものと狩られるものの立場が逆転していくという展開のようです。

あとはほとんど内容と記憶の間に間違いはないようで、僕が「もう一度逢いたい」と願ったおっぱいの持ち主の高学年女生徒は、やはり色々な意味で人気だったようですが、その後特に大成したとかいう話はないそうです(笑)。うーん、微妙。

ちなみに「ヒトコト」の方に書いたトラックの映画はスティーブン・キング原作(!)の『地獄のデビル・トラック』だそうです。あんなもんをキングが書いていたとは。まぁ本当に色々書いている作家さんではありますけれども、意外というか「キングならやりかねない」というか、なんともかんともですね(笑)。


それにしても、僕の書いたあらすじを読んでか、それともひたすらおっぱいに心惹かれた同士達なのか「タイトルがわかったら是非教えて下さい」というメールが多かったのにも驚きました。

いや、どちらかというと理由は後者なんでしょうけどね(笑)。君らもそんなにおっぱいが好きかと、まぁ僕は大好きですけど。大好きだぜぇええぇーーーーーー!!!(武道館満員のオーディエンスに向かってシャウト)


さて、「おっぱいと映画」といえば、もう一つ僕の心に楔のように食い込んでいる映画があるんです。多分『復讐教室』と同じ時期に観た映画だと思うんですけれども、それもタイトルがわからなかったんですよね。

ですが、先日の記事を書いて以降、友人と「おっぱいと映画」について話しているときに、あらすじを振り返りまして、そのあらすじの要素でググったところ、あっさりタイトルが判明したんです。いやインターネットって便利ですねえ(何年やってんだ)

で、その作品のあらすじは、こんな感じなんです。

***

舞台はヨーロッパの山岳地帯のどこか。急な斜面と痩せた土地という閉じた世界の農場で働く四人の家族。厳格な父と、真面目な母親、美しい姉と、喋ることが出来ない弟。姉弟は仲が良く、平和に育ちゆく。弟は父の農作業を手伝い、姉は弟に読み書きなどを教えている。

ある日、弟が農耕機が動かなくなったことに腹を立てたのか、農場から機械を突き落としてしまう。断崖絶壁を落ちる機械のシーンが印象的。弟は腹を立てた父親に連れて行かれ、別宅の山小屋に閉じこめられ、そこで一人で農作業をするようにいわれる。

一人で暮らす弟を心配した姉が山小屋を訪れ、そこで二人は男女の関係になってしまい、やがて姉は弟の子を身ごもる。体調の変化からも隠しようもなく、母に打ち明けると母はそれを黙認するが、父は大激怒し弟を銃で撃ち殺そうとするが、暴発した銃弾を身体に受け死亡。そして母もそのショックから死亡してしまう。

二人の遺体を自宅の寝室に寝かせて夜を明かすが、寝室から声がするので覗いてみると、死んだはずの母が神に許しを乞う言葉かなにかをつぶやいている。やがて雪が全てを覆い尽くし…。

***

というような感じだったと思います。とにかく悲しくなるほどに美しい景色と、平らな地面が全く映らない、非情なまでの山岳地帯の風景。4人の家族の姿を淡々と追った一種ドキュメンタリーチックな作りが強烈な印象に残っています。

そして、このような閉じた世界、さらに喋ることが出来ない弟にとって唯一のコミュニケーション相手としての姉という構造が、近親相姦という痛々しい「禁断」さに、インモラルなエロティックさよりも、奇妙な自然さを与えていました。

テーマや制作者の見せたいモノ、脈絡ある明確なストーリーラインというものが欧州映画独特の作風なので、ハリウッド映画なれしていると理解しがたいところもあるかと思いますが、名作といっても過言ではない作品だと思います。


とまぁ、このような感想ならば普通の映画感想なのですが、焚き火を囲んだ姉弟が男女の関係になってしまうシーンでの姉の肢体が、そしておっぱいが非常に美しく、印象的でなんとも鮮やかに記憶に残ってしまったわけです(笑)。

徹底的なまでに寒色オンリーで、「険」という表現以外思い付かないような風景の連続の中に差し込まれた暖色の曲線だったからこそ余計になのかもしれませんが、興奮するよりもなによりも、「美しいもの」として深く僕の記憶に刻まれた、そんなシーンでしたね。


さて、そんな風に、ただのおっぱい好きの話を綺麗にまとめつつ、ここで問題です。上記までの記事内に使った単語3つで、僕はこの映画の内容をあつかったサイトにたどり着き、そこでタイトルを知ることが出来ました。

そこで皆さんにも是非挑戦していただきたいと思います。使用する検索エンジンはgoogle。検索キーワードを3つ、本記事内の文中から使って、この映画のタイトルにたどり着いて下さい。

ちなみに僕が使った検索キーワードの文字数はそれぞれ、4文字・4文字・2文字で、たどり着いたのは、この映画の内容を記事内で扱ったブログの過去ログでした。ちなみに映画評論サイトというわけではありません。


で、もしこれで僕と全く同じ検索キーワードで、同じ記事にたどり着いて映画のタイトルを知ることが出来る人がいたとしたら、非常によく似た思考ということで、なかなかに愉快じゃないですか(笑)。

そんなわけで、トライする方は「3つのキーワード」「たどり着いたサイト」「映画のタイトル(邦題でOKです)を書いて、メールにて投稿して下さい。正解者の中から先着一名様に「春九堂と思考が似ているで賞」として、今月制作予定のTシャツを一枚進呈したいと思います。皆さん頑張って下さい!



