【過去のつぶやき】
2006年11月の【家元のつぶやき】のバックナンバーです。
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2003年
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● 世界史。(2006年11月01日-13:52)
● くま酒の日々。(2006年11月07日-06:01)
● マイネームイズ実験君。(2006年11月09日-01:19)
● 携帯かえるぞー。(2006年11月10日-11:02)
● どえらい時間がかかりました。(2006年11月15日-23:14)
● 新しき十字架。(2006年11月21日-08:25)
● ポタージュではなくスープが好きだった。(2006年11月23日-10:46)
世界史の履修問題で世間は若干揺れているようですが。
僕が高校生だったのは、今を遡ること13年以上前です。当時は選択履修の単位制などではなく、さすがに文系理系に分かれての選択コースはあったものの、基本的には「はい、じゃ今年の時間割はこれでーす」と配布される時間割に従って授業を受けるだけだったんですよね。
そんなわけで、僕は世界史はバッチリ授業を受けたんですが、歴史とか大好きなはずなんですけど、高校でなにをやったかはサッパリ覚えていません。まぁぶっちゃけ担当の教師が大嫌いだったからなんですけどね!それこそ卒業式の日ににゃあ、ヤツのパジェロのタイヤの下に、アントニオ猪木vs上田馬之助による五寸釘板デスマッチ級の釘板を敷き詰めてやろうかと思ったくらいですよ。
何でキライだったかは、もう思い出せないし思い出したくもないんですが、なにからなにまでキライだったことは確かです。思春期ですからね。感情に歯止めが利きませんから。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはよくいいますが、当時の僕のヤツに対する感情は「坊主憎けりゃ世界中の寺を燃やす!皆殺しだッ!戦車出動ッ!!」くらいの勢いだったことだけは確かです。
まーそんなことはどうでもよく、問題は世界史ですよ世界史。んーでもねえ、こんな言い古された事を、今更云うのもアレですが、受験のために覚えたものなんて、あっつーまに忘れますし「情報」としては入ってきていても、それが一体どんなものなのかという「理解」に至っていないことが、かなり大きいと思うんですよねえ。
特に日本史、世界史なんていうのは、今の生活・世界がある基礎となっているわけじゃないですか。それを理解することも出来ずに、ましてや興味を持つことも出来ずに、ひたすら情報だけを覚えるなんて、全く面白くもなんともないですよね。
大体なんで世界史を受験科目なんかにするんでしょう?受験って、これから先の専門教育を受けるだけの知力と知識と理解力と応用力があるかどうかを計るものでしょう?そんな「知能テスト」なら、それぞれの受験学科の必要基礎でいいわけであって、世界史やら日本史やらの、受験で覚えさせられるような知識はいらんと思うんですけどねえ。史学科とかにでも進まない限り。しかも史学に進んだとしても、専攻して詰めていくのなんか、多くて数百年、少なければ数十年の間の出来事になるわけですけれども。
大体からして、まぁ原始の原人だの石器時代だのはおいといて、四大文明あたりからスタートしたとしても、メソポタミア文明の紀元前9000年ですよ。んで今西暦2006年。誤差範囲があったとしても、1万1000年ですよ。この世界の礎となる文化・文明の歴史っていうのは。
そんなもんを、たかだか1年間で何をどう覚えろと仰るのやら。どうやってそんなもんを知れと。しかもそんな中で、やれ皇帝の名前だなんだまで覚えてどうしろっちゅうんじゃと思うわけですよ。土台無理な話だし、これを無理矢理マークシート型の分類にしろというのも無茶な話です。クイズじゃねえんだから。
