無事です。っていうか、どうして安否報告を一番最初にしなくてはいけないのか極めて謎だが、とにもかくにも
『薔薇族』編集部に行って来た。
――午後2時。
僕の住む町は雨降りだった。透明な空が恋しくなる昼下がり、ホームについたのは待ち合わせの4分前だった。
改札を出たときに少しだけ息が熱くなっていたのは、急ぎ足でホームの階段を昇って来たから。待ち合わせに遅れるなんて失礼じゃないか。決して早くアイツに逢いたかったから、なんて云わない。
駅を出る前に少し呼吸を整えたのは、身体の熱をさげたかったから。見透かされるのなんかゴメンだ。自分でだって認めたくなんかないのに。
「走ってきたんですか?そんなに急がなくっても時間には間に合ってますよ」
簡単に想像出来る彼の台詞。否、声、仕草、笑顔、身体、それと……『におい』。
きっと彼は透明な空よりも晴れ上がった笑顔で僕を迎えてくれる。でも、その裏側で、意地悪に僕を見透かしているんだ。いつだって。そう、いつだってそうなんだ――。
階段を降りる一歩一歩が少し重い。重いくせに心は軽くなる。きっとこの瞬間の僕のこんな気持ちでさえ彼は見透かしているんだ。意地悪なヤツ。本当に意地悪だ。口の中で声にしない悪態を吐きながら僕は駅を出る。
探すまでもなく、すぐに彼は僕の視界の中で輝いた。彼も僕を見つけたようで軽く会釈をしながら笑顔を見せた。
彼のいる時計台の下に行くまでの20歩に満たない時間で、僕はさっきまでの悪態の事なんかもう忘れていた。
傘はささなかった。
空は未だ曇っていたけれど雨は上がっていたし。第一、僕の心は待ち望んでいた透明な空なんかよりも、晴れ上がっていたから――。
というようなことは全くなく。僕とブッキングのY氏は、お互いに
「災難でしたねー」等と云いながら街を歩き始めた。道中ヤマジュントークや薔薇族トークを小声で交わしつつ不安を紛らわしたり
高めたりしながら目的地を目指す。
10分ほど歩くと閑静な住宅街の一角に
そこはあった。一見普通の民家だが、表札のところにしっかりと
伊藤文學・薔薇族編集長の名前。他にも様々な表札というか看板があわせて表示してあった。
今更のように説明するが『薔薇族』は創刊32周年を迎える雑誌である。
日本で最初に刊行されたゲイ専門誌でもある。そして伊藤文學・薔薇族編集長は、その雑誌を創刊当時からずっと支え続けた人物であり、御尊父が1948年に創立した第二書房を継ぎ、今に至る。実に御歳
71歳である。
戦後を生き抜き、激動の60年代・70年代に黄金時代を過ごし、著作も多数。作家や詩人はいうまでもなく、アート・舞台・役者にも人脈は広く、出版界におさまらない文化人であり名士である。
そんな方にお会いできるというだけでも、実は僕は相当緊張していた。玄関先でお会いした伊藤氏は落ち着いた紳士といった印象で、ご挨拶もそこそこに
「準備出来ていますよ」と笑いながらヤマジュンの未収録作が掲載された薔薇族・薔薇コミ・小説薔薇族などを渡してくれた。
なんでもこちらで特定していたもの以外で、編集長自ら400に近いバックナンバーを調べてくれたらしい。
「おそらくですが、これで全部ですよ」と笑う伊藤氏。受け取るY氏の横で
心底ほっとする僕。あっけない話だが、こうして薔薇族編集部訪問は終わった。
過去の薔薇族に埋もれながら血眼になってヤマジュン作品を探すということはせずに済んでしまったのである。
「こんなところで立ち話もなんですから、喫茶店でも行きましょうか」とのお誘いを受け、気が抜けたというか、ほっとしたというか、とにかく安堵の表情を浮かべてY氏と僕は、伊藤氏の先導で喫茶店へと向かった。
着いた店は偶然にも、僕も何度か利用したことのある落ち着いた喫茶店だった。奥の席に通され注文をすると、
「実はインターネットでこれこれこういう…」という復刊に至った経緯や、ヤマジュンがどういう切り口で扱われていて人気があるかなどをの説明をするところから始まり、伊藤氏から様々なお話を伺うことが出来た。
その全てをここに記すことは出来ないが、僕は非常に貴重な時間を過ごさせていただいたと感動している。
ヤマジュンこと山川純一さんの人となりや、薔薇族掲載の話などもそうだが、1960年代を彩った芸術・文化人達との親交のお話は、ひたすら感動するばかりだった。寺山修司、唐十郎、若尾文子…僕なんかでは昭和の文化史で学んだ方々のお話が次々と出てくる。
決して懐古的にならず活き活きと語られる「現在」と「過去」。人間が、日本人が「限界」を信じずに、際限なくパワーを発散し「何か」を作り上げようとした時代と人々。僕のようなどこの馬の骨とも知れぬ若造に、ゆったりとそれらの事をお話ししてくれた。
時間にして小一時間程。無論、伊藤編集長が話して下さった事は、氏が経験なさってきた事のほんの一部でしかないだろう。だが僕にとってその時間は、宝物のように貴重な時間だった。
別れ際、
「せっかくですから頑張っていい本にしてください」と笑った伊藤編集長。どこまでも気さくな方だった。

伊藤文學『薔薇族』編集長と本来ゲイ専門誌の掲載作品であるヤマジュン作品が別の形、いわば「ネタ」として扱われているという現状に対しても、理解を示し、応援してくださった伊藤文學編集長。
その期待に応える為にも、
どういうわけか巻き込まれてしまった立場の僕ではあるが、精一杯頑張ろうと思った――そんな『薔薇族』訪問だった。
で、頑張り第一弾として、夏コミに向けて
『やらないか』Tシャツ作ることになりました。
(だから何故僕が…。)
余談。同行したブッキングのY氏はその後、渋谷方面の書店周りなどをしなくてはいけないスケジュールだったようで、伊藤氏に渡された
半透明の袋に入った十数冊の『薔薇族』バックナンバーを
「ど、どこで袋移し替えようかなぁ…」と、持参した袋を握りしめたまま、
かなり挙動不審でした。
僕は
当然のように移し替えには立ち会わずに駅前で別れてしまったですが、まぁよしんば移し替えが成功したとしても、渋谷の雑踏で転んだりぶつかったりして
袋の中身をぶちまけたら彼の人生は、ある意味終わるだろうなぁ。鉄板で。(※その後無事にブッキングまで生還したと報告が有りました。ちっ(ぉぃ)。)