それにしても、なんというか
おっぱいがらみの映画記憶が
鮮明すぎて、我ながら呆れています。

(ちなみにその当時のハリウッド映画はまるで覚えていません)



[ 2006年08月14日-01:38 ]  



終戦の日から一夜明けて


少し書いておきたい。

僕の母方のじいさまは山形の出身だ。家は農家ではあるものの、そこそこの家柄だったらしい。明治の人である曾祖父は富国強兵論者で、男が産まれたら軍人にしようと考えていたようだ。

「武功忠勇」という言葉があるが、その一文字一文字を息子達の名前につけようと考え、じいさまは「功(いさお)」である。三男には忠(ただし)とつけたが、4歳で亡くなってしまう。そこで曾祖父は「武功忠勇は諦めた」ということで、次に産まれた四男を「明(あきら)」と名付けたという逸話を聞いたことがある。そういう時代だったのだ。


山形の田舎には何度か遊びにいっているが、長兄である武大伯父には会ったことがない。フィリピンにてグラマン50機以上の攻撃を受け、迎撃に向かったものの行方不明となっているからだ。よって武大伯父は靖国神社に祀られている。

武大伯父はじいさまと年が離れていたこともあり、徴兵ではなく志願で陸軍に入っている。航空士官学校に進み、じいさまが徴兵で配属された頃には既に尉官であった。おかげで配属先では「高橋大尉の弟」ということで、酷いシゴキにはあわなかった、とじいさまは笑った。


じいさまは陸軍飛行隊に配属、ハルビンで教練を積み飛行兵となった。任務は輸送と整備などであったが、やがて2年の徴兵任期を終える頃、将校の勧めもあって志願、本土に戻って航空学校へと進み、飛行技術と整備の専門課程に踏み込んだ。

既に日本は戦争に突入しており、任期を終えたところですぐに再徴兵されるのが当たり前という状況。それならばということでの志願だったのだが、環境の厳しいハルピン勤務から本土へと移れたのは、飛行訓練中に負傷したことと、やはり武大伯父の存在があったからではないかと、じいさまは語る。

そうこうするうちに専門課程を終えたじいさまは、熊谷飛行学校へ教官として赴任。ここでじいさまは、所謂「少年飛行兵」達を教育する立場となった。じいさまの教え子達は文字通り北へ南へと飛び立ち、様々な活躍の報も寄せられたが、同時に戦死の報告も多く寄せられ、じいさまは随分と悩んだという。


そんなことがあったからか、じいさまは前線へと転属を希望した。岐阜に移り、整備した機体を南方北方国内を問わず空中輸送するという任務についたのだ。この期間中にも随分と色々なことがあったらしい。何度か命の危機もあったそうだが、なんとか切り抜けて、じいさまは今も生きている。

最後はベトナムのサイゴン(現・ホーチミン)の飛行場に勤務。そこで終戦を迎え、そのまま捕虜となった。最後はサイゴン港から駆逐艦を改装した帰還船「榛名」にて帰還。豊後水道を昇る途中で階級章を海に投げ捨て、じいさまの戦争は終わった。



じいさまが進んで戦争の話をしたことはない。僕が子どもの頃から、酔ったときにしみじみと言葉少なに語ることがあったくらいだ。だから、これらの話は、ガキの頃からそうした機会に聞いてきた記憶の積み重ねと、数年前にじいさまが書いた半生記を僕がまとめた際の記憶によるものだ。

じいさまは、あの戦争を恥じていた。自分が育てた事によって空に飛び立ち、散っていった命を悔いていた。仲間を失ったことを、どんな形であれ、誰かの命を奪ったことを恥じ、悔いていた。それは今も変わらないだろう。


ばあさまが存命であった頃、父母の銀婚式、祖父母の金婚式を祝い、インドネシアに旅行したことがある。食事の時間であることを祖父母の部屋に伝えにいくと、じいさまは南洋に沈み往く赤い赤い太陽を、じっと見つめていた。

言葉を発するのさえ難しいような空気の中、それでもじいさまに用件を伝えると、じいさまはゆっくりと語った。


「おじいちゃんのお兄さんも、友だちも、先輩も、教え子も、何人も何人もこの海で死んでいったんだよ。おじいちゃんは、こうして生きているけれども、それをありがたいとも思うけれど、この海に沈んでいる人達に、申し訳ないとも思うんだ」


当時まだ高校生になったばかりの僕は、その言葉の重みのかけらさえもわかっていなかっただろう。それでも、なんともいたたまれない気持ちになった僕は、「じゃあ、その人達の分まで長生きしなくちゃあいけないね」と、なんとか言葉をひねりだした。

じいさまはそんな僕の言葉に「うん」ともいわず、ただただ微笑んで僕と共に部屋を出た。その後、旅行の間じいさまは戦争の事を何一つ語らず、南の島のバカンスをじいさまなりに楽しんでいた。


僕という人間は、そんなじいさまの言葉や想いの一粒一粒を、なるべく大切に受け取りながら育ってきた。多分、僕が受け取ったものは、じいさまが抱えているものの一割にも満たないだろう。それでも、従弟が産まれるまでは僕が唯一の男孫だったということもあって、じいさまは僕に「それ」を伝えたのだと思う。

じいさまは半生記の初稿序文を次の様に記している。


賢者は歴史に依って識り
愚者は体験によって知ると古語にある。
されば我らの戦争体験の真実を書き残し
些少なりとも後世の賢者の識る歴史となることを願い
筆を採るものである。

じいさまは自らを愚者とした。じいさまの体験は僕にとって歴史であり、じいさまから見れば僕は後世の人間であろう。しかし、じいさまのいう「賢者」となれるかどうかは、今の僕にはわからない。

ただ僕は、僕がじいさまから受け継いだ「歴史」を、少なくとも学校や現代社会が伝える一面的な見方ではなく、しりたいと考えている。そしてもし僕の血を受け継ぐものがいるならば、じいさまの歴史を僕なりの見方と考え方で伝えたい、そう考えている。


[ 2006年08月16日-04:24 ]  



巨匠・稲川淳二先生風にプロレスを語ってみる。


「いるはずのない人が、そこにいる」っていうの、こういう話の中じゃ多いんですけどね。ええ。確かにその人は、そこにはいないはずなんだ。うん。でも、それが見えちゃう人がいる。

でもね、3人いるところに4人いたらすぐにわかっちゃうけど、50人いるところに51人目がいたとしたら、これはちょっとわからないんだよなぁ。

あるでしょ、修学旅行の全体写真に「いるはずのない人」が写っちゃってたりってなことなんか、よく聞きますよねえ。あーれは本当に多いんだ。うん。寂しいんでしょうね。こう、霊ってのはにぎやかなところが好きだから。

けどね、50人のところに51人目がいるってのも、割と分かっちゃう。その気になれば数えられるし、クラスメイトなんかだったら顔もわかりますからね。うん。でも、それじゃあ数千人が集まるところに…ってなったら…こりゃあわからない。無理ですよねえ。でもね、見る人が見るとわかっちゃうっていうんだなぁ。「あーいるなー」…って。