そんなもんよりも、歴史ってのは流れだと思ってますから、高校のうちからどんどん論述で書かせた方がいいと思うんですけどねえ。もちろん、その中で必要最低限度の名称やら地名やら位置関係やらは必要だとは思いますけれどもね。
おそらく「世界史」と聞いて、誰もが思い出すであろう「四大文明」だって、それぞれの川名と発生エリアを、世界地図をみて「ここと、ここと、ここと、ここ」っていう風に指し示すことができる人がどれだけいるかっちゅう話ですよ。
資料集なんかで写真を色々見せられたところで、それが現在どうなっているのかという現在との結びつき、そしてそれまでの歴史の中でのそれぞれの結びつきが、どの程度理解できているかって、まるでわかってないんじゃないかなぁと思うんですよね。そっちの方を教えることの方がよっぽど大事なんじゃねえかなぁと思うんですけど、どうなんでしょうね。
まぁ、こんな風に考えていると、実にもったいないなーと思うわけですよ。当時も興味はありましたし、クソ面白くもない授業や教科書・資料集なんかよりは、別の小説やら書籍やらで歴史の知識はもっていましたが、やっぱりあやふやなところは沢山あるわけです。高校なんかとっくの昔に卒業してから、興味を持った時代のことも沢山あります。
特にヨーロッパの歴史なんていうのは、実に複雑ですので、どこに何があってどんな形で変わっていったかなんて、まるでわかりゃしません。知りたいことが沢山あります。でも授業でやったことなんて、まるで覚えてないわけですよ。
一応世界史担当の教師っていうのは、それを専任でやってきていたわけですから、ベテランであればあるほど「教える方法」には長けているわけで、このあたりのこととかもかなりかみ砕いて教えてくれそうじゃないですか。授業でやらずとも、当時から情報が整理できていて興味があれば、どれだけそこに理解を深められたことか。
そう思うと、あの昼寝をしたり、教科書を立ててマンガを読んだり、ラクガキ用ノートに必死扱いてセーラーマーキューリーやらジュピターの練習書きをしていた時間が、なんと無駄だったのかと思うわけですよ(笑)。あーもったいねー、と!
たとえば、世界三大料理はフランス・中国・トルコだと云われていますが、これは「美味である」というよりは「世界中で食されている」という意味での「世界三大」なのにも関わらず、トルコ料理なんて、日本ではそんなにメジャーなもんではないじゃないですか。どちらかといえば、仏・中・伊の方が日本じゃ三大でしょう。
でも、そういわれるだけトルコ料理は世界中に広まっているわけですよ。ドイツに留学していた友人も、ドイツ料理はさしてうまくなかったので、毎日スタンドでケバブを食っていたといいます。どこにでもあったと。
じゃあ、それだけトルコ人が世界中に広まっているのかといえば、もちろんトルコ系移民は世界中に広まっていますし、イギリス・ドイツなんかには特に多いわけですが、それ以前に13世紀から20世紀初頭まで中央アジアを広く支配していた、オスマン帝国の影響があるわけですよ。
中央アジアといえばヨーロッパ+アジアで「ユーラシア」となるこの大陸の要。そして地中海沿岸地域をひろーく支配していたわけで、当時は飛行機なんざないわけですから、陸路空路での通商や文化交流の中心基地にもなっていたわけで、そりゃあそこに集まった素材から生まれる料理文化は、他民族的で野菜をタップリ使ったものになるでしょうし、そこに宗教要素(イスラム)も加われば豚肉は使わないで、ああいう羊肉の料理になるわけですよ。
それにしても、あのトルコ料理の代表であるケバブってのは実にうまいですな。特にくるくる回転しながら巨大な肉が焼かれるドネルケバブというのは、見ているだけで実に食欲をそそられます。切り落としのあまり肉をああやって工夫するというのも、なるほど実に文化だなぁと思うわけです。最近はお祭りの屋台にもありますよねー。トルコ料理は調味の基本も酸味が基本になっているので、実に僕好みなのです。あートルコ料理食いてえなあー(結局食い気)。
