【過去のつぶやき】
2005年11月の【家元のつぶやき】のバックナンバーです。
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2003年
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● オチもなにもないダーツのお話。(2005年11月02日-19:49)
● 努力と根性な世界。(2005年11月04日-13:43)
● 感謝の気持ちで一杯です。(2005年11月07日-02:34)
● エンターテイメント賛歌!(2005年11月09日-14:26)
● 君に幸あれ 僕に福あれ(2005年11月10日-12:15)
● 大人の会話。(2005年11月12日-00:43)
● 手。(2005年11月14日-09:27)
● 続・手。(2005年11月17日-09:53)
● 光る文字。(2005年11月24日-03:39)
● マルチタスク。(2005年11月30日-11:03)
あと4日――。
次の日曜日、つまり11月6日は新宿ロスカボスで、NEXTレジェンドオブロスカボス/BCフライト限定トーナメント決勝戦に参加してきます。
思えば先月半ばに御茶ノ水ロスカボスでの予選を勝ち抜いて出場資格を得てからの、この2週間は、本当に浮いたり沈んだりを繰り返してきました。
ダーツを初めてから、大体9ヶ月になります。そこそこの速さで一時はAフライトまで上がりましたが、その後は暴落の一途を辿り、一時期はBフライトまで暴落しましたが、最近になってようやくBBフライトに安定しました。
安定とはある意味では実力の定着でもあります。五月にダーツライブのカードを購入し、自分の成績を貯めてきた僕は、それからの半年で、あれよあれよとここまで来てしまったので、「自分の本当の実力」がどこにいるかというところがあまり認識できていないところもあったんです。
それが、ようやくここに来て納得できる「今の自分の安定した実力」を知ることができたといったところでしょうか。勿論ここから上を目指す意欲は十二分にありますが、昇りっぱなしで壁らしい壁を感じることなく来てしまい、いつ落下するかとひやひやしながら打っていたのがウソのような落ち着きっぷりです。
というのも、ここしばらくは、同じ時期にダーツをはじめた仲間内では頭一つ抜けてしまった感もあり、かといってAAの人達と撃てば「善戦」レベル。「自分はまだまだこんなもんじゃない」という気持ちと「自分はこんなもんなのか」という気持ちのせめぎ合いもあって、かなり不安定な状態でダーツをやっていたんです。
打てば打っただけ伸びていた時期はダーツが楽しくて仕方なかったものの、上では通用せず、かといって同じレベルには負けないという半端な状態。そんな不安定な中でのダーツは、正直苦痛の連続でした。そしてそれは伸び悩みとはまたちょっと違うところでの苦痛なんですよね。
例えばハウストーナメントなどのダブルスでは、基本的に僕くらいの腕前ではファーストを打たされます。ダーツにおけるファーストとは実力が上の人間がやるもの。そして「ダブルスは勝てたのはセカンドのおかげ、負けるのはファーストのせい」という言葉があるくらい、全ての責任がファーストにのし掛かってくるのです。
AAフライトレベル、または安定したAフライトレベルのファーストならば、そうした全責任を負えるだけの実力もあるのでしょうが、BBフライト、ましてや実力もメンタルも中途半端な状態の僕にはそんな実力はありません。ですがセカンドに期待をしてもいけない。結果として勝てない。本当にそれの繰り返しだったんです。
単純な話、負ければ面白くないわけです。まだこれから伸びていこうとしていて、その為にも最も勝ちが欲しい時期なのに負ける。実力相応の仕事をしただけじゃ勝てない。でも、それは自分のせいにしか出来ない。そんなジレンマです。
普通ならばセカンドを何度も経験して、勝ちを憶えて、その上で強くなっていって、だんだんとファーストを打てるようになっていくというのが成長のセオリーなのでしょうが、僕の場合は全くセオリー通りではない道を辿ってしまったんですね。なにしろハウストーナメントであれなんであれセカンドを打ったのって初参加のハウストーナメントの一度だけですから。
自分の不安定な実力に苛立ちを感じ、勝てないことに辛さを憶え、一時期はダーツを遠ざけて「たかが趣味なんだから、そこまで熱くなるなんてバカバカしいじゃないか。ここまで来たのだからそれでいいじゃん」なんて考えようとした事もありました。それくらい不安定で浮沈が激しかったんです。
少し話が逸れますが、僕は小学一年生から格闘技をやっていました。真剣にプロレスラーに憧れていたこともありました。そこに求めたのは「強さ」でした。
でも、諦めてしまいました。云い方を変えれば半端に終わってしまったんです。交通事故の後遺症や椎間板ヘルニアの苦痛や諸症状。それらが理由であったというのは事実ですし、それを理由にしてしまうのは簡単です。
ですが最終的に、そのまま「強さ」を求めて進めなかったのは覚悟や気持ちが足りなかったからなんですよ。折れたのは骨ではなく、心だったんです。
ダーツなんて、たかだか「趣味」の一つですから、バカバカしい話かも知れません。ですが「強さ」を求めることを諦めてしまった僕にとって、再び「強さ」を求めることが出来る機会を与えてくれたダーツは本当に大きな存在だったんです。
勿論、ここでいう強さとは肉体的・武力的強さではありません。ダーツにとって大事なのはもちろん技術でもありますが、それを得る為に努力できる「強さ」、そしてメンタルの「強さ」という「人間力としての強さ」なんです。
腰や利き手利き足に生じた障害、それによって肉体的な強さを得る道は絶たれ、僕は心を折ってしまいました。ですがダーツは違います。足が利かなくなっても車椅子で投げている人もいる、隻腕になっても投げているプレイヤーだっている、隻眼や弱視のプレイヤーも数多くいるんです。
上体を起こしていられるだけの身体、そしてダーツを投げることが出来る片腕、ボードを注視できるだけの視力。これだけが残っていれば、年齢さえも関係なく、どこまででも上手くなることが出来るスポーツ。それがダーツです。
打突は出来なくなっても、受け身はとれなくなっても、僕にはまだまだ健康な四肢がありますし、視力もあります。そしてダーツに対する情熱もある。流行り廃りは最早関係なくなりました。ただかつて諦めてしまった「強さ」を求めること。それを続けていたい。それに尽きるんです。
そう考えた時に、ふっと憑き物が落ちた様な気がしました。今は下手でも弱くても決定力が足りなくても良い。負ければ悔しいです。下手したら泣くほど悔しいでしょう(笑)。でも悔しい思いをしたならば、そこから這い上がれればいい。最後まで心を折らないこと、そして「強くなること」を諦めないこと。
こんな風に自分の「今の実力」をしっかりと理解して、その上で「さらなる強さ」を求める「覚悟」を決めた時から、僕にとってダーツは単なる「趣味」から、まさに「生涯スポーツ」へと変わりました。
強くなる為にと信じて、砂袋に拳を打ち込み、板の間やコンクリートの上で拳立てをし、硬いモノをスネで蹴り飛ばしていた頃に持っていた「あの気持ち」を今の僕はしっかりと持っています。
「ダーツに出会えて良かった」――心からそう云えるように、そして、その言葉に恥じないプレイが出来るように、6日のトーナメントは全力を出して戦ってきます。
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2005年11月02日-19:49
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先日こんな記事を書いたわけですが。
うちのサイトのダーツ関連記事を読んで、ダーツをはじめた方、そしててそれ以前から、または全く別のアプローチからダーツをはじめた方などから、さまざまなメールをいただきました。
基本的には皆さん一様に「私もダーツ頑張ります!」とポジティブな方向に考えられるようになったという内容で、当の記事の内容は本当に個人的な決意表明というかなんというかだったのに、そんな風に思ってくれる人がいたということに驚きつつも、とても嬉しく思いました。
くどいようですが僕は明日には三十歳という年齢になります。この歳になってまさかこんなに熱くなれるモノに出会えるとは、思いも寄らなかったんですよね。