これはね、割と最近の事なんですけどね。

八月のー頭だったかなぁ。うん、まだお盆を迎える前のことですよ。その日は蒸し暑くってねえ。あたしは東京のね、どこって云っちゃマズいからアレですけども、お相撲さんがいっぱいいるところ。あそこのね、大きな会場にイベントに行ってたんですよ。

イベントだから人はいっぱい来てるんだ。でもね、会場の規模の割には、ちょーっと少ない。前は随分人気のイベントだったっていうんですけどねえ。うん。なーんて云うのかなぁー…熱気がちょっと足りないんですよね。あたしね、おかしいなぁ〜…って、ずーっと思ってたんですよ。イベントを観ながらね。ええ。


そうこうする内に、イベントも終了間際だ。普通ね、こういうイベントってのは、始まる頃よりも、終わり前ぐらいには人がいーっぱい増えてるはずなんですよ、ええ。お目当ての人が出てくるところまでね。ところが、その日はそれがそうでもなかったんだな。うん

一見するとね、盛り上がってるようにも見えるんだけど、どーっか寒々しいんだなぁ…。で、あたしは席を立ってね、会場のちょっと見晴らしの良いところに移動してみたんですよ。ええ。

で、そこから、会場中を見渡してみたわけだ。そしたらねぇ…いやー驚いちゃったなぁ。空席がいーっぱいあるんですよ。人気のイベントのはずなのにねえ。多ければ一万人以上入るような会場なんだけど、これが6割…いやー半分ちょっとくらいかなぁ、それくらいしか入ってないんだ。


そんな様子を見て、あたしちょっと心配になっちゃったんだな。うん。それで、しばらく会場内をうろうろしていたら関係者の人を見つけたもんだから、挨拶がてらにね、聞いたんだ。うん。「今日の入りはどうですか?」って。

いやー今思えばねえ、やめとけばよかったなぁ…って思うんですけどねえ。ええ。そしたらその関係者さん、Aさんってしておきますけどね。その人は平然としたまま云うんだ。「ええ、おかげさまで超満員ですよ」ってね。

ありえない、ありえないんだ、そんなこと。だってあたしこの目で見たんだから、どうしたって半分ちょっとしかお客さんはいってないんだから。うん


あたしはね、おかしいなーへんだなーって思って、そうですかねえ、お客さんちょっと少ないような気がしたんですけどねえ」って云っちゃったんだ。Aさんに。で、云ってから「あ、余計なこといっちゃったなー」って思ったんですけどね、ええ。

そしたらそのAさん、なんだろうなー。こう、ニタァー…って笑ってね。こう云ったんだ「そんなことありませんよ、11000人ジャスト。お客さん大勢いらっしゃっていただいてますから…」ってね。

それ聞いて、もう、あたしはザワーって鳥肌が立っちゃった。ありえないんだから、そんなこと。ありえっこないんだから。そんな11000人なんてね。どーう見たって、そんなに入ってないんだから。

でも、その人には見えてるんですよ。あたしには空席だらけにしか見えない会場に、満員のお客さんが入ってるように見えちゃってるんですよ。そんな風に考えたら、あたしももう、ウワァー!ってなっちゃいましてね。さすがに怖くなっちゃったもんだから、そのまま会場を出ちゃったんですよ。

でもね、出口から振り返ると、Aさんはこう、じぃー…っとこっちを見たまま、相変わらずこう、ニタァー…って笑ったままだったんだよなあ。あれは怖かったなぁ…。表に出ても、蒸し暑い夜だったっていうのに、寒気が止まりませんでしたからねえ…。ええ。


見える人には見えるけど、見えない人には見えない大勢の人達。こういうことって…あるんですよねえ…。



ここのところの新日本プロレスの
入場者数発表をみていると「ネタにしてくれ」と
云われている様な気がしてなりません。

参考1:新日本プロレス大本営発表参考2:実際の現場写真



[ 2006年08月17日-16:06 ]  



よっしゃ!リベンジやー!(スペイン語で)


というわけで、八月の上旬に素晴らしい茶番を見せつけてくれてWBAライトフライ級の世界王座を奪取した亀田興毅選手ですが、その王座決定戦の対戦相手であったベネズエラのフアン・ランダエタ選手(同級1位)との防衛戦が決定したそうです。開催は10月。

【参考記事】
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20060822-00000019-kyodo_sp-spo.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20060822-00000018-spnavi-spo.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/etc/20060822-00000020-kyodo_sp-spo.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060822k0000e050072000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20060822i205.htm
http://sports.nikkei.co.jp/news.cfm?i=2006082202949n0


これまでも、その明らかに間違った方向のキャラ芸で大顰蹙を買い続け、ボクシングファンを新たに開拓するどころか、移り気なイベントゴーアーとTBSだけを味方につけたものの、他マスコミやボクシング関係者からは総スカンを食らい、熱心なボクシングファンは会場から去ってしまうという、まさにボクシング界のど真ん中に吹き出したマグマ状態の亀田選手。

一方で経験に裏付けられたテクニックを披露し、1Rでダウンを奪い、倒されないことに徹底しながらも、しっかり優勢と見られる攻撃を繰り返すファイトを展開し、フルラウンドを飽きさせず、疑惑の判定にも潔くリングを去り、よほどコアなボクシングファンにでもなければ知られていなかったのが、一気に知名度を上げたフアン・ランダエタ選手。


これは全くの余談ですが、試合の放送をみていた人達が「ランダエタ選手に日本人として謝罪と、本当の勝者は貴方だというメッセージを届けたい」と思い、実行したところ、在日本ベネズエラ大使館ではなく、在ベネズエラ日本大使館に送ってしまうという、ちょっとした勘違いの珍事件がありました。

しかし在ベネズエラ日本大使館はこんな珍事にしっかりと対応し、後日ランダエタ選手が帰国した後に渡したいと思いますとトップページに記載。その後8月9日付けの記事に、ランダエタ選手へしっかりとプリントされたメールが手渡され、それを読んだランダエタ選手の感想とメッセージまで掲載されたのです。これは素晴らしい対応でした。

しかもそのランダエタ選手のコメントがまた素晴らしく『私は日本の皆様の公正と誠意を重んずる心を尊敬しております。決して、恥ずかしいなどとは思わないで下さい。(略)これからもボクシングを続けていきます。そして、もし、再度日本に行くチャンスがあれば、今度は日本の皆様の誠意にその試合を捧げたいと思います』とし、『「サムライの国」日本のボクシング・ファンの皆様に感謝の気持ちをを込めて−』と結んでいました(全文はコチラにあります)。

