じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)


【過去のつぶやき】
 2008年09月の【家元のつぶやき】のバックナンバーです。

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2008年09月のバックナンバー

あんまりこういうこと書きたくないんだけどね。(2008年09月01日-06:15)
音楽劇『ガラスの仮面』を観た−1−(2008年09月16日-06:48)
音楽劇『ガラスの仮面』を観た−2−(2008年09月24日-20:37)
不安と葛藤と(2008年09月29日-23:47)


あんまりこういうこと書きたくないんだけどね。


あんまりこういう記事は書きたくないんですよ。自分自身読みたくもないし。ですが、今日は久しぶりの「家元のつぶやき」ながら、鬱な記事を書きたいと思います。笑える要素全くないんで、そういううのヤダなぁって人は、引き返すチャンスですよ。


さてまぁ結論から云っちゃいましょうか。今、僕が昨年半年の間に三回もの交通事故に遭い、その後遺症と闘っているのはご存知の通りかと思いますが、昨年10月に新車が納入されまして、以降は車で通院していたんですよね。

で、年末くらいかなぁ。寒いじゃないですか。当たり前ですけど(笑)。そんで新車だひゃっほいなんて感じで遠出したりもしなかったんですよね。しかもその直後に今度は歩いているところを轢かれているわけですし(笑)。

そんなこんなで月日が過ぎて3月くらいかなあ。暖かくなってきた頃合いには、少し身体の自由も利くようになってきていたので、少し遠出したんですよ。夜に。といっても三・四駅向こうまでですよ?

でもね、夜間の幹線道路で、後ろからバックミラー越しに強いライトを感じた瞬間動悸が止まらなくなりまして。手も震えるわ足もがくがくだわ、全身から変な脂汗出てるわ、呼吸は荒くなるわ。まぁぶっちゃけパニック的な感じになっちゃったんですよ。

それもそうでしょう。5月の最初の事故ってのは、赤信号停車中にトラックに数十キロでケツから突っ込まれたわけですし、10月の事故ってのは、後ろから軽自動車に時速40キロほどで右半身をはじき飛ばされたわけですから、「後ろからの車、もしくはその光、または音」なんてものが精神的外傷(トラウマ)にならないわけがない。

だから、まぁ仕方ない。その内慣れるだろうと思っていたんですけど、一旦意識しちゃうとダメですね。今度は歩いているときに後ろから車に煽られても発作が出てしまう。こりゃいかんと整形外科の主治医に相談してみたんですが、あっさりと「精神科にいったほうがいいかもねー」と云われましてね。


そんで4年前に不眠症と不安神経症で通院していた病院に連絡を取って受診してみたんですよ。カウンセラーに話を聞かれて、筆記テストをやらされて。出された結論はっていいますと、

『反復性パニック症状を伴う鬱病』

ですって。俺が鬱病!ちょっと奥さん聞きました?俺が鬱病ですってよって感じなんですけど、11月頃からこっち、確かに「何で俺がこんな目に遭わねばならんのだ。俺が生きているから悪いのか。こんな苦しみや痛みが続くなら、終わりにしちまうべきか」などと死ぬことばかり考えていた時期もあったので、なるほどなぁっていう感じです。

しかして、それでもこんな感じで陽性に振る舞っていられるのは至極簡単。これを書いている「みやもと春九堂」なる人物は全く持って鬱病でもなんでもないんですよ。人前に出ない限り実体すら伴わない人格ですからね。それも既に十年選手ですから、そりゃ根深いってもんです。

つまり、苦しんだり悲しんだり辛かったり痛がったりしているのは、本名の俺自身。肉体を伴った誰かさんなわけです。だから気づくのも遅かったし、自分を俯瞰しているしってところもあると思うんですけどね。


でもこれって特別なことじゃないんですよね。場面場面でパーソナリティ、喩えば職場、学校、友人、家族、恋人、そして一人の時。それぞれ見せる表情も「役割」も違うでしょう。だからそれに類する当たり前のことなんです。でもそれらの「芯」のところがやられちゃった、とまぁそういうことなんですよね。

そんなわけで4月22日以降、精神科にも通院しています。保険会社というかもう名前出しますけどね。アメリカンホームダイレクト社も富士火災も、精神科医は明らかに「それらの事故が起因となっている」としているにも関わらず、その医療費は負担できないとのことで、自費の健康保険で三割負担で払っていますよ。収入がない身としては非常に辛いところです。ちなみに今も中途覚醒でフラフラしながらコレを書いてます。

そんなわけで、使えるモノは使おうと云うことで、市区町村の「自立支援医療」の申請をお願いしてきました。まぁ書類も審査も混み合っているそうなんで、九月の半ば過ぎくらいにならないと書類も申請もできないわけなんですけどね。でもこれで窓口負担が一割になるってんだから大きいですよ。


