じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)


【過去のつぶやき】
 2006年01月の【家元のつぶやき】のバックナンバーです。

 感想など、メール掲示板の方にいただけると、非常に嬉しいです。メールは送信する前に、こちらを御一読下さいませ。
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2006年01月のバックナンバー

絵馬・ワトソン(違)。(2006年01月04日-10:51)
ははへのてがみ。(2006年01月06日-13:12)
どうぶつの森日記総集編 −1−(2006年01月09日-22:42)
どうぶつの森日記総集編 −2−(2006年01月12日-19:28)
くらやみの森 −おいでよ どうぶつの森日記−(2006年01月18日-14:40)
『いただきます』という言葉。(2006年01月23日-13:05)
夢舞台。(2006年01月27日-04:08)


絵馬・ワトソン(違)。


餅太ってるかーーーーーーーーい!!(陣内孝則の物真似をしながら)

というわけでして新玉って、皆様あけましておめでとうございます。ようやくおさまってきたように感じますが、今年の正月も「あけおめ ことよろ撲滅委員会」の一員として、正しい正月の挨拶をしていきたいと思う言戯道場・家元の春九堂でございます。

さてさて、御題『初詣に行った神社で見かけた強烈な絵馬』および『正月』に対して、沢山の投稿をありがとうございました。

しかしながらフリースタイルであるところの『正月』への投稿作品達は少々微妙な感じだったんですよね。この企画も5年目になりますが、読者の入れ替わりなどもあって、僕自身の感触としても、まだ今ひとつ皆さん言戯慣れしていないなと思うところもあって、今回は発表を見送ることにしました。

しかしながら投稿はまだまだ受け付けておりますので、チャレンジスピリッツ溢れる皆さんは、どんどん投稿してくださいね…っと、ここまで書いていたら、投稿メールの中からぽろっと良作が出てきたので、これだけ紹介しちゃいましょうかね。


東京の大学生が年を越しすぎた蕎麦をすすっている頃
ソウルの受験生は入試に向けた最後の追い込みをしている。

クアラルンプールの少年が昨日の爆竹を片付けている頃
ニューデリーの少女は寝ぼけ眼でベッドから這い出してきている。

アテネのおばさんが新年最初のオリーブオイルを取り出した頃
パリのおじさんは5本目の新年のワインを空けている。

サンパウロで大騒ぎのパーティーを家族で開いている頃
ロサンゼルスでは街中が集まってカウントダウンの真っ最中だ。

こうやって新年がはじまっていく。
あなたにとっても、良い一年でありますように。



某社のCMパロディ、もしくは元ネタである谷川俊太郎先生の「朝のリレー」のパロディなんですが、すごくキレイにまとまっていたので拾い上げてしまいました。こういうのも出せるのか宇呂田勝男君。今回はキミの投稿はもの凄く厳しい目で見て、採用ハードルを思いっきり上げてやろうと思っていたのになぁ(鬼)。


逆にある程度投稿にレギュレーションを設けた『初詣に〜』の方は、なかなかの力作もあり、思わず吹き出してしまうような作品もありました。なるほど、これが飛田の云うところの「陸奥に勝つ…にはワクを広げる事じゃなく…ワクを縮める事じゃないかと思いますね」というヤツなんでしょうね(細かすぎて伝わりません)

さりとて、同案多数の作品も多く、紅白歌合戦に絡んだ小林幸子のベストドレッサー賞狙い的なネタや、細木数子女史の「当たりますように」的なネタはもとより、耐震強度偽装問題に絡んだ姉歯氏やヒューザーの「倒れませんように」的なネタは、もう溢れかえらんばかりに送られてきました。しかしながらどれも微妙なのでカット。

で、そんな感じでカットしていくと、なんとも採用出来る作品が3作品と非常に少なくなってしまったのですが、まぁそこはそれ。ハードルを高くして行きましょう。今回の発表作品が、今後の投稿者の皆さんの良いお手本になってくれればと思います。


それでは早速いってみましょう。



(HN:がすけつ)

なにがどうというよりは、とにかく切実さが伝わってくる絵馬ですね。とりあえず二度とセクハラをしないように去勢してから求職活動をして欲しいところです。



(HN:天然少年)

絵馬というのは一年の計を誓願し、所信表明をするためのモノなんですが、そういうセオリーを全く無視した上で、書いた人のキャラクターをよくよく理解した作品だと思います。「とりあえずつっこんでみた」的な感じが非常に良く出ていて、いやー三村マサカズ様を神と仰ぐ身としては採用せざるを得ない作品でしたね。見事ツボINです(笑)。


そしてトリはコチラ。



(HN:コーイチ)

これまた絵馬のなんたるかを無視しまくった上で、書いた人のキャラクターをよくよく理解している作品です。もう見た瞬間大爆笑してしまいました。あまりにもよく出来過ぎています(笑)。さすが自称・世界のジャニーさんですな。絵馬なのにまるで祈願も誓願もしていないし(笑)。でも本当に云いそう&書きそうですよね(笑)。いやーやられました。


とまぁ、こんな感じになりました。いいお手本になったでしょうか?基本的には「短いもの」が優遇されます。「〜しますように」系は総じてカットされる傾向が多いかもしれません。姉歯氏関連のモノにしても、例えば『耐震祈願 姉歯建築設計事務所』などと短くまとまっているものがあったならば採用されたと思います。

ちょっと難しいかもしれませんが絵馬のセオリーというところで躓いてしまっている人が多いようなので、もう少し頭を柔らかく、発想を自由に広げてみてくれたらなと思っています。もちろん自分の願い事でもいいですし、2枚の絵馬を使った合わせ技なんかも有りですからね。発表方式は今回のように絵馬にして行いますので、その体も考えに入れてみてもいいかもしれません。


そんなわけで、こんな調子でまだまだ投稿を募集しておりますので、ガンガン投稿してみて下さい!!



