【はじめに】
これは、某出版社のテーマ別大賞に応募した短編小説の原稿です。テーマは「駅」「謎の少女」でジャンルが「ラブコメ」だったかな?一応ライターは名乗っていますが、コラムやエッセイを書くライターと小説家とは全く別モノ。創作の難しさを思い知らされた結果に終わった作品です(笑)。「ヒトコト」の方で「読みたいですか?」という質問に対して一応リクエストがありましたので掲載します。まぁ赤面モノの内容ですが、文字通り生暖かくご笑覧下さい。
――電車に乗るってのは相当な覚悟がいる。
それが『ここ』で人間観察をし続けている俺の出した、ある種の結論だ。
そもそも駅というのは様々な年齢・職業・性別・人種が集まり、行き来するという、ある意味不思議な空間だろ?
行き先も違えば、縁もゆかりもない人間同士が居合わせるわけだからな。
その上、車両に乗り込めば運転されている間は密室になるわけで、その瞬間は赤の他人同士が一つの運命共同体になったりもする。
なにせ脱線事故でも起こって車両が転倒したり脱線したり……まぁそうそうある話じゃあないとは思うが、車両同士がどういうわけか正面衝突なんかしようものなら、ほぼ確実に全員が仲良くあの世行きか、少なくとも大怪我確定だ。
実際、こないだ覗き見したスポーツ新聞の見出しにも、どこの路線かまではわからなかったが、脱線事故で被害がどうこうとかいう大見出しがあったりしたしな。
俺の被害妄想が暴走した考え過ぎなんかじゃなく、実際に起こりうる話なんだから、現実というヤツも、世の中というヤツも油断がならない。
油断がならない上に怖ろしい、と、きたもんだ。
だからこそ「電車に乗るってのは相当な覚悟がいる」――それが『ここ』で人間観察をし続けている俺の出した、ある種の結論ってわけだ。限りなくシンプルだろ?
だから、普段は意識しないようなことでも、なんとなく覚悟を決めた顔をして電車に乗り込むヤツを見つけたりすると、俺としては「おっ?」なーんて思ってしまったりもするわけだ。だが別にそう思う程度で終わってしまうし、それ以上の興味を持つことはないんだがね。
そもそも、ナニに対してどんな覚悟を決めた顔をして乗り込んで行くのかもわからないしな。
「今日も一日頑張るぞ」かもしれないし「あのエロオヤジ、今日こそ警察につきだしてやる!」かもしれないし、逆に「今日こそあの女のケツを揉みしだいてやる!」なのかもしれない。
そんなパーソナルなことまでは、あまり興味の持ちようがないってもんだろ?
――春。
といっても、まだ肌寒さが残るこの季節になると、小・中・高を問わず、制服を着ているというよりも、着られているといった『新一年生』の姿を多く眼にすることになる。
もちろんサラリーマンというか会社員『一年生』の姿も多く見かけるわけだが、俺としては正直な話、あんまり興味はない。
やっぱりピカピカ光るような『新一年生』的女子学生達の制服姿に視線を奪われてしまうのは悲しい男の性ってヤツなんだろうし、まぁ健全な男子としても当たり前のことなんだろう。
さて『ここ』からは様々な人々の姿が見える。
上り下りの単線しかない、都心から少し離れたベッドタウンのローカル線。その中でもマイナーな駅。そして、そんな駅の中でもかなり地味なポジション、上りホーム下り側の端から二番目に設置されたベンチ。
つまり『ここ』ってのは、そのベンチなんだが、そこからは電車を乗り降りする人々の姿だけでなく、表情まで見えるのが面白い。だから俺は飽きもせず『ここ』で人間観察をしては、人生についてちょっとした考察を加えたりしているのだ。
――だけど、この春は違った。
乗り降りする人々よりも気になるヤツ……というよりも一人の女の子が、この駅を利用するようになったんだ。
名前はわからない、突然近寄っていって名前を聞くような輩は、かつての顔見知りか、宗教関係か、電波関係か、ナンパ関係くらいしかいないし、そして俺はそのどれでもないわけだから、当たり前だ。
ただ年齢はわかる。憶測だがね。
転校や編入といった形で「まだ慣れない制服に着られている」可能性も否定はできないわけだが、それでもやっぱり「制服に着られている」あたり、十五・六歳くらいって感じだろう。
