じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)


【過去のつぶやき】
 2004年03月の【家元のつぶやき】のバックナンバーです。

 感想など、メール掲示板の方にいただけると、非常に嬉しいです。メールは送信する前に、こちらを御一読下さいませ。
2003年
  06月 07月 08月
09月 10月 11月 12月







2010年
03月 06月 08月


2012年
01月 06月 08月


2014年
02月 08月

2015年
12月


2017年
03月 04月





2004年03月のバックナンバー

髪を切る日(by 槇原敬之) -3-(2004年03月01日-16:25)
髪を切る日(by 槇原敬之) -宴の始末-(2004年03月02日-12:31)
コトバノモンダイ。(2004年03月03日-15:55)
赤いお顔は右大臣?左大臣?(2004年03月04日-01:56)
好みのモンダイ。(2004年03月05日-04:03)
高齢化社会に向けて(2004年03月08日-00:44)
君の名は。(2004年03月08日-18:58)
蘇る「アダ名」達(2004年03月10日-03:50)
くっさめ。(2004年03月11日-11:28)
グノシエンヌ(2004年03月12日-10:36)
大切な、「味」。(2004年03月14日-21:50)
おむすび・おにぎり(2004年03月16日-08:54)
未知との遭遇(2004年03月18日-02:36)
神がまた一人。(2004年03月21日-01:19)
よーし!(2004年03月21日-16:48)
雨トキドキ腰痛。トコロニヨリマンモス。(2004年03月23日-02:03)
男色ディーノの世界 -1-(2004年03月25日-09:07)
男色ディーノの世界 -2-(2004年03月26日-12:17)
男色ディーノの世界 -3-(2004年03月29日-10:44)
男色ディーノの世界 -4-(2004年03月30日-10:00)
男色ディーノの世界 -5-(2004年03月31日-21:30)
男色ディーノの世界 -6- (最終回)(2004年03月31日-21:32)
つ、つかれた……。(2004年03月31日-21:50)


髪を切る日(by 槇原敬之) -3-


髪を切りました。

前回までのあらすじ

デブはウザい。デブの長髪はもっとウザい。ドブは臭いし、ダブは洗顔料、リブはあばら骨で、アブは虫、コブは長州の目の上にあって、サブは廃刊、ラブは愛、そしてもうギブアップ。
というわけで、短髪をキープし続ける春九堂。しかし同じヘアスタイルに飽きた彼は、短髪にバリエーションを求め、インターネットで検索を開始した。

――キーワードは「短髪 ヘアカタログ

どういうわけか目の前に繰り広げられたのは目眩くゲイ・ワールド。イッツアレインボーワールド。イヤッフー!ハッハー!(壊) 空が落ちてくるよママーン(母さん)!ハマーン(カーン)!ラマーン(愛人)!そんなこんなで、短髪を求めて調べれば調べるほど、ソッチに染まり往く春九堂。そして「たんぱつ」と入力するだけで、漢字変換ソフトの入力省略変換候補に「短髪野郎祭」という文字が躍る頃、彼は決意する。

――それならソッチ系のお店で切ってもらえばいいんじゃん。

好奇心と自分
(のヘアスタイル)を変えたいという意思が導いた、間違った決意。ていうか、そもそも最初は「ソッチ側の方に間違えられるようなヘアスタイルは避けたいなぁ」という考えだったハズなのに。Ah、あの時、受話器の向こうの声が いつもとは 違ってた 事に気づいてたなら遠い街 一人で暮らす貴方の中の 寂しさを 少しでも取り除くことだって出来たのにと、貴方に逢いに行かなくちゃというくらいの間違いっぷり

初志貫徹ならぬ初志忘却横転側転急転回だ。そう、これは事故。英語で云うならばアクシデント。アクシデンタル、いわばアクシ歯科だ。っていうか引用した歌詞は「ドラキュラがねらってる」という番組のエンディングに使われていた曲なんだけれども、誰も知らないだろうね。

ちなみにその時のBGMは、カルチャークラブだったり、クイーンだったり、ペットショップボーイズだったり、プリンスだったり、マイコーだったり、マッキーだったりしたわけですが、もうなにがなにやら。いいじゃんもうどれが理由でも、とか思ったり思わなかったり。で、結局どうしたかといえば、昔の友人
(オネエ系のおゲイ、現役でお店出てます)「短髪の上手い店しらない?」とメールを出した次第。そのメールアドレスがまだ使用されているかどうかすらわからなかったのだが、妙にハイテンション&サービス満点な返事が来てしまった。

ところで、このヒロ君について「兄貴ではありませんか?」と素っ頓狂な質問のメールが何通か来たりした。んなわきゃない。っつーか、兄貴氏のアレはあくまでもキャラクターです。ファンタジーですよファンタジー。ホモゲー程度で奥歯ガタガタ云わせているようなギミック野郎と、ヒロ君を一緒にしてはいけません。ヒロ君はカミングアウトやゲイフォビアという壁を乗り越えたシューターなのだから。というわけで違います。

そういうわけで、久しぶりに再会した友人・通称「ヒロ君」に誘われて、彼オススメの店である「バーバー バーバラ(仮名)」に向かった春九堂。しかし風邪をひいていた彼は意識朦朧であり、待ち合わせの駅前という超初期段階にあっても、ヒロ君に「いいようにされてしまう
(※一方的に好き放題されてしまうこと)」ような状態。

「バーバー バーバラ(仮名)」に向かうタクシーの中、「アタシ、これからどうなっちゃうんだろう?どぉなっちゃってんだろう?どどどどぉなっちゃってんだろう?アハハン」と、靖幸ちゃんな不安に陥るも、ベランダ立って胸を張るわけにも行かず、タクシーはまんまと「バーバーバーバラ(仮名)」に着いてしまう。

瀟洒な住宅街の一角にある、白い一軒家。パイプアーチをくぐるとそこにはまごう事なき「バーバー バーバラ(仮名)」の看板。そしてヒロ君の手入れの行き届いた指先で、押されるチャイム。インタフォン越しに応えるのは紫色の声――店主のバーバラさん(仮名)だ。そこで春九堂はハタと気がついた「この状況って、1対2ってこと?――え……これ、ホントに俺の膝?!(ガクガク笑い続ける自分の膝を見ながら)」

しかし気づいたときにはもう遅いのだ。後戻りなんかもう出来ないのだ。ダイヤル回して手を止めたりも出来ないのだ。あいじゃすたうーまーあああん ふぉーりんらーう゛なのだ。いや、誰がウーマンだ。俺は男だ。アイアムメーン!
(複数形?)

というわけで、もはやノンストップ。既に止まる術を喪失してしまった「運命の輪」は、春九堂を乗せて一体どこへと向かうのであろうか……。



「はいどーもーいらっしゃいー」

そう云って、玄関に出てきたのは、「バーバー バーバラ(仮名)」店主のバーバラさん(仮)。

……えーと、待ってください。なんだろうこの違和感。バーバラさん、どうしてそんなに薄着なんですか?っつーか、今2月ですよね?どうしてそんなに黒いんですか?

バーバラさんは、イタリアンカラー(デカ襟ね)な白の開襟シャツのボタンを3つくらいまでオープンにしておりまして、下は黒のストレッチ素材っぽい薄い生地の黒のスラックスという出で立ち。髪の毛は……なんというのか僕は詳しくはしらんのですが、ベリーショートで、部分的に毛先とかの色が違うというヘアスタイル。

なんというか、理容師とか美容師というよりも、タンゴ教室の先生とかそんな雰囲気です。あまり誰かに喩えるのは好きではないのですが、敢えて云うならば、K−1の小比類巻貴之選手みたいな感じですかね。とにかくイイ男です。普通にカッコイイんです。でも、うっすらと残して整えている口ヒゲとアゴヒゲが、「線」の向こう側にいるということを、微妙にアッピールしている感じだったりもするのですが。

何はともあれ、簡単に挨拶を済ませると「寒いから中に入りましょうよー」と後ろからヒロ君に促され、「そうだね、こっちこっちー」と前からバーバラさんに招かれ、あっさりと店内に入ってしまう僕。そして「あ、鍵よろしくね」とバーバラさんにいわれたヒロ君が、玄関ドアをガッチリと閉めます。なんだろう、この連携。

さて、「バーバー バーバラ(仮名)」について詳細を述べることは約束上出来ないのですが、簡単に説明しますと、カットブースは普通の部屋に一つだけで、完全予約制で請け負っているという理容室なんですね。外からの見た目は本当に普通の民家なんですよ。さすがにお洒落な外観をしていますが。

で、バーバラさん曰くの「スタジオ(散髪部屋のことです)」には、玄関からスリッパに履き替えて行くという感じ。聞いてみると、こういう形態の美容室や理容室は結構あるみたいですね。ヘアデザイナーとかの副業持ってる人とかに多いとかなんとか。


というわけで、スタジオに入ってコートを脱いで掛け、そのまま改めて挨拶と自己紹介をするとともに、立ち話となったわけなのですが……以下、会話ダイジェスト。


「今日は無理きいてもらって、すみません。よろしくお願いします」
「いえいえいーえ。そんなかしこまらないでいいよお、ヒロ君とはもう古い(付き合いだ)しねー。それに今日はオフだったから」
「そうよーボクが頼めば、バーバラちゃんは断れないんだから」

「それにしても……」
「はい?」
「ヒロ君……カレいい身体してるよねーーー!
「でしょお!?でしょお?!
「え、えーと……いや、そんなただのデブですよ」

「どのくらい鍛えてる?この身体は柔道だけじゃないよねー……ウエイト(トレーニング)?他にもナニかやってた?」
「あ、はい。一応。柔道は実はまともにはやってないんですよ。あとは自主トレで」
「春ちゃんはー……(少林寺)拳法と、大学の時はなんか色々なのやってたんだっけ?」
「あ、うん(笑)。色々といえば色々だね。流派ないし」
「そっかー。色々やってるとこういう身体になるのかー(笑)」

「あ、でもねバーバラちゃん!春ちゃん、昔はもっと細かったのよ。細かったっていうかこう……一回り小さかった?(笑)」
「うん(笑)。太ったからねー」
「それだけじゃなくって、オニク(筋肉のこと)も増えたでしょ。もーやらしいんだからー
「いやいや、全然やらしくないって!関係ないじゃん」
やーらーしーいーのー(笑)!ねー?」
「そうだねぇ、この身体はちょっとやらしいかもだねぇ(笑)」
「そ、そうなんスか……」

「あーでも、バーバラちゃん。春ちゃんは、こうみえてノンケちゃんだからね?」
「えー?!そうなの?!」
「えーと……そうです」
「えー。結構意外だなあ。ふうん……そうなのかー……違うと思うんだけどなぁ……(笑)」


なんで決めつけられているんだろう。



まぁそんな感じで、太ってやらしい身体になっただの、筋肉がどうだのベンチプレスがどうだのなどと話をしながら、カットの話にようやく辿りついたわけですが……「どんな風にしようか?」と聞かれたところで、「短く……あとはお任せします。似合う感じになれば……」と、まぁ曖昧に云ってしまったんですよね。


ソレが間違いの元でした。ええ。


もう一度云います。間違いでした。


繰り返します。間違いでした。


――それからの数時間は、あんまり記憶が定かではないんです。本当に覚えてないんです。ただ、ノリノリのバーバラさんと、何故かそれ以上にノリノリなヒロ君の間に交わされる会話の合間に、次々と違うヘアスタイルになった自分自身を見たような気がします。

いや「「気がする」ではなく、実際にそうだったんです。基本的には、段々と短くはなっていくのですが、明確な目的地があるわけではなく、少なくとも元のヘアスタイルから最終的な髪型に至るまでの間に、10以上のヘアスタイルを、ブロー&スタイリングされては、好い悪いの評価を、僕がする間もなく、問答無用で洗い流されるという作業の繰り返し。

そして繰り返される間に、どんどん上がっていくバーバラさんとヒロ君のテンション。僕の意見とか基本的に無視というか、聞く・聞かない以前の勢いなんですよ。

「これをこうして……どう?(ヒロ君に)」
「んー、もちょっとあげたほうがいいんじゃないかなー(バーバラさんに)」
「そうねーそおだよねー。それじゃ春さん頭さげてねー(洗髪)」
「は、はい……」

と、こんな感じ。

つまり、OKを出すか出さないかは、ヒロ君の判断であって僕の判断ではないんです。まぁ「似合う・似合わない」の判断は第三者的視線の方がいいわけですし、そもそもが「おゲイな方達にモテモテになれそうな短髪野郎になりたい」というコンセプトでの、今回の散髪ですから、決して間違いじゃあないんです。うん、間違いじゃあないんです。

でもね!あそこまで遊ばれるとは思わなかったんですよ!ちゃんとある程度「こういうヘアスタイルに」っていうのがあればよかったんでしょうけど、お任せにしちゃったもんだから、昼に始めたはずなのに、終わってバーバラから出たら夜ですよ!太陽もう沈んでるっつーの!沈みきってるっつーの!

間に、お茶飲んだり、トイレに行ったりはしたんですけれど(無論、トイレから帰ってきたところで「ごめんねーもう少しきらせてくれる?」とヘアスタイルチェンジ)、5時間ぶっ続けで髪の毛切られたりいじられたり洗われたり整えられたりブローされたり(色を)抜かない?(色を)抜かない?」と誘われたりするとは思ってもみなかったんです。ホントね、間違ってた。間違っておりました。正直スマンかった。

なんつーか頭上や背後で、ハイテンションな2人のイケメン(でも、おゲイ)の会話を交わされながらってのはなかなかにハードなものがありますですよ。そうですね、喩えるならば、おすぎとぴーこがダブルでファッションチェックと映画評論をしながら髪を切っているというような感じでしょうか。しかもエンドレス。ホント辛い。

おまけに風邪で朦朧としているからテンションについていけないし、おされまくりだし。ブリーチだけはなんとかしのぎましたけれども、他はもうまったくなされるがままでした。顔剃りするときに背もたれを倒すじゃないですか。あの時に、そのまま押し倒されたら抗えなかったと思いますよ?そのくらいハイテンションなんですもの!もの!!

最後は何故か座っているだけの僕が一番疲れ切っているという不思議な状態で、お礼を言って解散したんですが、ヒロ君とは今度飲みに行く約束をさせられ、バーバラさんには「今度また伸びたらウチに来てね。カットモデルになってくれたら嬉しいなぁー」と、人差し指と親指で、切り立ての前髪(なんと今回の髪型は前髪があるのだ)をつままれながら云われたりと、なんつーか無意味にモテモテ。どうやら、そういう意味では当初の目的は早々に達成出来たようです。



<まとめ>

まぁなんつーか、「おゲイな方達にモテモテになれそうな短髪野郎になりたーい」なんていうのは、勿論ネタのつもりだったんですけれど、こー……なんといいますか、実際、イイもんですな、こういうのも。うむ( ̄ー ̄)。一応帰ってからデジカメで前後左右バックを撮影して、どこでも同じヘアスタイルにしてもらえるようにはしたんですけど、お誘いもあることですし、また行ってもいいなーと思ったりしています。5時間に渡るカットはさすがに疲れましたけれど(笑)。

唐突な思いつきから始まった今回の髪切り物語(?)ですが、久しぶりに再会したヒロ君をはじめ、バーバラさんも、他にも相談に乗ってくれた、おゲイなお知り合いとか。ホントみんな親切で優しくって、非常に好いなーとか思ってしまいました。

やっぱこー苦労しているというか、カミングアウトするのもしかり、自分の中でのゲイフォビアを克服することしかりね。そういう苦労やら壁を乗り越えた人たちは違いますね。お二人には本当に感謝です。

まぁ全体的に面白かったし、新しいヘアスタイルにもなって、貴重な体験をしたなーとも思うわけですが、実は思わぬ弊害がありまして……。ぶっちゃけ、ヒロ君のオネエ言葉とか、バーバラさんのある意味プリティー&エレガントな仕草がすっかりうつってしまいまして……。

そりゃ5時間も挟まれて囲まれていれば無理もない、とも思うのですが、ごくごく自然にそういうのが出てしまう自分がちょっとアレな感じだったりもして……そうすると、バーバラさんの「違うと思うんだけどなぁ……(笑)」というセリフが頭の中によぎったりして……こう……。まぁ、出ないようには気をつけているんですが、友人とかにも「妙に似合う」とか云われたりとか、「実はもう『線』超えてるんじゃないか」とか云われたりとか、他にも、気がついたらケータイの待ち受けにTOKIOの国分太一君の画像を使っていたりとか……。



ええと……。



まぁそのー……。



なんかもう、イイワケとか面倒なんで
このままイっちゃいまーっす★

(どこにだよ……)



[ 2004年03月01日-16:25 ]  



髪を切る日(by 槇原敬之) -宴の始末-


ヤァ!みんな!ボクはシュンキュー・ド・ミャモトヴィチ!ミルコクロコップの代理人を解雇されそうなフィクサーな人とは無関係な、一見陽気なロシア人のような名前だけれど、実は南洋系の人に見える純正の日本人サ!ちょっと名前を変えたい気分なんだ、放っておいてくれ!な?!