それにもう一つ。昨年10月20日に車に轢かれたんですけど、半年以上がとっくにすぎたんで、アメリカンホームダイレクト社としては示談する方向に持っていきたいわけですよ。なにしろ5月まで遡って健康保険で立て替え支払にしていますから、自賠責の六ヶ月規定を意地でも守ろうとしているわけですよね。ふざけんなって話です。こっちはまだ痛みや不自由と闘ってるっていうのに。

で、まぁ示談するにもしないにも、症状固定・治療終了という後遺症認定をしなければならないわけなんですよ。それでまたMRI検査やらXT検査やらをしたんですが、一番疑わしく、そしてそれまで撮影していなかった胸椎にも異常がなかったんですよね。

そうなるとどうなるか。主治医は脊椎からの影響でしか考えていなかったし、直接的受傷部位である右肩・右上肢に不自由や痛みが出ているのに、これについても全くこれまで検査していなかたんです。結果どうなるかというと「医学的所見は認められない」なんていうアホなことになってしまう。ふざけんじゃあねえって話ですよ。


4年前、僕は理学療法士の卵でした。が、多分実習中の何かなんでしょうねえ。腰椎のL4−5間にニョッキリとヘルニアが出てしまいまして、手術するには成功率60%残り40%は治らず、神経を傷つけて半身不随という二択を迫られまして、散々悩んだんですけど、その道を諦めたんです。その時に精神を病んだりもしたんですけどね。

まぁそれはともかく。受傷部位が確定しているにも関わらず、脊椎関係からの影響だと独断し、積極的治療アプローチもしなければ、各種評価(神経学的テスト)もしていないわけですよ。そんなんで後遺症診断書かれてたまるかってな話です。

ぶっちゃけ右手には力が入りにくいですし、箸を持てば手が震えます。肩の動きは痛みに制限され、肩胛骨周囲から背中の中央部にかけては痛みがあり、長い時間身体を起こしていられません。

これらの症状が脊椎に関係ないのだとすれば、もう少し末梢側の神経や筋肉の異常があるはずなのに、そのテストをしていない。それで後遺症診断をしてしまうなんてのはアホ以外の何者でもありません。無能なヤブ医者です。大マジです。ROMやMMTといった「整形学的評価」すらまともにしていないんですからね。

こんな患者イヤでしょ?だから今まで黙っていたんですけど、さすがにイヤになってリハ室のスタッフに聞いたんですよ。「MMTやROMはおろか、スパーリングや、ネックコンプレッション、ジャクソン、イートンなんかのテストもしてなければ、ヤーガソン、スピードテスト、アドソンテスト、ストレッチテスト、ペインフルアークサインなんかの神経学的検査とかやんないんですか?」ってね。

そしたらなんて応えたと思います?「Dr.の指示がないとどうにも……」ですってよ奥さん。そりゃま確かにそうなんですけどね。申し送りの際に患者の症状について提案するくらいのことは実習先でもやってましたよ?お前等どんだけ無能なんだマジで。


まぁ愚痴っていてもしかたない。治療費はやがて打ちきられるでしょうし、それを自費でまかなうなんて絶対に許せません。精神科医曰く「整形外科はダメだよ。あそこは骨の病院だから、筋肉や神経についてなんか精神科医なんかより詳しくないからね」だそうですしね。

そこで考えました。考えたわけですよ。それならきちんとテストしてくれる病院を探せばいいと、きちんと検査してくれる方法を考えればいいと。そこで手に入れたのが各市区町村が発行している「肢体不自由身体障害意見書」ですよ。これを持って、これを書ける身体障害者福祉法第15条指定医に行って、全部検査して貰えばいいわけです。異常がでないわけがないんですから。

多分障害等級としては7級が複数で6級で手帳交付か6級があるかないか程度でしょう。そんなに重いと思っていませんし、思いたくもありませんしね。そんなわけで、現在15条医のいる病院に色々問い合わせしまくっています。ちなみに整形外科の主治医は「あ、いいんじゃない?病院決まったら教えてよ、これまでの治療資料とMRIだのXTだの全部渡すから」とか云いやがりました。なんだってんでしょうね、この投げっぱなしジャーマンスープレックスは。お前は故・ゲイリー・オブライトかっつーの。

ちなみに場所的には移動がキツいので勿論市内がいいわけなんですが、至れり尽くせりとはこのこと。意見書の用紙の様々な中に「さいたま市内の15条医のある病院と各科の一覧」なんてものがありましてね。これで片っ端から「神経内科」を探しては問い合わせています。「整形外科」の15条医ですか?うちの主治医もそうなんですよね。はっはっは。あんな無能なヤツにみせたところでどうなるわけもなし。絶対にそれだけはカンベンです。