だって「練習」とか「上達」なんて、習い事かなんかをやっている人でない限り得られるモノじゃないでしょう。おまけにそこに「勝負」なんてものまでついてくるわけですよ。こんなの本当に中高時代の部活以来ですよ。
学生を卒業した社会人としての日常生活の中で、緊張して手足が震えるだの、負けて悔しい思いをするだの、勝って喜びを爆発させるだの、寸暇を惜しんで練習するだのなんて、なかなかに有り得ないものですからね。
なんといいますか、十年以上眠っていた「スポ根」魂に、完全に火がついたというような状態です。僕の場合はそこにさらに「強くなりたい」という、少年時代からの欲求にも飛び火した状態なんでしょうね(笑)。
BBフライト野郎なわけでして、大して上手くもない僕がこんな事を云うのは、実に烏滸がましいのですが、やっぱりどんなものにでも、そして誰にでも、多かれ少なかれ伸び悩みはあります。
ダーツは基本的には正確な動作の反復運動ですから、投げれば投げるほど、そしてそれが正確であればあるほど上達していくものです。となると、上達は練習量に比例するわけですよね。
もちろん練習自体の効率や、正しい方向性での練習かどうかということも重要ですが、根本的には「練習量に比例」で間違いではないと思っています。
で、そうなってくると、どれだけダーツ(の練習に)時間を割けたかって事になってくると思うのですが、これはなかなかに難しい問題です。投げる環境がなければダーツバーなりなんなりに出向かなければなりませんし、その時間を作らなければならない。
そして外で投げる場合は、それに伴って金銭的負担も出てくるわけです。そうなると、そうしょっちゅう出来るというわけではなくなってきてしまいますよね。多くの人が、ここで上達への道を諦めてしまったり、そこまではいかなくともジレンマに陥ったりしているようです。でも、だからこそ「ここ」が上手くなれるかどうかの分かれ目になるのだと、僕は思うんですよ。
あんまりわかりやすい図解ではないですが、こんな感じに「ダーツのやれること」は分布していると僕は考えています。
「下に行くほど誰でもやりやすく、上に行くほどなかなかやりにくい」と見ることも出来ますし、「下に行くほど簡単で、上に行くほど難易度が高い」と見ることも出来ますし、「下にいくほど地道な経験値で、上に行くほど大きな経験値」と見ることも出来ると思います。また対費用効果としても「下に行くほど安く、上に行くほど高い」と見ることも出来ないことはないかな、と。そんな感じですね。
で、話は戻って「上達への分かれ目」の話なんですが、先ほど話に上がったのは、図でいうと「ダーツバーなどのコイン制でのプレイ」や「まんが喫茶・ゲームセンターなど投げ放題」といったところでの練習の話なんですが、そこで「なかなか時間もないし機会もない」と諦めてしまうならば、その下でも、その上でも上達への道はあるということなんですよね。
素振りならばどこでも出来ますし、ダーツバーにいって使うお金を5回分くらい貯めればボードを購入することが出来ます。ブリッスルボードならば集合住宅でも刺さった時の衝撃音は大きくないので問題もありません。間取りの都合で2.44mの距離や173cmの高さがとれなくても、それなりの距離や高さであっても、十分に「狙ったところに入れる」練習は出来るんです。
また少ない機会でも、一人でダラダラと投げるのではなく、率先して強い人にお願いして一緒にゲームをやってもらうことで、アドバイスや上手い人のスローイングや構えなどを見ること、そして実際にターゲットに入っている弾道や戦略を見ることでも、計り知れない大きな経験を得ることが出来ます。
これが「下へも上へも上達への道はある」っていうことなんです。「なかなか機会がないから」ということで諦めてしまうか、それ以外の方法を模索して実践するか。つまり「モチベーションをどれだけ行動に結びつけることが出来るか」。全てはここに尽きると思うんです。
「実戦に勝る練習なし」ともいいますが、それ以上に基礎練習こそが何よりも大事だとも思います。かのワールドチャンピオンであるポール・リム氏は、未だに毎朝200回以上の素振りを欠かさないそうですし、日本のとあるトッププレイヤーは、トッププロに弟子入りした際、最初の数ヶ月はダーツを持つことすら許されず、ひたすら素振り、しかも日に二千回以上を義務づけられたといいます。
実際僕も毎日素振りを欠かすことはありません。自宅にボードも設置してありますから、実投をする練習環境もあるわけですが、それでもヒマを見ては素振りをしていますし、その動きが既にクセになっています。
拳や足先を人体の急所に正確に入れるという動きは少年時代からやって来ましたが、的に正確に投げ入れるだの、そもそもモノを投げるだののスポーツには全く無縁で育ってきましたので、センスがないことは重々承知しているんですよね(笑)。だからこそ基礎を大事にしているといったところでしょうか。
センスがないからコツコツと基礎を積み重ねていくしかない。いつかこの積み重ねがブルでもトリプルでもどかんどかん入るようなプレイに繋がると信じてやっていくしかない。そんな風に考えて今もずっとやっていますね。
入らなくてもくさらない。時間や機会がないからと諦めない。どれだけ投げてもなんか入らないと伸び悩んでも「もういいや」と折れない。こういうしつこいまでの探求心というか拘りというか、粘りというか。まぁそのあたりが「上達への道」なんじゃないかなぁと思うわけです。
練習したからといって上手くなるわけではないけれども、上手い人達はすべからく練習していますからね。烏滸がましくも実に口幅ったいことをつらつらと書いてしまいましたが、まーなんといいかすか最終的には「諦めずにコツコツとやっていきましょう」と、そういうことです!どうせダーツやるなら上手く打てた方が楽しいですもんね!
で、前回今回とこんな事を書いた僕ではありますが、試合2日前にして、数えるのも嫌になるくらい繰り返している、何度目かの絶不調モードに突入していまして…。
現在進行形で「大会棄権したい」だの「ダーツやめようかな」だのの愚痴をぶつぶつとこぼしています(笑)。なんというか台無し度MAX。
ああーもうー!! 一昨日の夜24時前後が試合だったら 勝てたのにぃ!勝てたのにぃッ!! (ワガママMAXな子どもか貴様は)
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2005年11月04日-13:43
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胸を張って云えます。
というわけで日曜日、11月6日に開催されたNEXTレジェンドオブロスカボス/BCフライト限定トーナメント決勝戦に参加してきました。
今大会は、新宿・渋谷・池袋・六本木・横浜・御徒町・御茶ノ水・六本木の各店舗での予選を勝ち抜いた32名の参加者から、4人1グループでのラウンドロビン(予選)を行い、16名を選抜。そこからルーザーなしの一発勝負トーナメントという形です。
で、僕の成績はというと、ラウンドロビンは2−0、2−0、2−1の全勝で一位抜けし、一回戦は2−0で勝利するも、後一歩のところで1−2で2回戦敗退。結果としてはベスト8ということになりました。
最後の501は、80残りの一投目をミスして1に放り込み、79残りとなった時に57(19T)−22(11D)と狙ったのですが、11Dをアウトボード。そして次のラウンドでワンチャンスだったのですが、アウトボードした分を考えてラージシングル2本を狙ったところ、一本目を11Tに放り込んでしまいバースト。そして相手にフィニッシュされて負けてしまいました。
僕の知りうる限り01アレンジのセオリーは基本的には50以上はクリケットナンバーのトリプル残し、狙えるならばブル残し。そしてそれ以下は8の倍数残しというものです。
その練習はこれまでに数え切れないほどやってきたのですが、アレンジをミスした時のカバーする力、どんなナンバーでも正確に入れられるコントロール。さらにフィニッシュという局面でも、それが出来るだけの「決定力」。そういう局面に対応出来る、対応してきたという「経験(キャリア)」の差が出たな、とそう思います。
B・Cフライト限定トーナメントということで、僕はBBフライトとしての参加だったのですが、その格付け相応のダーツは出来たと思います。無論大爆発すればもっとすごい成績を出すことも出来るとは思いますが「大会では出て4割」と云われる中では、十分に全力を出し切ったと思います。