また、表題の新年初スベリなダジャレは
完全スルーでお願いいたします。

(書いてから泣くほど後悔したよ…)



[ 2006年01月04日-10:51 ]  



ははへのてがみ。


前略おふくろ様。


元気にしていますか?こちらの村では寒い日々が続いています。

早いもので僕がこの村にやってきてから、もう一週間が経ちました。少しずつこの村の生活にも慣れてきたかなと思いつつ、この手紙を書いています。年越しにはロクに挨拶も出来ず本当に申し訳ありませんでした。遅まきながらではありますが改めて、あけましておめでとうございます。

都会の生活に厭いてこの村に来たものの、当初は予想以上の寒村ぶりに本当に驚きました。この村の特産品はオレンジなんですが、誰も手入れをしていないのです。とはいえ、手入れをしていなくても自生しているということは、それだけ土地が豊かなことの表れなのかもしれません。野生のバラ、コスモス、パンジー、チューリップなども生えています。

そして実に不思議なことに、この土地の植物には旬というものがないようなのです。ひょっとしたら放射線系の汚染土壌なのかもしれません。今のところ体調に変化はありませんが、ガイガーカウンターを持ってきたら大変な数値が検出されそうです。


住人の皆さんも一風変わっています。真面目に働いているのは商店経営者ばかり。他は皆、釣りをしたり、化石を掘ったり、昆虫採集をしたりといった感じです。しかしながら化石や魚、昆虫などは全て村の商店が買い上げてくれるとの事ですので、それぞれの生活はしっかりと成り立っているようでした。不思議なものですね。

また、驚いたのは「趣味が散歩」と豪語する人がいたことです。様子を見ていると確かに日がな一日村中を練り歩いては無駄話をしています。どんな生活をしているのかとお宅にお邪魔したところ、ヨーロッパ風に統一された豪華な室内にアンティークなレコードプレイヤー…いや、蓄音機が軽快な音楽を奏でていました。

とても毎日散歩しているだけという奇人の生活には見えません。おそらくはご両親などの遺産などで暮らしているのかもしれません。夢のような悠々自適にして裕福な暮らしぶりでした。俗に言うブルジョワジー、一部の特権階級というやつなのでしょう。

振り返って僕の部屋はといえば、粗末な板張りにベッドが一つ。段ボールにロウソクと古いラジオだけという状態です。こんな寒村の中でも、ここまでの貧富の差があるのかと愕然としました。


そうそう、商店の話をしましたが、ここの店主が僕の家を建ててくれました。なにしろ入村したばかりで右も左もわからない僕に村での生活のことを様々教えてくれたのですが、どうにもこの店主、微妙に後ろ暗い雰囲気があります。というのも、半ば強制的に僕の家をリフォームさせ、僕は多額の借金を背負わせられてしまったのです。

否応なしに増改築を繰り返させる手練手管は悪徳商法の臭いがします。ですがローン自体は特に返済期限も利息も付かないということで、親切なんだか悪どいのだかよくわかりません。まぁ親切なふりをした、相当なタヌキであることだけは確かだと思います。そういえば顔もタヌキっぽいです。


借金を返済しているといいましたが、僕はこの村に越してきたときの当初の目標通り、この寒村を立派な果樹園にしようと日々奮戦しています。特産品のオレンジの計画栽培を中心に、今ではリンゴ、チェリー、ナシ、モモなども栽培しています。

特産品だけあってオレンジの相場は低いのですが、他の青果はそこそこの価格で出荷出来ています。まだまだ小規模ではありますが、今のところ果樹園の運営は成功しているとみても大丈夫かな、と思います。なにしろ変動相場ではなく出荷できるのがありがたいです。

…どうにも放射能汚染だの一部のブルジョワジーだの固定相場だの雪のふる寒村だの計画農場だの、とある崩壊した某社会主義連邦国家を連想させる臭いがするのですが、敢えて気にしないことにします。

また余暇を使って花の栽培もはじめました。品種改良による新種生成をしたいのですが、こちらはなかなか上手くいきません。いつか村中に花を咲かせることが出来たらなぁと思っています。


今窓から外を見たら、また雪が降り出したようです。そちらも寒くなる頃でしょう。風邪などひかぬよう、くれぐれも気をつけて下さい。


色々ありますが、僕は元気です。それでは。


愛をこめて モッティより

この記事はニンテンドーDSのゲームソフト『おいでよ どうぶつの森』のプレイに基づいて書かれたプレイリポート創作です。別にみやもと春九堂本人が謎の寒村に行って農業をはじめたわけではありませんので、念のためご注意を(笑)。


[ 2006年01月06日-13:12 ]  



どうぶつの森日記総集編 −1−


1日目
都会の生活に厭いた僕は、この寒村へとやってきた。住人達は皆穏やかで、時間もゆっくりと流れていくという評判の村だ。様々な人間関係や社会の柵にとらわれない緩やかな時間の中で、本当の人生の意味を見直してみたい。それが僕の望みだ。