ちなみに現在、色々電話をかけて事情を説明したところ「埼玉精神神経センター」の対応が一番よかったので、まずはそこかなーという感じです。別にいくつ書いてもらってもいいわけですしね。これで障害がついたら、確定で後遺症の参考資料しかも医学的所見つきですから、保険会社というか自賠責側の後遺症認定も確定せざるを得ないでしょう。

まぁ自賠責の後遺症等級ですと14級か12級かってところでしょうけど、モノカキが活発な取材活動できなければ、車の運転も厳しい、なおかつADL(日常生活動作)にも支障を来しているわけですし、なにしろ杖なしの自律歩行が数百メートルが限度じゃ、普通の仕事もできませんからね。

速いところ何とかしたいと言い出したのは保険会社の側ですから、そのあたり素人相手じゃなかったことを理解して苦労してもらうことにしましょう。

ダークモード・スイッチ・入ります。押忍。


[ 2008年09月01日-06:15 ]  



音楽劇『ガラスの仮面』を観た−1−


さてさて、暗い話ばかり書いていても仕方がないって云うかなんと云うか。なにはともあれ相変わらず検査云々や弁護士云々でガタガタしているのですが、閑話休題。友人からのリクエストを受けた約束もあるので、珍しく劇評なんかを書きたいと思います。

劇評と云っても所詮素人の観劇記録と感想文以外の何者でもないんですけどね。そのあたりはまぁ、あたたかい目で見ていただければと云うかなんというかごにょごにょ。

そんなわけで、朝から痛み止めをガンガン射ちまくって、何かあったときにすぐに出られるよう劇場側にも通路側の席をとリクエストして確保したチケットで、観て参りましたですよ。

え?なにをだって?(わざとらしく耳を向けながら)美内すずえ原作 蜷川幸雄演出の音楽劇『ガラスの仮面』ですよ!なんだ!俺みたいなごついのがガラカメイツ(ガラスの仮面ファンのことね)じゃダメか!意外そうな表情っていうか、そこ!青筋流して白目になるんじゃない!

まぁそれはともかくですね。行ってきたわけですよ、最初は桜小路優役に、我らがリアクション芸人の星であるところのウエンツ瑛士くんが発表されていたんですが、スケジュール上の問題から降板というネガティブな話題くらいしかなかったんで、どうなることかと思ったんですけどね。

まぁリアクション芸人の星に関しては、スケジュールの都合云々よりも、大根過ぎて蜷川灰皿アタックを弾数が尽きるほど乱射されてダメになっちゃったんだと思いますけど(笑)。


さて、そんな横道話はどうでもいいとしてですね、『ガラスの仮面』を知らない人の為に説明しますと、かつて絶世の美女・超名女優として勇名を馳せていた月影千草演じるところの『紅天女』という劇があったんですな。で、凄まじい興行収益も上げた、文字通り伝説の舞台なわけです。

ところがそんな絶頂期にステージ上の事故で月影千草は顔に酷い怪我を負ってしまい、基本的には女優業は廃業。『紅天女』の作・演出を手がけた尾崎一蓮は、遺産として『紅天女』の上映権を月影千草に遺したわけです。

月影千草本人は舞台に立てなくなり、また身体を患ったこともあって、舞台劇の、いや表舞台の第一線から姿を消していましたが、この『紅天女』を受け継ぎ演じられるだけの女優を探し、育て上げることを人生の目標として生きている――そんな前置きがあります。

で、その『紅天女』の後継者に選ばれたのが二人の少女。北島マヤ姫川亜弓なわけなんですな。方や映画監督と女優・姫川歌子の間に生まれ、容姿に恵まれたのはもちろんのこと、本人の恐るべき努力とプライドによって周囲からは「天才」「サラブレッド」と評価されている姫川亜弓。

そして方や中華料理屋の住み込み店員の一人娘で成績不良・ドジでカメでノロマという往事の堀ちえみもビックリなダメ子なんですが、演劇に関しては素人ながら天才を持つ少女。台詞や動作覚えの速さもさることながら、役柄の仮面を着けたその時から、その役柄そのものになりきってしまうという、いわば憑依系役者の最大値をチートしたような北島マヤ。

本来の原作は、先行する姫川亜弓を、マヤが様々な苦難や演劇というものに対する姿勢や根本を学び、人間的にも成長しながら追いかけていき、やがてライバルとなって『紅天女』後継者の地位を争う――というのが物語の本筋です。


が、何しろ二十年以上に渡って続けられてきた漫画が原作であっても、舞台劇となりますと幕間休憩を挟んでも3時間程度が限度。どこまでを再現するのか、どこまでを原作から変えていくのか、そしてそこに原作ファンや原作を知らない演劇ファンでも満足させることができるのか、そこに演出家の手腕がかかってくるわけです。