見た目は地味だ。確か二駅か三駅向こうの私立女子高の制服だと思うんだが、春先の肌寒さから身を守るために、学校指定らしいコートを羽織って、ベージュ色のマフラーをしていることが多い。どうやら今年の春は、どうにも寒い日々が続いているようだな。
それにしても、同じ高校の制服と思しき格好ではあるものの「校則や学校指定なんか知ったことか」といわんばかりに派手なコートに派手なマフラーを着けて、チャラチャラとしている連中が多い中で、その子は指定コート以外にも「学校そのもの」に着られている感がある。
そんなわけで、俺はその子が気になったってわけだ。加えてもう一つ理由をつけるならば、その子はいつも自分の乗る電車の数本前の時間帯に駅に来ては、俺のいる逆側、つまり下りホーム下り側の端から二番目のベンチに座って本を読むのが習慣になっているようで、それもまた、その子が気になる最初のキッカケになったと言っても間違いじゃないだろう。
そして、電車が来ると本を閉じて「よし」とでも言うように、顔をきっつと上げて……『覚悟を決めた』顔で車両に乗り込むもんだから、そんな仕草も気になってしまう。
なにしろ他のチャラけた同級生だか先輩達だかは、彼女の乗る電車の二本三本後に平気な顔で乗ってくるんだからな。
簡単に推測してみるとこうだ、チャラ女共が乗る電車の時間が遅刻スレスレだか余裕で間に合うんだかどうかはわからんが、それが平均時間帯だとすると、彼女はその二本か三本か前の電車に乗っているということになる。
しかも、その前にベンチに座って二・三本逃しているのだから――。
えーと、ここの駅は大体八分ごとに一本だから、自分の乗る電車の一時間くらい前にこの駅に来ていることになる。
新入生だから遅刻をするわけにもいかない、と気を遣っているのかもしれないが、それにしちゃ早すぎる「ご出勤」だ。
それに電車を二・三本見送る理由もわからない。
本を読みたいだけなら、早い時間帯の電車にそのまま乗って、学校についてから思う存分読んだってかまわないわけだしな。
色々な人間を『ここ』から見てきてはいるが、正直な話、彼女みたいな行動を取るタイプの人間は初めてだったわけだ。
何しろこっちは暇なもんだから、人間観察くらいしかすることがないんでね。それでまぁ気になったっていうわけだ。
あとはまぁ、その、なんだ。ぶっちゃけた話、結構好みなんだよね。
彼女のこう、大人しそうな雰囲気がさ。守ってあげたくなるタイプってあるだろ? そんな感じだよ。うん。
◇ ◆ ◇
「なに? またあの娘のこと見てるの?」
不意に声をかけてきた女に、俺はちらとも視線を動かさずに応えた。
「人の勝手だろ。別に向こうからこっちは見えてないんだしさ」
「でも、それってちょっとストーカーチックじゃない?」
痛いところを突きやがる。確かに向こうからは見えていない状況で、じっくりと相手を観察するなんてのは、ストーカーっぽいといえばストーカーっぽい。
だが、ストーカーってのは、そもそもストーク、英語表記なら「stalk」。獲物に対して忍び寄ったり、こっそり追いかけたりするという意味の動詞に「er」を付けたものであって、ここから動かず、追い回したり忍び寄ったりもしない俺はストーカーじゃあないのだ。
断言するぜ。俺はストーカーなんかじゃあない。
「冗談じゃねえ、勝手に人のことストーカー扱いすんなよ、大体だな」
そんな風に一見理論的な主張をもって反論しようと口を開いたのを遮るように、
「色々な言い訳を考えて自己正当化しようとしているみたいだけどねー……」
あっさりとこちらの目論み先読みをしたうえで、女は皮肉たっぷりの口調で続けた。
「じゃあ言い方を変えれば、あなたがやってることは覗き見。それも常習犯だから『覗き魔』ってとこなんじゃない?」
フフンなんていうような書き文字さえ見えるほど、得意げに鼻を鳴らして言う女は、ついでのように俺の立っているベンチに、座り込みやがった。
図々しいことこの上ないぜ。ここは俺の占有地なんだぞ?