なんという人間が出来た紳士的な発言でしょう。ダウンを奪われ、細かいパンチとはいえガードの間から始終もらい続け、得意分野であるはずのインファイトでさえ何も出来ず、足を使われて距離を取られ出したらさらに何も出来ず、コンビネーションに翻弄され、ラストラウンド近辺では華麗な酔拳ステップから胴タックル式のクリンチを披露した挙げ句に、判定結果を聞いて「どんなもんじゃーーーーーーい!!」と叫んで会場や視聴者の失笑を買った世界王者とは、あまりにも対極的な発言です。まぁ世界王座決定戦で出鼻でダウンを奪われ、あれだけの観衆に囲まれた状況で、フルラウンドどれだけボロボロになりながらも前に出続け、手を出し続けた根性は素晴らしいと思いますけどもね。でも他の日本人ボクサーでも体力と根性なら…ね…ゲフゴフガフ。


そんな二人の再戦ですから、これは期待しないわけにもいきません。どんな事を亀田陣営が仕掛けるのかはわかりませんが、前回の対戦と同じような展開になったとしたら、いやむしろランダエタ選手が本気で倒しにいったら、明らかに亀田選手は勝てないと思います。まぁそれでも勝つのが、いわゆる一つの亀田マジックってやつですか。

試合までの二ヶ月間で、どんな練習やパフォーマンスを見せるのかは知ったこっちゃありませんが、勝つなら勝つで、せめて説得力のある試合を見せて欲しいものです。前回の王座決定戦で染みついたヒールとしての扱いを払拭するのは、よっぽどの事じゃないとダメだと思いますからね。

CMやらなんやらのスポンサー企業も、現在のダーティー過ぎる亀田選手の印象では、正直いかんともしがたいでしょうし、本気でこれからもボクシングをやっていくならば、まさにここが正念場となるでしょう。是非是非是非是非、頑張って欲しいものです。



ファン・ランダエタ選手に!!
(亀田選手を応援する道理がないですからね)

本記事に対して読者さんから非常に不快な記事だという指摘メールがありましたので、その方に返信した文章を一部改訂して掲載したいと思います。※()内はいただいたメールからの指摘を簡略化したもの。リンクは補足として本文掲載時に付けたものです。

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(亀田選手に対して「間違った方向のキャラ芸」としているが、かのモハメド・アリも挑発的な行動やパフォーマンスをしていたが)

まず、モハメド・アリを引き合いにだしてらっしゃいますが、彼の事は僕なりに知っているつもりですが、その上で亀田選手の傍若無人な言葉遣いと態度のキャラ芸とアリの演出を比べるのは明らか違うと思いますがいかがでしょうか。対戦相手やマスコミに対するアピール云々という面では相当派手にやっていたのは承知していますし、ビッグマウスというあだ名ももちろん知っていますが、それでもリングを降りた彼は非常に紳士的な存在だったと記憶しています。少なくとも試合ではないところの単独インタビューで、スラングを撒き散らし、対戦相手でもなんでもないインタビュアーに傍若無人な態度を取ったというような記事・記録は少なくとも僕の記憶にはありません。

亀田選手の「間違った方向のキャラ芸」というのは、そうしたところに尽きます。受け取り方は人それぞれだと思いますので、個人的考えになりますが少なくとも「試合前期間のテンションを上げている状態」という場所・状況以外で、年長者のインタビュアーに乱暴な言葉遣いで応対するというのは「間違った方向のキャラ芸」というように感じます。試合前のパフォーマンスなんかに関してクサしたつもりはありませんが、サイト上で、上記のように明言したこともないわけで、これは僕の表現上の落ち度だと思います。不快に思われているようですので、この点はお詫びするしかありません。申し訳ありませんでした。

後出しジャンケンになってしまいますが、試合前にmixiに書いていた僕の日記のスクリーンショットを添付します。あまり好意的ではない姿勢ではありますが、亀田選手のパフォーマンスや存在自体には、否定的ではないという証左になればと思います。(添付したスクリーンショットはコチラ


(ランダエタ選手が優勢に見られる攻撃をしていたとあるが、それは誰に対してのものなのか?判定基準を知っているのか?)

ランダエタ選手の方が優勢に見られる攻撃に徹底していたというのは、少なくとも有効打をもらっているようには見えなかったという事に尽きます。タイソン時代からのテレビ観戦ばかりなので、にわかボクシングファンといわれればそれまでなのですが、判定基準が手数と有効打、ダメージ・積極性・主導権以外のところにあるようでしたら、僕の誤りです。

ですが、少なくともランダエタ選手はダウンを奪った後で、それを覆されるような打撃をもらっていたようにはテレビ観戦では僕には見えませんでした。少なくともダウンを奪ったラウンド以降の頭をつけあっての撃ち合いにしても、手数・有効打はランダエタにあったように思いますし、終盤の亀田選手はクリンチブレイクに逃げており決定打となるような有効打こそなかったものの、10−9ランダエタのように思えました。ラウンドマスト方式ですからジャッジによっての印象はあるでしょうが、それでもダウンを奪われた1Rは2ポイント差、終盤が1ポイント差がついたとして、他が10−9のシーソーだとしても僕の主観では、最終的に2・3ポイント差でランダエタだと思っていました。

特に後半に入ってランダエタが距離を取りだした後は、ガードの間から常に細かいジャブをいれつづけ、間合いが詰まるとコンビネーションで突き放すというような、ビッグパンチはないものの「打たせない」試合運びを僕は「優勢と見られる攻撃」と考えているつもりです。


(ランダエタ選手が潔くリングを降りたと書いているが、試合後のインタビューで不満を述べていることは知っているのか?知らないなら無知過ぎるし、知っていて書かないのであれば言論による読者の心象操作ではないか)

試合後のインタビューでランダエタ選手が不満を語ったのは、もちろん知っています。しかし判定を効いて頭を抱え込んだりやってられないというような素振りを見せたりもせず、亀田劇場が延々と繰り広げられるリングを去ったところに潔さを感じました。判定が微妙であり、また明らかに自分が優勢であったと確信している中、レフェリーに抗議したり相手陣営に詰め寄ったりするシーンはしばしば見られるところだと思うのですが、ランダエタ選手はそうしたことをしたようには見えませんでした。

ひょっとしたらカメラが追っていなかったところで、そうしたことがあったのかもしれませんが、少なくとも「明らかに判定がおかしい」といいつつも「WBAに抗議はしない」とした姿勢や、そう考えていてもリング上で抗議をしたりという行為をしなかった彼を「潔い」と評するのはおかしいでしょうか?