ところで最近、ボクは髪の毛を切ったんだ。それがやってくれたのは友達の友達のゲイなヘアデザイナーさんでね。まぁ非常にハイテンションな中で髪を切られまくったんだ。そりゃあすごい勢いさ!

終わった後にそのデザイナーさんが云うには「これでキミもモテモテさ!新しい世界が開けるよ!」ってことなんだけど、勿論ボクは信じちゃいなかったんだ。髪型を変えたくらいで、モテモテになったりするわけがないってね。新しい世界なんて以ての外さ!

でも、自分でも驚いたんだよ。もう帰りのタクシーの中から誘われるし、駅前でもなーんか熱い視線を感じるしね!帰りの電車の中は意識を失っていたからよく覚えていないんだけれども、家族のボクを見る目も少し変わったような気がするんだ。

まぁ気のせいだとは思ったけどね。でも、ボクはウエッブ上で日記を書いているんだけれども、そこでその体験記を書いたところ大反響!写真を掲載したわけでもないのに、沢山のメールが届くようになったんだ!ほーんとビックリさぁ!

そういうわけで、ボクがイカス短髪野郎になってからの、効果をほんの少しだけ公開するよ!!

『コトの顛末』
  ・新しい髪型探し(2004年02月15日-22:11)
  ・髪を切る日(by 槇原敬之) -1-(2004年02月25日-16:14)
  ・髪を切る日(by 槇原敬之) -2-(2004年02月27日-16:52)
  ・髪を切る日(by 槇原敬之) -3-(2004年03月01日-16:25)


-掲示板やメールより-

――『やっぱりそうだったんですね』
春九堂:なにが、でございますか?

――『探偵ナイトスクープのコーモンカモーンを観てください!』
春九堂:いやその、観ても嬉しくないですよ、そんなもん。

――『バイなんじゃないんですか』
春九堂:ノーコメントでございます。

――『短髪にするのが怖いです』
春九堂:よし、伸ばしましょう。ステキですよー……ロングヘア!

――『写真がみたいです』
春九堂:お店に来てくださいごめんなさい。無理です。イヤです。だって恥ずかしいのですもの。


-友人関係-

・まぁ今更ナニ云ってんだって感じだよな。
 いや、まぁ、そうだけど。

・なに?戻るの?
 一度もそっちにはいってねぇよ。

幸せそうでよかったよ。
 まぁ、それはそこそこ。うん。あふん。

・そうか、太一君がいいのか。
 ……たいちくん……。


-Web関係-

男の人が好きらしいと決めつけられる。





UMA認定される。

※UMA:Unidentified Mysterious Animal






こ、これが……ッ
これが新しい世界か――ッッ。

(違うってばよ)



[ 2004年03月02日-12:31 ]  



コトバノモンダイ。


いやはや、コトバは難しいですな。

結構前に、「v」=「ハートマークの代用」だったと知らなかったということを書いたワケなんですが、実はこういうのが他にもあったんですよね。

まぁ、ちょっと前の流行り言葉ですし、そもそも僕が地上波民放のテレビを観ないという事が最大の原因なんですけどね。

何かって云いますと「FA」ってヤツなんですよ。フリーエージェント制のことではなく、どうやらこれは「クイズ$ミリオネア」の決めゼリフ(?)の「ファイナルアンサー」を省略したものだったのらしいのですな。

で、そもそも僕はその番組をみていないわけなんですが、それでも「ファイナルアンサー」という言葉やら、番組の流れやら自体は知っていたんですが、それでも「FA」なんて省略してメールやらチャット中に使われるなんて知らなかったんですよ。

それに確かに番組は続行中ですが、観ていない僕まで話題についていけるほどの大人気を誇っていた時期は、とっくの昔に過ぎ去っているわけでして、会話の中にこんなコトバ放り込まれたって、今更感も漂うわけですよ。余計に気づかねーっつーの。

ちなみに、この事実に気がついたのは、今を遡ること4ヶ月ほど前の、昨年秋だったりするんですけれど、それにしたってもう流行りコトバとしての旬は過ぎていますよねぇ?


まぁそんなことはどーだっていいんです。で、さらにどうでもいいことではあるんですが、僕がこの「FA」というのを、メッセンジャーで待ち合わせかなんかの話をしていたときに出されて、なんて読んだかというと――「ふぁ」って普通に読んでいたんですよね。誤入力・誤変換かなんかだろう、と。いや、誤読だったわけなんですが。ですから勿論意味もわからず流していたんですけどね。

で、相手がいい加減何度も「FA」を繰り返すので(多分覚えたてで使いたかったんじゃないかと推察(笑))、いい加減おかしいと思って聞いたんですよ。


「それじゃあ、日曜日に池袋西口駅前交番前ということでFA?」
「なぁなぁ。さっきから『FA』って繰り返してるけど、なんなのそれ?」

「え?ミリオネア知らない?」
「地上波みないんだってばよ。一応知ってるけど?」

「あれの『ファイナルアンサー』の略だよ」
「はぁ?FA…ああ、inal nswerの略なのか。はーなるほどね」

「なんだ、今までわかんないで会話してたのかよw」
「うむ。思いっきり「ふぁ」って読んでた」

「そんじゃ、さっきのも『池袋西口駅前交番前ということでふぁ?』って読んでたの?」
「その通りだ」

「おかしいと思わなかったのかよw」
お前の頭かPCがおかしくなったんだと思ってたよ」

「失敬なヤツだなw」
「お前こそ、なんでも略せばイイってもんじゃねーんだよ、流行りに流されやがってw。ホントはお前『FA』云いたいだけちゃうんかと小一時間(ry」

「自分こそ思いっきり流されてんじゃねーかよ!そもそも、もう古いだろ!吉野やテンプレは!オマケに大幅に略してるし!」


とまぁ、こんな感じでした。上記会話中にも登場しますけれど「w」は「(笑)」の略。そして「(ry」は「(略)」の略なんですな。で、「FA」は「ファイナルアンサー」の略、と。もう、なんだかわけわかんなくなってきますなぁ。


AA(アスキーアート)や、顔文字や、こうした略語や、ネタ文章のテンプレートや、ある意味では定型となった単文節などの発展によって、パソコン通信およびインターネット初期の頃に比べると、電子上の文章表現は実に豊かになったとは思うんですけれどね。

非常に「表情豊かな文章」を簡単に作れるようになったと思いますし、それは素晴らしいことだなーと思うんですけどね。特に顔文字なんかは、象形文字を使っている民族ならではの視覚的感覚だと思いますしね。


しかし反面、省略やら視覚的表現やらテンプレート文章で、文章に表情をつけることに慣れてしまうことに慣れすぎてしまうと、オリジナルの言葉や表現力が、どんどん失われてしまうんではないかなぁ、と妙な不安をおぼえることもあったりします。

若者が文章を書けない、正しい言葉遣いが出来ないということや、漢字を書けない(ワープロ世代だから仕方ないかなぁと思うところもあるけれど……)、読めないというのは、随分前から云われ続けてきたことではありますけれども、明らかに読み間違えて覚えている言葉を、会話中に使っている声を、不意に耳にすると、こっちが赤面したくなります。

思わず声の主を確認すると、若者とは微妙に呼べなくなっているであろう年齢の、スーツを着ている男性だったりして、余計にショックが大きくなっちゃったりするんですよね。いい歳したビジネスマン風の(見た目ですが)男性がぼうろきじ暴露(ばくろ)記事のことだと思う)やら「かんこちょう(閑古鳥(どり)のことだよね?)やら「じゅうはんでき(重版出来(しゅったい)のことだよね……?)とか云っていたりすると、赤面どころか汗顔ですよ。これは漢字例ですが、間違った慣用句の使い方をしている人なんかも非常に多くいます。

なんともはや、本を読まなくなったのか、それとも今の若者向けの本は総ルビなのか(だったら読めるようにはなるか……)読めない漢字や、わからないをそのまま放置して進んでいるのか(それで話の筋がわかるのか……?)、色々考えてしまうワケなんですけどねぇ……。

ああ、なんだか年寄りじみた事をダラダラ書いてしまいました。申し訳ない。まぁアレですね。たかだか、わからない流行りコトバの略語があったからといって、こんなところまで話の風呂敷を広げてしまい、挙げ句慨嘆するなんていうのは、どうにもこうにもいかんですな。



まぁ、今回の結論としては



僕が歳をとったってことでFA?
(つ、使い方あってる?)



[ 2004年03月03日-15:55 ]  



赤いお顔は右大臣?左大臣?


昨日は雛祭りでしたね。

みやもと家では、もう2人の姉も嫁いでしまっておりますので、関係がないのですが、「3月3日といえば、耳の日だ!」なんてひねくれた事は云わずに、しっかりとお祝いをしましたですよ。ええ、白酒のみまくりです。平日なのに、〆切があるのに、ベロンベロンでございますですよ。うっへっへ(?)。

さて、白酒とは云いましたが、僕が飲んだのは、実は正式な白酒ではないんです。正式な白酒とは、日本酒を「絞る」前の液体の状態の「もろみ」を練り潰したモノなんですよね。

それも、もろみの製法にしても日本酒とは違って、蒸した餅米・粳米に米麹を加えたモノを、焼酎の中で一ヶ月ほど熟成させて作るそうです。

ちなみに、よく混同される「濁り酒」とは、もろみを荒絞りした状態のお酒ですし、「甘酒」はもろみを絞った後に残る「酒粕」を溶いたモノだったりします。


で、僕が飲んだものというのは、友人にいただいた酒粕を水から溶いて温め、砂糖を加えて甘みをつけた上に、隠し味で塩を一摘み入れ、さらに隠し味として日本酒を少しょ……ああっ?!手が勝手にドボドボ入れてるう?!というものでした(笑)。

大体の割合ですが、おそらく甘酒5:日本酒(純米吟醸)5っくらいの感じです。アルコール度数も、おそらく8〜10とかあるんじゃないでしょうか。オマケに温めているわけですから、酔いが恐ろしく速い。加えて、本人は甘酒のつもりで飲んでいるものですから、熱さにほふほふ云いながら、ぐびぐび飲んじゃいまして、最早手に負えないといった感じです。

食事の後に飲んだから、まだ好いようなものの、あっという間に酔いが回ってしまいまして……。

「ああ、幼い頃、風邪を引いた僕に、母上がショウガの絞り汁を入れた甘酒を飲ませてくれたなぁ……」

なんて事を、薄れゆく意識の中で思い出しつつ(この時点で相当にダメ)、久しぶりに「酒飲んで轟沈(知らぬ間に睡眠)という体験をしてしまいましたよ。そして気がつけば、時刻は既に深夜



し、〆切ぃーーーッッ!!
(どこが雛祭りの話なんだコラ)



[ 2004年03月04日-01:56 ]  



好みのモンダイ。


「春九堂さんは、どんな感じの女性が好みなんですか?」という質問を時々されます。

そしてその後に「あ、男性の方がお好きですか?」と聞かれたりします。待てコラ、せめて「好みの女性ですかー……」と考えたり、云い澱んだりしてからにしやがれ。

コホン。まぁそういう横道ケモノ道はおいといて、ですね。芸能人とかに詳しくない上に、「誰々に似ているー」とかいう極めて表現能力に乏しい手法が大嫌いな僕としては、いわゆる「求められているであろうわかりやすい応え」を出せないんですよね。

結局はむ、むむむむ、む、むむ、きょ、きょきょきょ、む、ムネが、きょ、きょきょきょきょきょきょちちなヒトとか……とか「外見より性格でしょー」とか「……たいちくん……」とか云わざるを得ないんですよね。まぁそれで十分といえば十分過ぎるほど十分なのかも知れませんが。


……と、いうような事を話していたら「そんな事ないでしょう。他にも表現出来るモノは色々あると思うし。別にタレントに喩える必要もないんだから」とツッコミを受けてしまいましてね。

ふむ、確かにそういわれればそうかもしれません。といっても「樹海のようなヒト」とか「春の河原の土手に咲き乱れる桜のようなヒト」とかいう抽象的なことではなく、知識に共通する小説の登場人物なんかですね。まぁくだけたところでは、ゲームやマンガやアニメの登場人物なんかも、幾分かはわかりやすいかも知れません。ちなみに映画やドラマとなってしまうと、役所より演じている役者さんの方に意識が行きがちですので、これはボツです。

ところが、そういう素材から引用して語るにも、僕はなかなかに偏った嗜好で、そういうものを読んだり観たりしているものですから、なかなかに難しい。それに、ぶっちゃけてしまえば、それは「キャラ萌え」というようなものですし、そこまでハマるようなものはないんですよね。この歳になってしまうと。

といっても「かつての素材」から引っ張ってきたとしても、「きゃんきゃんバニーエクストラの春菜たんとか、香織たんとか、美沙生たんとかがいいなりー」とかいいだそうものなら、確実にナニかを喪失します(他にも「同級生」の美沙たんもイイ……「北へ」のターニャとかもサイコー……)

あ、なんか今すごく「既に手遅れ」感が強く漂ったような気がするのですが、気のせいですよね?