ダーツを始めて9ヶ月。あの局面でミスをしない「強さ」は、これから先じっくりと経験を積んで、薄皮を重ね貼りしていく様にして身につけ、分厚い「強さ」を手に入れていきたいと思います。
ベスト8という成績は正直どうってことない成績です。不甲斐ないといってしまえばそれまで。でも勝負の世界では勝つ者がいれば負ける者もいるわけで、今回は僕が弱かった、それだけのことです。それでも全力を出し切ったという達成感はあるので、胸を張りたいと思います。
前日夜、最終調整に付き合ってくれたフジイさん夫妻、そして応援に駆けつけてくれたAKIRA君、兄貴、そして我がダーツ部ドラマチックダーツチームの面々。
僕に「上手いダーツと強いダーツ」の違いを教えてくれた、Fiesta大宮の菊池店長、3in@bed店長のボブさん、前店長のりゅーじさん。
不肖の弟子にダーツのいろはを教えてくれた、お師匠のひぐひぐさん。僕とダーツの楽しさを一番最初に教えてくれたSureのマスター。
そして、今大会参加に向けて応援メールを送ってくれた読者の皆さん。
本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。本当にありがとう。
前日、11月5日に僕は三十回目の誕生日を迎えました。本当はここで入賞トロフィーの一つも獲って、このセリフを云えたらよかったんですけど、それは欲をかきすぎというものでしょう(笑)。
大事な仲間と、なによりもここまで熱くなれるなにかを、この歳になって手に入れられる事が出来て、僕は本当に幸せです。この事自体が何よりの誕生日プレゼントです。
ダーツに出会えて、本当によかった。 (応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました)
と、こんな風にシメてしまうと、まるで夜空バックに笑顔でキメ的な最終回の様ですが、まだまだこれからも精進していきます(笑)。
でも次の大きな大会は1月のMVPトーナメント以外は当分ないですし、あっても出る予定がないので、地元のハウストーナメントや、定期参戦しているセレクショントーナメント、それと地元のリーグ戦などを軸に、AAフライトプレイヤーを目指して、これからも精進していきます。
また余談ですが、敗戦の後、応援してくれた仲間達と一緒に池袋ロスカボスに河岸を移して慰労会をやっていたのですが、そこで投げている時に偶然当サイト読者の方に声をかけていただきました。
また本戦会場でも何人か「読んでます!」って声をかけていただいたりして、組み合わせ次第では、これからバチバチ試合をやらかすってのになにやらフクザツな心境ではありましたが、やっぱり嬉しいもんですね。
池袋で会った方は、なんでもウチの記事を読んでダーツに興味を持って、やりはじめたとのこと。こういうのってすごく嬉しいです。どんどんこういう縁を繋げて、いつかはじーらぼ!でダーツイベントでも開催出来たらいいなぁなんて思っています。まぁイベント主催する前に、まずはもっと上手くならないとですけどね(笑)。
ちなみにダーツライブのおいてあるショップやダーツバーで、丸メガネをかけたクマが緑色のダーツを投げていて、なおかつカード名が「春九堂@DDT」か「モッティ@DDT」となっていたら、ほぼ間違いなく僕だと思います(笑)。お気軽に声をかけて下さい。そして一戦お相手していただけたりしたら幸いです。
ところで、余談の余談ではありますが、この「@DDT」はウチのダーツ部の面々全員がカード名の末尾に着けているのですが、池袋ロスカボスで投げていたところスタッフさんに「DDTって、デブダーツチームの略ですか?」と超絶失礼な事を云われたりしました。
…まぁその時投げてたメンツがダーツ部の中でも選りすぐりのクマ系ばっかりだったんで、そうとられても仕方ないといえば仕方ないわけですけど、いくらなんでもそれは失礼だろキミということで、しっかり言い返してやりましたよ。こう、ビシっと。
「はい!デブデブチームです」って。 (言い返してない上にダーツチームですらない)
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2005年11月07日-02:34
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どうだ!これもプロレスだ!
というわけでして、さる11月3日に横浜アリーナで開催された「ハッスルハウス2005」。ハッスルシリーズの今年一年の集大成である大会だったわけですが、なんといっても話題は芸能人の多数の参戦でした。
狂言の和泉元彌、レイザーラモーンのハードゲイ住谷、そしてこれまでも定期参戦してきたインリン・オブ・ジョイトイ。学生プロレスチャンピオンであったHGや、既にハッスルの風景に馴染んでいたインリン様はともかく、なぜここで、と疑問を感じ、また非常に不安でもあったのが和泉元彌の存在でした。
で、そのあたりのことはこんな記事に書いたりもしたのですが、いやはややられました。想像の斜め上を突き抜けて成層圏を突破し、遙か第七銀河の彼方にまで行ってくれましたよ。主催・演出を行ったDSEも、WWEで鍛え上げられた対戦相手の鈴木健想も、そしてなにより和泉元彌自身が、本当に素晴らしかった。本当に驚きの連続でした。
当日、僕は残念ながら会場にはいけなかったので、PPVでの観戦だったわけですが、某所でリアルタイム実況をしていましたので、その文章をもって、まずは試合リポートをお読み下さい。あわせてスポーツナビのフォトギャラリーも見て頂けるとより臨場感があるかもしれません(笑)。
先にケンゾーwithヒロコ入場。青のライトにスモーク。コスチュームは根本的にはWWE時代と変わらない感じ。ポージングするケンゾーの前にゲイシャガールコスチュームのヒロコが出ると、巻物を縦に広げる。そこには墨痕も鮮やかに「小細工はいたしません」の文字が。盛り上がる。ケンゾーの身体はしっかり出来上がっている。
しかし元彌はまだ来ない。入場コールがかかる。「和泉元彌withセッチー鬼瓦軍団の入場です」。そしてかかったのはジュディ・オングの「魅せられて」。セッチーとAKIRAが入場。さらに鬼瓦軍団が紋付き袴で入場。セッチーの右手には長刀が(笑)!!しかも花道ではなく通路から。グレイシートレインならぬ「狂言トレイン」だ(笑)。元彌はいない。
そしてリング上でケンゾーが「和泉元彌どこにいるんだよ!まさかダブルブッキングじゃねーだろうなー!」「ハッスルマニア、この大事な場面で試合時間にいないだなんて、どんな躾をされてきたのだか、親の顔がみたいもんですわ」とセッチーを挑発。ヒロコのマイクすげえ。ほんとすげえ。伊達に元アナウンサーじゃあないといったところ。
セッチーは応えず。ヒロコは「このまま不戦勝ならセッチーに上がってもらうぞ」と挑発。セッチーはヒロコに「白塗り厚化粧で下品」だとやり返す。そして「掛け持ちはあってもダブルブッキングはない」とアピール。
そして「何人でもいいとおっしゃいましたね」と、そこで謎の覆面レスラーミスター鬼瓦とAKIRAが上がる。一応この時点で試合開始ということらしいが、スピアーからのTSUNAMI(アイアンクロー式STO)で速攻KO。ケンゾー強い。
ケンゾーがコスチュームを半脱ぎして尻を出してぺちりぺちりと叩き、まだ出てこない元彌を挑発すると、会場にはヘリの音が!!そして横浜アリーナ天井から和泉元彌が縄ばしごに捕まって下りてくる演出で登場。キャッツアイかルパン三世か!やばい、鳥肌たったくらいかっこいい。かっこよすぎる。BGMは少林サッカーだ!!
「ハッスルファンの方々、狂言和泉流二十世宗家・和泉元彌でござる!遅刻もダブルブッキングもござらぬ。開場前から、ずうっと上でまっていたのじゃあ!健想選手、このバカ息子が討って捨て申す!」と、ヘッドセットマイクで拡声されながらも、大音声の狂言喋りで名乗り口上。
もう失神しそう。かっこよすぎる。会場も大盛上がり。しかもセリフの「間」で、わあーって沸くのがスゴイ。ホンモノのオーラがバリバリにでている。リング上のケンゾーも「ようやく来たか」とニヤリ。いや「やるじゃねえか」と素の部分で笑っているようにも見える。
花道に降り立つと狂言の謡が入り、舞う元彌。かっこいい。ひとつひとつの動きの極め方がかっこいい。そしてリングインすると袖で平手。身長差から視線を合わせようとしないケンゾーに「身どもはここじゃ、いざ合戦のとき!」と名乗りを上げて再度張り。うわーかっこいい。リング上の元彌はケンゾーの突撃をひらりひらりとかわす。あれ、試合してるよ?!