(亀田選手が得意のインファイトで何も出来なかったと書いているが、有効打は亀田選手の方が多いように見えたが)

得意分野のインファイトですら何もできずという点では、特に5回までランダエタ側が額を付け合い接近戦に入っていた状態で、特にそうした印象を受けました。上体を低く折りたたんでガードを上げているランダエタに回り込んでの左右のボディフックや頭を振ってのショートなどの手数が圧倒的に足りず逆に上背で勝っているはずのランダエタに、それをされてしまっている状態が続いたように記憶しています。

ダウンをとられないような軽いパンチとはいえ、亀田選手のパンチもダウンを奪えず、少なくとも1Rでダウンをとられている以上手数を出していくべきだという場面で、それが出来なかった。後半に足を使って距離を取りだしたランダエタに対しては余計に距離を詰める事も困難になり、仰っているように折角ロープに詰めてもラッシュの終わり際やコンビネーションの合間にカウンターをもらったり打ち返しをもらったりという場面が多く見られ、土壌であるはずのインファイトで、圧倒的有利というような自分の見せ場を作れなかった。

以上の様なことから「何も出来なかった」と評せざるを得ないと思います。でも、このあたりはファイトスタイルやファイトプランに対する僕個人の好みにも因るところは大きいと思いますね。


トータルの点では、ジャッジと僕の主観、また○○さんとの間に特に「有効打」というところで価値観の開きがあったのだと思います。前述した通り、僕の主観では2・3ポイント差の開きでランダエタだと思っていましたから。ですが、この2・3ポイントの開きというのを、僕は少なくとも「僅差」であるとは思いませんでした。このくらいの開きでカタいだろうなと思っていたくらいです。それだけに亀田勝利のアナウンスを聞いたときには明らかにおかしいと思った次第です。なんでそれで勝っちゃうの?と。


(ガッツ石松氏が7ポイント差でランダエタなどと発言しているが、彼の発言はパンチドランカー。今現在の判定基準を知っていれば、あなたの記事のような発言はありえない)

ガッツ石松さんの発言に関しては、特に思うところはありません。記事を読んでも、ボクシング関係者の一員なのに、随分ふっかけるなぁと思ったくらいです。逆にあの試合で7ポイント差はないと思ったくらいですね。世界挑戦への機序に関しても、特に思うところはないですよ。内藤大介選手じゃありませんが、日本人ボクサーとなんでやらないのかなという疑問は常々つきまとっていますが。試合数云々に関しては特に考えていません。


(日本ボクシング界の権威といっても過言ではないジョー小泉氏のコラムに一度目を通すことを勧める)

ジョー小泉氏のコラムを読みましたが、氏が書いていることに関しては大いに賛同できます。「本社採点」で亀田勝利としているところがあれほど多い中、僕はランダエタ選手の勝利だったと思っているわけで有効打採点という点について、僕は現状採点方式の傾向・趨勢に対して無知だということになりますし、事実そうなのだと思います。なにしろ素人ですから。氏が仰っているようにボクシング業界に採点方法に対してのアカウンタビリティがあることは事実でしょうね。

試合自体は放送自体とHDDレコーダーにも録画していたのであわせて5回ほど通して観たのですが、ダウン減点やブレイクを狙ったクリンチをした僕が思う亀田選手の減点ラウンド以外でランダエタ選手に対して「ダメージがある」と思うような亀田選手の有効打が多発したラウンドは無かったように思えましたから。少なくとも減点を覆すほど大差のつくラウンドおよびラウンド数は僕には見受けられませんでした。トントンかな、という程度です。


プロである以上パフォーマンスをして注目を集めることは必要だと思います。ですが、反面それに対しての実績証明も必要だと思っています。ビッグマウスにはそれ相応の代償が伴うといったところでしょうか。自身で「ブサイクな試合」と評した試合で「どんなもんじゃーい」はないでしょう(発言は前後していますが)。

世界チャンピオンという地位に立った直後の独占インタビューに迷彩服の開襟シャツにサングラス姿というのも若干解せません。サングラスは腫れた目を隠すものだとして容認出来るとしても例えばあそこでスーツ姿なりなんなりのフォーマルなスタイルで王者らしく登場し、その上で受け答えも「そうですね」や「〜ですね」というものにシフトしていたならば、僕の評価はまるで違ったモノになっていたと思います。注目を集め、メディアにも取り上げられているボクシングを代表する立場にいるからこそ、スポーツマンとしての紳士的行動をして欲しいと思うのは間違いでしょうか?世界王者になったタイミングだったからこそだと思うのですがあの試合の直後の、あのインタビュー(TBS)は、僕は「間違った方向のキャラ芸」といわざるを得ないと思います。


余談ですが僕の好きな選手にキックの我龍真吾という選手がいます。ヤンキー上がりで試合前にも激しい挑発をし、リングに上がれば思い切りメンチを切るようなパフォーマンスをします。そんな選手ですが、リングを降りれば全くの紳士です。対戦相手にも敬意をはらっていますし、先日の試合では流血で試合がストップ、それまでのラウンド判定から負けを宣告されたところ、味方陣営のものが抗議し、リング外で騒動となることがありましたが、我龍選手はその場でマイクを取り「すみません、自分が弱いのが悪いんです。自分の負けです。応援してくださったのに本当にすみませんでした」と自分の負けを自ら認め、騒動をおさめる、ということがありました。そんな選手を知るものの立場からしても、亀田選手のキャラ芸は「違うんじゃないかなぁ」と思う次第です。

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返信した内容は上記の通りなのですが、読んだ人を不快にさせたという事は何にせよ問題だと思いますので、公平を期す為に追記掲載しました。ですが、これらはあくまでも素人としての僕の主観ですし、格闘技ファンとして亀田選手は好きにはなれませんし、あの一戦の勝利は認められません。ホームタウンディシジョン以外の何者でもないと、今でも思っています。

繰り返しますが、そこはもう個人の価値観・主観の問題ですから、だからなんだっつー話ですけどもね(苦笑)。そして僕はランダエタ選手の味方ですから、彼寄りに記事を書くのは当たり前ですし、そこをどうこういわれても困るというのが正直なところですね(苦笑)。