……さて、そんなこんなで、やっぱりこの手段もなかなか難しいんですよね。それに、作品の中に好みにジャストヒットする登場人物ってのもなかなかありませんしね。細かい描写の問題もありますし、セリフが気に入ったとかシチュエーションが気に入ったとか、その程度になっちゃいますしねぇ。やっぱり、そんなんで「好み」なんか語れねーよPeッ!って感じですよハハハン。

ところが。先日、思い出したように購入した、お気に入りの漫画家さんの作品に、僕の好みにジャストヒットするキャラクターが出てきたんです。しかも、極めてわかりやすいキャラクターです。もう、なんというかビビビっと来たって感じです。

ちなみにそのお気に入りの漫画家さんは、4コマギャグマンガをメインに描いてらっしゃる方でして、僕が電気走っちゃった作品も例に漏れず4コマギャグマンガだったりします。

そもそもこの漫画家さん、川島よしおさんという方なんですが、数年前に知った、この方の作品(当時は「グルームパーティー」という作品でした)の作風自体が、僕の好みのツボを刺激しまくりだったわけなんですが、女性の好みのツボまで刺激されることになるとは思いも寄りませんでしたね。


さてさて、僕は基本的にマンガ雑誌を購入しないんです。立ち読みもしません。そういうわけで、マンガにふれるのは単行本だけ、となるわけなんです。オマケに4コママンガは、なかなか単行本になりにくいですから、好きな漫画家さんがいても近況を知りようがないですし、好きになった当時のマンガが最終回を迎えて、その後別の作品を新連載をしているというのも、単行本が発売されて始めて知るという感じなんですよね。

というわけで「先日、思い出したように購入した、お気に入りの漫画家さんの作品」という事になるわけです。なにしろ奥付をみたら、発売は平成14年9月20日となっていますからねぇ。ファンを名乗るには買うの遅すぎです(購入は一昨日なので、平成16年3月1日)。作品名はナックルボンバー学園 1 (1)少年チャンピオン・コミックスです。

ちなみに川島よしおさんは、現在少年チャンピオンには執筆しておらず、同作品も終了しているようですが、第1巻から1年半が経っている現在にあって第2巻が発売されていない上に、第1巻の内容も前作「o-ha-yo(全2巻)」の未収録部分が半分以上を占めているあたりから、終了の仕方も推して知るべきというところなんでしょうね(笑)。面白いんだけどなぁ(現在はヤングアニマル(白泉社)で、「くじごじ」というOLモノの4コマを描いていらっしゃるようです)

まぁ、そんな秋田書店の大人の事情はどうでもよくてですね。肝心の、その一編の4コママンガなんですが、タイトルは「夫婦生活(ふうふせいかつ)というものでして、内容はこんな感じなんです。

■1コマ目:
 <玄関先にスーツ姿の若い男と、それを迎えるエプロン姿の女性>
 「ただいまぁ」
 「おっ 帰ったナ」

■2コマ目:
 <女、男の胸あたりに、コブシを軽くぶつけながら>
 「風呂はいれ」
 「飯食え」
 「そして」

■3コマ目:
 <女、親指で自分を指しながら明るく朗らかに>
 「乗れ」

■4コマ目:
 <居酒屋のカウンターで照れた表情の男と上司らしき男>
 「ウチの女房 大胆なんですよ…」
 「いいねェ 若いって(ちっ)」

と、まぁ、これ以上ないくらいの具体的な解説なんですが、非常にキャラクターが立っていて好いんですよねー。いやいやー……うん、こんな奥さんがイイです。えへへ(ナニ照れてんだよ)

他にもいくつか、同じキャラクターが登場する「夫婦生活(ふうふせいかつ)」シリーズがあるんですが、どれもこれもこう、奥さんがイイんですよねー。いやー実にイイんです。別に乗るとか乗らないとかそういうコトじゃなくてですね、ネタであろうがなかろうが、こういうズッパリキッパリと「やってくれる」という女性は非常に好ましいです。えへへ(だからナニ照れてんだよ)


そんなこんなで、今後「春九堂さんは、どんな感じの女性が好みなんですか?」という質問をされた場合は、件の4コママンガのセリフを元に

「いやーそおっすねー……帰って来たところを出迎えてくれた後に「お風呂にする?ご飯にする?それとも、ア・タ・シ?」とかいわれると、ちょっとしたDV事件を起こしてしまいそうなんで、そこを敢えて「風呂はいれ、飯食え、そして乗れとかやってくれる女性がイイっすねー」

なんて、ジェスチャーを交えながら云おうかなーとか思ったりしています(笑)。



まぁ、実際のところは、自分がこういうことを「される」よりも



自分がこういうことを「したい」
というのが正解なんですけどね。

(だってコレ、オイシ過ぎますよ。いやオトコは「乗せ」ないっすよ?!)



[ 2004年03月05日-04:03 ]  



高齢化社会に向けて


週末のことです。僕にしては珍しく、「モーニング娘。」について友人と語りました。

とはいうものの「モーニング娘。誰が好きー?」のとかそういう話ではありません。そういう系統の話題ですと、せいぜい語れても「モーニング娘。のどの曲なら知ってる」というレベルですから。

いや、最初の頃はそれでもわかっていたのですが、「誰が引退したの?」→「今は誰がメンバーなの?」→「どれが増えた人?」→「見分けがつかない」→「誰が誰だかまるでわからない」→「名前すら知らない」という変遷を辿って、現在に至っていますからね。

んで、そんな僕が「モーニング娘。」の何を語るのだという話になってしまうんですが、なんのことない、今更この名前について語ってたんですな。ほとんど、つんく氏の気まぐれで着けられたような、この名前が、長々と続いているわけなんですが、そもそも「モーニング娘。」ってなんなのだと、そういう話ですね。

「モーニング+娘+。」という構成なワケなんですが、別に週刊モーニングとタイアップしているわけでもないようですし、娘はともかく、また「。」については出生の地であるASAYANで明かされているので別としても、モーニングってのがわけわからん。

「モーニング」つまり「朝」の、爽やかさや新鮮な空気というあたりと「娘」という若年女子であるということを掛け合わせているのか、とか、ならばここ一・二年の低年齢化傾向は、「早朝」「アーリーモーニング」なのか、とか、いやアレだ既存メンバーの加齢にあわせて「モーニング」を維持する為に、低年齢メンバーを投下しているのではないかとか、そんなくだらない思考に基づいて会話をしていたわけなんですね。

で、そんな会話の中で、「モーニング娘。」と同じネーミングコンセプトで、名前を着けたらどうなるのかという話題になり、出てきたのが以下のラインナップ。





アフタヌーン妻。
(「アフタヌーン主婦。」と競るも、響きの淫靡さで「妻。」に決定)





イブニング老婆。
(「イブニング祖母。」と競うが「老婆。」の方が広汎な為、採用)





ミッドナイト先祖。
(「曾祖母。」なども出るには出たが、「深夜(AM2:00以降)」に相応しいということで、即決。)





あー。OKOK。よしよし。みなまで云うな。





バカなのはよくよくわかってるから。
(「妻。」は、ヨロメキ度の高いエッジの効いたネーミングだと思うんだけど……)



[ 2004年03月08日-00:44 ]  



君の名は。


高校時代、『バブジ』というアダ名の男がいました。中学時代、『仏壇』というアダ名の男がいました。


日本人の言語感覚は、非常に特殊だと思います。日本語という固有の言語を持っているわけですが、文字は中国から渡来した象形文字である漢字を用い、そこから形成文字化したものを五十音に特化し、それを省略した片仮名、平仮名というものが生まれ、現在の日本語の基礎が出来上がっているわけです。

さらには片仮名を英語の発音表記にあてはめ、外来語として新語を造り、また省略した略語なども定着させ、生活の中に浸透させていきます。その際には、意味さえ本来のモノとは違い、オリジナルのものを持たせていることも、決して少なくありません。

省略にも「音節や意味の区切りで2分し、その上下の語句の2音同士をつなげる(板東妻三郎→板妻/木村拓哉→キムタク)」などの一定の作法がありますし、倒語(とうご/さかしまごと)という暗号化するのも古来よりの日本語の文化です。

これは刑事のことを「デカ」と呼称するものなどがそうですね(明治期の刑事は角袖(カクソデ)という和服を着用しており、それを倒語でクソデカと入れ替えて忌み嫌い、末尾のデカだけが残ったorカクソデの、頭と尾をとりさらにそれを倒語にしてデカとした……そうです)


こうした特殊な言語感覚・センスを持っている日本語が、僕は大好きです。そして大人になるにつれ常識や慣習、流行りなどに縛られ、さらには想像力・創造力を少しずつ失っていき、自由な言語センスを失っていくことが、少々残念に思っています。

小学生や中学生、少なくとも高校生時分には、耳に入る・眼にする新しい言葉の全てが新鮮でした。それは無知故のことでもありますが、それだけではなく、その時期特有の感性によるものが大きいと僕は思っています。

そして、それらの言葉を組み合わせたり、勝手な意味づけをしたり、他にも同世代を結びつける共通言語や流行のモノなどを用いて、とんでもない言葉を編み出したりしたことが、皆さんにもきっとあったと思います。また、こうした言語センスやネーミングセンスというものは、特に「アダ名」に反映されやすいと思うのです。


さて、高校時代、僕が後輩達につけられた「アダ名」は「提督」でした。それは何故なのか思い出してみたのですが、多分その当時後輩や僕の同級生達の間で流行っていた人気のアニメ(原作は小説)に、「無責任艦長タイラー」というものがあり、そうした共有するモノがあった上で「一番エライ人(エラそうな人(笑))」として、その名をつけられたものだったように思います。

遡って、中学の頃は苗字をもじったモノ。当時ミステリー(推理ではない方ね)大好き人間であった僕を、同じくミステリー大好き人間だった友人が伝説のネス湖の怪獣「ネッシー」にかけて、「ニッシー」というアダ名を着けられました(本名には「西」がつくのです)

そしてさらに遡って、小学校の頃は「大根」。これは当時、身体、特に皮膚があんまり強くなかったので、荒療治として一年中半ズボンで過ごすという、ちょっとした羞恥プレイを適用されていた上に、格闘技を始めていたので異様に太腿の筋肉が発達しており、ぶっとい足をしていたことに由来するらしいです。

戻って大学時代は、当時どういうわけか「チキチキマシーン猛レース」のブラック魔王の相方の犬、「ケンケン」のグッズにハマっていたところから、そのまんま「ケンケン」と呼ばれたりしていました。

そしてサイトを始めて、「家元」を名乗るようになり、それがニックネームや呼び名として、今ではすっかり定着しています。さらにそれをモジって、「イエモッティ(雪男(イエティ)かよ)だの「モッティ」だのと呼ぶ輩も極々少数ではありますがいたりしますし、「春九堂」という屋号から「春さん(この場合は「はる」)「春ちゃん(この場合は「しゅん」)と呼ぶ人も、少なくありません。


そんな風に、比較的わかりやすいアダ名をもらってきた僕ではありますが、冒頭に戻って高校時代の「バブジ」や、中学時代の「仏壇」は由来が全くわかりません。それぞれ本名は清水君だったり、武田君だったりするのですが、それぞれのフルネームを思い出しても、キッカケとなる言葉は浮かんできません。

後者はまだ他のモノの名称としてわかりますが、「バブジ」に至っては言葉の意味すらわかりません。ただ、とにかく当の本人にまつわる面白すぎる過去と「音」の面白さで、このアダ名を思い出すたび、話題に出すたびに笑いがこみ上げてきてしまいます。


さて、先日、友人の絵描きのhalさんの日記に、こんなものがありました。

  ところで
  高校時代に、洋モノエロビデオを所有していたという理由で
  あだ名が「オーイェー」だった友人の
  本名が思い出せません。



もう、読んだ瞬間大爆笑です。




本名を忘れられても、覚えられている程のアダ名のインパクト。そしてこの単純明快かつ酷すぎる上に幼稚とも思えるが最高なネーミングセンス。「おいオーイェー、予習してきたか?」とか「オーイェー、学食行こうぜ」とか、そういう会話が普通にされていたのかと思うと、腹がよじれるほど面白く、halさんの高校時代が羨ましくてなりません。


この笑いとインパクトがスイッチになって一気に回想モードに入ってしまい、思い出してみれば、他にも「ゲーリー」やら「ドント」やら「デラオ」やら「オーパ」やら、そんな謎なアダ名の輩もいたなーとか思い出してしまい、それぞれの由来を思い出そうとしたりしてしまいました。


さて、ここまで僕の中で盛り上がってしまったら、サイトに反映させないのはつまらない。きっと世の中にはもっと愉快なアダ名の持ち主が沢山いるはずです。というわけで、こんなモノを用意しました(投稿は終了しました)

というわけで、皆さんの記憶に残っている、愉快なアダ名だった人や、皆さんについたアダ名などを、是非是非僕に教えてください。由来や、アダ名にまつわるエピソードも、しっかり書き添えて下さいね。出来れば、いつ頃(80年代半ば、とか)の何やってたころの(中学時代、とか)アダ名なのかということも、書いていただけるとありがたいです。

面白かったアダ名は、本欄で少しずつ紹介していきたいと思います。数が集まったら、ベストニックネーム賞なども決めたいですね。



あ、突然ですが、こんな話をしていたら思い出しましたよ!



「仏壇」というアダ名の由来は……



「エロ本を仏壇の下に隠してたのを
母上に見つけられた」という事でした。

(武田君、今頃何してるんだろう……?)



[ 2004年03月08日-18:58 ]  



蘇る「アダ名」達


『ゲーリー(げーりー)

下痢便を云々というアレではなく、野球部所属だった彼は大リーグで連続出場2130試合を記録した「鉄人」ルー・ゲーリッグにならって、どんなことがあろうと皆勤賞をゲットするという気合いと根性で、学校に通い詰めた好漢だった。

ちなみに、ちゃんと皆勤賞を得られたのか、肝心の野球部の方はどうだったのかは全然知らなかったりする。でもいい人だったような気がする。そういえばインフルエンザの時も風邪だと言い張ってマスクを着用して来ていたような。


『ドント(どんと)

同名のエロ本を所持していたところから由来。英語の時は、音読で「Don't」が出ると、彼と由来を知る人間は、どうにも彼を意識してしまう。ある意味ヒーローだった。ちなみに彼が所持していたのは一冊や二冊ではなかったことが後に明かされ、「ドンキン(ドントキング)とレベルアップしたりもした。

どうでも好いことだが、由来を知らない女子が「ドントくーん」などと呼んだりすると、こっちまで気恥ずかしくなった。そんな結構甘酸っぱい記憶も抱き合わせでセット販売。

オマケにホッカイロのような酸化発熱型の簡易カイロで「どんと」というものも当時あり、それもまた彼の周囲で話題を呼んだことは云うまでもない。

こうしたアダ名は「いじめ」と思われがちだが、当時はエロ本の持ち主は即ち「神」であったので、尊敬の念を持って呼ばれていたことは云うまでもない。でも本人ちょっといやがってたかも。ごめんね、高田君(ここで云うな)


『デラ男(でらお)

コンビニで「デラべっぴん」を立ち読みしているところを目撃された事に由来。このアダ名をつけられたとき、「俺が読んでいたのはデラべっぴんだけじゃねぇ!」勢いよく自爆した彼が忘れられない。

また彼はファイブタックのハイウエストボンタンを愛用しており、ポケットに手を突っ込んで前方に突っ張らせ、エキサイト状態のペニィーを隠すという大技の使い手でもあり、後に「デラ・ボキ男(でら・ぼきお)」の裏ネームを得た。

ちなみにファイブタックとは、タックが5個もついているズボン。ハイウエストとはウエストのベルトホルダーの上に、さらに布を余らせている作り。

「ツータック以上・ベルト上2cm・サージに縦ポケ」というのが、当時のボンタンの標準スペック。この程度は履いておかないとナメられてしまうのだ。対してドカンという裾がすぼまっていないモノもあり、僕はコチラを愛用していた。着用した感じは空手着ズボンの様な感じ。


『オーパ(おーぱ)

大場君という名前だった……ワケではなく、サッカー部所属であり、サッカーファンでもあった彼は、キング・カズ(三浦知良)に憧れ、自分も南米への留学を考えていたらしい。

その為に、ブラジル公用語のポルトガル語を勉強すると意気込んでいたが、友人に「なんか言葉覚えたかよ?」と聞かれたところ、自信満々に「ブラジル人はセックスするとき『オーパ!』っていうらしいぜ!!」と応えたところに由来。

聞いていた周囲の爆笑を得た彼は、その後日本で普通に進学し、留学のことなどなかったことになっていた。ちなみに、僕が調べたところ「オーパ(opa)」は、「驚き」を表す言葉らしい。感激したときなどにも云うらしいのだが、なんで、えっちらほいの最中に驚いたり感激したりするのだ。

そういうわけで僕としては多分オーパのガセネタだったのだろうと考えている。真相を知っている人、教えてください。



<総評>
いっそ清々しいまでの
『アタマのワルさ』ですね。

(ゲーリーはともかく、なんつーかダメダメッスね、当時の自分ら)



[ 2004年03月10日-03:50 ]  