おまけに先ほど干さ……スケジュールの都合で降板したウエンツ瑛士以外に先行発表されたキャストは、月影千草役に夏木マリさんというだけで、主役であるはずの北島マヤと、姫川亜弓は素人玄人を問わずのオーディションで選ばれるという、かなり前情報が不足した状態での公演になったわけです。

で、オーディションを通過して選出されたのが北島マヤ役に大和田美帆、姫川亜弓役に奥村佳恵。大和田美帆は大和田獏と岡江久美子の間に生まれて、子役時代から演技をしているサラブレッド、対する奥村佳恵はバレエの方では実績を残しているものの、今回が初舞台という、ある意味原作の亜弓とマヤの逆転現象が起きているという、これまた興味深いキャスティングになったわけです。

はい、ようやく前置き終わり。なげー。伊達に42冊分ねーよ。なげーよ。あとウエンツの面白エピソード部分が余分だよ。なげーよ。


で、観劇当日の話なんですが……長くなって参りましたのでとりあえず本日はこのあたりにしておきましょうか。ただ感想だけをなるべく簡易にまとめるとするならば……『初見の劇を見終わって、その日の内に翌日のチケットを抑えたというほどの舞台は初めてだった』という事実に尽きるんじゃあないかなと思います。

ちなみに一日目は最前列(3列)ブロックから通路を挟んで4列目という、ステージにかぶりつきのような席、二日目は1階ながら左最後方のPAや関係者入り口の近くという、劇場全体を見渡せる席という形でした。特に二日目は劇場の中を案内してもらって、「この位置からなら」と判断して購入したほど。

それくらい素晴らしい舞台でした。さて、それでは続きは次回。


[ 2008年09月16日-06:48 ]  



音楽劇『ガラスの仮面』を観た−2−


さて、本編劇評にいよいよはいるわけですが、なにしろ二回観たとはいえ、一ヶ月以上前の記憶になってしまいます。その為、場合によっては観劇された方から「そんなの無かったじゃーん」などと言われてしまうような事もあるかもしれませんが、その点ご容赦くださいますようよろしくお願いいたします。

舞台は彩の国さいたま芸術劇場大ホールだったわけですが、既に緞帳は上がり、がらんとした奥行きの広い(50mくらいありそう?)舞台に全く何もない状態が広がっています。

そしてその舞台上には、早い時間から劇場に訪れて権利を獲得したバックステージツアーの皆さんがいたりするわけなんですが、正直「コレで本当にこれから劇がはじまんの?」と思わされましたね(笑)。

会場に「開演10分前です」というアナウンスが流れ始めた頃、まだ客席にも動きがある中で、何人かが僕の席の隣の通路を普通に歩いて舞台に上がり始めます。そして舞台上手前の方で、柔軟体操やアップやら着替えなんかを始めるんですよね。中には通路を携帯電話で「あーそろそろはじまるから。じゃね」なんて話ながら歩いていく人もいたり。

やがて舞台袖からも何人もの人が集まりはじめ、舞台手前、中程、袖際などに何人もの若者が集まり始めます。そしてその中に……いました。一発で目を惹かれる存在感のある方が。舞台上手に、亜弓さん役の奥村佳恵さん。黒く長いストレートヘアにナチュラルメイク、動きやすそうなレッスンスタイルで軽く柔軟をしています。

やがて舞台上手からバーレッスン用のバーが出され、緩いBGMと共に、どこの劇団の舞台稽古でも変わらぬであろうバーレッスンが始まります。足を上げ下げし、腕を動かし、全身のバランスを取り、磨き上げる。バレエの基礎でもあるわけですが、この中で奥村さんは、わざとなのか演出なのか知らねど、一人1/4テンポくらい遅らせて動き、足を上げたときにも足首をクイっと動かすなど、本職のバレリーナであることを見せつける動きを見せてくれます。本気で目を奪われる動きですね。

場面はやがて発声練習へと代わり、ピアノに合わせて発声した後、今度は発声をしながらジャズダンスのレッスンです。何人かのグループが一列となって、舞台奥から走って連続でステップ、ターンして手を打ち鳴らし、笑顔で指を鳴らしながらターン。

その繰り返しを何度かします。間にステテコ姿の親父さん達が乱入して不格好にステップをして会場の笑いを誘いましたが、一体何だったのやら(笑)。

全くの余談ですが、ここの「笑顔で指を鳴らしながらターン」のシーンでの奥村さんに思い切りやられました。先に云ってしまいますが、劇中では「姫川亜弓」としての奥村さんは殆ど笑顔を見せません。見せてもそれは皮肉な笑みだったりするわけですが、ここではナチュラルに作った笑顔。本当に素敵でした。美人とかそういうだけじゃないオーラがありましたね。正直惚れました。

とまぁ、そんな個人的なウットリはおいといて、レッスンのBGMが切り替わって、メインテーマのイントロになると同時にレッスンバーが片づけられ、レッスンをしていた若者達は全員舞台からハケてしまいます。