元彌がロープに走ってのエルボー2発。さらに至近距離から連発するも効かない。一気にロープに詰めて、ツバを吐きつけるとケンゾー張り。コーナーに打ち付けて張り、対角線に投げつけてさらに張り。コーナーダウンするも、しかし元彌視線は折れない。苦しそうな表情もいい(笑)。
引っ張りこんでリング中央でネックハンギング。苦しそうだが元彌は「のおおおおお!!」。リリースすると、ダウンした元彌の頭部を掴んで揺さぶる様に何度もリングに打ち付ける。そこにAKIRAとミスター鬼瓦が乱入するも、再度瞬殺される。
ケンゾー、起きあがらせた元彌にシュミット式バックブリーカーから、そのままバックブリーカー・オン・ザ・ニー。耐える元彌に場内はモトヤコール。踏みつけ式のポージングカバーは2で元彌がリリース。会場は「おおおおおー!!」と歓声。なんだこの盛り上がり。
そしてダウンしている元彌に合掌からのロープにとんでのジャンピングニー。これがジャストヒット。死ぬ。明らかに死んだ。引きずり起こそうとするが、さすがに起きあがれない元彌。しかしケンゾーフォールに行かない。起きあがらせてバックドロップに行こうとしたところにAKIRAとミスター鬼瓦が乱入。
AKIRAがケンゾーをカットし、持ち上げられていた元彌はそのままフェイスバスターで切り返す。3対1の連携。鬼瓦・AKIRAと続き、最後は元彌がコーナーからふられたケンゾーに、カウンターのスライディング式低空ドロップキック。起きあがったところに鬼瓦がクローズライン。ケンゾーダウン。
そこに間髪入れずAKIRAがムササビボディプレス。さらに和泉元彌が狂言のジャンピングあぐら式ダブルニードロップフォール。一回くるりとスピンのように舞ってから飛ぶのがオリジナル(笑)。しかしケンゾー2で返す。
ヒロコがリングインし、AKIRAにニンジャパウダー(目潰しの粉)。返す刀でミスター鬼瓦にも行こうとするがマスクマンだから効かないと判断したか、鬼瓦が顔をガードしたからか、切り替えて金的蹴り。このあたりのヒロコの動きはスゴイ。
しかしケンゾーに捉えられた元彌に「いずみもとやあああ!!」と鬼の形相でニンジャパウダーを狙うも、元彌は上手くダッキングでかわし、パウダーはケンゾーに誤爆。
視界を失ったケンゾーとヒロコの間に入った元彌は両袖を広げてブラインドを作りつつ、「まだまだじゃああ!来ぉい!!」ケンゾーを挑発すると、突っ込んできたケンゾーをヒラリとかわす。結果ケンゾーはマッハなクローズラインをヒロコに誤爆。場内大盛上がり。でも、このヒロコの吹っ飛びっぷりとケンゾーの思い切りのよさに拍手が沸いた場面でもあった様に思える。
やってやったぜ!という表情でケンゾーが見下ろすと、そこにはグッタリしたヒロコが。とたんに「うわああああ!!しまったー!!!」とオロカヅラのケンゾー。フラフラと後ずさりしながら振り返るとコーナーの上にはチョップの予備動作を作った元彌が。
間髪いれずコーナーからケンゾーに飛びつく元彌。しっかりと両脚をフックし。ウラカン・ラナに行くのかと思いきや、そこから後頭部・頭頂部にチョップチョップチョップ!!そして大きく振りかぶって見得を切ってから、チョップをもう一閃!これが「空中元彌チョップ」だ!!
すとーん、といった形で崩れ落ちたケンゾー。っつーか和泉元彌の全体重がケンゾーの顔とか首に思い切りかかったような落ち方をしたが、大丈夫だろうか。いくら元彌が軽くても心配になるくらいの見事な倒れっぷりだ。しかし期を逃さず、元彌はそのまま姿勢を崩さずフォールに入り3カウント。
試合結果は元彌大勝利!なんだこれ!!WWEか!!WWEを超えたのか?!そんなこたあどうでもいいや!とにかく元彌がかっこよすぎる!!
息も上がっておらずリング上で会釈し、花道をしずしずと、しかし堂々と去る元彌。場内には和泉元彌からのメッセージが朗読され、スクリーンにも映し出される。
伝統を守り 家を守ること それが日本人の心。 人に何をされようと 自らを見失うこと無し 己を信じ「生き切る」 それが全てを守ること 五百六十七年の歴史を信じ 生きてゆく 狂言和泉流宗家は 永遠に不滅なり
和泉流二十世宗家 和泉元彌
そして花道奥で正座すると、深々と礼をして去る。最後までかっこいい。会場の見送りの拍手が、明らかに舞台のフィナーレに対しての拍手のように思えるくらい。やっぱプロだわよ。本当にすごかった。ケンゾーは何も云わず退散。セッチー鬼瓦軍団も去る。このあたりも歯切れ良くてよかった。
とまぁ、こんな具合でした。とにかく元彌がすごかったです。予想では前に書いた記事の通り、本人はもっぱらかわす動きに専念して、あとは黒子がやるのだと思っていたのですが、本当にそんなちんけな予想を遙かに超えた姿を見せてくれました。
特筆すべきはやはりケンゾー選手でしょう。新日本・WJ時代はただのしょっぱいだけのパワーファイターだったのですが、WWEでもまれた結果「ホウキとでも試合が出来る」だけの受けの強さ、そして試合を作れる力をつけてきてくれました。ヒロコも本当にすごかった。ケンゾーはいい嫁さんもらいましたね。
独身時代は新日本プロレスの道場にファンの子を連れ込んでそこでチョメチョメしちゃって、それが防犯カメラに映っていたとかなんだとか、そんなとんでもないこともあったわけですが、水に流しましょう。本当にスーパースターでした。
勿論、和泉元彌もすごかった。ワイドショーやらモトヤちゃんネタでは、明らかにダメダメムード漂い過ぎな優男という印象しかなかったのですが、どうしてどうして、やっぱり「その道」で鍛えられた人は、違いますね。素晴らしい「表現者」でした。
ところで、この試合とHGの試合はワイドショーなどでも散々放送され、色々な意味で話題と注目を集める結果となったのですが、プロレスにあまり関心のない皆さんは、映像をみてどう思いましたか?
ショー? お笑い? バラエティ番組? 格闘技? お芝居? 八百長?――どれでもいいです。でも、これら全てが「プロレス」です。バチバチのハードヒッティングな試合もあれば、華麗な空中殺法もあり、コミックショー的な試合もあれば、殺伐とした試合もある。それら全てが「プロレス」。僕はそう考えています。
敗戦後のニッポン。体格で圧倒的に劣る力道山が、鬼の様な外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒すのを観て、僕らの祖父さん祖母さんらは力を貰いました。ジャイアント馬場の大きさ、アントニオ猪木の殺気に、僕らの親父さんやおふくろさんは元気を貰いました。タイガーマスクに憧れ、前田日明に共感し、闘魂三銃士にしびれ、四天王に勇気をもらって、僕は育ちました。
そして今、ドラゴンゲートやNOAHの若いイケメンレスラーに女性客は大歓声を送り、DDTでは男色ディーノに襲われて嬉しい悲鳴を上げ、WWEのソープオペラに感心しつつ、空中元彌チョップに笑うしかないくらいの感動を憶える。これがプロレスでなくてなんなんだと思うわけです。
この試合をして「これがプロレスだ!」と豪語する事は出来ません。それは和泉元彌が狂言という分野での第一人者であり、あくまでもゲストであったからです。ですが11月3日の横浜アリーナで起こった全てのことは、入場から退場まで含めて、全てが「プロレス」の中で起きた出来事。これは断言出来ます。
ですからプロレスを知らない、興味がない「世間」に対して、僕は冒頭の言葉を豪語しようと思うのです。楽しくって、バカバカしくて、それでもみんな真剣で。観客の予想を上を行って、楽しませる事を第一に考える。それが素晴らしいエンターテイメントの世界。それがプロレスの世界。「どうだ!これもプロレスだ!!」――と。
おそらく和泉元彌が今後プロレスのリングに上がることはないでしょう。一回限りだと思いますし、もし仮にあったとしても、また1年後とかそんな感じになると思います。
本当に和泉元彌氏からは「見せる/観せる/魅せる」事のプロ魂を感じました。和泉元彌氏が、どれだけ真剣に取り組んだかは、彼のプライベートサイトの日記を読んでいただければ、もう少し伝わるかと思います。
夢舞台
いや〜。終わっちゃった。 今、家に帰ってきました。ホッとしています。痛みも、感動も、やったぞ・生きている事の実感です。 ここ数日、”ふ”と目がさめると、夢心地でした。決して、しあわせだな〜。という感覚ではなく。自分が挑戦しようとしていることが現実ではないような、不思議な感覚。 怪我の絶対無いように、と言いながら。もしかして・・・。と、あってはならないことを考えては・・・。 一人でいると、得もいえない緊張が・・・。それは、試合自体もそうですが、観客の皆さんの反応など・・・。自分の取り組みが、一回の試合で評価される。常ずねそんな舞台に立ってきたはずなのに・・・。おなかの痛い日々をすごしていました。 そして今日、試合当日・・・。 勝った。勝ちました。というか勝たせてもらいました。 会場に詰め掛けた、15000人のハッスルファンの皆さん有難うございました。みんなの声援に支えられてがんばって、ガンバって、がむしゃらに頑張って勝ち取った勝利です。 試合内容は、「ハッスルHP」で。 AKIRA先生やMr.ONIGAWARA。そしてセッチー鬼瓦軍団、観客の皆さん。そして、満場の「元彌コール」。全てが未知の世界での出来事。 まさに、夢舞台。主催のドリームステージさん。観客のみならず、スタッフみんなが大きな夢を見ているから作れるものなんですね。 そして、鈴木健想選手!本物のエンターテイメントプロレスを叩き込んでくださって有難うございました。「昨日の敵は、今日の友」。世界のエンターテイナーの胸にがむしゃらに当たってきました。 こんな温かい、いや、熱い会場の熱気と感動を胸にまだ、あのリングに立っていた自分が信じられずに、日記を書いています。本当にあのリングに立っていたのかな〜。本当に終わっちゃったんだね〜。 が、明日のワイドショーを見て、全く違う世界が映し出されたら・・・。 会場にいらした皆さんだけでも、共有したあの時間、あの感動を胸にとどめておいてください。 また一緒に、いい夢を見れるような取り組みをしていきたいと思います。 みんな、みんな。本当に、本当に有難うございました。 ちゃんと大きな財産を持って帰ってくることができました。 新しい挑戦をするに当たり、支えてくれた家族・スタッフの方々そして、皆さんに大感謝です。この気持ち、言葉で言い尽くすことはできません。 これからの僕も見守っていて、いや、応援していってください。
(和泉元彌氏プライベートサイト:BLUE HEAVEN/「こんにった‥なにあった」11月3日分より)。
別のジャンルの人間として、プロレスをリスペクトしてくれている、そういうのがひしひしと伝わる文章です。
試合前は散々バカにしていましたが、本当に感服しました!ありがとう和泉元彌!プロレス万歳!狂言和泉流万歳!ハッスル万歳!!