くっさめ。


花粉症が酷いです。

ここのところ晴天が続いた上に、非常に風が強く、彼方の大陸から黄砂まで飛んできてるんじゃないかと思うほどです。まぁ実際は黄砂は飛んできてるかどうか分からないわけですが、とりあえず花粉が飛んできていることだけはわかります。だって顔面が大洪水なんですもの。

僕の花粉の諸症状は、ブタクサの場合は涙、スギの場合は鼻水とクシャミという感じに分類されるわけなのですが、現在はクシャミのしすぎで既に意識が朦朧としてきています。よって、現在とんでいるのはスギ花粉ではなかろうかと判断しているわけです。ちなみに鼻も詰まっています。


クシャミのメカニズムは鼻の奥にホコリや菌が進入して粘膜が刺激されると、その刺激が脳に伝わり、それらの刺激物というか不純物を追い払おうとする、というものらしいです。

つまりクシャミをすることによって、鼻や気管などにある不純物を体外に出すわけですね。ばっちぃ話ではありますが、痰やら鼻水やらも、そうした不純物をまとめて排出する機能とのこと。つまり花粉症の場合は、吸い込んでしまった花粉を体外に排出しよう身体が作用してくれているわけですね。

ちなみに、クシャミをしたときの飛沫は、約3m程の飛距離があるそうです。いくら体外に排出するとはいえ、なにもそんなに飛ばさなくてもいいじゃないか、と説教の一つもしたくなりますが、人間の自然現象ですので仕方がありません。

問題なのは、それだけの勢いですから一緒に発声してしまうと、大音響になってしまうということです。また花粉の排出ついでに、鼻水やら痰やらを3mも飛ばしてしまっては、周囲の人は大惨事になってしまいます。普通の飛沫(唾液とかね)でも「汚い」と思うのに、老廃物とあってはたまったもんじゃありません。


そういうわけで、クシャミをするときは「なるべく音をたてないように、なおかつ、排出口である鼻と口を覆ってから行う」というのが、マナーということになっています。

これはメインとしては「周囲に対する気遣い」であるわけなのですが、どうやら女性や一部男性の間では、音を立ててくしゃみをするということが「下品」であり「恥ずかしいこと」という見方もあるようです。

なるほど考えてみれば、クシャミ、つまり「音を立てて老廃物を排出する」というのは、「排泄行為」としても考えることが出来ます。

「音」とか「気をつけないとミが」とか「空気とともに」というあたりで、クシャミは放屁と同じような感じなのかもしれません。となると痰を排出したり鼻をかんだりするのはビッグベンでしょうか?まぁ、いずれにせよ「排泄行為」に類することは間違いなさそうです。

また「排泄行為」は自然欲求ですので、これを行うと快楽をともないます。そう考えると「出すとスッキリ」という点でも、クシャミは「排泄行為」に似るわけですね。

そういえばクシャミをした後、口元を覆ったハンカチや掌を確認したり、鼻をかんだり痰を出した後に確認してしまうのも、排泄行為の際の一連の行動に似ています。とはいうものの、排泄行為というのはシモの方のものだけに限らず、嘔吐・ゲップ・涙などもあるわけなのですが、まぁこの場合は「シモの排泄行為に似る」というわけです。

こうして「クシャミはシモの排泄行為に似る」と考えると、なるほど確かに、それを人前で派手にやらかすのは「下品」であるし「恥ずかしいこと」だということも納得できます。


そういえば大学時代の知人に、Kさんという随分とお上品な女性がいました。クシャミの音は、通常表記するならば「はくしょん」、堪えた感じだと「くしゃん」、下品にオヤジっぽくすると「ぶあっくしょい」、加藤茶は「えっぷし」となるわけですが、Kさんのそれは「っちゅ」もしくは「くちゅっ」という、なんとも可愛らしいモノでした。

Kさんは重度の花粉症持ちで、この時期になるとハンカチやティッシュで口元を覆っては「っちゅ!くちゅっ!」と繰り返していたわけなのですが、僕なんかはそれを見て「いやーお上品なこってすなぁ」などと感心したりしつつ、自分は「ぶあっくしょい!……あー……チクショウィ(オヤジ100%)などとクシャミをかましていました。


風の強かったある春の日のこと。Kさんと僕は、2人でなんかの打ち合わせかなにかをしていたのですが、その日も花粉は絶好調でKさんは例のクシャミを繰り返していました。

僕はKさんを笑わせたりしながら盛り上がって話していたのですが、なにかが笑いのツボに入ってしまい、大笑いをしてしまっていたKさんに、クシャミの欲求が来てしまったらしく、Kさんは笑いながら慌ててテーブルの上においていたハンカチを取り、口と鼻を覆おうとしたのでしょうが、ハンカチを掴み損ねてしまいました。

しかしクシャミは自然現象、本能の欲求。止まるわけがありません。ツボに入ってしまっている為、コントロールが効かなくなったのか、Kさんは「あっ、だめっ」と小さく叫ぶと、いつものクシャミとは違う、かなりノーマルな「はっくしょん」というクシャミを連発しました。しかもオンザ掌です。


口元を掌で覆ったまま俯いてしまったKさんに、僕は「大丈夫?」と声をかけたのですが、Kさんは応えず、小さな肩を震わせるだけでした。しばしの後顔を上げると、なんとKさんは顔を真っ赤にして泣いているではありませんか。花粉症の涙ではなく、ガチ泣きです。

僕は慌ててポケットティッシュを差し出して、彼女をなだめたのですが、Kさんは掌を口元から外さず、ただ泣きじゃくるばかりでした。おそらく彼女の掌には、飛沫以外にも色々排出されてしまったものが付着していたのでしょう。勢いよくクシャミしちゃいましたから。

ようやく落ち着いた彼女は、おずおずとティッシュを受け取ると、頑なに掌で口元を隠したまま、なんとか汚れをふき取ったようでした。


普通の友人関係ならば、ボケとツッコミのセルフサービスの2セットも入れて、「笑い」にしてしまえば済むところなのですが、Kさんはお上品なお嬢様。おまけに泣かれてしまっては、そんな風に笑いにすることもできません。

というか、僕の方もスマートに「笑い」に出来るようなコンディションではなかったのです。だって、不意にクシャミをしてしまって、口元を覆ったまま泣いてしまっているKさんに、ドキドキしてしまっていましたから

そんなわけで、その話題に触れるわけにもいかず、クシャミ前とは打ってかわって、ギクシャクした感じで打ち合わせを終えたのですが、「それじゃあ」と歯切れの悪い挨拶した別れ際に、(さっき見たこと、誰にも言わないでね……?)とでも云うような、Kさんのすがるような表情に、さらにドキドキしたことはいうまでもありません。


さて、ここで話を「クシャミはシモの排泄行為に似る」というところに戻しますと、ちょっとした問題が出てきます。



ええ、もう皆さんも、おわかりだと思うのですが。



不意にクシャミをしてしまった女の子を
見てドキドキ
してしまったということは



「春九堂は女の子の『ソレ』を見て
興奮するような性癖を持っているのか」
ってことです。

(「ドレ?」とか訊かないように)




……えーと、うーん……いや、でも、ほら。違いますよ。うん。確かに僕は当時Kさんに好意を抱いてはいましたけれど、別にそれは恋愛感情というものではなく、話しやすい「お上品」な女友達の一人、という程度のモノでしたし、そんな「お上品」なKさんだからこそ、こう「見てはイケナイものを見てしまった」的な、少々インモラルなところで興奮ドキドキをおぼえたのだと思いますし、そういう特殊な相手であったからこそだと思うんですよ。ええ、あとやっぱり、自分の嗜好的に泣き顔に近いような恥じらいの表情が好かったのかな、と。お上品な女の子のそんな表情なんか滅多に見られるもんじゃないですしねウヘh墓穴が深くなってきたので、この話題終了。
(でも、共感してくれる男性はいるハズ……だよね?)



[ 2004年03月11日-11:28 ]  



グノシエンヌ


そこは、埃っぽく、空気が澱んでいて、薄暗く。乱雑で、寂しくて、薄ら寒くて。そして、なにか不思議なにおいがしました。


初めて「廃墟」というところに入ったのは、今を遡ること二十年前のことでした。廃墟というよりは、正確には「廃屋」だったのだと思います。

当時の僕は小学校の中学年。自分で云うのもなんですが、少年らしい少年であったと思います。それは即ち、旺盛な好奇心、無謀なまでの行動力、そして後先考えない思考能力の低さ、この三つが、かっちりと揃っていたという事に他ならないのですが。

その「廃屋」は、数年後に通うことになるはずの中学校から、そう遠くないところにありました。けれども、当時少年であった僕にとってはそこまで自転車で来ること自体が、ちょっとした冒険であったことはいうまでもありません。なにしろ「学区外」でしたから。


小麦色の枯れ薄に埋められた空き地。その真ん中に「ぽつん」と建っている、古い古い平屋建ての一軒家が、その「廃屋」でした。

とにかく見るからに古い造りの建物で、冬枯れのまま葉をつけなくなった老木が、悪魔の指のかぎ爪のように、低い屋根の方に伸びていました。周囲はトタン板を使った塀があったのでしょうが、それらはすっかり朽ちていて、僕らはそこから「潜入」したのです。


「潜入」。今現在の大人の感性、つまり「常識」的に考えれば、潜入なんて言葉ではなく、単純な「侵入」です。もっといってしまえば、そこは私有地なワケですから「不法侵入」という、よりタチの悪いモノです。

でも、当時の「ぼくたち」は「探検隊」だったのです。おそらく「なんでもない」老朽化の為に取り壊しが決定した一般住居だったのでしょうが、「ぼくたち」にとって、そこは幽霊が出ると噂の「お化け屋敷」だったのです。

「そこ」は、老婆の霊が出るとか、子どもの笑い声が聞こえるとか、押入の中の布団が血に染まっているとか、そういう噂が一杯でした。そんな話をいくつも聞いた「ぼくたち」は「探検隊」を結成し、はるばる「学区外」の、この「お化け屋敷」までやってきたのです。「潜入」して「探検・調査」をする為に。

とはいうものの、構成員は同じ団地住まいや近所の友達ばかり。それも年上の子達が中心で、僕はオマケでついていっただけのようなものでした。


壊れたトタン塀から中に入り、これまた壊れた雨戸を開けて、僕たちは、中に入りました。既に何人もの生徒達がこの中に入っているので、教えられた手順通りに入りました。外は夕暮れの時間で、既に薄暗くなり始めていたので、僕たちは持参した懐中電灯と、外からの光で部屋の中を見ました。

積もった埃。張り紙がぼろぼろになって茶ばんでいる襖、穴があいてぼろぼろになっている障子、変色した畳はところどころ返されていて、床板がむき出しになっていました。それらが何とも云えない恐怖を「ぼくたち」におしつけます。

そして何とも云えない、奇妙な空気。埃と黴と朽ちた木や建材の臭いによるものだったのでしょう。とにかくそれは、全てが「未知の空間」であり、「未知の恐怖」でした。


入ったところは多分居間だったのだと思います。置き去りにされた家具。そして開け放された襖の向こうに懐中電灯を向けると、そこには間続きに部屋があるようでした。懐中電灯の光でその空間を探ると、押入らしきものが浮かび上がります。

先に進んだ友達の影になって、僕にはよく見えないのですが、その友人が自分の懐中電灯で照らして見たのでしょう「布団が入ってる!!」と一際高く言うと、「ぼくたち」がそれまでため込んでいた恐怖が一気にはじけ、全員パニックになってしまいました。

「こわい!」と「いやだー!」とが混ざったパニックの悲鳴。そして足音。それがさらに恐怖心を駆り立てて、すっかり大パニックです。逃げ出す「探検隊」の面々に遅れないように、「ぼく」も慌てて後を追いかけて、外を目指しました。もちろん、泣きながら。


普通の民家ですし、そんなに奥にまで踏み込んだわけではないのですから、あっという間に外に出ます。そして荒れた庭をこえてトタン塀を抜け、自分の自転車にまたがろうとして、僕は、今さっき逃げ出してきた「お化け屋敷」を振り返りました。

僕が背負った夕陽の朱に照らされた「それ」は、来たときよりも影を帯びていて、余計に薄暗く、一瞬の出来事とパニックの伝染があっただけで、特になにかがあったわけでもないのに、とにかく「恐ろしいモノ」に見えて、涙で滲んだ視界の映像とともに、言い知れぬ「恐怖」をも「ぼく」の脳裏に焼き付けたのでした。



それから今までの約二十年の間にも、何度か「廃屋」・「廃墟」に訪れる機会がありました。子どもだったとはいえ、パニックを起こして泣くほど怖い経験をしたくせに、その大半は、お定まりの「肝試し」でした。

まぁ結局は「パニックを起こすか、恐怖に心が折れてすぐに退散」という、小学生の頃からかわらぬパターンばかりで、特にどうという経験もなかったわけなのですが。いや、何事もなくてよかったんですけどね。

他にも、廃工場をたまり場にしていたこともありましたし、団地の古くなって使われなくなった水道管理棟なんかを、たまり場にしていたこともありました。

それらは「肝試し」ではなく、団地の床下に作った「秘密基地」の延長のようなもので、妙に居心地が好くて、いつまでも話し込んで、くだらない話に大笑いしたり、弾けもしないベースの練習をしたりしていました。これが僕の「廃墟」の、もう一つの思い出です。


こんな風に、僕の中で「廃墟」は「恐怖」と隣り合わせの存在で、そのくせ「秘密基地」的な、懐かしい「たまり場の記憶」のある場所であったりもします。進んで「行きたい」とも思わないけれども、何故か心惹かれ、別に住んだ記憶があるわけでもないのに、何故か居心地が好かったりもする場所。

一言で云ってしまえば『奇妙』。

僕にとって「廃墟」とは、そんな空間なのです。まるでエリック・サティの曲を不意に耳にして、曲名が思い出せないときのような、もやもやとした感覚。


そういえば「廃墟」には、サティの曲がよく似合います。「秘密基地」の記憶のような懐かしさを感じるような場所には、スロウなピアノの「ジムノペディ」を。かつては人が多く訪れ賑わったであろう夢の跡には、壊れかけたオルゴールの「貴方が欲しい」を。

そして、恐怖と未知とが共存する、奇妙で寂しい、全ての「廃墟」達に、儚げなピアノの「グノシエンヌ」を――。


そこは、埃っぽく、空気が澱んでいて、薄暗く。乱雑で、寂しくて、薄ら寒くて。そして、なにか不思議なにおいがしました。


明日、土曜の夜。そんな「廃墟」を沢山歩いてきた人たちのお話を、お酒を飲みながら聞いてこようと思います。仲間達と呑んでいると思うので、見かけましたら、お気軽にお声がけ下さい。
『ビバ!廃墟!!』@新宿ロフトプラスワン
2004年3月13日(土) 開場18:00 開演19:00
(入場料:¥1,600(1DRINK込))
主催:トトロ大嶋



[ 2004年03月12日-10:36 ]  



大切な、「味」。


1.小麦粉を薄く水で溶きます。よくかきまぜると好いです。
2.長ネギを薄く切ります。薄い輪切りですな。薬味切り?
3.豚肉を細かく薄く切ります。脂身が多い方がいいですよ。
  (バラとかコマが向いてます)
4.フライパンに油をしいて熱します。
5.程良いところでオタマで溶いた小麦粉をすくいます。
6.フライパンに小麦粉を流し、オタマの背で薄く伸ばします。
7.すかさず小麦粉の上に長ネギと豚肉を配置します。
8.小麦が焼けてきたら、崩さないようにひっくり返します。
  (ここで、脂身のある肉でないと、焦げついてしまうのです)
9.肉にも火が通ったら再度ひっくり返します。
10.肉とネギをのせてある面に醤油をかけます。火にかけたままです。
11.醤油が煮えますので、お好みで七味をふりこぼします。
12.半分に折り畳んで、皿に移して出来上がり。