とまぁそんな感じでボヤいてみましたが、世界史の流れの中でオスマン帝国(当時はオスマントルコっつってたかな)のこともやってるはずなんですけど、まるで覚えてないんですよね。どの程度の勢力があったのか、そしてそんな風に広い地域を支配していたのに、なぜ崩壊したのか。当時支配されたり攻め込まれていたヨーロッパってどんな感じだったのかとか、まるで知りませんから。
キーワードや語彙は知識情報の中にあるんでしょうけど、結びついてないんですよね。大体この記事を書いている中で調べていくうちに「1922年崩壊」という記述を見つけて「ええー?!そんな最近まであったの?!」と思ったりしましたからね。それにトルコ系移民が何故世界中に広まっているのか、特にイギリスとドイツになんで多いのかというのも、おそらく歴史的背景があるのでしょうけれど、そのあたりもまるでわからんちんです。
最近読んだ小説の「ヒストリアン(1)/ヒストリアン(2)」なんかでは、ドラキュラことヴラド・ツェペシュがストーリーに絡んでくるので、オスマン帝国やら現代トルコやらトランシルヴァニアの歴史背景やら描写なんかも出てくるわけなんですが、世界史としての流れで結びついてないから、かなり理解に苦しみましたからね(笑)。
まーそんなこんなで、歴史やら世界史やらは楽しんで興味を持ち、流れとしての理解をもって学ぶべきものだと僕は思っているので、受験科目として選んでおらず、今回の履修漏れ騒動で、これから集中的に世界史を一気にやっつけなくてはいけないという高校生の皆さんは、大変だとは思いますが、出来るだけ楽しんで、その時間を過ごし、たっぷりと知識を吸収してください。頑張れっ!!
ところで関東近郊の美味しいトルコ料理の店を どなたか紹介してくれると嬉しいです。 (台無しにした上に、結局食い気に戻る)
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2006年11月01日-13:52
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いくつかお問い合わせをいただいたのですが『くま酒』と書いて『くまざけ』と読みます。
「くまさけ」だとクマが鮭くわえちゃっているような感じですし、「くましゅ」と書くとハブ酒のように、アルコールの中にクマがどっぷり浸かって、じんわりクマエキスを抽出されてるようなイメージがわいてしまいそうなので、「ざ」と濁らせることにしました。まぁだからなんなんだって話なんですけれどもね?
とまぁそんなこんなで、相変わらず作っております。上の画像は、先週末に友人宅に招かれた際に「おもたせ」として持って行ったものです。
しかしなんですかね。「おもたせ」ですよ。実は全然よくわかっていないのですが、オトナはホームパーティーを開いて家にお客を招き、招かれたお客は「おもたせ」という名のおみやげを持って行くというオトナルールが、世の中には存在するらしいのです。
「おもたせ」と「おみやげ」の違いがまるでよくわかっていないのですが、やっぱりレオンだのなんだののオトナ雑誌を読めば、そのあたりのことも書いてあるんでしょうか。
ちなみに、僕がこのオトナルールを知ったのは8月に「新・内村プロデュース」だったのですが、番組内で、さまぁ〜ずの三村さんの新居でのホームパーティーという名目で襲撃をかけた芸人達は、野球セット(室内でやる気まんまん/前科アリ)・バーベキューセット(室内でやる気まんまん/前科アリ)・油性マジックセット(ラクガキする気まんまん/前科アリ)・花火セット(室内でやる気まんまん/さすがにこれはやってなかった…かな?)・ペット用子豚(生きてる)などを持って来るという、非常にアレな感じだったものですから、余計に「おもたせ」の定義がわかりません(出展が悪すぎ)。
だもんですから、今回お誘いを受けた友人にも、とりあえず「お持たせはやっぱり生きてるブタとかでいいの?」などと聞いたところ秒殺で却下されてしまったので、「花火は?花火でいいの?」などと食い下がったのですが、どうにもどれもダメな感じだったので、仕方なく、くま酒を用意したという感じです。