しかし、この女に言われたことに対して、ぐうの音も出ない俺である。だが、かといって犯罪者呼ばわりされるのも不愉快だ。なにか反論を、反論をしなければ。
「あのな、俺はヒマなんだよ。退屈してんだよ。人間観察くらいしかすることがねーんだよ。それで気に入った特定の子を見てる。見ているだけだぜ?」
そこまで一気にまくし立てて一息吐き、さらに続きをまくし立てる。
「近寄ることも出来ないし、例えばあの子が読んでいる本。その本の内容はおろかタイトルだって見ることができねーんだぞ。それでも俺を覗き魔扱いするってのか?」
どうだと言わんばかりに開き直った俺は、言い終わるや、頭上から女を睨み付けてやった。
第三者視点で俺の行為を俯瞰してみれば、手っ取り早い話が、痛いところを突かれて逆ギレしただけという、極めて恥ずかしい状態なんだが、そうでもせずにはいられなかった。
多分、今の俺の顔は真っ赤なんだろうな。血が巡ってりゃだけど。
「ベタな表現だけど、やれやれ、ね」
さも頭痛を感じているかのように、わざとらしく右手の人差し指を眉間に当てながら首を振ってそう言った女は、続けて、
「逆ギレするくらいなら、さっさと向こう側に行けばいいじゃない。行って、正々堂々と彼女に声をかけてみたりしたらどうなの?」
などと、全く無茶なことを言いやがった。
全く人の事情などお構いなしに自分勝手なことばかりを上から目線で言う女だ。全くいけすかないったらありゃあしない。
動けるもんならとっくに動いてるっつーんだよ。実際、何度試したかわかりゃしない。
でも、俺は『ここ』にいる限り『ここ』から動けないことを身をもって……身がありゃだけどな、とにかくまぁ知っているんだ。ベンチから一メートルでも離れようものなら、どういうわけかそれ以上は進めずに、ぐいっとベンチに引き寄せられちまう。
そりゃ動けるもんなら、下りホームに渡って、こっそりとベンチ越しに彼女の背後に回り込み、読んでる本がマンガなのか、小説なのか、実用書なのか、はたまた学校の参考書なのか、それ以外のなにかなのかくらいのことは確認したいとは思うさ。
ついて行けるもんなら、一緒に電車に乗り込んで、電車の中での表情や過ごし方、どんな学校生活を送っているのかとか――ああ、せめて名前くらい知りたいさ。
んでもって、帰りの電車も一緒に乗って、改札を抜けた後をこっそりついて行って、どこに住んでいるかとかも知りた……。
「って、これじゃリアルにストーカーじゃねえかよ! そーじゃねーんだって!」
俺は自分の想像……もとい妄想特急の進行具合にツッコミをセルフサービスした。
続けて言い訳を重ねようと、図々しくも『俺のベンチ』に座り込んでいる女の正面に回り込んで、自らの無実を訴えようと、その姿を改めて見る。
相変わらず墨で染めたというよりは、墨そのもののように黒いセーラー服姿に、長く細くゆったりと腰近くまで届くような艶やかな黒い髪。
ベンチに座った膝をきっちりと隠す丈の黒のプリーツスカートに、これまた黒のニーソックスと黒のローファー。学校指定なのか、その服装は、なにもかもが黒に染められている。
そしてその襟や膝下から覗くのは、制服や髪の黒に反比例したかのような青く感じるまでに白い、白磁のように白い肌。