醤油の煮えた匂い、焼けたネギの香ばしい匂い、これらが食欲をそそります。すこし漏れこぼれた醤油の焦げた匂いがつくと、さらに旨さ倍増。醤油の旨味、肉の旨味、七味とネギの風味と辛さが合わさって、素朴ながらも素敵な味にしあがります。

僕の母の実家である埼玉県熊谷市では、これを「フライ」と呼んでいます。ひょっとしたらオリジナルなのかなぁと思っていたのですが、近隣の行田市や桶川市あたりでも、「フライ」というものがあるとのこと。

同じモノかどうかは知りませんが、我が家では軽い昼飯として、おやつとして、長年親しまれているモノです。味はシンプルなネギチヂミみたいな感じですかね、とろとろに焼き上がるのが正解です。


簡単な上に美味しいですし、適当な腹ふさぎにちょうど好いので、学生時代から家呑みをした後などで小腹が空いた時などに、友人達にも作ったりしていたのですが、その度に「おいしい!なにこれ!?」というリアクションが多かったんですよね。

で、今日も友人らに作って食べさせたのですが、やはり同じようなリアクション。同じ埼玉県民でも知りませんし、そう遠いわけでもない東京都民でも知らないあたり、どうやら思いっきりマイナーな食べ物なのだと、ようやく理解した次第です。


そういえば味噌を塗ったおにぎりなんていうのは、僕にとっては極々普通の食べ物だったのですが、これもまた珍しがられたりしましたねぇ。

形が少し残る程度に潰した御飯に、水で溶いた小麦粉をすこし併せて、手でこねて形を煎餅大に整えたものを油をしかないフライパンで焦げ目が付く程度に焼き上げて、砂糖醤油をつけて食べるおやつなんてのもそうでした。

そんなわけで、こうした、特に地方限定の名産品を使っているわけでもない、極々簡単な調理方法の誰でも思いつきそうな、極々単純な腹ふさぎ料理であっても、やはり地方によって、また家庭によって色々なモノがあるんだろうなぁ、改めてと思ったりした次第です。


実際冒頭に書いたとおり、そこそこ細かく分類しても十の手順を超えぬ程度の簡単さですし、僕がこれを初めて作ったのは小学校低学年程度でしたからねぇ。

でも、冒頭の「フライ」にしても、教えてくれたのは母。母に教えたのは祖母。遊びに行くたびに作ってくれたのも祖母でした。こんな簡単な料理とはいえども、受け継がれていく「郷土の味」であり「家庭の味」なわけですよね。

皆さんの「家庭」や「郷土」には、「フライ」のような簡単な手順かつ、単純な料理がありますか?よろしければ手順や材料と一緒に、受け継がれている名前ごと、教えてください。


【受け継がれる】簡単レシピで美味いモノ【郷土・家庭の味】
http://g-labo.pro/cgi-bin/test/read.cgi/gch/1079268639/



[ 2004年03月14日-21:50 ]  



おむすび・おにぎり


皆さん、今日も元気に食ってますか?僕はモリモリです。ええ、いつもと変わらず。

昨日の「フライ」の話に、随分多くの反響をいただきました。こちらのスレッドにも、美味しそうな料理が沢山並んでいます。夜中に見てはいけないスレッドになっちゃってますね。


さて、昨日の話でも、ほんの少しだけふれたのですが、今日は「おむすび」ないし「おにぎり」のお話です。

もちろん、米の飯を掌で包んで塊にしたもののことなのですが、第一にこの「おむすび・おにぎり」という名前は、どっちがどうなのかという問題があります。

まぁ簡単に云ってしまえば、どちらも同じものなんですが、歴史的に古い呼び名なのは「おにぎり」の方で、もともとは餅米を蒸した強飯(こわいい)を掌で握って塊にした「にぎりめし」が原型のようです。それを丁寧にして「おにぎり(おにぎりめし)」となったわけですね。

で、一方の「おむすび」は、というと江戸時代に、身分の高い女性や大奥などで使われていた女房言葉(にょうぼうことば…お上品で丁寧な言葉遣いですね)で「おにぎり」を言い換えたのが始まりだそうです。

また文字通りに、形はどうでも「握って」固めたものが「おにぎり」で、掌をやんわりと交差させて「結んで」三角形にまとめたものを「おむすび」としているという、なるほど納得と膝打ちモノの説もあるようです。

余談ですが、手に対しては「つなぐ」「あわせる」「にぎる」などが一般的に使われる動詞で、「結ぶ」は比喩表現の「手を結ぶ」に使われるだけのものだと思われがちですが、手・指を使って「印」という意味ある型をにする行為を、仏教では「印を結ぶ」といいます。このあたりからも、「にぎり」より「むすび」の方が、なんとなく丁寧で優しいイメージをうけますね。

まぁ「おにぎり」よりも「おむすび」の方が、発音的にも確かに柔らかい感じがしますよね。「おにぎり」はイ音が連続しますので、口を横に広げっぱなしですが、「おむすび」はウ音が連続して最後にイ音ですので、口をおっぴろげにせずに、どちらかといえば「おちょぼ口」で済みますものね。


とまぁ、そんな感じで、僕は個人的にも「おむすび」という名前の方が好きだったりしますので「おむすび」という呼称で話を進めるわけですが、「昨日の話で少しふれた」というのは「味噌おむすび」の事なんです。

梅干しやら海苔のつくだ煮やら、昆布のつくだ煮やらを適当におむすびの中にいれる、もしくは何もいれずにおむすびを作って、出来上がったおむすびの周りに味噌を塗る、というだけのシンプルなものなんですが、大学時代に呑みの後の腹ふさぎにコレを作ったところ、「初めて食べた」という感想をいった連中が多かったんですよね。

我が家では、おむすびのバリエーションには、かならずコレが入るというくらいメジャーなものでして、時折網の上で軽くあぶって味噌を焦がしたりしたバージョンもあったりしました。でも連中にそのことを話すと「味噌をあぶって軽く焦がす」という調理方法すら知らなかったりして、育った地域差なのか、それとも食ってきたモノが全く違うのか、我が家が変なのかと、考え込んだりしたものです。

ちなみに、今は化学調味料たっぷりの「出汁入り」タイプ味噌が多く、それを使っている人も多いと思うのですが、そういう味噌でコレを作っても、あまり美味しくないと思います(焼いたりしたら変な匂いがしそう)。試す際は是非出汁入りではない、いいお味噌を使って上げてくださいね。


さて、そんなことを思い出したりしている内に、「おむすびの具」では、それこそ色々な好みがありますし、コンビニのおむすびを見ても様々な変わり種があることからも、とんでもない幅があると思いますが、件の「味噌おむすび」の様に「おむすび」自体に加工を加えたモノってのは、どんなものがあるんだろうと思ったんです。

「おむすび」という食べ物は、昨日の「フライ」ではありませんが、それこそ「簡単な調理で出来る単純な料理」の最たるものだと思います。

そんな「おむすび」でも、飯の真ん中に何か具を入れて海苔を巻いて出来上がり、という、ごくごく普通のおむすびよりも、一つ先に踏み出した「家庭や郷土の定番」というような「おむすび」がありましたら、それも是非教えてください。

【受け継がれる】簡単レシピで美味いモノ【郷土・家庭の味】
http://g-labo.pro/cgi-bin/test/read.cgi/gch/1079268639/


ところで、これは我が家伝統のものなのですが、焼いた塩鮭の身をほぐして、梅干しを刻んで、ほんの少しの酢とで溶いたモノを、白ゴマと一緒に混ぜた御飯を、おむすびにして食べます。勿論そのまま混ぜ御飯としても食べますけどね(笑)。

僕はこのおむすびが大好きなのですが、母上にルーツを尋ねたところ、これは亡くなった父方の祖父の作なんだそうです。いやー全然知りませんでしたね。なんでも原型は、梅漬け(カリカリしてる方ですね)を刻んだモノを混ぜて作っていたそうです。

父方の田舎は信州(長野県)の山奥の、そこそこ大きな農家でして、梅も育てていましたし、当たり前ですが、自家製で漬けこんだりもしていましたので、それが反映されていたのでしょう。あと長野は何故か鮭よく食べますしね(年越しには必ず、溶いた酒粕をかけた、ゆで鮭が出ます)

そうだったっけ、と記憶を振り返ってみると、確かに、昔食べたこのおむすびは、所々にカリカリとした食感があって、それがまた酸っぱくてしょっぱくて、とても素敵で嬉しい味になっていたなぁと思い出しました。


祖父が亡くなったのは、僕が小学六年生の時の事ですし、元気だった時期の事を考えると、それよりも前の記憶のはずなんですよね。それにも関わらず、一度思い出した味の記憶は結構強烈に鮮明でして――。

食の記憶ってのは根深いもんだなぁ、なんて思いつつ、意外なところから久しぶりに「大きくて厳しくて怖かった」爺様の記憶やら、両親についてよっこらよっこらと一輪車を押していった梅の木のある畑の風景やらを思い出して、口の中と、何故か目蓋を「じんわり」とさせてしまった――そんな春の夜でした。 どっとはらい。


[ 2004年03月16日-08:54 ]  



未知との遭遇


近所のコンビニは、家族経営です。

いや、それは特に問題じゃないんです。もともとは酒屋さんだったところが、店舗を建て直してコンビニになったわけですから、バイト以外は、元酒屋さんのご家族が経営しているわけですよ。ごく普通ですよね、こんなのは。

店長さんは、五十になるかならないかくらいの、いわゆる「おじさん」でして、この人は殆ど必ず店内にいます。そして時々奥さんらしく「おばさん」が手伝ったりしています。あとはアルバイト店員さんなんで、殆ど他のコンビニと変わりません。

ところが、この店員ラインナップに時々レアキャラが現れるんです。


そのレアキャラとは……


不確定名「オーナー」。
(推定年齢78歳)

です。


そこのコンビニでは、通常、バイト君でも店員さんでも、支給制服に、写真入りの名札をつけるのが義務づけられているのですが、「オーナー」はその名札に、何故か墨書で「オーナー」と書いてあるだけなのです。この時点で既に、何か気圧されるモノがあります

そして「オーナー」は、推定年齢に相応しく老眼らしく、レジのバーコードリーダーを当てるべきバーコードを探すのに時間がかかります。老眼鏡を何度もかけ直したり、商品を目から離して何回転もさせながら探しているのをみると、思わず「チェンジ!」と叫びたくなります。

まぁそれでも急いでいないときはいいのですが、忙しくて飯を作っている暇もなく、仕方なしにコンビニ弁当で飯を済ませようとしている時などは、ちょっとしたパニックになります。

まず、バーコードを探す為に、無闇に弁当を回転させてしまい、中身がややぐちゃぐちゃになってしまいます。次にレンジアップする為の「何秒用」と記載されている部分を探すのに手間取り、ロスタイムが増えていきます。急いでいるときに、これはちょっと辛いです。


まぁそれでも、レアキャラですので遭遇率は低く、そうそうこうした事は起こらないのですが、本日見事に遭遇

そして最悪のベストオブベスト(好いのか悪いのかわからん)といっても過言ではない事件が起きてしまいました――。


皆さんは某コンビニの人気弁当の「デミハンバーグ丼」というものをご存知でしょうか。デミグラスソースのハンバーグを、ペッパーライスの上に搭載し、オプションに温泉卵をつけた、なかなかのお弁当です。

問題はそのオプション。即ち温泉卵です。レンジアップする際は、付属のソースやマヨネーズなどは外してからレンジに入れる、というのはコンビニ弁当の常識です。

そして「殻にはいったままの卵は電子レンジにいれてはいけない」というのは、電子レンジの常識です。なぜならば、水蒸気の逃げ場がなくなった卵が破裂してしまうからです。


そして、僕がレジカウンターに弁当や他の雑誌の入った買い物カゴをのせ「お弁当あたためてください」と頼み、飲み物を買ってないことに気がついて、追加しにいった最中に、事件は起こりました

レジを離れる前は、カウンターにいたのは店長さんだったのですが、戻ってくるとそこにはレアキャラの「オーナー」が、例によって何度も商品を確認しながらバーコードリーダーをあてがっていました。

この時点で、少々急いでいた僕はやや陰鬱な気持ちになったのですが、レンジが電子音を鳴らし、「オーナー」がレンジから弁当を取り出しにいったのを見て、さらにイヤな予感がしました。

そう、「オーナー」は、まんまと温泉卵ごとレンジに放り込んでいたのです。

少々熱そうに、弁当を手に取った「オーナー」は、レンジに入れる前とは明らかに何かが違う弁当を見て、きょとんとしています

温泉卵自体は、弁当とは別の袋にパッキングされているので、どうやら爆発はしなかったようですが、おそらくその袋の中はちょっとした事件現場のような惨状になっているはずです。それをみて、どうもおかしいな、と「オーナー」も思ったのでしょう。

十秒ほど、時が止まったのを感じた後、「オーナー」は店長を呼んで、弁当を見せました。そしてややあってから、店長がすまなさそうに僕に「すみません、温めるの失敗しちゃったみたいなんで、他のお弁当でよろしいですか」といったわけです。

しかし、昼時でしたので、弁当自体が既に品薄。店長が陳列棚を見たところ、デミハンバーグ丼は既に無かったのでしょう。オマケに、ここまで時間がかかれば当たり前の事ですが、レジは長蛇の列です。

仕方なしに僕は「ああ、じゃお弁当結構です」と応えたのですが、そのやりとりが終わると、店長は「すみませんでした」と、あっさり僕を放置して別のレジを開け、僕の後ろに並んでいる客をさばきはじめてしまいました。

そしてまた「オーナー」とのマンツーになってしまったわけですが、「オーナー」今度はレジから、キャンセル商品の取り消しをするのに手間取っています。

もう、ここまで来ると、急いでいた僕も心が折れる諦めがつくってもんです。「すみませんねぇ。卵がねぇ、パァーンってなっちゃってねぇ、がははははは」と笑う「オーナー」に何がおかしいんだコラジジイナニコラタココラー!「あはははは、注意書きわかりにくいですもんねぇ」と返しながら、思わぬところで非常に長閑な時間を過ごし、ようやく精算を終えて家路についたわけです。



その後の一日。何故か全身がだるくて
イマイチやる気がおきなかったりしたのは

昼食がダイエットペプシツイストのみだったから
という理由だけではないと思います。

(いや、別に急いでない時だったらいいんだけどね…なんかこう…吸い取られた……)



[ 2004年03月18日-02:36 ]  



神がまた一人。


昭和50年に生まれて
平成元年までに少年時代を過ごした僕にとっては
真の意味での「アイドル」であって
大人になってからも、まさに「神」の一人でした。

注さんが逝ってしまった時、
告別式の席で、ただ無心のままに
まるでそこに注さんがいて
そのままに語りかけるように

「また、いつか呑もうよ」

そういっていた「神」。


あなたの
「おいーっす!」も
「だめだこりゃ」も
「全員集合ー!」も

僕にとっては宝物のような記憶です。

怖い名前に、怖い顔。

そんな貴方が痛快に「やられる」様を見ては
僕は腹を抱えて大笑いさせてもらいました。


長さん。

いかりや長介さん。


沢山の笑いと幸せを
本当にありがとうございました。


「この世」は、貴方がいなくなってしまって
また少し、つまらなく
そして、さみしくなってしまったけれど

天国で注さんと、ゆっくり呑んでください。



御冥福を心からお祈りします。
あーダメだ。涙とまらないです。
長さんが、癌の告白をしてから、いつかはって覚悟してたけど
こんなに早く来るなんて思いもしなかったよ。

毎週楽しみにしていて、親に「下品だから」って叱られたりもしたけれど
本当に毎週楽しみにしていて、大笑いさせられて。

安らかにって、思うけれど、
もう「おいーっす」も「だめだこりゃ」も「次いってみよーう」も
なにもかも聞けないんだよ。
あの独特のだみ声も、もう二度と聞けないんだよ。

長さん。長さん。

歯も磨くし、風呂も入るし、宿題もちゃんとやるから

帰ってきてよ。

よりによって、土曜の夜に訃報。
コメディアンなのに、こんなに泣かせるなんて。
ちょっと、ひどいよ。

涙とまんない。まいったなほんとに。

嘘じゃないなんて。



[ 2004年03月21日-01:19 ]  



よーし!