[ 2006年08月22日-16:17 ]  



夏も終わりですが


八月も終盤に入り、すっかり秋めいて来たかと思いきや、まだまだ暑い日々が続いているわけですが、皆さん如何お過ごしでしょうか。

そんなわけで、去りゆく夏を惜しみつつ、夏の風物詩である『怪談』に今回はスポットを当ててみたいと思います。というわけで、この先若干怖い話が続きますので、そういうものが「ダメー」という人は、こちらから、お買い物でもお楽しみ下さい(笑)。



さてさて、そんな感じで怖いの苦手な方を切り離しつつ続けますが、スポットを当てるといっても怪談をただただ話すだけでは面白くないので、今回は皆さんから「自分の知っている怪談」を募集してみたいと思う次第です。

昔からの怪談といえば、「東海道四谷怪談」「真景累ケ淵」「牡丹灯籠」「番町皿屋敷」なんかがあるわけですが、現代の怪談で有名なモノは何があるのか、というのをちょっと考えてみたいというのが趣旨です。


僕はガキの頃から怪談話が好きで、いわゆる怪談本やらホラー系雑誌なんかは結構読んで育ってきたんですが「新耳袋」あたりからはノータッチなんですよね。怪奇スポット系も特に詳しくありませんし、「これは有名だよー」と言われた話も意外と知らないことが多いんですよ。

僕が怪談大好きっ子(なんだそりゃ)だった頃というのは、怪談の伝播は主に口コミでした。それ以外はラジオ番組やら、心霊特番のテレビ番組、または先ほども出た怪談本だったのですが、ネットが一般的になってからは、情報の速報性向上と共に怪談の伝播速度もかなり上がっているはず。

ですから、僕の知らない「有名な怪談」もいっぱいあると思うんですよね。そんなわけで、皆さんの周り、もしくは皆さん自身が「これは有名な話だと思うんですが…」という語りから入れるような怪談話を是非是非教えて欲しいと思うわけです。

例えばこちらのサイトの「ガイシュツ」コーナーに掲載されている話は、ネット世代の怪談では相当有名なものだと思うのですが、これらの亜流やらローカルバージョンなんかでも全然OKですし、もちろん掲載されていない有名話はもっと大歓迎です。

ちなみに上記リンク先サイトの「ガイシュツ」に掲載されているのは、ガイシュツ(既出の読み間違いの2ちゃんねる的語彙です。念のため)なだけあって、メジャーというかなんというか、かなりおっかないモノが多いので、読みに行く人は十分気をつけて下さいね(笑)。


で、集めたら集めたで、折角ですから「知っている」「聞いたことがない」という感じのアンケートもとってみたいなーと思います。題して『ほんとうに有名だった怖い話』とでもしておきましょうか(笑)。

ちなみに、出来るだけ「都市伝説」系は避けたいなと思います。怪談といえばやはり幽霊話ですから、心霊現象オンリーというところですね。「学校の怪談」系も出来るだけ外しましょうか。全国どこにでもあるものですし、出来るだけローカライズされたものがいいかなーと思っています。

と、こう書いてしまうと、各地の心霊スポット話ばかりになってしまいそうですが、そうではなく「うちの地元では有名な話なんですが…」とか「僕が小学生くらいの時に流行っていた怪談なんですが…」とかそういう系統のモノが望ましいです。もちろん地元で有名なローカルスポット怪談も歓迎ですよー。


ちなみに僕が小学校の頃流行っていた怪談はというと、やはりコックリさん系のテープルターニングが流行っていた事もあって、それがらみの怪談が多かったですね。「お帰り下さい」といっても「いいえ」を延々と回り続けて、それでもなんとか帰そうとすると、もの凄い勢いで鉛筆やら十円玉やらのターニング用具が暴れ出し、五十音表の上を回って、「ころす」だのなんだのヒドイメッセージを記すというヤツです。

大概の場合は、この展開の前後に一人の子がターニング用具を手放してしまい、その子が祟られておかしくなるというようなものです。この手の怪談のオチは、大概の場合「その子は結局発狂しちゃって、今も精神病院に入院している」というモノでしたね。ひでーオチです。

怪談話に関係者発狂オチは意外と多いんですが、ツッコミどころや隔離されているという状況が、その後のエピソードを許さないという点では、なかなか秀逸なものだと思います。「亡くなってしまったんだ」というオチよりも、リアリティがありそうですしね。


他にも「赤マント」やら「てけてけ」やら「口裂け女」に「人面犬」といった怪談エピソードも非常にメジャーなものもありますが、僕が中学生ぐらいのころに流行ったものは「人面犬」にかすったくらいですかねえ。それもどちらかというと「見つけたら賞金がもらえる」というような話の方でした。これは怪談ではなく都市伝説ですよねえ。

しかもいずれも「怪談」というよりは「怖い話」の部類で、なんというか「子どもっぽおとぎ話」の部類だったように思います。特に「人面犬」はそうですよね。中学時代に人面魚(山形県・善宝寺の鯉)の話題があがったりしていた流れだったので、余計になのかもしれません。


高校時代にはカーブの多い海沿いの道路を走行中、崖の手前で女の人の霊が出て急停車。見通しの悪いところでガードレールも壊れていたので、そのまま速度を出していたら転落していたという状況で、「きっと警告してくれたんだよ」と人心地ついて発進したところ、バックミラーに先ほどの幽霊が映り、「おちればよかったのに…」という怪談もメジャーでしたねえ。

あと「あぎょうさんさぎょうご」という言葉を聞いてしまうと、呪われてしまうという怪談もありましたね。これも高校時代に知ったような気がします。謎を解かないと霊に取り憑かれるというもので、これはいわゆる言葉遊びの怪談で、脅かして怖がらせるためだけの創作話という悪質なものでした(笑)。

文字変換すれば一発でわかることですが「ア行3サ行5」つまり「アイウエオ」の3ですから「ウ」、「サシスセソ」の5ですから「ソ」。合わせて「ウソ」というわけです。この怪談を話すときは、なるべく「あぎょうさんさぎょうご」を呪文かお経っぽくいうところがポイントですね(笑)。これ悪質だよなあ。小学生とか低学年だと泣き出すぞ。


悪質といえば、怪談話で有名な「トイレの花子さん」系のもヒドイですね。オチを絶叫系でターゲットのリスナー(?)に、飛びかからんばかりの勢いで「お前のその髪だー!」ってやるやつです。同じ系統の「おまえだー!」とか「おまえの**だー!!」とか大声で叫ぶオチってのは怪談話の定番芸ではありますが、「大声やインパクトだけで怖がらせる」のを前提にしているのは、どうにもレベルが低いなぁと思う次第です。ゾっとするよりビックリしてんじゃねーかと。


とまぁ、そんなこんなで「皆さん自身が有名だと思う」、または「皆さんの周りでは有名」だった、「怪談やってるとよく聞く」というような話を是非是非紹介してください。もちろん、独自の心霊体験怪談なんかもOKですよー。内容は適当なあらすじ程度でOKですし、一人何件でもOKです!