目指すべき生活は文字通りの自給自足。果樹園運営や花の品種改良などで生計を立てていきたい。穏やかに、ただ穏やかに。まずはそこからはじめよう。


2日目
参った。入居先の家を用意してくれる手はずになっていたタヌ吉なる商人がいたのだが、当たり前のように家の代金を請求された。持ち合わせもない以上、当然借金を背負うことになる。初っぱなからとんでもないことになってしまった。

借金のカタにタヌ吉に云われるがままに使い走りをさせられる事に。村中を走り回されたが、結局雀の涙ほどの金にしかならなかった。苦肉の策で村中のオレンジをもいで売却する。木守や次の苗の為の果樹を残さないという農業の本道に反した行動だ。計画的に農業を営むはずが、早くもその日暮らしの生活になってしまった。この先どうなってしまうのだろう。


3日目
金がない。驚くほどに金がない。そして用意された家にはロウソクと粗末なベッドしかない。餓えはオレンジを食べてしのいでいるのだが、明らかに栄養不足だ。考えてみれば農業を行おうにも、開墾するための斧もなければスコップもない。俺はこの村に何をしに来たのだろう。

村の住人が釣りをしているのをみた。どうやら魚はよく釣れるらしい。そして魚も売れるらしい。そういえばタヌ吉の店に釣り竿が売っていたような気がする。あれを手に入れれば少しは状況が変わるかもしれない。農園計画の道のりは遠い。


4日目
再びオレンジが実ったので収穫して売り払い、釣り竿を手に入れた。海にいってひたすら魚を釣っては売り釣っては売りを繰り返し、なにがしかの金を得ることが出来た。まずは斧を買おう。そして土地を開墾するのだ。


5日目
斧を購入した。これで土地が開墾できる。勢い込んで適当な土地に目星をつけて斧をふるった。木は倒れ切株となる。しかしそれを掘り起こすスコップがない。しかも何本かの木を切り倒したところで斧が壊れてしまった。不良品なのだろうか。それともこの村には粗悪品しか売っていないのだろうか。

開墾どころか四方に切株を作り、土地を荒らしただけになってしまった。しかもタヌ吉の店は改装になるという。当分の間開拓は出来そうにない。


6日目
日がな一日釣りをする。貝殻を拾ったりもするのだがタヌ吉の店が休みなので売ることも出来ない。部屋中に釣った魚の水槽が置かれ、家の外には貝殻が散乱している。何をすることも出来ないので、村中の草花を集めて花壇を作ってみた。品種改良の第一歩になればいいのだが。


7日目
タヌ吉の店が改装完了。スコップと斧を入手した。これでようやく開墾が進む。区画を考えながら木を切り倒し、切株を掘り起こして整地する。やはり労働はいいものだ。額に汗して自分の口を養うものを作る。これこそが真の人生なのだ。人間は大地にしっかりと両足をおろして生きて行かなくてはいけない。開墾した土地を見て、改めてそう思った。

収穫してあるオレンジを植えるのは明日にしよう。久しぶりに充実した一日だった。


8日目
大事件が起きた。朝起きて開墾した土地に行ったら、どういうわけか家が建っていたのだ。新しい住人が入村したという。斧とスコップをふるい、額に汗して切り開いた土地が。

愕然とした後で怒りがわき上がり、その新しい住人に文句を云ってやろうと踏み込んだのだが、「部屋の片づけをするから」の一点張りでまるで会話にならなかった。怒りのやりどころがなく、家に走って帰ったのだが、途中で花壇を踏み荒らしてしまった。まさに踏んだり蹴ったりだ。


10日目
ここ数日は同時期に他の村に入村した友人達に頼んで、特産品の果樹を持ってきてもらったりしていた。開墾する場所も慎重に選んで整地し、次々と果樹を植えてゆき、小規模ながらも少しずつ果樹園らしくなってきた。釣りをするのも化石を掘るのも貝殻を集めるのもいいが、そんな他力本願な生活ではなく、僕は大地に根ざした生活を送っていきたい。


13日目
他の村に入村した友人を訪ねて驚いた。僕は花の品種改良や増作に苦心していたのだが、この村では他の住人達が率先して花を育てているという。自宅も随分と改築が進み、「ローンで困っているよ」などと苦笑しながらも、調度などもかなり凝った内装に仕上がっていた。

収入方法について効いてみたのだが、家具を拾ったり自生している果樹を売ったり釣りをしたりしているだけだという。時には役場の廃品回収所を物色して、使えそうなモノを転売したり、村の遺失物を横領して転売しているそうだ。

愕然とした。彼らはそんな浮浪者然とした暮らしをしていて、こんな豪華な生活を出来ているのに、僕は額に汗して土地を拓き、花や果樹を育てている僕は相変わらず貧しいままだ。電化製品の一つもない。

僕は「そんなその日暮らしの生活で生きていくなんてごめんだ!」と捨て台詞を残して彼の村を去った。我ながら情けない負け犬の遠吠えだったと思う。

帰宅後、何もない部屋についてロウソクに火を灯したが、彼の部屋とは比べるべくもないほど貧しい自分の日常が照らされただけだった。少しだけ泣いて、眠ることにした。


15日目
果樹園も随分と大きくなった。品種も増え、桃・オレンジ・さくらんぼ・梨・リンゴなどの栽培に成功している。区画もキレイに揃っているし、今のところ収穫も順調だ。暮らしぶりも安定してきたので借金を返済し、少々キツくはあったがローンを組んで自宅の改築を行うことにした。手元に残ったいくばくかの金で調度も揃え、ようやく生活にゆとりが出来てきた。苦労はあったが少し報われる想いがした。