泣いてたからなのか、眠たいからなのか、もうよくわかんなくなってきました。

悔やんでも惜しんでも仕方ない。沢山笑わせてもらったことに、沢山幸せにしてもらったことに感謝することにします。

勝手な思いこみだけれども、僕にとっての長さんってのは、自分が死んだことで悲しまれて喜ぶような人じゃあないと思っているので。

長さん、今までありがとう。お疲れさまでした!!


というわけで
「よぉーし、次いってみよう!」


長らくお待たせいたしました、先日のつぶやきに端を発した第1回『じーらぼ!アダ名選手権』ですが、審査員投票が終わりましたので、今後は皆さんからの一般投票を受け付けたいと思います。

ちなみに審査員投票の結果は、このようになっております

予想以上の反響を呼び、数量で締め切りましたが、エントリーされたアダ名達の総数は400通。なお、指定フォーマットに則さず複数名のアダ名を記載したモノはカットされております。ご了承下さい。

というわけで
400名分のアダ名をレッツチェック&投票!


「さらに、次いってみよう!」


メルマガを受信購読して下さっている方には、既に告知してありましたが、トップページ上部の告知欄にもある通り、「じーらぼ!アイテム倶楽部第6弾」として、トートバッグの制作が決定しました。といっても、仮予約数が生産ラインに乗らないと実現しませんけどね(笑)。

厚手のコットンキャンパスを使用した、A4サイズのファイルもしっかりはいる、ショルダートートバッグです(手持ちでも勿論使えますが(笑))。カラーは6色。便利な内ポケット付きです。

図案はこんな感じ。

(図案中の灰色部分は、ボディの地を透過します。赤のボディなら赤になるってことね)


なんとか「新年度・新学期」に間に合えばいいなぁと思っています。というわけで、欲しいと思った貴方!仮予約はトップページ上段の告知欄をクリック!


[ 2004年03月21日-16:48 ]  



雨トキドキ腰痛。トコロニヨリマンモス。


うつぶせで書いてます。

寒いですね。関東は雨降ってますですよ。山下達郎のあの忌まわしき歌の歌詞のように、夜更け過ぎに雪へと変わったりしないか、かなり不安です。

梅が咲く3月。桜のつぼみもほころびはじめる3月。暦の上ではとっくの昔に春。そんな時期にも関わらず、なんなんでしょうこの寒さは。突発的ポールシフトで、地軸がオーストラリアあたりに移動しちゃったんでしょうか。何だよ室温5度って(顔面蒼白でガクガク震えながら)

まぁ3月はまだ雪が降ったりすることもありますし、場合によっちゃあ4月の雪なんてこともありますから、決して珍しいことでもないんですけどね。寒いくらいで、そんなオカルト超常現象持ち出すなっつーか、そんなこと起こったら寒いどころの騒ぎじゃねーっつーか。


しかし参りました。僕は重度の腰痛持ち(正確には椎間板ヘルニア持ち)なんですが、他にも格闘技やってた時代の名残やらバイク事故の後遺症やらで、急激に温度や湿度が変化したりすると、そこかしこが疼いたり痛んだりするんですよね。

で、今日のこの寒さ&雨ですよ。しかも昨日はそこそこ暖かかったりしましたし、土曜日は雨降りであったとはいえ、気温はそこまで低くなかったじゃないですか。それを受けての今日の冷え込みですから、もう今朝なんか初っぱなから、ユーザーの起動を失敗しましたって感じでしたよ。

もうね、これは同じ症状を持っている人にしかわからないと思うんですけれども、金縛りのように動けないんですよ。体中が軋んで悲鳴をあげてるような感じです。ようやく感覚が戻ってくると、今度は痛みのオンパレード。腹筋を使って起きあがるなんて、まず無理ですし、寝返りなんていう「身体を捻る動作」をしたら、その痛みだけで鉄板で再起不能(リタイヤ)になれそうです。

しかし朝といえば、恒例の生理現象があるので、いつまでも固まっているわけにもいきません。あ、毎朝恒例の生理現象といっても、モーニングペニセストの事じゃないですよ?ごく普通の尿意のことです。通称「朝一番」ってヤツですね。

これはもう全く我慢出来るモノではないので、さっさと起きあがってトイレにいかねばなりません。痛みに負けたまま禁を失ったりしてしまえば、今度は精神的に、いい歳ぶっこいた成人男性として、人生からリタイヤしなくてはならない状況に陥ってしまいます。


そういうわけで、痛くない方の膝をおそるおそる曲げながら、痛い方の膝もゆっくり起こして、腕を天井方向に伸ばして、まずは首を起きあがる方向に向けて伸ばした腕を倒しつつ、膝もそちらに倒して寝返りをうち、そこから手を使っておそるおそる起きあがりつつ、ベッドから下ります。

そうしている内にも、迫り来る尿意と、全身に襲いかかってくる激痛。そして痛みのショックによる失禁の恐怖

この追いつめられっぷりを喩えるならば、『ニトログリセリンと濃硫酸を両手に持ってDr.中松フライングシューズを履いて、清水寺を観光してこい』と云われているような心境です。

これは辛い。非常に辛いです。それでもなんとかベッドから降り立ち、悲鳴に近い呻き声をあげながら階段を下り、なんとか無事にトイレで用をたすことが出来たのですが、その無理がたたったのか、その後は、脚に痺れるような感じが出てしまうほどの悪化っぷり。

そんなわけで、処方されている鎮痛剤と筋弛緩剤を服用して、寝たきり状況で仕事をしつつ現在に至るわけですが、暖房をガンガンにつけているはずなのに、相変わらず寒いんですよね。布団にもぐり込んでいても寒い。つーか吐く息がなんか白いんですけど。

時間は既に夕刻過ぎ。確かにますます冷え込む時間とはいえ、いくらなんでも寒すぎます。こんなに寒くっちゃあ鍼さそうが低周波流そうが一向に回復するわきゃありません。

「やはりポールシフトが起こって速効氷河期モードに入ったに違いない、このままどっかの氷河の中にいた氷漬けのマンモスみたいに凍り付いて、後世に発見されちゃうんだ。そして胃袋の中にはキンポウゲがはいってたりするんだ。僕キンポウゲ食ってないけど。ていうかそもそもキンポウゲがどんなもんなのか知らないけど。それでもなんとなく金宝毛って書かれたりすると、どんなものか想像出来たりするよね。いや漢字表記がそれで正解なのかどうか知らないけれどね。でもこうなんか、ちぢれてんの。もじゃもじゃしてんの。太かったり細かったりすんの。それが野原一面にびっしりと生えてて……って怖ッ!きしょッ!!マジキモい。そんなもん食うなよマンモス。どんなもん食ってんだよマンモス。ああ、でも、そうか。そんなもん食ってるから、あんなに毛深いのか、お前。わかったよマンモス。悪かったよマンモス。僕お前のこと誤解してたよマンモス。たっぷり食えよマンモス。キンポウゲ食えよマンモス。あぁあマンモスーーーーーーーーーーー!!!」

と錯乱気味に氷漬けになってしまうことを覚悟完了し、辞世の句の一つも考えようとしていたところ、部屋のカーテンが巻き上がって一陣の寒風が室内に吹き込みました。……へー……ふーん、そうかぁ、えへへ〜。チックショウ。なんで窓開いてんだバカ野郎


そんな重大事項にようやく気づいた僕は、また這いつくばるようにして窓に辿り着いて、窓を閉め、鍵までかけて、ガムテープで隙間を目張りして炭火七輪でサンマを焼きながら果てていきたい気分をぐっと堪えて再びベッドに戻り、エアコンの暖房スイッチをぽちり。

ようやく部屋が暖まって来て現在に至るわけですが、そこではたと気づきました。おそらくこの窓は昨日の夜から開きっぱなしなのでしょう。おまけに朝っぱらから腰および全身の激痛に悩まされていた僕は、それこそ「あぐあー!」「うぃたたたたたた!」「くふぅーはあぁーっ!」「もうダメ!もうアレ!もうアレ過ぎ!」「き、キンポウゲー!」などと悲鳴を上げていたわけなんですよ。

ちなみに最近、当家の周囲は宅地造成が完了して、どかどかと家が建ったりリフォームをしたりとか、頻繁に工事がされています。そして現在は我が家の目の前の敷地で工事をしている日々。あれですね、外の音って窓開けてるとよく聞こえるんですよ。会話とかも。――ということは、逆もまた真なりって事ですよね。



……えーと。



みんな氷漬けになっちゃえばよかったのに。
(ご近所にヘンな噂がッ!噂がぁッ!!)



[ 2004年03月23日-02:03 ]  



男色ディーノの世界 -1-


男色ディーノ(だんしょくでぃーの)
OWF(大阪学院大学プロレス研究会)出身の異色レスラー。ネーミングの由来は、かつて週刊少年ジャンプ誌上に連載されていたマンガ『魁!男塾』に登場した異色キャラクター、男塾鎮守直廊三人衆の最後の一人・男爵ディーノであることは疑いない。男爵ディーノについては、こちらを参照されたい。


・ディーノ様登場

CMA東京支部に所属し、CROWN春日部大会において透明人間ミステロンとの対戦がスカイパーフェクTV301chサムライTVにおいて、ダイジェストながら放送され、その勇姿に一躍伝説の人となる。


その後、DDTマットにおいて、男色キャラクター路線に走り始めていたO.K Revolutionに「自立する男の会」名義にて挑戦状を送付。DDTマット登場となる。

O.K Revolutionを「あんたのゲイはやらされてるくさいのよ!ホモをバカにすんじゃないわよー!」と一蹴し、学生プロレス時代からの必殺技「男色ドライバー(パンツドライバー)」で一撃KO。ここからDDTへの継続参戦が始まる。


・夏の想い出、男組結成

おりしもDDTマットは夏のららぽーと連戦が予定されており、ディーノもそこに参戦。若手同士の争いが広げられる「プロレス甲子園」が開催されていた為、数多くの若手選手達が、彼の餌食となったことは云うまでもない。

またららぽーと連戦において、ディーノvsO.K Revolutionの遺恨決着戦も行われ、この試合ではO.K Revolutionが掟破りのノーパン式ジャーマンスープレックスで、からくも勝利を収める。

なおこの試合にはディーノが敗北した場合DDTマット追放、O.K Revolutionが敗北した場合は、ディーノによってO.K Revolutionが一晩「いいようにされてしまう」権利が与えられ、なおかつその模様をサムライTVにて放送という、プロレス界を震撼させるような権利がかけられていた。

しかし敗北を認め、潔くマットを去ろうとするディーノをO.K Revolutionは呼び止める。「闘いを通じて理解した。僕には貴方が必要だ」――ここにDDTタッグリーグをかなりの勢いで震撼させたタッグチーム「男組」が結成される運びとなった。


・「U」との遭遇

タッグリーグにエントリーされた男組だったが、試合そっちのけで趣味に走ってしまうディーノと、ややふがいないO.K Revolutionという組み合わせは、順調に黒星を伸ばしてしまう。

DDT最強の重鎮スーパー宇宙パワーには「ヤッパリオ前ハ色物ダ。ぱんつ伸ビ過ギダ!」と、三行半をつきつけられ、一念発起したディーノは、DDTマットに参戦しガチガチのファイトスタイルで星を伸ばしていた佐々木・越後の所属するU-FILE campで、アルティメットスタイル(ヴァーリトゥードスタイル)を体得し、一気に自己改革をせんと、佐々木・越後に嘆願。訝りながらも佐々木は了承し、後日特別特訓が行われることとなった。


このプライドを捨てた出稽古に際し「男を断つ」とまでの悲壮な決意表明をしていたディーノ。U-FILE campにて教えを乞うていたが、三角絞めやグラウンドの密着状態になると、どうにも挙動不審

佐々木がジムにかかってきた電話の応対をする間、同門の森山が男組に指導をすることになったが、それまでの練習着を脱ぎ「より実戦に近い形で!」と練習を再開。そして数秒後、グラウンドの三角絞めを受けている間に「もう我慢できないわーッ!」と叫ぶや、一気に森山を襲い始める。

そこに戻ってきた佐々木・越後は当たり前ながら激怒。森山はぐったりしており「シャワー浴びたい……」とスンスン泣いているような状態。ブチキレているU-FILE組に、ノンストップ状態の男組。試合で決着をつける事に決定した。しかも反則裁定なしのオンリーギブアップという過酷な条件で――。


試合当日、事前の練習中に肋骨を負傷してしまった越後に変わって登場したのは、前回の被害者・森山。こうして行われた決着戦だったが、終始バックをとるは尻は撫でるわで大暴れのディーノを後目に、佐々木がO.K Revolutionをタップアウトさせて試合は終了。男組はここでも敗北してしまった。

試合終了後も佐々木は「やっぱりお前ら気持ち悪いよ」と真っ当な発言をするが、森山は「俺はお前らを認めるよ」と、明らかに毒された発言。ディーノも同様の発言をし、一瞬和解かと思ったが、やっぱり騙されており森山はコックボトムの餌食に。懲りないディーノは、その後客席に雪崩れ込みながら、試合会場を後にした。

<つづく>
当サイトでは、熱烈に男色ディーノ選手を応援し、
またその偉業と足跡を編纂したいと思っております。
そこで、男色ディーノ選手とお知り合いの方のお話、
また学生プロレス時代、またはプロリングで対戦経験のある方の情報、
観戦した際に撮影したディーノ選手の画像などを広く募集しております。
全ての宛先はiemoto@g-labo.proまでお願いいたします。



[ 2004年03月25日-09:07 ]  



男色ディーノの世界 -2-


男色ディーノ(だんしょくでぃーの)
OWF(大阪学院大学プロレス研究会)出身の異色レスラー。ネーミングの由来は、かつて週刊少年ジャンプ誌上に連載されていたマンガ『魁!男塾』に登場した異色キャラクター、男塾鎮守直廊三人衆の最後の一人・男爵ディーノであることは疑いない。男爵ディーノについては、こちらを参照されたい。


・鉄男の誕生

DDTには伝統あるベルトがある。一つはKO−D無差別級選手権王座、そしてもう一つがアイアンマンヘビーメタル級選手権王座である。

この後者はWWEのアイアンマン王座をモチーフしたものであるが、ポイズン澤田(当時)の独断で設立され、24時間・いつでも・誰でも挑戦が可能なベルトとなっている。

歴代王者には様々なレスラーが名を連ねるが、中には脚立(引退)などの名前もある他、挑戦者にいたっては散歩中の主婦など一般人もまざり、試合会場においては某ラブホテルのベッド上というものまである、無茶極まりないベルトだ。

しかしそれだ大騒ぎをしているだけあって、ファンの認知度も高く、価値はともかくとしてもDDTを語る上で外せないファクターでもある。


そして、このアイアンマン――「鉄男(てつおとこ)という言葉に魅せられた男がいる。他ならぬ男色ディーノだ。

ディーノはKO−D無差別級選手権王座及びアイアンマンヘビーメタル級選手権王者の二冠王となっていた佐々木貴を相手に、アイアンマン王座に挑戦。好試合をするも最終的には敗北してしまった。

試合後にディーノは「くやしいけど負けたわ…。古代ローマのパンツラチオンでは、敗者は勝者に自らのパンツを贈るの」というと、いつか宇宙に「伸ビスギダ!」といわれたオーバータイツを脱ぎ、佐々木に手渡す。そして被るように促すのだが、佐々木は戸惑いを隠せないでいた。