他にも貧弱極まりない自分脳内ライブラリーを「おもたせ」で検索してみたのですが、今や専務にまで出世してしまった島耕作の第一期作品の『課長 島耕作』で見かけたことがあるくらいです。
単行本が今は手もとにないもんで、記憶からの曖昧極まりない引用になるんですが、確か島耕作がフィリピンに飛ばされているときの話だったと思います。現地のマンションに入居した後、隣に住んでいる関西人サラリーマンの所に挨拶にいったときに、ウイスキーかなんかを持って行ったところ、軽く呑むことになるんですよ。
で、その関西人サラリーマンが「おもたせでもうしわけありまへんけど、早速あけさせていただきますわ」とかいって、ウイスキーを開けたような気がするんですよね。多分それが僕と「おもたせ」という言葉の初遭遇だったと思うんですよねー。
ちなみにgoo辞書によるとこんな感じなんですが、この『課長 島耕作』での使われ方は、こっちの意味なんでしょうね。いただいた手土産に対して、ある種へりくだった云い方で、それを指すって感じですか。それが、いつの間に「手土産」そのもの自体になってしまったわけで、言葉というものの移り変わりというものを、なんとなく実感したといったところです。
まぁそんなことはどうでもよく、持って行った「くま酒」を簡単に御紹介したいと思います。
・いちご酒 時季はずれの苺で作りました。もちろん冷凍品で、アメリカ産の冷凍ストロベリーです。ベースはウォッカ。以前に紹介したブラック・デスというウォッカを使っています。ブラック・デスは黒地にシルバーのドクロというヒドイデザインとは裏腹に、ビート(砂糖大根)を使った、甘く飲み口の優しいウォッカですので、非常に果実酒には適していると思っています。
700ccの瓶に対して、苺自体は未解凍のまま300gほど。砂糖は普通のグラニュー糖で大さじ3杯程度。あとはウォッカを流し込んで即製機にGOという荒っぽい作り方です。即製6時間過ぎで、綺麗なピンクになりました。色がくすんでしまうのは勿体ないので、レモンを追加。さらに12時間即製して、漉して瓶詰めです。ストレートだとアルコールがキツいので、水割りかソーダ割がオススメですね。甘いのがいい人は、ジンジャーエール割がオススメです。
・べりぃ紅茶 前回はアールグレイで作ったのですが、今度はダージリンでトライ。分量的に同じくらいで試してみたら、アールグレイより渋みと苦味が強かったので、若干失敗気味になってしまいました。もちろん水割りなどで美味しくは飲めるわけですが、紅茶の風味がちょうど好くなるとアルコールが薄くなり、アルコールがちょうど好くなると紅茶の風味が濃いといった具合です。
でも牛乳で割れば、それらの問題は結構クリアされますね。優しい飲み口で、濃厚なアイスミルクティーになります。アルコール臭がほとんどなくなってしまう割にアルコールがまだ高めなので、明らかにレディキラーです。ペース配分を間違えると、あっさり酔っぱらいます。ベースはロンリコのホワイトラムにしました。こういう甘さと香りと味を濃厚に出すタイプのお酒を造るのには、ラムは非常に向いていると思います。
紅茶は茶葉によっても、購入先やブランドによっても全然味が変わりますから、結構デリケートですね。しっかりレシピをメモして、計量して作らないとダメです。そうでなくとも色と味を見ながらやるべきかな。いずれにせよワイルドな作り方は禁止(笑)。要研究ですね。即製時間も短くて大丈夫そうです。
ちなみになぜ「べりぃ紅茶」かというと、瓶詰めの際に余ったストロベリーとラズベリー酒を風味付けにくわえたからだったりします。
・らずべりぃ酒 これもまたアメリカ産の冷凍ラズベリーとウォッカで作りました。ラズベリーというと日本人にはあまり馴染みのない果物ではありますが、綺麗な赤紫が出ました。分量は「いちご酒」と変わりません。香りが強くて華やかでびっくりします。水割りかロック、ジンジャーエール割がオススメですが、牛乳割も結構イケます。
・とまとせろり酒 以前レビューしたので割愛します。