そしてそんな黒と白のコントラストの中で目を惹かれる、胸元の鮮血で染めたような紅いセーラースカーフ。同じ紅色で袖先やセーラーカラーにも二本のラインが走っている。
極めつけに印象的なのは、その瞳だ。
黒曜石の凸面を球面になるまで磨き上げたような、その目は『なんでもわかっているのよ』とでも言うかのように、なにもかもを見透かして射貫くような、そんな眼をしていやがる。
実際、この駅の利用者で、俺が『ここ』にいることに気づいた唯一の人間……かもしれない。まぁ、見えていても、見て見ぬふりをするヤツも多そうだから、一概に『唯一』とは言えないかもしれないけどな。
ま、とにもかくにも謎の女だ。まぁ制服を着ている年齢から察するに「謎の少女」ってくらいなもんかな。ちなみに意地でも「謎の美少女」などとは呼んでやらん。
見栄えは……その、悪くない方だと思う。日本人形にセーラー服を着せたような感じではあるが、恐らく人目も惹くであろう容姿をしていることも認めてやらんでもない。が、そもそもが俺の好みのタイプじゃないのだ。
第一性格が気に入らん。なにもかも見透かしたようなモノの言い方も、溜め息交じりで言葉を吐き出すような喋り方もだ。ああ、全く好みじゃない。
よってあくまでも「謎の少女」であって「謎の美少女」ではないのだ。うむ。
「人の容姿について、ごちゃごちゃ一人問答するの、やめてくれない? いやらしい……」
ずばり。ぐさり。だ。
それにしても「いやらしい」とはなんと酷い言いぐさだ。別にスリーサイズがどうだとかプロポーションがどうだとか、そんなところまで言及したわけでもないのに。
しかし図星を指されたことは間違いない。俺は少々わたつきながら、それでも反論せずにはいられなかった。
「あ、あのなー。お前こそ、そうやって勝手に人の思考を覗きこんでんじゃねーよ。お前がナニモノなのかナニサマなのかなんてのは、どうでもいいし、お前がなんで俺の思考を覗き見できるのかも知ったこっちゃねーがな。人間にはプライバシーというものがあって、それを不当に侵害するのは、法的にも人道的にも社会道義的にもどうかと思うぜ?」
「あの子のことストーキングしてる、あなたに言われるのもどうかと思うけど? 大体、あたしだって別にあなたの心の中なんか見たくて見てるわけじゃないわ。あたしから言わせれば、あなたが心の中で考えてるって思い込んでることは、隣で独り言を大声で叫ばれてるようなもんなのよ」
俺は思わず両掌で自分の口を押さえ込んだ。知らず知らずの間に思考が独り言になって出ていたというわけじゃないことはわかっていたんだが、なんとなくそうせざるを得なかったのだ。
「そういうポーズのお猿さんの人形とか像があるわよね。次は耳を塞いで、ついでに目も塞いでみる?」
からかうように言ってから「謎のイヤミな少女(クラスチェンジだ)」は続けた。
「まぁ目を塞いでる間に、あの子、そろそろ行っちゃうかもだけど。それでもいいんならね」
慌てて口を塞いだまま対面側のホームへと向き直ると、電光掲示板には彼女がいつも乗り込む電車がホームに入ってくるという表示がされており、彼女も本を畳んでベンチから腰を上げるところだった。
あーあ、これで今日もお別れか。
そんな風に脳内で独りごちつつホームに滑り込んできた電車に乗り込む彼女を見送って、溜め息を吐く俺である。