しかし観客にも促され、半ば自棄になってパンツを被る…と、その瞬間、誰もが予想したとおり、ディーノが佐々木を丸め込むとレフェリーがカウントを3ついれた。この瞬間、鉄男にして「おチャンピオンさま」が誕生したのである。かつて学生プロレスでは敵なしといわれ、無敗のままリングをさった王者の、プロ初戴冠の瞬間であった。


・新社長誕生、そして鉄男の暴走

「おチャンピオンさま」となったディーノは、その権限を用いて挑戦者を一般公募し始める。プロ、アマチュア、性別性癖など一切問わぬという、非常にダイナマイトな公募の結果、オマケに決まった試合形式はアイアンマンバトルロイヤルという、まさにディーノにとっては酒池肉林状態だ。

しかし挑戦者達も手強く、何度も王座を奪われるディーノ。しかしベルトに目を血走らせた男まみれの10分間の饗宴は、からくも最終的に王座を奪い、逃げ切ったディーノの防衛となった。

そして2003年末、DDTの新社長に「偽造王」こと一宮章一が就任した。その就任会見に登場したのは、一時ワイドショーを賑わせていたゴージャス松野。両者はかつてIWAジャパンマットで一時期大抗争を繰り広げていた関係だ。

しかし、そんな松野を一蹴した一宮が呼び込んだのは、男色ディーノ。ディーノは一宮の社長就任発表と同時に結託。ディーノは松野をボコボコにした挙げ句に、記者会見の場で松野を強制脱衣。そして脱がした身体に練乳をまき散らしては舐め取るという、ディーノ様史上初の「それはやりすぎ」というファンからのヒキを得た暴挙に出た。

これですっかり撃沈されたゴージャス松野だが、新社長の走狗となったディーノの勢いは留まるところを知らない。先のバトルロイヤルに続いて行われたロイヤルランブルでも、次々と襲いかかる挑戦者達を退け(ついでに松野も)、奪い奪われつつも、ディーノの長期政権は続くものと思われはじめていた。

そしてディーノはさらに暴走する。リストラを画策する一宮社長の指示のもと、男組のパートナーであるO.K Revolutionをボコボコにして「所詮あんたはやらされキャラなのよーッ!」と裏切ったのだ。

そもそも当初は「やらされてるホモキャラくさい」O.K Revolutionに制裁を加える為に現れたディーノ。そして抗争の末に一度は追放マッチに敗れたものの、お互いの実力を認め合ったであろう2人だったが、DDTマットで実力と権力とを得たディーノにとって、中途半端なO.K Revolutionは邪魔でしかなかったのだ。

こうして強権者となった「鉄男」そして「おチャンピオンさま」ディーノは、シビア&クレバーな男色スタイルで、ますます勢力を拡大していったのである。

<つづく>
当サイトでは、熱烈に男色ディーノ選手を応援し、
またその偉業と足跡を編纂したいと思っております。
そこで、男色ディーノ選手とお知り合いの方のお話、
また学生プロレス時代、またはプロリングで対戦経験のある方の情報、
観戦した際に撮影したディーノ選手の画像などを広く募集しております。
全ての宛先はiemoto@g-labo.proまでお願いいたします。



[ 2004年03月26日-12:17 ]  



男色ディーノの世界 -3-


男色ディーノ(だんしょくでぃーの)
OWF(大阪学院大学プロレス研究会)出身の異色レスラー。ネーミングの由来は、かつて週刊少年ジャンプ誌上に連載されていたマンガ『魁!男塾』に登場した異色キャラクター、男塾鎮守直廊三人衆の最後の一人・男爵ディーノであることは疑いない。男爵ディーノについては、こちらを参照されたい。


・貫く!ゲイ・スタイル

社長となった偽造王・一宮と結託し、向かうところ敵なしの鉄男。これは後に明かされることになったの事実なのだが、ディーノが一宮と手を組んだ裏にはとある条件があったのだ。それは、『イイ男達との試合をどんどん組むこと』

社長であり、試合カードを組む権限を持ち、さらには外部の選手を招聘する権限や、広い人脈をもった一宮だからこそ実現可能な条件だ。ディーノにしてみれば、実に酒池肉林、そして実にクレバーな条件であった。

ところがDDT内では、お気に入りといえば練習生時代から必ずお持ち帰りされてしまう高梨や、「青い性ってのも悪くないじゃない」と、ららぽーと屋上でいいようにされてしまった『昭和』太郎あたりとのカードはお気に召していたらしいが、メイン戦線にならんでいるKUDOMIKAMI、そして佐々木貴高木三四郎とのカラミは、あまり無かったというのが実情であった。

しかし一宮社長は、ただの悪徳社長ではなかった。自らが参戦することでコネクションを作り上げた、総合格闘技イベント『DEEP』。そのファン感謝イベントである『SAEKI祭り』が、年末に開催されることが発表され、そこにディーノを送り込んだのだ。


バラエティ豊かな選手達を招聘し、若手達中心ではありながらも、素晴らしいカードを次々と提供してくれる『DEEP』。こんなところに「イロモノ」ディーノが参戦する事自体が奇跡といえば奇跡なのである。

しかも対戦相手は、総合格闘技ジム和術慧舟会所属A−3ジムの代表、門馬秀貴選手だ(リンク先のモデルが本人)。門間選手といえば、現在では闘龍門で活躍しているイケメンスタイリッシュレスラーのミラノコレクションA.Tとは、かつて同じジムで双璧をなしたほどのイケメンである。

一見サーファーとみまがうような、絞り込まれた褐色のボディに八頭身のプロフィール。こんな選手とディーノ様がからんだところで、プロレスの試合になるかどうかはわからなかったが、まさに予想通りの展開となった。

いつも通りのスタイルに、DEEPのオープンフィンガーグローブを着用して登場したディーノ様。入場ゲートに姿を見せた時には、既に中腰で手足をブルつかせた「トランス状態」。

場内に流れる布袋寅泰の「スリル」。場内には「男色ディーノは本物です!男性の方はお気を付け下さい!逃げてェーーーッ!!」といういつも通りのリングアナウンサーの絶叫をバックに、会場の男性客達を物色する。ディーノ様はどこでもディーノ様なのである。

そして続いて門馬が姿を現した。リング上で待ち受けるディーノ様をみて、花道の途中でため息をつく。心底イヤそうである。しかし試合開始のゴングは鳴ってしまった。

ポジションニングの奪い合いから、門馬の背中の上でくるくると股間を中心に回るディーノ。バックを取られると腰を突きだして「カモン!」と絶叫するディーノ様。慌てて逃げる門馬。門馬はレフェリーに注意するように促すも、反則はしていないのだ。

そして門馬の巧みなグラウンドテクニックや関節技をいなしては、必殺の男色攻撃ラインナップに持ち込むディーノ様。抱きつく・撫でる。さわる。そして遂にはタイツを脱がそうという暴挙にまで及んだのだ。

しかし、まさに『こんなこともあろうかと思って』という感じで、オーバータイツの重ね着をしていた門馬。だがディーノに、二枚三枚とずりおろされてしまう。そして最後の一枚を目を輝かせながらズリ降ろそうとしたとき――レフェリーがゴングを要請。ディーノの反則負けを宣告した。

試合後、門馬は「最悪の選手。はやくシャワーを浴びたい」と物凄い勢いでグッタリ。ディーノはディーノで「これからだったのに!あんな不透明決着じゃあ、透明な液止まりよ!」と憤慨するという、とんでもない試合となった。
参考()


・そして種族を超えて

前述のSAEKI祭りは12月28日に行われ、そして翌29日はDDTの後楽園ホール興行であった。この日のディーノは、一宮社長によるリストラ候補として挙げられていた練習生・坂井、そしてかつてのパートナーO.K Revolutionこと、大家健とタッグマッチで対戦することになった。

しかも、先に強引に組まれていた大家とのシングルマッチにはアイアンマンベルトが賭けられており、この試合では坂井の乱入とアシストを得たO.K Revolutionが見事勝利。アイアンマンベルトを奪取することに成功。つまりこの試合は、坂井・O.K Revolutionのリストラ査定マッチであり、O.K Revolutionが保持するアイアンマンベルトの防衛戦でもあるという、重要な試合になっていた。


O.K Revolutionこと大家は、この日キャラクターを脱ぎ捨て、心と身体でぶつかる全力投球の試合をみせた。しかし今一歩届かない。キャラクターでも心でも技でも身体でもない。レスラーに必要な「それ以上のなにか」が大家には足りなかったのだ。結果として試合は、男色技のオンパレードから必殺の男色ドライバーでディーノ様が大家を撃沈。アイアンマンベルトを取り返した。

リング上では一宮社長が敗れた2人に檄を飛ばす。そしてディーノはベルトを取り戻し「おチャンピオンさま」に返り咲いた勢いも相まって、男性客を物色しながら退場となった。

そしてバックステージ(控え室)に戻るディーノ様。そこに待ちかまえていたのは、スカイパーフェクTV301chサムライTVの人気番組『インディーのお仕事』のメインキャスター・三田佐代子女史と、ロシア出身のカエル、ニコライ・ゴッチャンスキーであった――。

<つづく>
当サイトでは、熱烈に男色ディーノ選手を応援し、
またその偉業と足跡を編纂したいと思っております。
そこで、男色ディーノ選手とお知り合いの方のお話、
また学生プロレス時代、またはプロリングで対戦経験のある方の情報、
観戦した際に撮影したディーノ選手の画像などを広く募集しております。
全ての宛先はiemoto@g-labo.proまでお願いいたします。



[ 2004年03月29日-10:44 ]  



男色ディーノの世界 -4-


男色ディーノ(だんしょくでぃーの)
OWF(大阪学院大学プロレス研究会)出身の異色レスラー。ネーミングの由来は、かつて週刊少年ジャンプ誌上に連載されていたマンガ『魁!男塾』に登場した異色キャラクター、男塾鎮守直廊三人衆の最後の一人・男爵ディーノであることは疑いない。男爵ディーノについては、こちらを参照されたい。


・intermission:ニコライ・ゴッチャンスキーというカエル

――ニコライ・ゴッチャンスキーは、ロシア出身のプロレスマニア。しかも主にインディー団体マニアである。その知識はここ十数年のインディー団体の勃興や選手の相関関係にまで及び、一部レスラー達とは親交さえもあるという、一見するとパペットぬいぐるみのように見える不思議なイキモノだ。

また週刊プロレスの記者をつとめていた、フリーライターの須山浩継氏の声に酷似しているという、世にも珍しい偶然の持ち主でもある。さらに『インディーのお仕事』のエンディングでは、時々「ズドゥラストヴィーチェ(こんにちは)「ダスヴィダーニャ(さようなら)を言い間違えることがあるが、間違いなくロシア出身のカエルである。本人がそういうのだから間違いない。


さて、ニコライは、かつてWWSという団体で、極悪大王ミスター・ポーゴの飼い犬レスラー・黒犬に襲われ、重傷を負った。その経験は彼にトラウマ(精神的外傷)を残し、うなされる毎夜を過ごすことになってしまった。

ニコライはそれを克服する為に、大日本プロレスに入門。目的は黒犬と試合をして復讐することだ。彼は、プロレスラーになりたい一心で練習に励むも、いかんせんパペットぬいぐるみのように軽く小さいボディがネックとなってしまう。

それでもどうしてもリングに上がりたいニコライ。そんな彼の夢枕にゴッチャンスキー一族の神様が立つ。白ヒゲ白装束の神様は「プロレスマスコミの一員として、プロレスをバカにするようなことはしてはいけないぞ」と、プロレス記者歴数十年の大ベテラン・菊池孝氏の声に酷似した声で告げ、1日に10分、5回までは人間サイズまで大きくなれるようになったのだ。

1度目の巨大化は大日本プロレスのグレート小鹿社長の前で行い「これならOK」とのお墨付きをもらった。そして2度目の巨大化で大日本プロレスの興行で黒犬と対戦。トリッキーな動きで、見事勝利をおさめ、トラウマを克服した。


一度成功すると欲が出るのは人間もカエルも同じなのだろう。一試合しかしていないにも関わらず、ニコライは週刊プロレスの選手名鑑に載りたいと言い出した。週プロ側からすれば「一試合しかしていないカエルなんか載せられるか」という至極もっともな意見なのだが、ニコライにいわせると「藤波社長なんか今年一試合もしていないじゃないか」ということになる。

どちらかといえば週刊プロレスの言い分が正しいのだが、ニコライは収まらない。結局週刊プロレスの佐藤編集長に直談判し「ベルトを獲ったら載せてあげるよ」との言質を取り、脚立が王座に就いたこともある、アイアンマン王座に狙いを定めたのだ。

さらにニコライは、一宮DDT新社長にも、ロシア美人を紹介する(カエルかも知れないが(笑))という交換条件でタイトルマッチを組むことを約束させた。そして12月29日の後楽園。試合後のディーノを挑発する為に、三田佐代子女史とともに、バックステージで待ちかまえていたのだった――。


・年納めは両生類と

ようやく取り戻したアイアンマンベルトを抱え、疲労困憊のていでバックステージに下りてきたディーノを待っていたのは、メガネの女とメガネのカエル。しかもあろうことかカエルはディーノに向かって「三ヶ月くらいで終わるイロモノだろうと思ってたら、なかなか頑張ってるじゃない」などと言い放ったのだ。

当たり前だがキレるディーノ様。三田女史を突き飛ばし、ニコライをふんづかまえると、タイツの中に押し込んでガンガンに腰を突き動かし始める。悲鳴を上げるニコライ。這いつくばって「メガネメガネ…」とメガネを探す三田女史。前後の見境が無くなっているディーノ様。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

そしてディーノはトイレに入ると、個室に閉じこもる。数秒の後聞こえたのは水を流す音。そしてややぐったりした顔で出てきたディーノは、「2003年最後が両生類だなんて……」と、顔をくしゃくしゃにしながら去っていった。ちなみに個室の中にニコライの姿はなかった――流されたのだ。


しかし、その数日後の「インディーのお仕事」放送中に、なんとかニコライは復活。なぜか全身にワカメを巻き付けての登場。どうやら海まで流されたらしい(この元ネタがわかる人は、かなりのインディーマニア。2000年7月29日のIWAジャパン後楽園ホール大会の浅野起州社長のパロディね)

おかげで熱が45℃もあるそうで、カエルというか両生類の平熱がどんなものかはしらないが、鼻汁まで出して大変そうではある。そしてこんな体調のまま、DDT年明け1月12日の後楽園ホール大会に臨むことになってしまった。


そして試合当日の後楽園ホール。試合開始前にトイレに入るニコライ。そして鏡に向かって巨大化の呪文を唱えたのだが……なにかがおかしいらしい。ニコライを案じて駆け寄る三田女史が見たものは、2mをゆうに越す扉の上からはみ出ている、ニコライの指であった。そして三田さんは失神(笑)。

リングアナのコールを受けて「インディーのお仕事」のBGMで入場してきたニコライ。その姿は、明らかに前回大日本プロレスで黒犬に勝利したニコライとは寸法が違う。まるで、力士上がりの2mレスラー・太刀光そのもののような、偉丈夫になってしまっていたのだ。多分発熱のせいだろう。なんというか、こう、キモイ。


続いて入場してきたディーノだが、リング上のニコライを見て既に戦意喪失状態。気持ちはよくわかる。しかし試合は試合だ。プロとしてリングに上がったディーノだが、2mの巨大ガエルを前に、精神的にも肉体的にも敵わず、散々いいようにされた末に失神KO負けを喫してしまった。

こうしてアイアンマンベルトは、無機物王者・脚立(昨年引退)に続いて、史上初のぬいぐるみ両生類王者を誕生させるに至ったのである。
参考()/Extreme Party



