まったりくんの人気が高い。チクショウ、既製品の分際で、なにそんな人気を得ていやがるんだ。口から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたろかいーっ!
(すっぽり)

あぁああぁぁ癒されるぅーーーッッ!!!
馬鹿か俺はッッ!!!というわけで、人気の高い彼ら。「まったりくん」はオフィシャルな通称であって、僕の着けた名前ではないので悪しからず。正式名称は
「:mattari」というらしい。
通常のツチノコ・ナマズ型はS〜Lの3形があり、色は3色。Sが1000円で、あとはサイズ毎に1000円アップのプライス設定となっている。
Lサイズは、僕の頭の半分までを飲み込んだ、という大きさであることを、付記しておきたい。
癒され過ぎて意識飛びかけた(広く一般には、それを窒息という)。
当サイト上では、陽気なメキシコ人となってしまっている「まったりばるーん」は、同商品のバルーンスタイルというらしい。コチラはスモール(2000円)とビッグ(3500円)のみ。色は4色ある。
そして「白いの」と呼ばれている、表面がポリエステルの起毛布のタイプ。こちらは3色で、メインのMサイズと同寸のものがある。他は不明。価格は2000円。
以上が「まったりくん」らの簡単な紹介になる。残念なことに開発元の株式会社サンハーティネス香産
(大阪市東成区)には、Webサイトがない。
必死になって集めた情報から考えると、フレグランス・アロマ系の香料グッズと、ファンシーグッズをあわせた、さまざまなアイテムを開発している様子。香り付きの猫柄のクッションやら、香り付きの金魚の根付けやら、といったところか。
中でも、この「:mattari」はローカルTV局の三重テレビ放送
(テレビ東京系列?)の「痛快ネギリバトル わてらにまかしとき!」という通販番組で取り上げられて以降、静かに人気を高め、ロフトやハンズなどにもコーナーがおかれるようになったという。
キャラクタービジネスや商標等に使われるシンボルキャラクターでは、「目を引く・気になる」というキャッチの観点からも、
「キモカワイイ」と表現されるようなキャラクター達が人気を集める。
この表現は、自動車メーカーTOYOTAのTVCMで登場した「ダンシングベイビー」あたり以降、ここ数年で市民権を得てきた造語であり新表現だが、明確な意味はまだ定義されていない。また微妙に「気持ち悪い」「可愛い」との合わせ技とは断定が出来ない。
いわゆるギャル言葉の「キモイ」と「カワイイ」という曖昧なフィーリングの産物と考えると、理解が及ぶところかもしれない
(上記の両表現は、それを発する者によって、どのようなモノにでも適用されてしまう。その為語源である本来の言葉の意味は喪失されていると私見。よって起源となる語の方での断定は出来ない)。
また言語的な表現ではなかなか理解しえぬものの、感情面で解説すれば少しは容易である。「気持ち悪い」は嫌悪であり、「可愛い」は好意だ。本来ならば、この両者は共存しえないが「多面的な見方で、深く考えると気持ち悪い、でも一見は可愛い」、また「一見可愛いが、深く考えると気持ち悪い」というスタンスは、なるほどと思う。
例えば2頭身などにディフォルメされた人間の姿。現実面で考えれば奇形である。だが、自らとは異なる者であるからこそ、興味また愛着が芽生えるというわけ。
これは、あるいは我が国の起源とされる神話・歴史書「記紀」
(古事記・日本書紀)の伊弉諾尊
(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊
(いざなみのみこと)による『国生み神話』に起源をもつのかもしれない。
民間信仰の神として、また七福神の一柱も担う恵比寿神。これは伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた第一子である。
しかし、生まれてより三年が経つも、骨なく言葉なく、また立たず歩かず、蛭の如きであったところから「ヒルコ
(蛭子)」と呼ばれ、その醜さから、父母である両神の手によって、葦の船に乗せられ、川に流されてしまう。
その後、川から海にでて、沿岸部に漂着したものが「えびす」となり、庶民の神となった――と、簡単に説明すると、こんな感じである。
漫画家の蛭子能収さんの姓にある通り「蛭子」と書いて「えびす」と読むのは、この神話に基づくものである。
ところで、こうした神話に起源する信仰は、そのまま沿岸部では「漂着するもの」「漂着する異質なもの」また「海からやってくる異質なもの」に対する信仰にかわったことも付記しておきたい。
これは信仰の根元には、理解しえぬ異質なものへの畏怖がある、「おそれがみ」「たたりがみ」という文化の一端のようにも思えるし、また漂着物(海から来るもの)によって、生活が変わった(恵みがもたらされた)という、島国である我が国独特の文化の一面も併せ持つように思う。