ちなみに今大会で最もつまんない試合をしたのは 最古参レスラーである長州力でした。消えろ。 (どうせならパートナーに小力を連れてくるくらいやれよな…)
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2005年11月09日-14:26
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シンガーソングライターの高橋ひろさんが逝ってしまった。
亡くなったのは今月4日のことで、長年患っていた持病によるものだという。9日に元ファンクラブの方などに知らせが届き、ニュースや公式発表にはないが、彼のサイトのBBSなどには多くの追悼の言葉が寄せられている。
この人のことは、あまり知らない人の方が多いと思う。知っていることがあるとすれば、幽遊白書のエンディングテーマを歌っていたことがある人ってくらいのもんだろう。
「アンバランスなKissをして」「太陽がまた輝くとき」の2作がそれだ。新生第三期チューリップのメンバーとして抜擢され、その後ソロ活動として、この曲を皮切りにしてアルバムを3枚だした。
正直、上記の二曲以外の売れ行きはさほど良くなかったのだと思う。また所属レーベルの解散により、歌手活動を縮小したこともあり、その後音楽のメジャーシーンには上がってこなかった。最後のアルバムのリリースは1995年。10年前の作品だが、既に絶版になっている。またマキシシングルや、ライブでミニアルバムの販売なども行ったが、いずれも単発で終わっていた。
そんな決してメジャーとは云えないアーティストではあったが、僕は彼の3枚のフルアルバムを全て持っていたし、彼の独特の透明感のある声とオーソドックスだけど、どこかちょっとクセがある「ポップス」なサウンドが大好きだった。
決してスーパーハイトーンの声ではないけれども、ファルセットを上手く使ったりして、さまざまな場面やキャラクターを演出する歌声は、どこまでも優しく、素敵な言葉のセンスで物語る「あたし」や「ぼく」のストーリーは、僕に色々な風景を見せてくれた。
僕自身「幽遊白書」のED2曲をきっかけに彼の世界に触れた人間の一人なのだが、その後は彼の独自の世界に魅せられていった。初めて買ったアルバム『ウエルカム・トゥ・ポプシクル・チャンネル』には、件の2曲が収録されているのだが、それよりも他の曲に心を奪われたくらいなのだ。
以前少し書いたことがあると思うが、彼の作り出すポジティブで、どこかニヒルで自嘲的なまでに素敵な世界は、独特な歌詞の言語センスにあると思っている。そして僕はそれが大好きだった。
このアルバムの収録曲『パティオでドッキリ』という曲の歌詞にある「パンをちぎりミルクに浸すたったの5秒」で表される、日常の些細な出来事や生活のクセというもの。
「二人の血を混ぜたら固まる」というタームで表される日本人が大好きな血液型式性格判断の表現。「ジーンズ地の高い腰」という言葉で表される女性のスタイルの良さ。
『イェーイ・イェーイ』での「キミと眠る夜の備えに腕枕を鍛えはじめた」という誰しもが一度は考えるであろう男の楽しく可愛らしくバカバカしい出来事。
なんて生き活きとした言葉達なんだろう。なんて幸せな言葉達なんだろう。本当に素敵なセンスだった。一曲一曲に物語があって、曲に登場する「キミ」への想いが溢れていた。
キレイな恋愛の物語だけではなく、彼の歌声も相まってどこかエロティックで「純情な肉体関係のにおい」が漂う素敵な世界だった。そう、高橋ひろの世界には確かに「におい」があった。僕はそこに惹かれていたのだと思う。
なにしろ10年以上前のアーティストだ。引っ越しの際にCDはどこかに行ってしまったりもして、ここ最近の活動は知らなかったのだが、夏頃にふとした事から彼のサイトを発見し、楽曲提供や小さなライブ程度に留まってはいたものの、活動を継続していることを知って嬉しかった。
そしてこれも初夏頃だろうか、とある出来事をきっかけにどうしても彼の曲が聴きたくなり、絶版になっていたCDを全てネットオークションで揃えたりもした(過去ログを調べたら6月の事だった)。
思い出した様に何度も聞いて、何度も物語を反芻して、そして自身の青春時代を思い出したり、本当に楽しませてもらっていた。そしてその半年後にこの報せ。本当に偶然だった。ひょっとしたら何かを感じたのかも知れない。
享年41歳。若すぎる「さよなら」だ。ファンにも関係者にも自分の病状については全く語っていなかったという。なんとなくではあるが、ひたすらポジティブで素敵な世界を描いていた彼らしいな、そう思った。
高橋ひろさん、素敵な色褪せない世界をありがとう。貴方の世界にたくさんの元気と素敵をもらいました。どうか安らかに。本当に、ありがとうございました。おやすみなさい。
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2005年11月10日-12:15
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とある日の電車内での友人との会話。
「英語喋りたい」 「好きなだけ喋れよ。アイアムアペンから始めるか?」
「いや、間違えた。英語を喋れる様になりたい。あと俺もお前もペンじゃないと思う」 「なんだ、そういうことか。英語かー。確かにまともな英語教育受けてないからな」
「そうなんだよ。一応3+3+4で10年は英語やってるはずなんだけどな」 「まるで喋れないよな。中坊の頃夢中になって憶えた文型…だっけ?まるで意味ねーし」
「あー。あったあった。SVOCとかいうヤツなー。まるで意味ねーよなー」 「大学でネイティブな人が講師やったりして会話やらされたけど、スピーチとかさ、もう単語の羅列なのな」
「そうそう、それで無理矢理通じさせようとしたりな。アイ、ペン!、アハーン?!とか」 「やっぱりペンなのか。あとアハーンってなんだ」
「ニュアンス。あとゴメン、ペンじゃなかった。他に浮かばなかった」 「英語力ねえよなー」
「Aから始まる単語」 「A?…えーと…Aねぇ…アグリカルチャー」
「なんだっけそれ。農業だっけ?」 「そうそう」
「綴りは?」 「A…gri…culture?」
「正解かどうかがわからん」 「じゃあ聞くなよ!」
「A…A…ANGEL」 「なんでそこで天使だよ」
「わかんない。なんか浮かんだ」 「天使が浮かんだか。割と末期かもな」
「アイアムエンジェル。アハーン?」 「ノー。ユーアノットエンジェル」
「ノー!アイムエンジェル!オラエー!」 「あれ?蝶野なの?!」
「ノー!エンジェルガッチャメラ!」 「どっちだよ!エンジェルか!エンジェルなんだな?!」
「イエース!!アイアムエンジェーーール!!」 「イエス!!イエスイエスイエス!!」
「♪はっしりーだしたらぁーなにかこたえがでるだろうーなんてー」 「俺まで一緒に天使扱いにすんな」
「ひどい。仲間だと思っていたのに」 「うるさいだまれ帰れ埋まれ。そして二度と出てくるな」
「冬眠にはまだ早すぎます」 「そろそろ黙らないと本気で埋める」
「ごめんなさい。もう少し生きていたいです」 「よし。ところでなんで英語なんか喋りたくなったんだ?」
「うむ。とある女性に惚れたのだ。といっても喋る機会などないのだろうが」 「惚れたとかそういうのはどうでもいいけど、お前にしちゃ珍しいな。女優?」