同時に原作の「ガラスの仮面」の名場面や描き下ろしもあるかな? いずれにせよそんな巨大パネル(幅2m高さ3mくらいありそう)が次々と舞台を左右に流れ、観客を盛り上げます。シーンとしては紅天女のものが多いかなって感じでした。

そして紅天女のパネルが中央になり、5枚のパネルが静置されたところで、客席後方から大音量の歌声が聞こえて驚かされました。

 夢を見せて
 決して終わらぬ
 夢を見せて
 千年続く
 聞こえるか
 聞こえるか
 貴方にこの
 声が聞こえるか


メインテーマの一つである曲です。イントロから舞台上だけではなく劇場全体を使った演出というところが、なんというか原作ファン的には『忘れられた荒野』っぽくてなんともニヤニヤしてしまいましたね。

やがて、せり上がっていくパネルに向かって歓声を上げながら走っていく若者達。紅天女のパネルにひとしきり歓声を上げながら見送りつつ、舞台をはけていくわけなんですが、これは劇団オンディーヌの稽古風景というよりも、舞台役者を目指す若者達、また役者達が憧れる存在として『紅天女』があるという、役者達の群像的演出なのではないかなと解釈しました。

さて、音が消えたところでワンピースに割烹着、頭には頭巾という格好で北島マヤ役の大和田美帆さんが、これまた客席通路から登場。おかもちを持って、途中でお客さんに「すみません、このあたりに建ったばかりの劇団つきかげって書かれた3階建ての建物があるはずなんですが、ご存じないですか?」などと聞き、客の受け答えによってアドリブをして笑いを取っていました。この時点で彼女にもかなり好感がもてましたねえ。

そして舞台は変わって劇団つきかげか、月影先生の自室か。源造さんと月影先生とが紅天女を演れる役者がいるのかいないのかという会話をしています。「出たー!」って感じでしたね(笑)。夏木マリさんの月影先生はイメージバッチリ過ぎです。怖ろしいほどに(笑)。

近年アニメ化された際には声を藤田淑子さんがあてていたのですが、夏木さんの声質はそのイメージにもぴったりで、ドラマの時の野際さんは、それはそれは凄まじい存在感でしたし原作通りっぷりではありましたが、あの方の声質はちょっと月影先生のイメージとは違ったので『月影千草完全体』率は夏木さんの方が上って感じでしたね。

で、その待ちの間の月影先生のモノローグが、この舞台のキーにもなっているのですが「雨」なんですよね。

「雨、雨の音ねこれは。似ているわ雨の音は。私を生かしてくれるあの音に……私の中で決して鳴り止むことのないあの音に……」

つまり喝采の音が雨の音に似ている、とそういうわけです。「舞台に取り憑かれた」という表現がありますが、そんな感じをイメージさせるモノローグですね。

さて、そこにマヤ登場。雨に濡れたマヤを見て源造さんに濡れた服を何とかするように指示し、頼んだラーメンはそっちのけで月影先生の勧誘が始まります。

「前にお会いしたわね。一昨日だったかしら。公園で子ども達とお芝居の話をしていたでしょう。確か、ロミオとジュリエットを観たばっかりだったとかで……」とはじまり、「私はお芝居に情熱を持った若い人を見るのが大好きなの」と誘って、マヤにロミオとジュリエットのバルコニーのシーンを再現させます。指導付きで何度も(笑)。マヤ、ノリノリです(笑)。

ここで既に原作と違う点が出てくるんですが、マヤが観に行った『ロミオとジュリエット』は劇団オンディーヌのもので、ジュリエット役は姫川亜弓ということになってるんですよね。原作では後に一人芝居「ジュリエット」をやって、伝説の長椅子に腰掛けるパントマイムシーンを見せてくれるわけですが、それはナシの方向になってるわけですな。

さらに、中華料理店の住み込み従業員の娘ではなく、中華料理屋の一人娘ということになっています。年齢も高校二年生。つまり、マヤのお母さんが結核になって中華料理屋を追い出されてしまうこともなければ、家出同然で劇団つきかげに入ったマヤが高校進学をしないと考えていたのを、紫のバラの人が援助してくれるというエピソードもなくなるわけです。ちょっと、これは残念だなぁって感じですね。

さーてどうなるのかなーと思っていたんですが、とりあえず高校の学芸会で演劇をやるという話になり、月影先生からアドバイスを受けます。例のビビの役の話ですね。担任の先生の演出方針とは違ったとしても、舞台の上ではビビの仮面を被り、ビビになりきり、ビビの心として動く。それが大事なことなのだと。

そして学園祭本番。母親は観に来てくれませんでしたが、マヤはそこで覚悟を決めて、自分の北島マヤという心を捨てて、ビビの仮面を被り「あたしはビビになる」と、初めての舞台に立ちます。先生の「おどけろ」という演出とは違いますが、悲劇の少女としてのビビを演じきったマヤは喝采を浴び、舞台に取り憑かれる……というわけです。