・ぶるーべりぃ酒 これもまたまたアメリカ産の冷凍ブルーベリーとウォッカで作りました。どんだけ冷凍フルーツ大好きなんだって感じですよね(笑)。ブルーベリーは色素が強いので、色はハッキリ出ますが、果実を多めにしないと風味がアルコールに負けそうになります。色だけでは判断できない、ちょっと難しい果実酒になりますね。
とにかく色がステキです。炭酸割りやジンジャーエール割がオススメです。実に魅力的な青紫色になります。牛乳で割ると、若干見た目にアレな感じの色になります。もちろん味はいいんですが、「なるほど“ブルー”ベリーなんだなあ」と納得出来る色になりますよ(笑)。
・みっくすべりぃ酒 余ったブルーベリー・ラズベリー・ストロベリーを全部ぶち込んでウォッカで作りました。即製機にかけるだけでなく、時間をかけて寝かせればもっとこなれてくるのかもしれませんが、色はブルーベリーの濃い紫、かげば臭いはストロベリー、味はラズベリーの華やかさという、まさに文字通りの「ミックス」になりました。もちろん美味しいのですが、組み合わせで、まったく意外な味になることを期待していたので、ちょっとガッカリですね(笑)。濃厚な味になっているので、ミルク割りをオススメしたい味です。
とまぁ、こんな感じで持って行ったのですが、嬉しいことに、いずれも大好評でした。一番人気だったのは「いちご酒」と「とまとせろり」ですかねー。特にトマトセロリで作る、特濃ブラディマリーは、みんなに感動してもらいました。いやーやっぱ喜んでもらえるのは嬉しいですね。
ところで、こんな風に果実酒を作っていると、よっぽど僕が大酒飲みと思われているのか「家元、肝臓大丈夫ですか?」と心配していただいたりもするんですけれど、いやいや、そんなに呑んでいませんから!週に一度くらい呑むか呑まないか程度ですよ(笑)。それも晩飯時にグラスに二・三杯呑む程度ですから。
まぁそれでも、ただでさえ健康な身体ではないのですから、くれぐれも酒の飲み方には気をつけたいとは思います。ご心配いただきました皆さん、本当にありがとうございます。
でも、酔ったところでスペイン国王に 狩られる心配はしないでもOKですから。 (タワリーシチ・ミトロファンの冥福をお祈りします…)
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2006年11月07日-06:01
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ちょっと前にこんな記事を書いたのですが、その後「そこまで最新式のウォシュレットならば着座センサーがついているのでは?」という至極もっともな御意見を多数いただいたので、実験してみることにしました。
しっかし着座センサーですよ。機能的には感圧センサーってところなんでしょうかね?なんでそんなもんをつけたんでしょうね?座るとスタンバイになって節電するためなんでしょうか。普通に考えたら、ウォシュレットの水出しっぱなしにしながら立つなんていう不思議なことはしませんもんねえ。
ちなみに僕は、トイレに感圧センサーというと、メル・ギブソン主演のアクション映画「リーサル・ウエポン2 炎の約束」を思い出すんですけどね。確か相棒のベテラン黒人刑事役のダニー・グローバーが爆弾の仕掛けられたトイレに座ってしまい、立ち上がると吹っ飛ぶというとんでもない状況になり、その解体・救出にメル・ギブソンが駆けつけるという名シーンがあるんですよ。
もちろん間一髪な命がけのシーンなんですが、トイレの個室に男2人が入り込んで、その上片方は下半身丸出し状態で、おそらく射出したであろうブツもそのままになっているという若干ハード過ぎる状況。爆発すれば助けに来た方の命も危ない。そんな中でも友情の為に命を賭して助ける…そんなシーンだとはわかっていても、かなりアレな感じというか、どうにも笑えてしまいます。
まぁトイレ・感圧センサーという組み合わせだと、そんなシーンを思い出してしまうわけですが、そんなこととは全く関係なく、実験実験です。トイレに入り、拘束具や装甲を解除し、着座。用を足してスッキリしたところで、いよいよ勝負の瞬間です。