16日目
数日前から果樹園が安定してきたので、本腰を入れて花の栽培に着手している。しかしなかなかに品種改良は上手く行かず、増作も出来ていない。他の村の住人にきいてみると、やはり他の村民が水やりなどで協力してこそ成功するものらしい。中には「趣味が花の世話」という人もいるのだという。

しかし僕の村の住人は、ひたすら散歩をしたり真冬にも関わらず昆虫を探したり釣りをしたりという程度で、誰も花には関心がないようだ。これはなんとかしなければならない。まずは花に興味を持ってもらうところからはじめよう。


17日目
思案した挙げ句、これまでなんとか増作に成功した花や、自腹を切って栽培した花を見栄えの好いように配置と組み合わせをして、他の住人達の住居周辺に植えてみることにした。これで他の住民達が花に興味を持ってくれればいいと思う。出来れば枯らさないで欲しいが、当面は自分で世話をしよう。


18日目
8人の村民全員が花を枯らせていた。そして相変わらず虫網を持って村中をそぞろ歩きしている。まるで花には興味がないようだ。軽いショックを受けるも、全ての家を回って水やりをしたり雑草を抜いたりして世話をした。なにか他に方法はないだろうか…。


19日目
住民達に手紙を出すことにした。栽培に成功した赤いバラを添えて「みんなで花を育てて、我が村を花咲き乱れる素敵な村にしませんか」としたためたのだ。このバラは僕の花壇で増作に成功した自信作だ。赤いバラの花言葉は「情熱」。少しでも僕の村の緑化にかける情熱が伝わればいいと思う。虫取りにしか興味のなさそうな住人にはジョウロも贈ることにした。全て自腹を切ったので、少々フトコロ痛いが、これで少しでも村に花が増えればと思う。


20日目
村民達から返事が返ってきた。花の礼だろうか、なにがしかの贈り物もつけてくれている。手紙の内容もそこそこ好意的だ。だが相変わらず村民の大半は虫網を持って歩いているだけだ。僕が知らないだけで昆虫ブームでも起きているのだろうか。


21日目
ジョウロを送った住人の家を訪問してみた。僕の送ったジョウロは部屋の片隅に放置されていた。まるで気づかなかったかのように平静を装って辞去した。


22日目
手紙を出しに役場にいったついでに廃品を処理しようと廃品回収ボックスを開けた。中にはゴミに紛れて、赤いバラが捨てられていた。何かの間違いであって欲しいと願いつつ、バラを拾い上げたが、涙が溢れて止まらなくなった。気がついたら僕は号泣していたようだった。役場の窓口からペリカンに似た女性職員が怪訝な顔つきでコチラを見ていた。


23日目
一晩泣き明かした朝、僕は少し考え方を改めることにした。僕は少し一方的だったのかもしれない。なにしろまだ新参者なのだ。それが唐突に花に水をやれだのなんだのを要求するのは、ちょっと違うのだろう。自分の環境を整えることに邁進するあまりに他の住民とのコミュニケーションも十分ではなかったのかもしれない。

村には村の流儀があるのだろうし、昆虫採集がはやっているならば、付き合いでそれをたしなむのもいいではないか。そう思って虫取網を手にとった僕は「これからが新しい第一歩だ」と独りごちて外に出た。

住民達は皆釣り竿を持って村を歩いていた。僕は一人で虫網を持ったまま途方に暮れた。それから僕の思考は、絶対に辿り着きたくなかった一つの結論に辿り着いた。


「僕は嫌われている」。


途端に、こちらを見ている住民達の視線が悪意と嘲笑に満ちたものにしか感じられなくなった。どこから誰かの声で僕の名前を呼ぶ小さな声が聞こえた。その声もまた悪意と嘲笑に満ちている。そして僕を呼ぶ小さな声は四方八方から聞こえて来た。誰も話しかけては来ていないのに。

僕はその場から逃げ出すようにして家に駆け込んだ。
他の「おいでよ どうぶつの森」プレイヤーの皆さん。
このゲームって、こんな非道い世界なんでしょうか。
それとも僕だけ何か間違っているんでしょうか。

ほのぼのとしたゲーム世界のはずなのに
現実以上に辛い展開になっているんですが。

(…このままだと人格的に転落人生か復讐劇になりそうな予感が…)



[ 2006年01月09日-22:42 ]  



どうぶつの森日記総集編 −2−


24日目
泣き明かした朝、物音に目が覚めて家を出るとドジョウのような髭を生やした怪しい男がいた。ホンマと名乗るその男は保険屋だという。アンケートをとられ、そのままセールストークへ。たたみ込まれるように勧誘され、結局いわれるがままに傷害保険に入ることになった。

住民に嫌われ、目標を見失った今、保険などかけたところで今後の人生になにがあるというのだろう。どうせならば生命保険にしてくれればよかったのに。海辺で貝殻を拾いながら、この海に飛び込めて全てを終わりに出来たらどんなにいいだろうと考えていたら。また少し涙がこぼれた。


魚釣りをしていると、見たことのない家が建っている事に気がついた。新しい住人だろうかと思い訪ねてみると、屋内には黒い肌に赤い目をした悪魔のような男がいた。驚いて逃げ去ろうとすると呼び止められる。ロデオという名の異国人で、今日引っ越してきたという。外見に似合わず穏和な男だった。