そしてその数日後、すっかり演劇に目覚めてしまったマヤは、劇団オンディーヌに入ろうと向かいます。そこには演出家で理事の小野寺先生と、大都芸能社長の速水真澄が来て、研究生達を激励していたんですが、まぁそこにマヤが転がり込んできたわけです。が、月謝や入学金の事を聞いて尻込みするマヤ。

学芸会での舞台経験しかないということで小馬鹿にされたりするわけなんですが「せっかくだからパントマイムだけでも受けさせてあげてはいかがですか」と速水社長、そしてパントマイムのなんたるかを説明する桜小路優などがあったりしつつ、部屋の鳥かごから逃げ出した小鳥を追いかけるパントマイムのエピソードになるわけです。

イメージの中の自分の部屋で、高いところに小鳥が止まってしまい、困ってしまうマヤ。そしてそれを引き継いで鳥かごに戻すマイムを見せる亜弓。他のオンディーヌメンバーにからかわれたマヤは出て行ってしまうわけですが、ここで亜弓は、演劇もパントマイムもしたことがないマヤが「本気で困っていた」ということに敏感に反応し、マヤの恐るべき天才に気づき始めるってわけですね。原作でも印象的なエピソードです。


さて、場面は変わって今度は劇団つきかげです。月影先生が小野寺先生と速水真澄に劇団つきかげの旗揚げと宣戦布告をします。そしてマヤとの会話、月影先生の過去が語られ、マヤは劇団つきかげへの入団を願い出ます。入学金などは働いて返すという言葉に激昂する月影先生、演劇はそんなに甘いものじゃない。趣味のように演劇がしたいのならばやめろと突き放します。

そしてマヤは決定的な一言「女優になります!」と宣言するわけです。これもまた印象的なシーンですね。そしてマヤは家出同然で奨学生として寄宿制の劇団つきかげへと入ることになるわけですが、他の劇団員や寄宿制達の紹介を受け、後に劇団つきかげに残る事になる4人が挨拶をするわけですが、やっぱりここで青木麗が男だと思われるという、原作お約束のエピソードが入るわけです。

ちなみに青木麗を演じた月川悠貴さんは男性です(笑)。蜷川演出の舞台の常連で、女装役も多いんですけど、本当に違和感なかったです。一緒に観に行ったガラカメイトは最初男性だと気づかなかったくらいに(笑)。


そんなわけで紹介も終わって、エチュードの練習に入るわけです。アドリブで「はい、いいえ、ありがとう、すみません」という台詞だけしか使っちゃいけないという練習ですね。そしてその最中に、劇団つきかげを見学にきた姫川亜弓が「私が相手役になってやってみてもいいですか?」と云いだし、マヤは四つの台詞のみ、そしてアドリブで亜弓が攻めるという、原作通りのエピソードが始まるわけですね。

ここの周りの劇団つきかげのメンバーが歌う「四つの言葉で会話は進む」という歌は結構よかったですねえ。最後は「音楽はお好き?」でレコードではなくCDを探すマイムをしてみせて、手渡し「はい!」で終わるというマヤの天才っぷりが輝くシーンでした。いい演出でしたね。

そしてそこに今度は速水真澄がやってくるわけですが、月影先生は劇団発足公演の『若草物語』の配役が貼り出してあるから見に行くようにと劇団員に伝え、さりげなく人払いをします。ちなみにここで、マヤに三女のベス役を当てるという事を発表するわけですが、特にパニックや、さやかとの役の奪い合いなんかのエピソードはなかったですね。

で、速水真澄は月影先生に「劇団つきかげの出資者を突き止めたが、貴方は利用されているだけなんだ。大都芸能の傘下に入った方が良い」と警告します。が、速水真澄の義父である速水英介にされた仕打ちから、それだけはできないとつっぱねる月影先生。「大都芸能にたてつくとどうなるのかわからないわけではないでしょう……警告はしましたよ」と真澄退出。

一人になった月影先生は決して紅天女の上演権を譲らないと遺志を新たにし、ソロで『紅天女』を歌いあげるわけなんですが、僕の知っている夏木マリさんというのは流行歌謡曲の歌い手だったはずなんですが、すっかりシャンソン調の発声で、素晴らしく歌いあげてくれました。いやいや、魂持って行かれましたね。


で、ここで場面転換なんですが、長くなってきたので次回に回します(笑)。興味のない人は本当にごめんなさい。観に行けなかったガラカメイト達から「詳細に書け!」と云われているので、お許しください(笑)。大体今、ここで半分くらいですから、次回で終わるかな?