ちなみにリモコンは受信センサーに近い方の壁につけなおされました。これでイッツモーマンタイ(無問題)。「いざ、お尻をキレイにしたまえー!」とスイッチオン。21世紀型最新ウォシュレットの高精度スナイピングが、僕の*を狙い打ちにします。
【強】に設定してあるので、相変わらずものすごい衝撃です。こればっかりは、どうにもまだ慣れません。思わず「うむっふ!」とか声が漏れそうになるのを歯を食いしばって堪えつつ、そろりそろりと足に力を入れ、立ち上がろうと試みます。
ポジションをズラしたことにより、高精度スナイピングの着弾ポイントもズレるわけですが、それがまた非常に微妙なところにあたって、その跳ね返りが気になってしまいます。そんな中、「やっべー【強】にする必要なかったんじゃねえの?!」などと自分の愚かさを後悔しつつ、段々と便座への加重を減らしていきます。
徐々に加重を減らしていくのには、もちろん理由があります。もし、このまま立ち上がって、着座センサーがついていなかったとしたらどうでしょう。浮き上がったマイアス越しに水勢【強】に設定されたウォシュレットウォーターは噴水の如く吹き上げ、僕の背中から後頭部を濡らすでしょう。
そうでなくとも「そこにはなにもないですよう!」ゾーンに激しくぶち当たり、四方八方に飛び散るのは確定。マイアスにリバウンドした中等度汚水がトイレに飛び散ることになります。
なにしろ水勢【強】ですから、湘北高校のリバウンド王・桜木花道でもキープすることが出来ないほどイレギュラーな飛び散り方をするはず。それは是が非でも避けたいところです。
よって、マイアスでスナイピングを受け止めつつ、格闘家同士が仕合で間合いを外しあうかの如く、にじりにじりと少しずつ距離を開け、仮に着座センサーがついておらず、スナイピングが止まらなかったとしても、完全に尻が浮いた状態でしっかりと着弾を受け止めなければならないわけですよ。
ぶっちゃけ結構必死です。前述した「リーサル・ウエポン2」のシーンを笑えないくらいの真剣なドラマとシミュレーションが脳内で繰り広げられていたわけです。
そんなこんなで、便座からマイアスが浮きかけた瞬間、高精度スナイパーの狙撃が急に弱まり「ヴッヴヴー」というモーターの駆動音とともにミスタースナイパー(放水アーム)が引っ込んでいくではないですか!おお!エウレカ!ハラショー!ブラヴォー!ウチのウォシュレットはしっかり着座センサーがついていたのです!!
これは驚きでした。実に驚きでした。まさかこんなハイテク機器が我が家にあるとは。以前新築オープンなマルチテナントビルに入ったときに、着座センサーはもちろん、音出し・温便座・温水・温風乾燥などのハイテク全開のトイレに驚いたり困ったりしたことがありしましたが(そのトイレはロールペーパーすらなかった)、アナクロな表現ですが、それはもう「近未来型ビルの設備」だからこそだと思っていたもんですから、家庭にこんなものが導入される日が来るとは予想だにしていませんでした。
とまぁそんな感じで、着座センサーの検証は無事終わったわけですが、普段より長い時間放水を喰らっていたものですから、若干逆流やら冷えやらがあったりして、再度もよおしてしまったという、ありがちなオチは省略しつつ、以上検証レポートをお届けしました。
しかし、なんで僕はこんな報告を 数千人の衆目に晒してるんだろう…。 (超遠い目)
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2006年11月09日-01:19
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こんな僕でも鳴らないなりに携帯電話を使っているんです。
思い起こせば、初めて携帯電話に類するモノを所持したのは、大学二年の時だったでしょうか。といっても「類するもの」ということで、まぁPHSだったんですけどね(笑)。