趣味は魚釣りとのことで、後日釣り勝負をしようと約束する。ひょっとしたらこの村で最初の友人になれるかもしれない。引っ越してきたばかりならば、他の住人から僕の風評を吹き込まれたりもしていないだろう。少しだけ光明が見えた気がした。問題は外見がどう見ても悪魔にしか見えないことだが、人を外見で判断してはいけない。釣り竿を磨いて眠ることにする。


25日目
村民達は今日は虫取りに興じているらしい。しかしどうせ僕が虫網をもったら釣り竿なりなんなりに持ち帰るのだろう。どうせ心底嫌われているのだ。今更どうということもない。

ロデオ氏が川釣りをしていたので声をかける。なかなかの釣果のようだ。川釣りでブラックバスとコイを釣り、海釣りではヒラメとタイで勝負をした。この村に来て、初めて心から笑ったような気がする。これからの日々に楽しみが出来た。釣りはあまり得手ではないが、練習でなんとかなるだろう。

そうだ、珍しい魚が釣れたらロデオ氏に進呈しよう。果樹園の収穫が出来たら贈るのもいいかもしれない。果物が好きだと良いのだが。



27日目
ロデオ氏が引っ越した。



29日目
未だショックが抜けない。立て看板だけになってしまったロデオ氏の住居跡地に行くと、一見悪魔にしか見えないながらも愛嬌のある顔で笑ってくれた彼の幻影を見てしまう。

その場にたたずんで呆然としていると、隣家に住むワニ顔の女が話しかけてきた。茶色っぽい家具を集めているから、見つけたら教えてという。初めて村の住人に頼み事をされた。まだ立ち直ってはいないものの、誰でもいいから話し相手が欲しかった僕は、勢い込んで廃棄物や遺失物を見回ったがどこにもない。

そこでタヌ吉のデパートに行ってみると茶色系の家具が何点か置いてあった。しばらく悩んだが、苦肉の策ながらも自腹を切って購入。ワニ顔の女(クロコと名乗った)に届けることにした。

僕が家具を渡すと、クロコは喜び、お礼をしてくれるという。手渡されたのは古ぼけた絨毯だった。正直顔が引きつりそうになったが、表向きは喜んで受け取ることにした。出費は痛かったが、それでも村人と交流出来たことは大きい。どんなに嘆いてもロデオ氏はもういないのだから、少しでも前向きに生きていかなければならないのだ。


30日目
クロコに話しかけると、また茶系の家具を欲しがっている。なんとも貪欲な女だ。しかしこっちもローンに追われる身。収穫も終わり、全ての収入をローンの返済に回してしまった。手元には雀の涙ほどの金しかなく、茶系の家具を買うことは出来ない。

なんでここまでして村民と交流を持たなくてはいけないのだ、農園さえしっかりと運営していればいいじゃないか。いやしかしこのまま独りでは生きていけない…かといって自腹を切ってまでして貢いでやることはないじゃないか…。そんな自問自答を繰り返しながら、ふらふらと役場前を歩いていると、見慣れないテントがあった。

いったい何なのだと訝しがりながら中を覗くと、フードをかぶった怪しげな女が手招きする。聞けば占いをしてくれるという。手元に残っていた金でも事足りるほどの料金だったので、占ってもらうことにした。ここまで不幸のどん底にあって、今更どんな占いの結果が出ようと気にすることもないだろう。

そして案の定よくはない結果が出た。僕は今以上の不幸など考えられない、だからあんたの占いは当たりゃしないよと鼻で笑ってテントを出た。そして数歩歩いた途端、僕は見事なまでに顔面から転倒した。


31日目
どうも昨日はおかしかった。あの占い師に呪いでもかけられたのではないかと思うほどに転びまくったのだ。一体何が起こったのだろう。これ以上の不幸はないと思っていた現状に、まだ底があったとは、ここまでくると自嘲的な笑いさえこみ上げてくる。

家を出ると郵便が届いていた。数日前に加入した傷害保険からの給付金だ。はした金ではあるが、金があるに越したことはないのでありがたく受け取る。タヌ吉の店に出向くと茶系の家具が売っていた。今日のは余り高くない。保険金が入ったこともあってギリギリ買える値段だった。しばらく悩んだが結局購入。

保険金まで使って、別に恋人でもなければ好きでもなんでもない女に貢ぐ。我ながら馬鹿馬鹿しくて乾いた笑いしか出てこない。僕は一体なにをやっているのだろう。クロコを探して家具を渡すと「お礼はこれでいいわね」と家具を購入した金額の半分にも満たない小遣い銭を投げて寄越した。わかっている。所詮こんなものなのだ。


帰りしなカエルのような顔をした村民が話しかけてきた。化石探しが趣味といいながら虫取網を持って村中を彷徨いている、どうしようもないろくでなしだ。クロコとの情けないやりとりを見られたのかと思い警戒していたのだが、カエル野郎はニヤニヤしながら「お前のあだ名を考えてやったぜ。広めてやるから覚悟しておくんだな」などと言い捨てて去っていった。

考えてやったぜと云われたあだ名は、思い出すのも嫌で書くことは出来ない。ただ一つ云えることは、あいつは確実に僕とクロコとのやりとりを見ていたということだ。そうでなければ、こんなあだ名をつけるはずもない。情けなさと悔しさで目の前が真っ暗になった。