だが恐らく、こういう俺の繊細な、そう、土足厳禁・天地無用・絶対安静なくらいに触れて欲しくない繊細な部分も、この「謎のイヤミな女」にはお見通しってことなんだろうな。
はぁ、全くやれやれだぜ。
「やれやれ、はこっちのセリフよ。いい歳した男が、そんな夢見るオトメみたいな感情さらけ出しても、気持ち悪いだけよ。さっさと行動すればいいのに、バッカみたい」
案の定ってやつだ。
「だーかーらーなー!」
俺は憤然と「謎のイヤミで辛辣な言葉を次々と吐き散らす少女」に向き直ると、怒鳴りつけるように言ってやった。
「いいか? そもそもそれくらい人のこと覗き込めんなら、お前にももうわかってんだろ? 俺はどういうわけだか『ここ』から動けねーんだよ! 日がな一日こーやってベンチの上に立ったり座ったりすることしかできねーんだよ! 行動しろだって? 俺だって出来るもんならそうしてーよ!」
言い終えてから、ふんっと鼻を鳴らして、どっかとばかりにベンチに腰を降ろす。
――まぁ音はしないわけだが。
……それでもちょっとスッキリしたな。うん。
そんな風に考えてから、ふうと溜め息を吐くと、隣の「謎のイヤミで辛辣な言葉を次々と吐き散らし人のプライバシーを侵害しまくる少女」も、ほぼ同時に溜め息を吐いた。
「はぁ……全く、やれやれ、ね」
「お前のその『やれやれ』ってのは口癖なのか? 聞く方はそれが出る度にバカにされた気分になるぜ?」
「あら、そう聞こえたのなら、耳の方は確かなのね」
「いっちいち、イライラさせてくれるな、お前の発言は……。大体お前何者なんだよ? それになんで俺が見えるんだ? 制服着てるってことは学生なんだろ? 今日は何時の電車に乗るつもりなんだよ? っていうかさっさとどっか行けよ!」
一気にまくし立てる俺。
「今のあなたが、ついさっき自分が言ったことと矛盾している質問を、あたしにぶつけてるってこともわからないくらい混乱してるなら、あたしもこれ以上あなたに付き合うつもりはないけれど――そうではなく、さっきの言葉は勢いで出てしまっただけで、本当はあたしのことを、そして……ひいてはあなた自身のこと、それを知りたい、あたしに教えて欲しい――そう認めた上で、答えが欲しいというなら、応えてあげないでもないわ。ただし、一つ一つね」
ぐむっ……。
なんとも余裕綽々の表情でそう応える女に、俺は言葉を失ってしまう。
そりゃそうだ、女としては好みのタイプじゃあないが、その存在と、その話に興味がないというのは嘘になる。なにしろ誰にも見えていないはずの俺の姿を見て、必要もないのに言葉や(思考まで!)聞こえるというのは、あまりにもレアな存在だからだ。
だが「教えて欲しい」だと? この高飛車な女に対して「お願いします」などと頭を下げるのか? いやいや、そいつはちょっと悩みどころだぞ……。
「あと、そうそう。もう一つ、最後の一言は取り消すことが大前提よ? あたしを追い払うんなら話もできないでしょ?」
再び言葉を失う俺。
くそ、なんでこう、今日に限って、この女はいちいちイヤミったらしく理詰めで人を翻弄するんだ。いつもみたいに、さっさと上り電車に乗って学校にでもどこにでも行っちまえばいいのに。
――待てよ?
今、この女はなんて言った?
『……あたしのことを、そして……ひいてはあなた自身のこと……』
俺は数十秒前の記憶を反芻して、驚いた。
俺、俺自身だって?