[ 2008年09月24日-20:37 ]  



不安と葛藤と


一応注意書きしておきますね。読んだ人に不快感を与えるかも知れないような内容です。特定の職業の方にとっては侮辱になるような発言をするかもしれません。というわけで読み飛ばし推奨。





本来は俺、こういうの書くの嫌いなんだけどね。吐き出さずにはいられないもんですから吐き出します。



明日、埼玉医科大学総合医療センターに行くんですけどね、まぁ紹介状とかはありますし、先に患者紹介FAXとか紹介状とか色々送ってあるんですけど、まぁ初診なんで問診と簡単な検査だけで終わっちゃうと思うんですよね。

で、また今度は詳細な検査が「必要と判断されれば」、検査予約をして、それで出向くわけですよ。場合によっては検査を受けて、今度は検査結果を聞くまでに待たされる。で、今度はそこで後遺症診断書なり肢体不自由身体障害意見書を書いてもらうなりするのに行って、さらにそれが出来上がるまで待たされる。

で、今度はそれらを各種審査機関に出して、それの結果が出るまでまたまた待たされるわけです。なんていうかなぁ。もうね、待たされるの飽きたんですよね。本当に飽きた。

そもそも、地元の大和田整形外科から紹介状書いてもらって、最初は埼玉精神神経センターにいったんですよ。事前に電話してね、これこれこういう事情だからそちらで検査していただきたいと、そしたらまぁ大丈夫だってことで紹介状を書いてもらって行ったんですけどね。

この紹介状がまたねー「来週月曜には出来上がります」と云われてたんですけどね、とりにいったら主治医休みでやんの。で、休みのところに連絡してもらって確認してもらったんですけどね、書類自体は出来上がってたらしいんですけど「目を通してないから渡せない」とかなんとかのやりとりが聞こえてきまして。

要はね、書いてないんですよ。主治医本人は。ワープロ文書にハンコおしてあるだけだしね。で、次は水曜日に来るっていうんで取りに行って内容確認したら、もうくっちゃくちゃなのね。笑っちゃいましたよ。症状も違うし、治療内容も処方も間違ってるし、精神科への紹介内容も違う。

自動車を運転中にパニック的な症状が出てきたので、紹介状を書いてもらったわけだし、それは精神科の方でも確認したんですけど「不眠を訴え、心療内科受診を希望」とかになってるしね。精神科への紹介状は筆跡のあるものでしたから、主治医本人の書いたモノなんでしょうけど、だったらそんな間違いを起こすわけがない。

カルテから適当に拾って別の人が書いて、主治医が目を通してハンコをポンしたってのがバレバレなわけなんですよ。そりゃ間違いだらけににもなるわけですわ。いい加減にもほどがあるって話ですよ。

しかも「後遺症診断書作成のために精密検査をお願いする」紹介状のはずなのに、最後なんかは『最近、特にふらつきおよび眠気が強くなっているとのことで貴院での治療を希望しております。(原文ママ)』とかになってるしね。全くもって見当違い過ぎるわけです。そもそも、そんなこと主訴として一言も云っていませんから。

ところが受け取ったその日に、その紹介先の埼玉精神神経センター神経内科に行く予定だったもんですから、仕方なくそれを受け取って「後は口頭で説明してください」とか云われて出向いてみたら、今度は埼玉精神神経センター神経内科に「こんな紹介状じゃなにをどうしていいかわからないし、そもそもウチではそういうことはできないしやってない」と云われる始末。

狐につままれるとはまさにこのことでして、呆然としたまま電話で確認したはずの医療相談室に出向き、医療ソーシャルワーカーの方とお話させていただいたんですけどね。まぁどんな手違いがあったのかはわかりませんでしたが、2時間以上に渡って色々相談させていただきまして、親病院の分院の方なら、全部検査出来るんだろうからというアドバイスを受け、今度は埼玉医科大学総合医療センターに行くことになったわけです。

あーもーこれだけでも十分イライラですよな。んで、紹介状は叩き返して「ここが違うし、これが書いてないしというのをまとめてきますから、それを確認して書いて下さい」というわけで、それを全部まとめ書きして印刷して叩きつけたわけですよ。

そしたら、今度は連絡してきたのが大和田整形外科を傘下に置く医療法人の事務長とかいう人でして、要は主治医が書いてないのがさらにまるわかりなんですよねー。どういうことなんだか。で、出来上がった新しい紹介状の内容を確認したんですが、これまた直すべきところは、一応直っていますけど、指示書きしたところを修正していなかったりと、まだまだ赤点。

それでも文末が「貴院での精査を希望しております」になっていたので、まぁヨシとするかという感じで受け取った次第です。その後FAXで患者紹介FAXと紹介状、自覚症状やADL(日常生活動作)への影響なんかをまとめたモノも一緒にFAXで送って、肩と脊椎の専門医がいる火曜日である明日の診察になったわけなんですけどね。