32日目
朝から役場に行き、廃品回収ボックスに向かう。遂に僕もゴミあさりをする浮浪者生活が身に付いてしまったのだなと自嘲しながら箱を開けると、昨日クロコに渡した茶系の家具が捨てられていた。

廃品ボックスから、その家具を取り出した僕は既に悲しさもショックも感じていなかった。なんとなくこうなるであろうことはわかっていたのだ。

役場の外に出るとカエル野郎と、その近所に住むネズミ面の男が僕に向かって、あの忌まわしいあだ名で呼びかけてきた。きっとこいつらは全てを見ていやがったんだ。クロコもグルに違いない。ネズミとカエルの、明らかな嘲笑交じりの会話を上の空で聞き流しながら、僕はとある『覚悟』を決めた――。
ここまでくるとネタにしか思えませんが、全て僕の村で起きた実際の出来事を元に、この記事は書かれています。



こんな非道いゲームを子ども達に
やらせていいんですか任天堂さん。

(スローライフって辛いね…)



[ 2006年01月12日-19:28 ]  



くらやみの森 −おいでよ どうぶつの森日記−


34日目
『覚悟』を決めた僕は行動に出る準備に入った。これまで育ててきた花を全て抜き払い、タヌ吉に売りつける。手元には幾ばくかの金が出来た。これまで額に汗して土地を開墾し、始終世話をして来た花。

それだけじゃない。住人に媚びへつらい、自腹を切って増やし育ててきた僕の成果。それはこんな程度の端金にしかならないのか。そう考えると僕は笑っていた。きっと鏡で見ればとてつもなく邪悪な笑みを浮かべた僕を見ることが出来ただろう。それでいいのだ。

手にした金で『行動』に必要な道具を買いそろえる。しかしまだ序章すら始まってはいない。ここからが全ての始まりなのだ。


自宅に戻り、真夜中になると買いそろえた道具――斧やスコップ――が整然と並べられた屋根裏部屋に僕は立った。それらを一つ一つ確認して手にとると、最後に前もって用意しておいた黒いシャツを着込む。黒いシャツ。その胸には血のように赤い文字で二文字、こう記してある。

『天誅』 と。

時刻は夜更けを過ぎた。いつもならあのカエル野郎が自宅近辺を彷徨く時間だ。荷物を全てまとめると、僕は目出し帽を被って家を出ることにした。窓から見える外は雪が降っている。この雪が全てを白くしてくれるように、僕の生活も白紙に戻ればいい。だがそうもいかないのだろう。しかしこれが第一歩になれば…それでいい。失敗は許されない。



36日目
カエル野郎が村から消えた。





いや、これだけで日記を終えるのも面白みにかける。一つめの復讐が成ったのだから、その事を記しておかねばなるまい。二日前の雪の夜。僕は一つの復讐を果たした。対象はあのカエル野郎だ。名前はサム。いや、最早いなくなったヤツに名前など必要もないのだが。

思い返せば、初めて会ったときから馴れ馴れしく、そして図々しく忌々しいヤツだった。化石探しが趣味という穀潰し加減もさることながら、その趣味さえも嘘だったのだろう、スコップを持っているところなど見たことが無く、日がな一日虫取網を振りかざしては遊んでいた。その後近所にネズミのような顔をした男が越して来てからは、その穀潰しぶりにさらに拍車がかかり、虫取網さえ持っているところをみかけなくなった。

話しかけられたと思えば、手紙を届けさせられること数回、荷物を届けさせられること数回。なんとか馴染もうと相づちを打てば、どんな応えを返そうが「お前は俺をわかっていない」と一蹴された。

別にこの程度の事ならばどうということもない。そもそもがこの村で僕は浮いているのだから。決定的だったのは、あのワニ顔の女…クロコとの事があってからだ。

クロコに貢いだ茶系の家具が役場の廃棄物箱に捨てられているのを見つけた日、僕はあのカエル野郎にとんでもないあだ名をつけられた。僕とクロコの事を全て見透かしたかのような酷いあだ名だ。しかし僕とクロコの事をカエル野郎が知っているという確信があったわけではない。ヤツは薄ら笑いを浮かべながら「村中に広げてやるから覚悟しておくんだな」などと云って去っていった。

そしてさらにその後の事だ。件の酷いあだ名でカエル野郎に呼び止められた僕は、ヤツから「お前にプレゼントだ」と、見覚えのある茶色の机を渡された。これもいつだったかクロコに渡したのと同じモノだ。

なぜカエル野郎がこれを持っているのかは瞬時にはわからなかった。そしてなぜこれを僕に渡すのかも。だがカエル野郎の言葉で僕は全てを悟った。「そこいらへんに捨ててあったものだけどいいだろ。モノは大切にしなくちゃな」。そしてヤツは高笑いしながら去っていった。それは僕に『覚悟』をより確実なものにするに十分に足るものだった。

つまりクロコが捨てたものをあいつは拾ったというわけだ。しかもそれを僕に渡した。僕を虚仮にする為に。やはりコイツには全てを知られていたということなのだろう。あいつの脂ぎった笑い声がいつまでも鼓膜に張り付いて離れない。だから僕は『覚悟』を行動に移すことにしたのだ。


あの夜、目出し帽を被って斧やスコップついでに虫取網を持った僕は、カエル野郎の家の側まで出向いた。そして数カ所に穴を掘り、全ての準備を完了させた。カエル野郎はのんきに鼻歌を歌いながらぶらついている。全く平和なものだった。