俺、俺、オレ、おレ、おれ――。
頭の中が真っ白になった。
そんな『俺』の目の前を、上り電車がゆっくりと通り過ぎていった。
そろそろ遅刻ギリギリだかなんだかのチャラけた学生連中が、ぞろぞろと集まり出す時間帯でもあるのだが、向かいには人影もまばらな下り側ホームがあるだけだ。当然「あの子」はもういない。
「……で?」
どこに視線を向けるでもなく、同じく下り側ホームを見つめたまま「謎の少女」は俺からの返答を促すように言った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……今とんでもないことに気がついちまったような気がするんだが……えっと……お、おれは……俺は、誰なんだ? っていうか、俺はなんなんだ?」
「……言ったでしょ? 応えても構わない、その代わり前言を撤回しなさいって。あたしの話を殊勝に聞く気になったのなら、あなたが求めている答えを出してあげないこともないわ。それに……そうね……混乱しているのも十分にわかるから、一つだけ意思表示をしなさい。それくらいなら出来るでしょう?」
俺の方に向き直った「謎の少女」は、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべると、その右手の白い指を俺の眉間に差し向けると、すうっと上に挙げて――それからくいっと下を指差した。
「頭を下げて『お願いします』。それで勘弁してあげるわ」
……自分が一体何者なのかわからないというほどの大混乱状態で、その疑問に回答を出してくれるという存在がいる。そんな状況下で、この指示に抗い、なおかつ答えを引っ張り出せる方法があるのならば、誰でもいいから、是非今すぐ教えて欲しいもんだ。
まぁ……とどのつまりが、俺は『その通り』にしたわけなんだけどな……。
◇ ◆ ◇
「……夢?」
「そう、これは夢なのよ。あなたが見ている、ね」
冗談は、さっき聞いた名前だけにしてくれと思った。
ホホなりケツなりをツネって痛みを感じるというベタな方法で確認をしようかと逡巡していると、彼女は続けた。
「正確には夢と現実の間ね。夢現(ゆめうつつ)なんて言葉があるけど、文字通り今はそういう状態ってこと。ここは現実であり、そしてあなたが見ている夢なのよ」
ますますもって理解できん。
夢、夢ねぇ。にわかには信じがたいが、仮に信じるのならば、つまりここは現実でありながら、俺の『本体』はどっかで高いびきでもかいてるってわけか?
なんでまた? 第一、それにしちゃ時間の感覚が……。
そこまで思い当たって、俺は、はたと自分の記憶を振り返り、思わぬ発見にベンチから飛び上がって、頭を抱えた。
そうだ、俺はいつから『ここ』にいるんだ?
俺はいつまで『ここ』にいるんだ?
あの子が来るのを待って、あの子を見送って。
動こうとして、やっぱり動けないとわかって溜め息を吐いて――。
その後、俺は何をしていた?
次にあの子が来るまで、俺はなにをしていたんだ?
そもそも何日が経っているんだ? その間の飯は? 排泄は? 俺の家は?
――俺は『誰』なんだ?!
「混乱するのはわかっていたけど、あまりにもステレオタイプ過ぎる混乱の仕方ね。一つ一つ応える、そう言ったでしょ。落ち着きなさい。どうせ『今は』このベンチから動けないんでしょうから」
傍らからそう声をかけられた俺は、ぐったりとした体でベンチに腰を下ろすと、思い切り項垂れて、深呼吸だか溜め息だかわからない吐息を吐いてから、隣にいる女の顔を見た。
そこにあったのは。こちら側を覗き込む白く小さな顔に、黒炭を丹念に磨き上げたような黒い輝きを持つ瞳。眉は心なしか、怪訝そうにというか心配そうにというべきか……哀れみすら感じるような形に、ほんの少しだけ歪められていた。
「……大丈夫?」
「あ、ああ、なんとかな。夢なら夢で、別にショックを受けようが記憶喪失になっていようが、脳に異常があろうが、目が醒めれば問題ないはずだろ?」
肯定を求めるかのような俺の問いに、彼女は残念そうに頭を振って応えた。
「言ったでしょ。ここは夢現、夢と現実が混濁している場所なのよ。ここであなたがどうにかなってしまったとしたら、現実の方にも影響を及ぼしてしまう可能性がないとは言い切れないわ。人間の精神と肉体は、肉体が死ぬまで切り離せないものなのだから」