「いや、スポーツマン」 「ウーマンな」
「そう、それ」 「で、誰よ?」
「シャラポワ」 「シャラポワ、ロシア人だぞ」
「うっそ!?英語喋ってたよ?!」 「いや、ロシア人だって英語喋るよ」
「騙された!騙されたよ!」 「うるさいヤツだな。あとお前別にシャラポワがどうこうって、おっぱいだけだろうに」
「悪いか。彼女のおっぱいは良い感じだぞ。スポーティーで」 「あれ、着け乳首だって話だぞ」
「なにそれ」 「マジ乳首ではないのだ。ああいう突起状の二プレスってことだな」
「なにそれ?!?!」 「ちょっと前に話題になったんだが…」
「ちっくしょー!!騙された!!騙されまくった!!」 「いやいやいや、別に騙そうとしてそうしてるわけじゃないから」
「騙されたー!!くっそー!ロシアか!ロシアなのか!くっそー!!」 「そこまで憤りをあらわにすることでもないと思うんだが」
「うるさい!なんだその擁護っぷりは!なんだお前ロシアびいきか?!」 「いや、人を勝手にロシアびいきにすんなよ」
「なんだお前、あれだろ、どうせタトゥーとか好きなんだろ!この非国民!売国奴!」 「うわ、えらいいわれ様だが、CD貸してくれたのお前だし、俺ファンじゃないし」
「うわーん!もうなにもかもがダメだ!返せ!返せよお!」 「CDならこないだ持ってっただろう」
「そうじゃねえよ!返せよ!俺の純情返せよ!英語へのモチベーションも返せよ!」 「いやーそれは返せない。ごめん、奪ってもいないし」
「じゃあ北方領土返せよ!!」 「もってねえよ!!なに人の事勝手にロシアの最高権力者にしてんだよ!!」
「お、ついた。そんじゃおつかれー」 「あいよーまたなー」
三十路に足を踏み込んでも 頭の悪さは相変わらずです。 (どっちが僕かは考えない様に)
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2005年11月12日-00:43
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繋いだ手から伝わる想いがあります。
先日、友人と「手を繋ぐ」事について話をしていました。考えてみれば、この「繋ぐ」という言葉は面白いモノでして、人体の他のどの部分にもこの言葉は使いません。
また、一方通行であれば「手を触れる」「手を握る」となるわけで、双方向から「握り合う」事で、はじめて「繋ぐ」という行為が成立するわけです。即ちこれは両者の合意がなければ成立しない行為であるわけですね。
お互いの気持ち、つまり「手を繋ごう」とする意志があってこその行為。また瞬間的に握って離すというわけではないので、繋いでいる間はお互いにその意志が継続しあっているわけです。
どれだけ繋いだままでいられるか、そしてその握り込みの度合い、手から伝わる微妙な動きの変化などで、お互いの「手を繋ぐ」という行為への思い入れ、ひいては相手への想いがわかると云っても過言ではないでしょう。
そもそもが手指というのは人体の中で最も優れた触覚器です。温度・湿度のみならず、ミリ単位のズレや動きすらも感知出来るほど敏感な部分を相互に接触させるわけでして、そりゃあ色々なモノが伝わったりわかっちゃったりするというもの。
で、そう考えると、ちょっと微妙にエロい。そもそもが「繋がる」「繋ぐ」という言葉自体が、色々なものを想像させます。
なんといいますか、かのスーパー少女マンガ家・すぎ恵美子センセー風に云うならば「SHINと繋がったまま こんな街中歩くなんて 頭がフットーしそうだよおっっ」的な?そういう感じ?え?そんな風に感じるの僕だけですか?(参考)
そう考えると、付き合い始めて間もない男女が手を繋ぐだの繋がないだので、もたもたいちゃいちゃしてるのも、なんとなくわからないでもないわけですよ。そう、そこは躊躇うべきところなんです。だって敏感な触覚器同士を瞬間的にではなく接触させ続けるんですよ?いわば「ほっぺにチュー」より上のレベルの「接触」なんです。
頬の触覚なんか大したことないんですよ。寒かろうが暑かろうが、いつでも露出させといたって平気な部分なんですから。でも手はそうじゃないじゃないですか。寒けりゃ手袋つけるじゃないですか。敏感度合いでいったら明らかに頬<手なんですよ。
それなのに、ねぇ?そんなビンカンな器官同士を男女が全面的に接触させるだなんて!そんな白昼堂々と大胆な!いけませんいけません!奥さん奥さん!ほらもうこんなに!!(落ち着け)
それにアレですよ。林間学校だの体育祭だのでの場面でのフォークダンスなんか尚更ですよ。あれもまた手を繋いだり繋がなかったりでもたもたいちゃいちゃしたりするわけですが、白昼堂々と、しかも教師の命令で複数の男女が入れ替わり立ち替わりで、手を繋いだ上に舞うわけですよ?!
緊張して汗ばんでしまった手を、何度もジャージで拭ったりしつつ、それでも後から後からヘンな汁があふれてきて、相手方も頬を赤らめておずおずと差し出された相手の器官と、そんなヘンな汁まみれの自分の敏感な器官とを接触させて、なおかつ相互に結合させるんですよ?!
うわー!どんだけ破廉恥な事させるんだよって感じませんか?!しかも直ですよ!!云い方変えれば「生」ですよ!!思春期の男女にそんなことさせていいのか!?いいやよくない!!だめだめ!せめてゴム(手袋)してえー!!って感じですよ!よくないよくない!って、あれあれっ?僕だけ?!ねぇそんな事考えるの僕だけ?!僕孤独?!独りぼっち?!むしろロンリーウルフ?!(オオカミに失礼)
とまぁ、こんな感じで「手を繋ぐ」事の恥ずかしさと、そこはかとなく匂い立つ小エロスについて熱く語りつつ、僕の最終結論は「人前で男女が手を繋ぐなどということは、微妙にではあるがエロティカルな事である」としたんですよ。
が、その後に「大体掌や五指全部から行くのが間違っているのだ。何事もモノには順序があるのだから、まずは小指と小指とを絡めあうところあたりからスタートするべきなのだ」と力説しつつ付け加えたところ「そっちの方が万倍エロい」と、あっさり却下されてしまいました。
じゃあ「指切りげんまん」なんか どんだけスゴいプレイなんだよ! わかりやすく説明してくれよ!! (なんでキレてんだ。あとプレイに喩えるのが間違い)
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2005年11月14日-09:27
] ▲
僕の手からは、いわゆる一つの汁が出ます。
先日書いた記事に割と色々な反響をいただきました。
で、いただいた反響メールやメッセージをまとめた結論なんですが。
「手を繋ぐぐらいで、そんな事まで考える春九堂が最もエロス人」という意見がフタケタ超え。
えーと、なにこの数の暴力。
なんだよそれ。おかしいじゃん。握手じゃないよ?男女の関係としての「手を繋ぐ」行為をいってるんだよ?これってエロくないの?エロいとか考えないの?現在進行形で手を繋ぎながらこの記事を読んでやがるカポー達は何を考えて手を繋いでいるっていうの!?(そんな人らいるのか)
おかしい。絶対におかしい。なにこの孤独感。あと「手から汁なんか出ない」っていう人はなんなの?その、こう、男女として手を繋ぐ時に汁の一つも出さないなんて、そんなドライな人、僕嫌いだよ?トキメキも緊張も興奮も無いって事じゃん!おいおい、そこに愛はあるのかい!?