僕はタイミングを見て茂みから踊り出すと、ヤツに飛びかかった。そして抵抗するヤツを穴を開けたエリアに追い込むと身動きが出来ないように閉じこめた。ヤツは既に僕の正体に気づいたのか、何度もあの忌まわしいあだ名を繰り返しては激高していたようだが、僕は一切意に介さなかった。

それから僕は斧を握りしめると「このどうぶつ!どうぶつ!!」と叫びながら、何度もヤツを殴りつけた。何度も、何度も。その内斧が壊れてしまうと、虫取網を握りしめて、また何度も殴りつけた。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

幾度ヤツを殴りつけただろうか。僕は息を切らせてヤツを見た。日頃筋肉の話しかしないようなクソ野郎だけあって、よほど頑丈なのか、ヤツはまだ動いていた。だが何度突いてみても反応を示さなくなったので、僕はヤツをそのままにして家に帰った。


そして今朝、ヤツの家の前に行くと家が無くなっていたというわけだ。すっかり更地になったヤツの住居跡に立つと、自然と笑いがこみ上げてきた。だが笑いの波が去った後で僕は自分が驚くほどの涙を流していることに気がついた。

これでいい。これでよかったはずなのに。なぜ自分が泣いているのかわからなかった。だがそれでも涙は止めどなく溢れ続け、僕はそのまま泣き崩れてしまった。



37日目
あんなことがあった後も日常は何でもなく続く。だが住民の態度がどことなく変わったような気がする。気のせいだろうか。「あの事」の目撃者がいるわけでもないだろうが、カエル野郎がいなくなって空気が変わったことに反応しているのかもしれない。まぁ別段いたところで構いはしないのだが。

花を売った金と収穫分を出荷した金があったので、思い切って髪型を変えることにした。ついでに髪も染める。タヌ吉の店に隣接するブティックでサングラスと服を購入し、全てが済んで店を出ると、まるで生まれ変わったような気がした。

これでいい、これでよかったのだ。そぞろ歩きしていると、クロコがジョウロを持って歩いているのが見えた。話しかけてみると必死になって花の交配や世話の話をしだした。茶色の家具の事など、これっぽっちも語りはしない。

なるほどそういうことかと得心した僕は、可笑しくなって笑い出してしまった。実にわかりやすい女だ。そっちがそのつもりならと、僕も何事もなかったかのように振る舞ってやることにした。



全てが変わりはじめたように思える。だがこれで終わりではない。僕の復讐…いや「村の掃除」は、まだ始まったばかりなのだ。村の役に立たない穀潰しどもは全て天誅を下してやる。そしてこの村を花いっぱいの村にするのだ。

まだこの村には駆除しなければならない穀潰しの害虫どもが何人かいる。こいつらをなんとかしなければ、この村に花は咲かないのだ。だが急ぐことはない。ゆっくりゆっくりと時間をかけていけばいいのだ。まずは住人達の中にとけ込む所からはじめよう。それからじわりじわりと侵蝕していけばいい。それが僕のスローライフなのだから。


追記:僕がこの日記を書いている屋根裏部屋には誰も入れないようにしなければいけない。表向きに平静を装う為にも、怨念の発散場所としてこの部屋は残しておかなければならない。そして万が一にもないだろうが、この先村の生活に慣れてしまい、今もなお燃えさかる復讐の念を忘れない為にも。





(C)2005 Nintendo / Nintendo DS 『おいでよ どうぶつの森』




<第一部・完>

繰り返しますが「どうぶつの森」って
こういうゲームなんでしたっけ?

(絶対違うんだろうなという確信めいたものは僕にも一応…)



[ 2006年01月18日-14:40 ]  



『いただきます』という言葉。


なんとも情けなく悲しい話です。

元記事に関してはこちらグーグルキャッシュを読んでいただきたいのですが、本当になんといったらいいのか…。こういう考え方の人もいるのだなぁと思いつつも、頭痛を感じてしまうような話題です。

リンク先の記事が消えてしまう可能性もあるので、かいつまんで説明しますと、食事をするときの「いただきます」に対する考え方に関する記事です。TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という投書があり、そこから「いただきます」という言葉に関しての話題が拡がったという話。

で、そもそも「いただきます」ってサービスや料理を作るという行為に対してだけのものなんでしょうか?いや、もちろんそれもあるでしょう。確かに作り手への感謝というものが一番最初に来てしかるべきだと思いますし、じゃあってんで「こっちは金払ってんだから、そういうサービスを受けて当たり前」と考えるのも、ありといえばありなのかもしれません。

でも僕はそれだけじゃあないと思うんですよ。「いただきます」というのは、調理やサービスといったものだけではなく、素材を作り上げた農家や業者の方々への感謝でもあり、さらにそれ以上に、料理となった素材自体への感謝の念のあらわれだと思うんです。


少々概念的な話になってしまいますが、食肉にせよ野菜や穀物にせよ、元々は全ては生き物です。豚肉は豚という生き物ですし、牛肉は牛です。鶏肉はニワトリだし、魚肉だってさまざまな魚の肉です。当たり前のことですよね。そし野菜にせよ穀物にせよ、全ては「生命」なんですよ。

その生き物を殺し、生命を奪うことで食物へと変え、人間はそれを摂取することによって自らの命を長らえる事が出来るわけです。つまり言い方を変えれば、人間は他の生命を喰らう事によって生きているんです。まぁこの世界の全ての生き物はそうやって生きているわけですけれども。