ちなみに、現在にいたるまでリハビリと称してのレーザー照射と、電気流すやつと、週2回までの鍼(鍼さして電気流すヤツです)と、バイターというマッサージ器を使ってのマッサージ、ノイロとネオビタという神経ブロック系の注射と、痛み止めと消炎剤の服用だけという対処療法だけしかしてきていません。

検査はレントゲン(右肩・首・腰・膝?)とMRI(首・胸・腰)だけですね。右肩を中心とした背中の痛みや、右手の脱力・筋力低下・麻痺・疼痛などに関してはまるでアプローチされていません。それに最初のうちは左膝靱帯損傷(最後の事故は右腕に車のサイドミラーとサイドボディをぶつけられるという人身事故ですので、ぶつかった際に捻ったらしいんですよね)ということで、膝にも電気あてたりしてたんですが、いつの間にかそれもなくなっていたりね。

なんかもーね、信頼出来ないんですよ。特に今回の一件で、本気で主治医に対する不信感が高まりました。俺、実は数年前理学療法士の専門学校に通っていたんですよ。リハビリの専門家になるための資格ですね。ところが実習中に椎間板ヘルニアをやらかしてリタイアしてしまったわけですが、それなり以上に知識があるわけです。

その目から見てもね、おかしいんですよ。最後の事故は「右上肢」がメインの受傷部位なのに、MMT検査もROM検査もしてないんです。右肩胛骨周辺が痛い、右腕が利かないといっているのに、肩のMRIも撮らないし、他にも各種神経検査とかされた覚えがないし、実際紹介状にも書いていないんですよね。

もうね、今までの一年間はなんだったんだろうって感じです。対処療法してりゃよくなりますよ。痛みを感じさせなくしているわけですから、力は入らなくてもそこそこ動けないこたあないです。転倒防止の為に歩行には杖が必要ですし、階段は手すりが使えないと昇降できませんけどね。

でも、そんな痛みを麻痺させた状態で、検査を受けてもしょうがないので、先週から今にいたるまで一切断薬してるんです。注射も痛み止めも。「本当の状態はどこまで治っているのか」ということを確認するためにね。だって、治療打ち切られたら、薬とか注射とか自費ですし、治らないなら一生涯この痛みと辛さを引きずっていかなきゃいけないわけですから。

で、その一週間が経った今。急激に冷え込んできたこともあってか、最後の事故からしばらく経った時と殆ど変わらないくらいに辛いです。去年を10としたら今8.5くらい?冗談抜きで明日病院に行くことが予定になければ、救急車呼びたい気分ですよ。


明日は初診。各種の検査を受けられるかどうかもわかりません。大学病院だから設備はあるでしょうけど、予約制でしょうしね。つまり、明日行ったところで検査予約がいつとれるかもわからない。待たなきゃいけない。

そして検査を受けたとして、事故によるものという他覚症状・医学的所見が認められなければ、後遺症認定も受けられないし、肢体不自由身体障害認定も受けられないわけですよ。おまけに原因不明とか治療不能なんていわれたらもう最悪ですよ。

だってそうしたら残るのは、痛みと辛さしか残らない身体と、寿命だか別の病気だかで死ぬまでの年数だけですからね。それならさっさとこの世におさらばした方が楽です。一年間治るまで我慢しました。「治療を受けているんだ治るはずなんだ」と思ってね。でも治っていないのが現実。

主治医の検査所見では他覚症状は認められない程度の事しか書けない。そりゃそうだ。検査していないんだから。その上対処療法しかしていない。断薬してみたら最初っからの痛みと苦しみに元通り。こんなの生きてても仕方ないじゃないですか。もう待つのはいやなんですよね。

俺が待たされているということは、他の人や関係する物事も待たせているってことなんですよ。全てが停滞している。それを乗り越えたいんです。事実関係さえハッキリして「ああ、後遺症認定を受けられるんだ」と安心したいんですよ。「これからは障害者として生きていくんだ」と割り切れる覚悟もしたいんですよ。

何度も繰り返しますが、待ち疲れました。待つのはもういやなんです。明日は埼玉医科大学総合医療センターにいきます。そこでの対応がどうしようもないものであったら……これまで十年間続けてきた、このサイトも終わりかもしれません。俺の人生とともに。

そんな感じで明日は行ってきます。あらゆる意味ではやく楽になりたいです。これを書いている今も、痛いし辛いし苦しいです。明日運転出来んのかなぁ……。
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長文書く余裕はないので報告のみ追記。
一応進展はありました。一応ね。本当に少しだけ。待つのは飽きてるけどとりあえず今週末弁護士と接見、明けて火曜日に肩を専門医に診てもらいます。神経内科は自律神経系の心配はないんじゃないかなぁだそうです。まぁこんなもんだと思っていたし、こんなもんなんだろうなあ。


[ 2008年09月29日-23:47 ]