なに?「手を繋ぐくらいで興奮したり緊張なんかしません」だと?なにそのスカシっぷり。お前は夏休みに年上の女性相手に童貞喪失したばかりのティーンエイジャーか。「どうだったんだよ!?」とか同級生がギラギラしながら詰め寄った時に「どうってことねぇよ」とか照れもせずに云うタイプか。てめぇスカシてんじゃねえぞコラぁ!!(落ち着け)
もうね、いいよ、いいですよ。確かに僕はエロス人ですよ。空想も想像も妄想もしまくりですよ。エロス妄想の暴走特急ですよ。英語っぽく言うとランナウエイエクスプレス・オブ・エロティックですよ。
でもね。女性と手を繋ぐ時には、興奮と緊張とトキメキとでテンションUPしまくりで、手から汁だして、じっとり湿ってしまう。繋がれる方としては、きっとあまり気持ちよい感触ではないでしょうが、でも、それは純情の証なんです。そう、僕はエロスと同時に、そんな純情も持ち合わせてるんです。うんうん。
まぁルービックキューブに熱中していても手汁炸裂で、シール剥がれそうになったりしますけどね(何処までも台無し)。
これは余談ですが、緊張や興奮で手に汗をかくのは、人間が動物であったときの名残だという説もありまして、手汗で掌や指に潤いを与えることで適度な摩擦をつくり、手に汗を獲物を捕らえやすくしたり、木に登りやすくしたりする為の滑り止めの役割をするってわけですね。
また緊張や興奮で手に汗をかくのは交感神経優位の時に起きるものでして、逆にリラックスしている時は副交感神経優位となります。つまり、恋人なり思い人なり旦那なり奥さんなりと手を繋いだ時に、手がまるで湿っていなかったとしたら、それは「トキメキがない」か「非常にリラックスしている」と見ることも出来るわけですね。後者はともかく前者はちと問題ですな。
また手を繋いでいる時に「ねぇ、あたしのこと好き?」という質問や「昨日電話つながらなかったけど、どっか出かけてたの?」などの質問をした時に、数秒の間に手が湿り気を帯びてきたとしたら、色々な意味で問題があるといえるでしょう。まぁ前者の質問は「えっ?ええっ?と、突然何云いだしてんだよ!」という動揺もあるかもしれませんので、一概には云えませんが(笑)。
こうした手の発汗などのデータから緊張状態や感情の動きを読み取るのが「ポリグラフ」、俗に云う嘘発見器ってやつですね。まぁ嘘かどうかではなく精神的動揺があるかどうかがわかるだけなので、質問の作り方や質問の仕方が悪いと、ただひたすらに「非常に緊張し、動揺している」という結果しか出てこないという部分もあるわけなんですけどね。
まぁそんなわけで、付き合ってもう長いカップルの皆さんは手を繋いでもサラサラであれば、円満かつリラックスしている(もしくは冷めてる)わけで、付き合って間もなかったりまだそんな関係でもない時期であれば、繋いだ手が少々じっとりしていても、男性も女性も気にせずむしろ「ああ、緊張(もしくは興奮)しているのだなぁ」と思ってあげて下さい。
大切なのは、そんな感触とかの問題ではなく「手を繋ぐ事が出来る関係」であること。そして「手を繋ぎたい」と思える、お互いの気持ちなんですから。
まぁキレイにまとめたフリをしつつ、僕は 手を繋いだらエロ妄想大炸裂させますけどね! (くま汁まみれの手のひらをずずいと差し出しながら)
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2005年11月17日-09:53
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楽天を眺めていたら、こんなものを見つけたんですよ。
簡単に説明すると、小型の電光掲示板をストラップ&ペンダントにしたもののようです。入力できる文字はアルファベット+基本記号で118文字まで。随分長いメッセージも入力することが出来るわけですね。
で、売る側としてはオシャレなアイテムとして推しているようなんですが、僕は明らかにネタ用アイテムとして受け取ってしまったんです。何しろ、一番最初に浮かんだのが「顔文字も入力できるなー」でしたから。いや実にロクでもない発想です。ネットに毒されすぎですな(苦笑)。
続いて思い浮かんだのが、流れては消える「HELP ME!」の文字。そんなもんわざわざ電光文字で流しているヒマがあるなら、大声で叫んだ方が早いって話ですよ。そうすれば平井堅も歌ってくれるでしょうし(ヨーラブフォエーヴァー♪)。
他にも考えてみたんですが「KICK ME!」やら「HIT ME!」やらロクでもないモノしか思いつきません。かといってじゃあオシャレに使う為にはどんな文章をいれればいいのだという事になるわけですが、そもそもオシャレなんてものに縁遠い身としては、まずそれ自体がわかりません。ええい「O-SHA-RE」とでも入れればいいじゃない!(無意味にキレるなよ)
まぁなんにせよ、そもそも一度に表示されるのは3文字弱のようなので、あまり長いとどこから読んでいいものかわからなくなりそうです。名前やニックネームを入力しておけば名札代わりになるかもしれませんし、例えばオフ会の待ち合わせなどでは、サイト名やドメインを入力しておくのもいいかもしれません。結構な目印になるでしょう。また合コンなどのシーンでは、携帯のメールアドレスと番号を入力しておいて無差別アピールなんてのもありなのかもしれませんね(ねーよ)。
実際の使い方としては自分が着用するのではなく、渡す相手へのメッセージを入力しておいて、プレゼントのオプションに使うという形になるのでしょうが、アルファベット+基本記号しか入力出来ないので、英語が得手ではない人は定番の文面以外は考えるのに苦労しそうです。
ちなみにそんな英語が苦手な人にオススメなのがコチラ。
なんとカタカナ対応だそうです。これなら随分と可能性が広がります。しかしベルトバックルというところが割とネック。僕なんかもそうなんですが、ラフな私服の時ってシャツのスソをパンツに入れないので、ベルトが見えない方が多いんですよね。そうなるとちょっと難しい。でもそのあたりは工夫次第でかなり遊べそうではあります。
確実にベルト着用&シャツに隠れないとなると考えられるのがスーツ姿の時など。これなら問題なく使えます。背広ををガバッと開いた時に光るメッセージ。最新鋭のオシャレです。スーツにも遊び心をってやつですね。想像しただけで笑えます。
実用用途としては、例えば表だって口に出しては色々やりにくいオフィスラブな方々には是非オススメしたいですね。ガバっと開いた腰に光る「コンヤドウ?」の文字。他の同僚に見られない様に上手く開いた背広でカバーしながらやるのがポイントです。おそらく周りから見たら、かなり危険な光景になるでしょうが、愛さえあれば大丈夫(なにがだ)。
また256文字まで対応なので「ユウキュウクダサイ」や「イッシンジョウノツゴウニヨリ、タイショクシマス」「オイ、バーコードハゲ!」など、口には出しにくい上司へのメッセージも自由自在です。口下手な人にも是非活用して欲しいですね。
まぁそんな実用用途としてどうにかできるかどうかは別として、これから年末にかけて忘年会やらクリスマスやらのイベント事がある人は、景品や軽いプレゼントなんかにはいいかもしれませんね。オシャレアイテムとしての用途はまるで思い浮かびませんが、ネタアイテムとしてはかなりオススメな感じです。
まぁ、とりあえず僕はいりませんけどね? (自分のいらないものを人にすすめるなよ)
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2005年11月24日-03:39
] ▲
僕は別段せっかちな方ではないと思うのですが、それが可能な場面では一度にいくつかの同時作業をすることで、作業時間を短縮するべきだと思っています。
例えばカップラーメンを作ろうと考える時、ヤカンに水を入れてコンロに火をかけてから、カップラーメンを取り出し、パッケージを開いて、かやくやスープなどを用意し、箸やらなんやらも支度して、お湯が沸くのを待つ。こんな程度の簡単な事ですが、全てを準備してからお湯をコンロにかけて待つよりは、相当に時間の短縮になるはずです。