妙に悟りきった口調ではあるが、そこには明らかに哀れみに似た何かの感情が含まれているように俺は感じた。それが俺の無知に対する傲慢からくるものなのか、境遇に対する憐憫からくるものなのかは定かではなかったが。
そして、息継ぎをするように、ゆっくりと呼吸を一つすると、彼女は続けた、
「その逆も同じことなの。今のあなたは夢の中の存在、だから現実的に考えれば多少の不自由や不条理は勿論あるわ。他の人にあなたの存在が見えなかったり、あなたの声が聞こえなかったりなんてのがそういうこと。でも、記憶と現実の輪……あたし達の言葉でいうと『夢現の世界の輪』の中に閉じこもっているという現状は、あなたの現実の肉体の方になんらかの問題があるってことでしょうね」
まるで不治の病の可能性を宣告する医師のような口調(少なくとも俺にはそう聞こえた)で、空恐ろしいことを言いやがる。
「例えば……それは、現実の方の俺が死にかけているとか、そういうことなのか?」
最悪の応えを想定して、おそるおそると問いかけてみたが、彼女は表情を和らげるように苦笑して応えた。
「それは一概には言えないわ。意識不明の大重体になっている……その可能性がないとは言い切れないけれど、ただただひたすらに眠り込んでいるだけかもしれないし、なにしろ夢なのだから、ひょっとしたら起きて普通に生活していて『ここ』での出来事をまるきり忘れているなんていう、おとぼけも否定できないからね」
希望を持っていいんだかいけないんだか、さっぱりわからないことを、彼女は肯定も否定もせずにさらりと言ってのけてから、
「まぁ、そんなのは珍しいケースではあるけどね」
と、事も無げに繋げた。
それじゃあやっぱり安心していいわけでもねえってことじゃないか。俺は大きく嘆息してから、項垂れていた身体をぐいっとベンチの背もたれに寄りかからせて、次の質問をした。
「……で、そんなわけのわからんことを、俺に説明してくれているお前は……一体何者なんだ?」
◇ ◆ ◇
「夢使い」
「ゆめつかいぃ? なんだそりゃ?」
「そのまんまよ。人の夢にはいりこんたり、人の夢を操ったりする力を持った者の……まぁ通称ね。そう人数がいるわけでもないし、組織だったものの名前でもないし職業名でもないわね。そもそも『表の世界』では、一応暗黙の存在だから」
「へえ」
自分で質問をふっておいてなんだが、俺はさっきまで持っていた、風船の様に膨らんだ好奇心と、藁にも縋りたいような気持ちが、空気のように抜けていってしまい、思いっ切りやる気のない返事しか返せなくなってしまった。
そもそも俺は超能力だの魔術だのオカルトだの怪奇現象だの幽霊とは無縁の世界で生きてきたし、信じるか信じないかで言えば「まぁいてもいいんじゃね?」程度にしか考えてこなかった。
それでも興味はあるにはあったし、ガキの頃なんかはいわゆるオカルトブームだったもんだから、学級文庫だか当時のダチに借りたもんだかで、ある程度の知識は記憶の片隅にある。
だから実際、自分がこんな風に駅のベンチから動けず、周りには俺の声は聞こえず、俺の姿は見えず――なんて状態になった時には、
「俺ってひょっとして自分が死んだの気づいてないだけで、いわゆる地縛霊かなんかになんちまったんじゃねえか?」
なんて考えたこともないわけじゃあなかったが……。
ここが夢と現実が混濁した世界で? 俺の肉体自身はどこかで眠っている? まぁそこまではいいとしよう。
だが『夢使い』ってのはねえ。これまで聞いたこともなければ目にしたこともない名前だ。
確かにこの女が俺の姿を見て、俺の声が聞こえる(聞いて欲しくないことまでだ)というのは事実なんだろうが、こいつから聞いた話から先走って想像すると、夢使いってのは表の世界では暗黙、つまり裏の世界で暗躍する超能力者の秘密結社だか血族だかみたいなものってことなわけだろ。
こんな科学万能の時代にそんなマンガ的というかアニメ的というかなオカルト集団がいるってのは、ちょっとにわかには信じ難いというか……正直に言えばこうだ、
「こっちから頼んで説明してもらってスマンが、イマイチ……こう、胡散臭ぇな」
俺は髪ごと頭をぼりぼりと掻きながら、頭を下げるようにして言った。