余談が続くが、えびすは「夷」とも書き、歴史の授業の記憶にあるであろう「征夷大将軍」などという役職は、名の現すとおり「夷を征伐する」遠征隊の将軍であった。ちなみに遠征先の「蝦夷」も「えびす」と同意である。
さらに歴史を見ると、フビライ・ハンによる日本遠征、つまり「元寇」も「夷」であったし、江戸末期の「尊皇攘夷」も「夷を攘(はら)う、退ける」という意味。また新しくは第二次世界大戦の時も、英米をして「夷狄
(いてき)」などと称していたのだから根深い。
中国大陸の周の時代にあっては、「東夷 西戎 南蛮 北荻(狄)」と四方の異民族を称し、蔑視していたところがある。
都から離れている故に「未開である」としたものか、騎馬や象兵の驚異を恐れたものか、こうした異文化・異民族をして「野蛮人」とまでしたものだからすごい。そしてそうした意識は、我が国の「えびす」という言葉にも継承されているといえる。
前述した「夷狄」は東と北の異民族を現す言葉であるが、二次大戦中に意味同じくして使われた言葉は「鬼畜米英」である。「夷狄」という日本語において、どれだけの排斥的蔑視傾向があったかを読みとることが出来るというわけ。
総合すると、「えびす」とは「我と違う者・異質な者」として忌み嫌われる反面、島国という風土における文化から、「恵みをもたらすもの/神」として、崇められるものであったということ。
事実、恵比寿様は福の神であり、商売繁盛の神として各地で奉られている。「えびす」とは、そうした二面性を併せ持つ特殊な存在なのだ。
また、「記紀」の話に戻して、蛭子/えびすは、首がすわらず、立つことも出来ない奇形児であったとある。恵比寿様の像や絵も、片膝をたてた崩れた胡座で背中をまるめてニコニコと微笑んでおり、大黒様のように立ち歩く姿は見あたらない。
つまり、しっかりと神話を反映した姿であるのだ。片膝をたてているのは胡座の姿勢では上体を支えられないので、立てた膝を支えとする為である。
商売繁盛といえば、商店に飾られる、裃姿の「福助」人形。これも奇形の人であったという。しかも江戸期に実在した人物で、頭だけが異常に大きく、身長わずか60cmであったという、リアルな伝承まである。
実在の「福助」には諸説あるが、いずれも、その「愛嬌ある」姿が幸いして、出世した、とある。そして、その逸話から出世開運の縁起物として焼き物にされ、商店に飾られるようになったというのが通説だ。
十返舎一九の「叶福助噺」では、大黒天が娘の吉祥天の婿に福助を迎えたとあり、民間文化では、神様と同列に扱われている感もある。ちなみに、福助は「おかめ」が母で、「お多福」と愛人関係でもあった等と、なかなかに華やかなプロフィールであったりもするのだ。
この「福助」、裃姿に座布団に三つ指正座が基本形であるが、本来は恵比寿と同じ片膝を立てた胡座であったとされている。また正座の上体で前方に手をついているのは、お辞儀ではなく身体を支えている為だともある。
いずれにせよ、福助も恵比寿も、その姿は奇形であるというわけ。これを商売繁盛の象徴とし、奉ったり看板にしたり店先におく。あまつさえ「愛嬌ある」と表するのだから、不思議といえば不思議。
奇形とは、普通の姿ではないということ。つまり、考え方一つだが、これも「夷/えびす」的なのである。
日本は島国であるが故に、その性質は閉鎖的である。長く続いた鎖国以前にも「夷」という概念があったのだから、これは根本的性質といっても過言ではないだろう。
平均を好み個を嫌う。常識を好み異質を嫌う。しかし、その反面、その異質なものを奉ったり、好んだりもする。この相反する二面を併せ持つのは、日本人独特なものではないだろうかと思うのだ。
つまり、これこそが「キモカワイイ」の本質なのではないだろうかということ。
そう考えると、人気を博す、多くのビジネスキャラクター達が「キモカワイ」く、また看板やシンボルにも使われ、それによる市場が展開されるまでに至る理由は、恵比寿や福助にまで遡る、日本人の性質の一つなのではないだろうか、という仮説がたてられるのである。
そういう意味では、手足なく、爬虫類にも軟体動物にも似ており、あまつさえ口腔内に手を差し入れるなどの用途をもった、この「まったりくん」等は、「キモカワイイ」のど真ん中を驀進していることだけは間違いないといえるだろう。人気があるのも肯ける次第である。
まぁ「もっとも」ぶった文化論モドキをぶちまけて韜晦したところで(しかも、この長さで、云いたいことの半分以下)、28歳独身男が、ぬいぐるみと戯れている事実は動かしようもないわけですが(血涙)。
……(すっぽり)……

あぁああぁぁ癒されるぅーーーッッ!!!
「健全」という名の明るい未来が
まるで見えません。
(まぁ…これはこれで…うん…。←そろそろ諦めムードか)