つまり、仕掛けておけば放っておいても出来上がるモノを先に仕掛けておいて、裏タスクで進めさせておく、というような形でしょうか。効率の良さとか時間の短縮とかの大仰な云い方をするよりも「要領の良さ」を優先したいと、そんな感じなわけです。
これは料理をする時などにも表れるもので、例えば釜揚げうどんを食べたい時には、鍋とやかんに水をはり、両方をコンロに仕掛けてから、うどんの乾麺を準備し、さらに梅干しをペーストにしたり鰹節を用意したり器を用意したりという事をしておいて、麺茹で→茹で上がり→麺のぬめり取り→鍋にやかんからお湯を注いで→茹で済みうどん投入温め→即喰いというような要領の良い工程が出来るわけです。
いや、これじゃ些か簡単過ぎますね(笑)。えーとじゃあこうしましょう。カレーライスを食べるとした場合はこういう工程を辿るわけです。以下ずらっと書きますね。
まず米を研いで炊飯器にかけ、やかんに水を入れてコンロにかけます。同時に鍋に油を敷いて弱火にしかけ、さくさくっと肉・野菜をゴロ切りにします。素材の支度が出来る頃には十分に鍋と油が温まっているわけですから、そのまま中火か強火にして素材をぶっ込んで炒めます。
鍋の中身にカレー粉をまぶし、塩胡椒などで軽く味付けをして、肉に焼き色がつき、野菜にも火がある程度通ったところでやかんで沸かしたお湯を鍋に投入し、コンソメキューブを落としてしばらく煮込みます。その後カレーキューブをぶち込んで味を調え、スパイスなど調味料の工夫を加えて、味見をしながら放置煮込みをしつつ、ご飯が炊けたら出来上がり、とまぁこんな感じなわけです。
ここでの要領のよさは、素材を炒め、煮込む鍋とは別に、お湯を沸かしておく事。炒め終わった段階で水を入れて煮込むよりも、その分カレーキューブをぶち込んでから煮込む時間が増えるわけで、素材も柔らかく味も染みこむわけです。っつーかこんなの工夫でもなんでもないですよね。
いや、無論全ての場合にこれが応用出来るとは限りませんが、ほんの少しのこうした工夫と、コンロの口が2つ以上あるならば、それらを全開にして同時進行で作業を進めるということが時間短縮と「要領の良さ」に繋がるのではないかと僕は考えているのです。
ずっと火の側に尽きっきりでなければいけないというような料理は、家庭で作るお総菜や料理の場合、さほどあるわけではないと思います。また仮にそうであったとしても、他の作業の合間にかき混ぜるだのなんだの程度ならば同時進行で出来ないわけもなく、一つ一つの作業工程を順番にこなしていたのでは時間ばかりかかってしまい、僕などはその間に空腹で倒れてしまう可能性があるので、こうした要領の良さをいつでも念頭に置いていたりするわけです。
ところで。先日、少々根を詰めて仕事をしており、身体は食事と睡眠への欲求サインをバリバリ全開MAXに発信している状態だった時の事です。この食欲・睡眠欲というエマージェンシーサイン2種に加えて、排泄欲求という、人間の三大欲求の内の2つ+抗いがたい人体機構の本能というトリプルアタックを喰らってしまった僕は、ふらふらとしながら仕事部屋を出ました。
以前にも何度か書いた様に、僕の部屋は三階にあり、台所やトイレは2階にあるという構造になっています。したがって僕はフラフラとしながら部屋を出て、フラフラとしながら階段を降り、ひたすらフラフラとしながら全ての目的を果たそうとしました。それもそう、出来るだけ「要領良く」目的を果たそうとしたんです。
一番最初に実行したタスクは、ヤカンに水をいれてコンロにかけることでした。それから食料をもぞもぞとあさり、カップラーメンを発見した僕は梱包を破いて準備をしようとしたのですが、階段を降りる際の上下運動による振動で、膀胱周辺に刺激がいってしまったらしく、さっきまで軽かったはずの尿意が、突如ヴォルテージMAXへと変化してしまいました。ギアでいうなら1速で徐行していたハズが、一気にアクセルを開けて4速に入れてしまったくらいの変化です。
慌てた僕はなかなか破けないフィルム梱包に業を煮やして、箸を取るとえいやとフィルムに刺し、そのままビリッとフィルムを破こうとしたのですが、勢い余ってカップラーメンのカップ容器まで貫通させてしまうという暴挙に出てしまいました。
「うわーやっちまった!」と、ギャラリーもいないのにリアクションをとったところで、尿意は既に臨界点を突破寸前となり、つまり堤防も決壊寸前。ギアでいうなら幻の6速にブッコんでしまい、モハヤボウハツモ止ムナシ状態に。「ああもう!」などと云いながら、僕はトイレに駆け込みました。
そして、チャックを降ろすのももどかしかったので、膝をガクガクさせながら一気にズボンとパンツを膝下まで降ろした逆半ズボンスタイルで、放出すべきものを放出したわけですが、リトルジョーが去った後にMr.ビッグベンが降臨されたようで、僕はそのまま振り返って着座したわけです。
ところが、ビッグ・ザ・ベニー様との格闘が済んだ頃に、今度はキッチンからけたたましいケトルのピーピー音が鳴り響き、お湯が沸いたことを告げます。その音に慌てた僕は、ウォシュレットを強にして大急ぎで洗浄し、大急ぎで始末をして大急ぎでズボンを上げながら立ち上がろうとしたのですが、その瞬間にズボンのボタンがはじけ飛ぶというハプニングが発生してしまいました。
「おいおいおい!」と一人でリアクションをするも、その間にも相変わらずキッチンでやかんはピーピーと鳴り響いています。仕方なくパンツだけをはいてズボンは足首にたまったままという「脱出寸前の間男スタイル」で、流すべきモノを流して、もぞもぞとトイレを出て、もぞもぞとキッチンに向かい、ようやく火を止めることが出来ました。
それから手を洗って、再びカップラーメンの準備を続け、お湯を注いだわけなんですが、この時点ですっかり忘れていたんですよね。先ほど箸でフィルムを破こうとして容器にまで貫通させてしまったことを。
当然の如く容器の底からはお湯が漏れだし、シンクの上にスープがじわーっと広がっていきます。しかしながら僕はそれを見ながらしばらくきょとんとしてしまったんですよ。「え?なんで?」ってな具合です。PCで云えば一時的フリーズです。さっき自分で穴を開けたことをもう全然憶えていないんですよね。「おいおい不良品かよ日●!」とか思ったくらいですから。
それでも数瞬で穴を開けてしまったことを思い出したわけですが、それからの対処が良くなかった。お湯を注いでいたヤカンをとりあえずコンロに戻して、カップラーメンを持ち上げた僕は、とりあえず穴を指で塞ごうとしたんです。さっきまでピーピー云いまくっていた熱湯なのに。
「あっちい!なんだこれ!」と、なんだこれなのはお前だとしか云えないリアクションをしたものの、持ち上げられた容器の底からは、擬音を着けるならば「しーしー」といった具合に細いお湯の糸が出ており、シンクに落ちては飛沫を飛ばします。
すっかりパニックになった僕は、脳内でさまぁ〜ず三村先生に「結局漏らしちゃってるよ!」などとツッコまれつつ、とりあえず深皿を出して容器の下に敷く事に成功して、なんとかパニックはおさまったのですが、キッチンはちょとした惨事になっていました。
シンク周りにはスープが零れ、飛沫が飛び散りまくって湯気をあげており、慌ててやかんを戻した時にお湯が零れ、そこからも湯気が立ち上っています。そしてシンクの上には何故か皿の上に載せられたカップラーメン。そしてそれらを呆然と見回して項垂れる、間男スタイルのクマが一頭(三十歳)。
前言撤回。「ちょっとした惨事」ではなく「わりと大惨事」な感じです。何をどうしたらこんなシュール過ぎる光景が出来上がるのか、理解に苦しみます。いや、全て自分でやったことなんですけれども。
この一件は、云うまでもなく「要領の良さ」を重視するあまり、自分の許容範囲以上の事をやってしまい、また工程の順序を間違えたばかりに起こった悲劇でした。「要領の良さ」は大事ではありますが、読者諸兄諸姉におかれましては、本件をもって、優先順位をしっかりと見定めなくてはいけないという教訓にして欲しいと思います。
教訓:おしっこ最優先。 (これでも三十歳です)
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2005年11月30日-11:03
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