したがって、僕は「いただきます」という言葉は、調理・サービス、生産者に対する感謝の念以上に、並べられた素材そのもの、元は生命あった者達への「生命をいただきます」という感謝の念が現れてしかるべき者だと考えているんです。


これは余談ですが「いただきます」対語になっている「ごちそうさまでした」の「馳走」という言葉は「もてなしのために四方を走り回る」という意味で、これこそ「もてなし」つまり調理やサービス・生産に対しての感謝になるわけです。

ですが「いただきます」単体では、文章的には「なにをいただくのか」という事が抜けています。つまりかなり広義的に「いただく」という意味になり、その中に僕は「生命をいただきます」という意味も含まれるのではないだろうかと考えられるんじゃないかなぁと思うわけですよ。

で、こうして考えてみると「食事」という行為にあって、並べられた料理に対し「いただきます」と生命や素材達への感謝を示し、食べ終わりに調理・サービス、生産者に対して「生命を美味しく食べられるよう調理いただいて、ありがとうございました」と「ごちそうさまでした」を云う、そういう形こそが、食事のあるべき姿なんじゃないかなとも思うわけです。あくまでも僕の考え方では、ですが。


なんというか「食べる」という事への意識の低さ、ひいては食べ物に対する意識の低さ、生命への意識の低さというものを感じさせられる話題でした。皆さんは「いただきます」って、しっかり云っていますか?


しっかし、なんというかまー実際「生命をいただいている」というところにまで考えを至らせていたら、料理を残すだなんだも出来ないし、こんな話題があがることもないと思うんですけど、そういう時代なんでしょうかねえ…。



とはいえ「出されたモノは(喩え人が残したものでも)
残さず食べる!!」を実践し過ぎた結果
現在の僕の体重があるという
驚愕の事実もあるわけなんですが。

(うん…まぁ残すのはよくないけど、食べ過ぎはもっとよくないよね…)



[ 2006年01月23日-13:05 ]  



夢舞台。


実はここ一両日くらいで、ダーツを本格的に始めてから一年が経ちます。長いようで実に短い期間でした。まだまだ初心者のつもりで打っていますし、実際初心者なんですけどね。

そしてmixiで知人づてに紹介してもらったダーツのお師匠ひぐひぐさんに初めて出会ったのも、ちょうどこの頃なんですよね。出会った場所は池袋のダーツバー『Sure』。昨年末に閉店してしまいましたが、このお店にはTAURUSというダーツマシンがおいてありました。

ハードと同じアウトブル25点/インブル50点のセパレートブル仕様のマシンで、お師匠は独特のフォームでバシバシと20Tに放り込み、8Rのカウントアップで600点台を軽く叩き出して見せてくれました。当時の僕はといえば、なんとかキャッチで500点を超える程度。ですから、その時はお師匠は本当に神様にしか見えませんでした。

当時はレーティングやそれによるフライト分け、それを集計してくれるダーツライブなんてものの存在すら知らなかったのですが、当時のお師匠はレーティング10のAフライトだったんです。そして今や押しも押されもしないAAプレイヤーとして、都内のダーツスポットでは、割と知られた人になっているわけですが(笑)。


それから一年。ダーツライブもカードを買ってやり始め、いくつものハウストーナメント、地元のリーグ戦、そしていくつかの大きい大会を経て、昨年秋にはどうにか僕もAフライトの仲間入りをしました。そして今もじわりじわりと歩みを進めています。

お師匠と出会ったときには「逆立ちしたってこの人には勝てない」としか思えなかったものの、最近では何戦かすればストレートで勝つことも出来るようになりました。もちろん向こうもまだまだ腕を上げていますので、なかなか追いつくことは出来ませんが、ようやく背中は見えてきたかなというところまでは来れたと思います。


通信教育が主体という如何にもインターネットらしい師弟関係ではありますが、やはり一番の目標は師匠越えであり、ダブルスというスタイルがある競技ですので、お師匠との師弟タッグで大会に参加したいという目標もあります。

そして今週末、幕張メッセで開催されるMVPトーナメントで、その目標が果たされることになりました。しかもお師匠にあわせた一番上のクラス、AAフライトでの参加です。もう今から楽しみで仕方ありません。

同時期に始めたダーツ仲間の間では、あまり負けなくなってしまったところもあり、またAフライトまで来ると、あまりセカンドを打つ機会はなかったのですが、お師匠とのペアとなればもちろんセカンドです。

試運転のつもりで参加したロスカボス冬の陣予選では、なかなかのチームワークと試合運びが出来たこともあって期待が高まっています。まぁ期待しすぎるとカタくなってしまうので、出来るだけリラックスして臨みたいとは思っているんですけどね(笑)。

とにもかくにも、僕にとっては夢舞台の一つ。その舞台に少しでも長くいたい、そう思っています。その為には勝ちを引っ張ってきて、多く試合をすること。でも、勝ちを意識するよりも、とにかく一本一本を大事に夢舞台を楽しんできたいと思います。


ちなみにお師匠のハンドルというかダーツでの通り名は「ひぐひぐ」。僕は件の如く「クマ」ですので、非公式ながらこの師弟タッグのチーム名は「チームひぐま」となっています(笑)。



当日は、その名に恥じないような
凶暴なプレーをしてきたいと思います。

(いやダーツは紳士のスポーツですから!)



[ 2006年01月27日-04:08 ]