で、投稿の際は出来れば、生まれ年とその怪談を聞いたときの場所(都道府県)なんかを付けてくれるとありがたいです。例えば僕なら「昭和50年生まれで、小学生当時に聞いた怪談です(当時埼玉県在住)」ってな感じですね。


そんなわけで、皆さんからの投稿を
心よりお待ちしております!

※クリックするとメールフォームが開きます※

(今年の心霊特番はどれも低迷気味だったのでガッカリしてます…)



[ 2006年08月25日-06:13 ]  



ほんとうに有名だった怖い話。


どうやらウチのサイトの読者諸兄諸姉の皆様は、怪談話がお好きなようで…(笑)。

色々投稿を本当にありがとうございました。おかげさまで僕のメーラーの、サイト用メール受信フォルダは、相当な勢いで祟られそうな具合になっています。押忍(厭々マウスカーソルを合わせながら)

あ、さて。様々な怪談を寄せて頂いたわけですが、残念なことに前回の記事で提示した現代怪談より有名なものというのは、あまりなさそうだというのが結論です。それでもいくつか「あーそんなのもあったあった!」というような、取りこぼし的なものもありましたので、かいつまんで御紹介。

というわけで、ここから先は前回と同じく怖い話が続きそうですので、そういうものが「いやーん」という方は、前回同様こちらから、お買い物でもお楽しみ下さい(笑)。



さて、ではいきましょうか。



○タクシーにまつわる怪談
タクシードライバーさん本人や、そのご縁の方ないし友人という方が語り部になって進行するタイプの怪談。基本的にはこういう流れのようです。

「人気のない場所で、タクシーが客を拾う(だいたい女性)。どこそこまでと指示を受けるが、走っている間一向に会話がない。少々薄気味悪い客なので運転に集中して、目的地に行く。すると後の座席にいたはずの客がいない。降りて後のシートにいってみると、客が座っていたシートはじっとりと濡れていて、周囲を見ると寺や霊園などだった…」

で、この手の亜流が「たどり着いた先は民家で『お金が足りないので取ってきます』と家に入るが、一向に出てこないので玄関のチャイムを鳴らすと、家族が出てくる。事情を説明すると家人が写真を持ってきて『この子ですか?』と聞き、頷くと『○年前に亡くなって…今日が命日なんです』と泣き崩れる」というようなパターンなどですね。

これは確かに現代の怪談話の定番の一つですねー。タクシーという色々な人を乗せる職業というか特異な職業・場所柄、そういう話の舞台装置としてはもってこいですし、無数に目にするタクシーの中で、そういうことがあってもおかしくないというリアリティを持たせられるというところがポイントなのでしょう。

またオチとしても特に目撃者・体験者が亡くなったとかそういうことではなく、基本的には「乗せた人が幽霊だった」というだけですので、「怖い」というよりは「しんみり」してしまうような感じもあり、意外と平和的な怪談の部類だと思います。それだけに広く語り継がれているのかも知れませんねー。

ちなみにタクシー怪談を投稿してくれたのは、させぼんさん、ゆっきさん、カンナベさん、kinさん、高嶋さんでした。ありがとうございますー。


○病院や学校などのトイレの個室
これも「よくある話」です。ジャンル的には「トイレの花子さん」系に属するものなのだと思いますが、語り部は看護婦さんや学校の先生、またはその関係者筋や「それらから聞いた話」として始まるものです。

舞台は夜中の病院や学校。深夜の人気のない大型建造物というのは基本的に暗闇や知覚範囲がたどり着かない場所が増えますから、それだけでも怖いという状況設定を上手く使ったものになります。また看護婦さんや学校の先生という職業的特殊性もあるんでしょうね。いずれも当直・宿直というモノがありますから。


ちなみに現在では「看護師」として男女区別のない呼称と職業範囲の広がりを見せているわけですが、何故か怪談の世界では男性看護師・男性教師というものが主役になることはほとんどありません。もちろん、男性看護師という職業がそれほどまでメジャーでなかったことも大きいのでしょうが、この怪談においては「個室だけで構成された女子トイレ」という舞台装置が必要になってくるからだと思われます。うーむ、深い。


あらすじはといいますと「病院(学校)の当直をしているときに、廊下を歩いていると、どうにも別の足音が聞こえる。気になって歩調を変えたりすると、相手も止まったりしているらしい。『後をつけられている?』。そんな不安に駆られ急ぎ足で歩く。逃げ込むようにトイレに入り、個室に入って鍵をかけると、『誰か』もトイレに入ってくる。自分が駆け込んだ一番奥の個室まで、手前の個室のドアを開けては中を確認して閉めているようだ。隣の個室まで扉の開閉音が響き、もうダメだと思った瞬間、音が止む。諦めたのかと思い、伏せていた顔を上げると、霊が上から覗き込んでいた」という感じです。うわーこれはおっかないわー。でも、こういう話あったあった。


こうした追い詰められる→絶体絶命?→おさまった→不意打ちのように恐怖、という流れを作るのには、こういう舞台装置は非常に有効なんでしょうね。僕もこういう話は何度も聞いたことがあります。

しかし難しいのはオチの付け方。「その人ショック死しちゃったんだって」というようなオチが多かったり、ありえないような悲惨な死に方(「赤いチャンチャンコ」など)をすることが多いのですが、「そんな亡くなり方したら事件記事になるだろう」というツッコミや、そもそもが亡くなってしまったら目撃談としての怪談が成り立たないという点があります。