「まぁそれもそうよね。あたしだって信じろって押しつけるつもりはないわ。でもね……あたし達『夢使い』には、この夢現の世界や夢の世界では、できないことがないのよ。まぁ能力の程度に差はあるし、やり方はそれぞれだけどね」
「できないことがない、だって? ははっ、それじゃあ、この『夢現』の世界とやらでは、お前らは神さまみたいなもんってことなのか」
「信じられないのはわかるけど、バカにしているんなら、もうお仕舞いにしてもいいのよ?」
印象的なすらりとした眉を、くいっとばかりに吊り上げて表情を変えると、彼女はそう言って俺の眼を睨め付けるように覗き込んだ。
「……悪かった」
「ならいいわ」
どうにもこうにも、やっぱりこの女は苦手だ。自分ペースというかなんというか……まぁ俺が不安定過ぎるから、強気に出られると弱いっていうのもあるんだろうけどな。
「で、その、なんだ。俺はどうしたらいいんだ?」
「どう、って?」
「おいおい、お前自身がさっき説明してくれたんじゃないか。えーと、なんだ、夢現の世界の輪の中にいるって。閉じこもっているって。肉体っていうか、本体っていうのか? それは現実世界で寝ているって」
「ああ、そのことね。簡単よ。あなたがするべきことと、この夢現の世界で本当にしたいことをちゃんと果たして……そうね、これは最初の質問の応えにもなるけど、あなたが何者なのかを自分自身で気がつけば、それでいいのよ。つまり抜け落ちてしまった記憶探しってことになるのかしら」
そうすれば自然と、夢現の輪から抜け出して目が覚めるわ。現実の肉体が生きているってことは、まだあなたは現実の世界ですべきこともしたいこともあるんでしょうからね。
そんな風に続けて、彼女はさらりと顔にこぼれ落ちてきた長い髪を、指で梳るようにして耳にかけ、少し遠い目をした。
「まぁ、あたし達『夢使い』の存在や力なんかに、疑い半分なのはわかるけどね。今、これだけの時間話していて気づかない?」
「は? なにをだ?」
彼女はベンチからゆっくり立ち上がってスカートの皺を払うようにすると、すいっと指を上りホームの電光掲示板に指してみせた。そして次に外へと向かう改札口、そして夕方過ぎになればホームを薄暗く照らす蛍光灯を。
「……」
絶句。
そうとしか言えないほど、驚くべき光景がそこにはあった。
そうだ。ここは駅のホームのはずだ。そのはずだった。
しかも朝の時間帯のはずだ。そのはずだった。
『あの子』が乗る電車は、他の学生達が乗る電車より少し速い時間。
そしてその後には他の学生達が、サラリーマン達が、さらにその後は遅刻ギリギリなんだろう、ホームに駆け込んで飛び込み乗車を注意されるような連中がやってくる――そんな時間帯のはずだった。
それがどうしたことか、今、この上り下り単線なローカル線の駅には、上り下りともにホームは無人だ。遠くに見える駅員室の駅員までもいない。勿論ホームにもだ。
それに、いつからそうなのかはわからないが、上りにせよ下りにせよ一本の電車も入ってきていない。道理で静かなわけだ。
さらにそれだけじゃない。電車の到着を予告する電光掲示板の灯りは消えているし、いつのまにか日も暮れて……いや、よくわからない曇天のような暗さの中で、切れかけの蛍光灯が、忙し気なモールス信号を発信しているかのように明滅を繰り返している。
「おい、こりゃ一体……」
「今のここは、夢現の比率で言えば、ほぼ夢の世界。現実なのはここにあったモノだけに留めておいたわ。この方が落ち着いて話ができると思ったから、ね」
「……偶然どっかで電車が止まってとか……」
「それならアナウンスが流れるわよね」
「じゃあ停電でだな……」
「駅員室の電気も、そこの蛍光灯も点いてるわよ」
「……」
返す言葉がなかった。
もう一度確認しておこう。確かに俺がベンチから離れられず、人間観察を繰り返していたのは、通勤通学のラッシュアワーの時間帯だったはずだ。
それがいつのまにか人っ子一人いなくなってしまっている上に、空模様まで変わっている。
異常だ。異常以外のなにものでもない。夢か幻を見せられているような気分で、俺は呟いた。
「夢……なんだよな?」
「そう、夢。だからどんなことでもできる。それがあたし達『夢使い』の力」
確かに納得せざるを得ない状況がそこにはあった。
<つづく>
2009年04月07日(01:17)