なお、試合後のバックステージで元のサイズに戻ったニコライは、通りがかった『昭和』にあっさりとフォールを許し、ベルトを奪われてしまった。同じくバックステージに戻ってきたディーノであったが、既にベルトはない。

ニコライから「『昭和』選手にとられちゃった」と聞かされると、またまた発狂。「おバカーーーーーー!!!」と叫び、ニコライを折檻。三田女史を突き飛ばし、三田女史は再び「メガネメガネ…」状態になるという、壮絶なオチがついたのであった――。


<つづく>
当サイトでは、熱烈に男色ディーノ選手を応援し、
またその偉業と足跡を編纂したいと思っております。
そこで、男色ディーノ選手とお知り合いの方のお話、
また学生プロレス時代、またはプロリングで対戦経験のある方の情報、
観戦した際に撮影したディーノ選手の画像などを広く募集しております。
全ての宛先はiemoto@g-labo.proまでお願いいたします。



[ 2004年03月30日-10:00 ]  



男色ディーノの世界 -5-


男色ディーノ(だんしょくでぃーの)
OWF(大阪学院大学プロレス研究会)出身の異色レスラー。ネーミングの由来は、かつて週刊少年ジャンプ誌上に連載されていたマンガ『魁!男塾』に登場した異色キャラクター、男塾鎮守直廊三人衆の最後の一人・男爵ディーノであることは疑いない。男爵ディーノについては、こちらを参照されたい。


・男色 2004

その後のディーノについて簡単にまとめたいと思う。まずアイアンマンベルトだが、この日の後楽園のボーナストラック「ロイヤルランブル」で、何度か王座が交代した末、ディーノが再度王者となった。

そのロイヤルランブルの結果、高木三四郎ポイズン澤田JULIEが同時にオーバー・ザ・トップロープとなった為、一宮章一社長の持つKO−D無差別級ベルト、及びディーノが再度奪還したアイアンマンベルトをかけて4wayマッチが行われることになった。

そして迎えた4wayマッチ。三四郎、一宮が先に戦線から脱落し、ディーノとポイズンの一騎打ち、男色と蛇界の対決となった。結果はポイズンの勝利となった。これでポイズンは2冠王となり、ディーノは、またしても無冠となってしまったのであった。


この大一番の後、ディーノはしばらく腑抜けのような状態になってしまう。なんでも鉄男ベルトを失ったせいで「ナニがアレしなくなっちゃったのよ」とのこと。ならば元気がないのも、無理もないといえば無理もない。

その鉄男ベルトはといえば、ポイズンに渡った後、彼の手下である猪熊裕介に移譲される。そして猪熊は、何度もベルトを奪われるが、しぶとく取り戻すという事を繰り返していた。

そんな猪熊の鉄男ぶりを横目に、グッタリ気味のディーノにカツを入れたのは『昭和』子であった。

「試合なんだから、しっかりしなさーい!」と叫ぶや、必殺の『昭和』子ビンタ。これでカツが入ったディーノは、古代ギリシャから伝わる「パンツラコントラブルマラ」という、敗者がパンツかブルマを脱ぐという、古代から伝わるハズなのに現状に特化された試合方式で試合に臨む。

結果は様々な期待を背負ったディーノが『昭和』子から3カウントを奪取。会場の男性ファン視線が集中する中、『昭和』子のパートナーであった、DDTの大巨人・石川修司が、「俺が代わりに脱ぐ!」と王道発言。

ディーノは「あたしはそれはそれで嬉しいんだけど」と言っている間にオーバータイツを脱ぐ石川。喜ぶディーノ。そして「もう一枚いきなさいよ」というのだが、さすがにためらう石川。と、半端に脱いでいたタイツが絡まって転倒

『昭和』子のブルマに捕まってしまい、まんまと『昭和』子のブルマの下がお披露目となってしまった。これには『昭和』子も唖然&激怒。石川に『昭和』子ビンタをかまして、リングから逃げるように退場してしまった。


・大威チン八連制覇へ

こうして、少しずつ元気を取り戻したディーノは、続く大阪大会では、大阪プロレスの新人・的場を相手に男色殺法のオンパレード。若い男のエキスを散々吸い取り、続く大会ではDDTでは練習生時代からの、お気に入りの新人・高梨将弘をいたぶって、もはや元気ハツラツ。鉄男の再奪取へと闘志を燃やし始めた。

そして迎えたDDT7周年記念興行、六本木ベルファーレ大会。ここでディーノは、以前から提唱していた「大威チン八連制覇(だいいちんぱーれんせいは)」を行うと宣言。以前、アイアンマン初戴冠の際に三和会長に申し出るも「死人を出すわけにはいかないんだ!」と拒絶された、謎の闘いである。

その闘いの壱として用意されたのは「ゴムデスマッチ」。どのような試合なのか、DDT古参ファンである山本浩二さんのExtreme Partyコチラをご参照願いたい。


こうして死闘の末に、とにもかくにもアイアンマン王座に返り咲いたディーノ。次回ビッグマッチは、第4回プロレス観戦オフの舞台である5月3日後楽園ホールであり、それまでに、北海道ツアーを含めて5回の興行がある。

ひょっとしたらその中で「大威チン八連制覇(だいいちんぱーれんせいは)」の闘いの弐〜六までが行われ(場合によっては七まで?)5月3日は最終段階の闘いの八が、行われるかも知れないのだ。

これは無論予想の範疇をでないものであるが、ベルファーレ大会を契機に、様々な新展開を見せているDDTマットにあって、ディーノ様の動向に注目しておいて損はないだろう。


<つづく>
当サイトでは、熱烈に男色ディーノ選手を応援し、
またその偉業と足跡を編纂したいと思っております。
そこで、男色ディーノ選手とお知り合いの方のお話、
また学生プロレス時代、またはプロリングで対戦経験のある方の情報、
観戦した際に撮影したディーノ選手の画像などを広く募集しております。
全ての宛先はiemoto@g-labo.proまでお願いいたします。



[ 2004年03月31日-21:30 ]  



男色ディーノの世界 -6- (最終回)


男色ディーノ(だんしょくでぃーの)
OWF(大阪学院大学プロレス研究会)出身の異色レスラー。ネーミングの由来は、かつて週刊少年ジャンプ誌上に連載されていたマンガ『魁!男塾』に登場した異色キャラクター、男塾鎮守直廊三人衆の最後の一人・男爵ディーノであることは疑いない。男爵ディーノについては、こちらを参照されたい。


・余談とまとめ

また、これは余談であるが、ディーノ様は1月末に来日したメキシコの人気ルチャリブレ団体AAA(トリプレ・ア)に参戦。ベテランルチャドールであり、人気オカマレスラーのピンピネーラ・エスカルラタとタッグマッチながら対戦し、ゲイvsオカマという何がなんだかよくわからない世界を繰り広げた。


ディーノのゲイスタイルは彼独自のモノであるが、オカマレスラーやゲイキャラクターのレスラーの歴史は実は長い。メキシコのルチャではセルヒヨ・エル・エルモソとエル・ベジョ・グレコというルチャドールが、オカマタッグを結成しており、来日もしている。

元祖マンハッタンドロップの使い手、アドリアン・アドニスも一時期オカマギミックであったし、リップ・ロジャースなどはオカマレスラーとしてかなり有名だ。他にも数年前にはIWAジャパンにミッシェル・スターというゲイレスラーが来日し、一部大変な目にあった人々がいた。

また最近ではZERO−ONEにバフィー&メイスのゲイカップル「クリストファー・ストリート・コネクション」というタッグチームが登場し、観客の度肝を抜いたし、「ハッスル」に登場したダスティ・ローデスJr.はかつて、性倒錯キャラクター・ゴールダストとしてWWE(当時F)で、不可思議な人気を得ていた。


しかし、こうした長い歴史と広い世界をもちながらも、日本ではこのスタイルは認められていない。日本にも性転換レスラー・工藤あづさなどがいたが、俗にいうインディー団体のイロモノレスラーとしても、そういうキャラクターはいなかった、いや少なくとも僕は知らなかった。

ディーノ様は学生プロレス時代から、このキャラクターを貫き、プロデビューした今も、このファイトスタイルを継続、そしてさらに磨きをかけている。そして、今やAAAという大きな団体の来日興行に参戦するなど、いわば世界レベルに羽ばたいたともいえるのだ。


・オカマとゲイとプロレスと

思うに男色キャラという言葉や行為は、おそらく日本のリングではタブーとされてきていたのではないだろうか。外国人レスラーがやる分には「うわー理解できないし、気持ち悪いけど。外人ってこんなもんなんだろうなぁ」と見ていられるが、同じ日本人がリング上でキスだのなんだの「プロレスをバカにしている」またそれ以前に「気持ち悪い」という意識が大きく前に出てしまうからなのだろう。

しかし現在に至り、ディーノ様が受け入れられているのは、一般層にもオカマチックなキャラクターのタレントが受け入れられているという「時代」もあるが、それ以上に彼の陽性なキャラクターと、回転の速い頭。そして学生プロレス時代から徹底してきたのであろう、「客を楽しませる」というエンターテイナーとしてのプロ意識、また溢れんばかりの「プロレスに対する愛」故なのだと思う。

「プロ意識」といえば、専門誌のインタビュー記事や、CS番組内でのインタビュー、また生出演の時などの、いわゆるオフ・ザ・リングでも、ディーノはディーノであることを完全に貫いている。これも素晴らしいことだ。いや、だからこそ「ディーノだけはガチ」なんていわれてしまうのだが(笑)。


日本人レスラーでは「元祖」がいないというところもあるからなのかもしれないが、彼の全てがパロディで構成されており、そのルーツは古き良きアメリカンプロレスに至り、今現在のプロレスもアメリカンプロレスもよくよく研究しているところが見て取れる。そしてそれがディーノ様のオリジナリティとなっており、プロレスファンとしては、その元ネタ探しすらも楽しいのだ。

客の煽り方やマイクの使い方はザ・ロック。観客席に乱入しつつの入場はブルーザー・ブロディ。技はファンクス、藤波からストーン・コールド、はてはCIMAや折原、武藤にまで至る。

そして見逃してはいけないのは、彼のタイツは、学生プロレスの大先輩であり、日本人レスラーとしてアメリカンプロレススタイルを貫き続けている、MEN’sテイオーのそれと同じデザインなのである。
参考()


考えてみれば、MEN’sテイオーは学生プロレス時代、テリー・ファックとして常勝チャンピオンの名を欲しいままにし、無敗のまま引退した選手だ。そしてディーノもまた、無敗のまま引退した学生プロレスのチャンピオンであった。

この両者につながりがあるかどうかは正直わからない。そしてディーノの口からテイオーの事が語られたことは、今のところない。しかしディーノからはテイオーに対するリスペクトが非常に強く感じられるのだ。

アメリカンプロレススタイルを愛し、リング上で体現している、この両者。同じインディーシーンに身をおき、テイオーの所属する大日本プロレスとDDTの若手が交流戦を始めた今、ひょっとしたら両者の対戦が行われる可能性もある。そして僕はそのカードを非常に期待している。


・ボクがディーノを愛したワケ

考えてみればディーノもテイオーも、相手を負傷させる、また自分が怪我をするというような危険な技は一切使わない。それがアメリカンプロレススタイルといえばそれまでなのだが、ディーノに至っては急所…というかペニィーを狙った攻撃や、精神的ダメージを与える攻撃が主体であるとはいえ、逆にそれらの技だけで試合を組み立ててしまうところが驚異なのだ。

フィニッシュムーブの「男色ドライバー」は、学生プロレスに脈々と受け継がれる「パンツドライバー」であるが、オーバータイツに頭をいれるという過程さえ除けば、普通の「ジャンピングパイルドライバー」に過ぎない。

しかしそれでも観客を色々な意味でお腹一杯にさせてしまう納得させてしまう、そうした試合の組み立てが出来るレスラーなのだ。実はこれはとんでもなく凄いことなのだ。今のプロレス界を見渡して、ここまでのオリジナリティと力量を持った選手がいるかといえば、正直数えるほどしかいないのである。


「どんな相手でも」ではなく、「どれだけ実力差があっても」という条件では、ディーノ様の実力は、正直まだわからない。しかし観客を掌の上にのせ、相手を自分のペースに引きずり込み「ディーノの試合だった」と思わせる試合を、様々なキャラクターがいるDDTマット上のみならず、U-FILE campの選手達との試合、SAEKI祭りでの門馬戦、そしてAAA参戦で、実践してきている。

そんな絶賛出世&成長中のディーノ様だからこそ、また日本人レスラーでは前代未聞のスタイルとキャラクター、この2つをひっさげ、エンターテイナーとして、プロレスラーとして、どこまでいけるのか見てみたい、追いかけてみたいのだ。

この異色の男色レスラーに、僕がこだわるのは、そんな理由だったりするのである。決して僕が男色趣味だからではないんだよ?ホントだよ?


<終>
当サイトでは、熱烈に男色ディーノ選手を応援し、
またその偉業と足跡を編纂したいと思っております。
そこで、男色ディーノ選手とお知り合いの方のお話、
また学生プロレス時代、またはプロリングで対戦経験のある方の情報、
観戦した際に撮影したディーノ選手の画像などを広く募集しております。
全ての宛先はiemoto@g-labo.proまでお願いいたします。



[ 2004年03月31日-21:32 ]  



つ、つかれた……。


はい!ディーノ大好きです!はい!男色です!はい!違います!はい!春九堂でっす!

というわけで、唐突に連載した「男色ディーノの世界」ですが、全6話をようやくコンプリートしました。色々な意味でスゲー疲れました。というわけで、全6話をまとめて読みたい方の為にリンク張っておきます(笑)。

第1話:http://g-labo.pro/log/200403.html#250907
第2話:http://g-labo.pro/log/200403.html#261217
第3話:http://g-labo.pro/log/200403.html#291044
第4話:http://g-labo.pro/log/200403.html#301000
第5話:http://g-labo.pro/log/200403.html#312130
第6話:http://g-labo.pro/log/200403.html#312132


いやーしかしまぁ、なんていうんでしょ、5月3日のDDT観戦オフの煽りとして書き始めたつもりが、どんどん長くなって、本当に手に負えない事になってしまいました。大暴走ですよ。ホントに。

しかし呼びかけてみるもんですねぇ。学生プロレス時代のディーノを知る方や、間接的に知る方からもメールをいただきまして、かなり驚きました。少しずつメールの返信させていただいておりますので、しばしお待ち下さい。情報提供本当にありがとうございます。

さて、一方で写真も募集しているわけなんですが、こちらの方もできるだけ集めて「男色ディーノの男色殺法特集」なんてのを作ってみたいなーと思っております。ホントにすげぇんですよ、コレが。

まぁ今回のプロレス観戦オフは、開催までにまだまだ時間がありますんで、DDTのストーリーを追いかけつつ、少しずつまた紹介して行けたらいいなーと思っております。


しかし、このシリーズを書いている間にDDTの公式ページ、完全にリニューアルしちゃったりしてるし、選手紹介ページなんか、随分スタイリッシュになっちゃってるしねぇ。一体何がDDTに起こっているんだって感じです(笑)。でもってカレンダーみたら「2ちゃんねるプラス7号」に、男色ディーノインタビューとか書いてあんのね。なんで僕に回してくれないんだよ、そういうお仕事をー!チクショー!


でもコレで随分紹介とかもしやすくなりました。プロレスファンじゃない人は置いてけぼりにしてしまう可能性もあるかもしれませんが、僕の大好きなDDTというスポーツエンターテイメントを、是非皆さんにも知ってもらいたいな、と思っています。


まぁ「置いてけぼりにする可能性」と書きましたけど、既に今回のディーノ特集で、多数の女性読者さんが離れていっただろうなというのは確信がもてますね。



もう、後には退けねぇってコトですよ!
(なぜか越中口調で)



[ 2004年03月31日-21:50 ]