そうしたリアリティを考えると、この手のオチは効果的とはいえず、語られるのが難しくなってしまい、「死んじゃったんだって…」というようなオチで終わらせても「うわ…」と怖気だつだけで流してしまえる小学生程度のところまでしか、語り継がれないというようなところがあるのかもしれませんね。

この系統の怪談を投稿してくれたのは、ゑなさん、瑠美さん、TOYOさんでした。ありがとうございまーす。


○ア行3サ行5系
前回紹介した「あぎょうさんさぎょうご」という「呪文のような言葉の謎を解かなければ呪われてしまう」系の怪談は、実に色々あるようです。投稿されたもを紹介しますと、ぴとみさんからは「『メリーさんの羊』の隠された歌詞を知ってしまった人は『ソウシナハノコ』という言葉の謎を24時間以内に解かなければ、メリーさんが殺しにやってくる」というものを投稿していただきました。

ちなみに逆読みすると「コノハナシウソ」→「この話ウソ」となるわけですね。じゃあ逆さだったらマジなんじゃねーかとか、そういうツッコミが入りますが(笑)。あとメリーさん誰だよ、と(笑)。


他にも桜さんからの投稿では「利根川の河川敷で自殺した女性の話を聞いてしまった人は、3日後の午前4時にその人の霊がやってきて色々質問をするが、何も応えてはならず、その時に『火事の【か】 死亡の【し】 魔女の【ま】 幽霊の【れい】 事故の【こ】』と唱えなければ帰ってくれない」というものなどもあるようです。

これは、その自殺した女性の名前というのが「かしまれいこ」さんだそうで、【】内の言葉を繋げると、そうなるということらしいですね。これは群馬県の方で随分とメジャーだった怪談らしいのですが、同姓同名の人がいたら、えらい御苦労をされたことと思います(苦笑)。この話をご存じの方はいらっしゃいましたら、亜流なども聞かせて頂ければ幸いです。


みかづちさんからは「数年前、ある新人の旅客機パイロットが初フライトで墜落死した。しかし成仏できないパイロットは、道連れを求めてこの世をさまよっている。この話を聞いた三日後の夜、パイロットは血まみれの姿であなたの夢に現れて、「俺の名前を言ってみろ」と問いかけてくる。このとき、彼の名前を答えられなかった者は、眠ったまま死んでしまい、その魂は彼の乗る幽霊旅客機の乗客として、この世とあの世の狭間を永遠にさまよい続けることになる」という投稿をいただきました。

ちなみにパイロットの名前は「木島」さんだそうです。単独で旅客機を飛ばすことは有り得ないと思うので、墜落死したら既に道連れが沢山なんじゃないか?とか、そういうツッコミどころが満載なわけですが、やはりこれなんかも、この系統に入りそうですねー。


それにしてもこういう「解かなければ云々」という暗示系は実によろしくないですね(苦笑)。この手の怪談を知っているという方からのメールで、当時を振り返り「眠れなくなりました」とか「夜中に突然目が覚めたときに怖くて仕方なくなりました」というものの多いことといったらありませんでした(笑)。

こうした悪質な怪談は、僕の考える怪談からすると外道もいいところですし、解答にしても、アナグラムというよりは、ちょっと一捻りしただけの意地悪ナゾナゾ的なものですから、明らかに「後を引くように怖がらせるだけ」というモノ。つまり話の本筋はオマケに過ぎず、そこだけを主眼にしたものなんですよね。

どこから流行りだしたものなのかはわかりませんが「子どもを怖がらせてやろう」というような「大人」の悪意を感じずにはいられませんよね(笑)。いやはや、なんにせよ、皆さん投稿ありがとうございました。


そんなわけで、かいつまんで3ジャンルほど「あーこういうのあったあった」という怪談を紹介したわけですが、いかがでしたでしょうか。ですが基本的には、どの怪談も、ウチのサイトを読んでらっしゃる皆さんの年齢的には「うわー…」と思うよりも「えー?」と思うようなモノが多いですよね(笑)。

怪談に必要なモノは、もちろん「恐怖」ですが、話す年齢層によっての「リアリティ」が必要となります。例えば先ほども少し書きましたが「亡くなっちゃったんだって…」という目撃者・体験者本人や一部などが死んでしまうオチなどは、全くもって論外です。

だって怪談が伝わる方法が亡くなってしまいますし、異常な死に方などがあれば事件記事になっておかしくありませんからね。こういう怪談はリアリティゼロです。また「精神に異常をきたしてしまい、精神病院に隔離入院」というオチも、通じて中学生レベルでしょう(苦笑)。


怪談は「聞く者に恐怖を与える」という目的をもった「話芸」ですから、それに相応しい展開とリアリティ、そして身近さを題材にしなければなりません。

そういう意味では、紹介したいくつかの「有名と思われる怪談」は、なるほど「夢」「学校」「病院」「タクシー」などを舞台にしたものが多く、その土地やら年代やらをターゲットにしているのかな、と思う次第です。だからこその定番であり、小学生レベルにしか通用しないリアリティなんでしょうねえ(笑)。


では、2006年という時代と、おそらく当サイトを見ていらっしゃるであろう、またネットを趣味領域で活用しいるであろう10代半ば〜40代という年齢層に対して、どのような題材が身近であり、かつリアリティがあるか、と考えてみると、それくらいの年齢層になると、色々な知識がついてきますから「霊」というファクター自体にも、ビリーバーとアンチビリーバーがいるわけで、そこから考え直さなくてはいけなくなったりもします。

そうなると「霊」という存在に限定せずに「霊を見た」というよりは「なにか得体のしれないものを見た・感じた・聞いた」としてみたり、「人間自体(異常行動者や凶悪犯罪者)」を題材にしてみたりと、やはり前回紹介したこちらのサイトの「ガイシュツ」コーナーに掲載されている話のように、「都市伝説」系の方向に流れていってしまうのかなぁ、なんて思ったりもするわけです。いやはや、怪談も難しいですねぇ。


そんなわけで、多くの投稿をいただきましたので、僕の方からも機会があったら怪談話の一つも記事にしてみたいと思います。投稿していただいた皆さん、本当にありがとうございました。



これは余談ですが、どんな怪談よりも
自分でネタを振っておきながら
恐怖に「ぱもら」を膝に抱えて
これを書いているクマの如きヒゲヅラの男(自分)の
存在の方が、よっぽども怪談だと思います

(で、でも怖いし…)



[ 2006年08月30日-07:13 ]