当時はまだ携帯電話は遊び人かオトナの道具であって、若者達の間ではポケベルが全盛期だったんです。とにかく通話料も基本料金も激烈に高かったんですよね。そんなもん維持するだけで大変ですし、そんなに頑張ってまでプライベートな連絡手段が必要なことなんてありませんでしたからねえ。
それでも、やっぱり大学に入って交友関係も広がり、遊び仲間が増えたり、そのう、なんですか、女子的なモノとこう、恋人的な関係になったりすると、やっぱりうん、そこそこ必要になってくるわけですよ。プライベートな電話回線ってのが(笑)。
そんなわけで持つようになったPHSだったんですが、まぁ今考えるとデカイしゴツいし重いし脆いしで本当にいいところなかったなぁという感じです。靴下の中に入れて振り回したら、かなり確実な殺傷能力をもった鈍器になるような感じでしたからね(まぁ現在のHDDつきケータイとかはかわらんですが)。
それからしばらくして、今度は文字電話なるものを手に入れたんですよ。DDIポケットの出した、いわゆるページャーだったんですけれども、これが意外と重宝しましたね。Eメールも普通にやりとりできましたから。確かCMはビビアン・スーと、「あの人は今」状態の懐かしいチューヤンがやっていた気がします(笑)。
そうこうする内に、仕事で携帯電話を持たされるようになり、PHSと携帯電話の二刀流になったり、一番多いときには仕事用・プライベート用の携帯電話、そしてPHSと文字電話に仕事用ポケベルという、明らかに電磁波浴び過ぎな状態になっていたもんです。
しかし、どこかで「携帯電話はどこからでも連絡を取ることができる利便性と引き替えに、どこからでも自分の時間に介入されるという束縛を受ける」なんてことを読んだんですが、まぁその実その通りなんですよね。
二十代前半の小僧が、そんな風に多方面の人間関係に束縛されるなんていうのは、あまり健全とは云えないわけでして、次第に辟易としてきて、一度全てのモバイルツールをカットしてしまったりもしたんですよね。
ですが、一度覚えてしまった利便性からは抜けられないのが人間の性とでも申しましょうか、結局はまた新しく携帯電話を購入したりしていました。
ですが、新規契約、つまり新しい電話番号を手に入れたので、その時まで持っていた各種モバイルツールのアドレス帳に「登録されているだけ」の人なんかとの人間関係はリセットできたわけですし、新しい連絡先を教える範囲も自分でコントロールできるということで、この人間関係の再構築というのは、思いの外精神的にいい影響をもたらしたんですよ。
ぶっちゃけた話が、携帯電話が繋がらなくなったくらいで切れてしまうような人間関係なんかは特に必要ないわけじゃないですか。それに今でこそ若干落ち着いた感じはありますが、当時はちょっと知り合っただけでも、名刺交換の用に携帯電話の番号とメールアドレスを交換するのが、ある種「お作法」みたいになっていたので、そういう「登録されてるだけ」という人も非常に多かったんですよね。
とまぁそんな事があったりしつつ、また新規契約の方が明らかに新機種を手に入れる為の費用も安かったりするので、今まで「機種変更」というのをあまりやったことがないんですよ。毎回、前の番号を捨てて新規契約、場合によっては通話会社さえも変えてきたんです。
んが、最近では携帯電話の番号交換やらメールアドレス交換やらが活発でもなくなってきて、人間関係もある程度落ち着いてきましたし、なによりも機種変更しなくても、さほど使用に問題がないということもあって、結構長い期間同じ筐体を使っているんですよね。
でもってそうなってくると、今度は新規契約での費用と機種変更の費用がさほど変わらないという事になってきたりしたので、今まで使っている筐体への溜まっていた性能的不満が、うずうずと頭をもたげてきまして、ええ。
そんなわけで、数年ぶりに機種変更をしてみることにしました。しかもネットで購入して自分で番号変更手続きですよ。携帯電話の世界は日進月歩ではありますが、購入方法まで随分と変わったもんです。
そもそも僕は、機種変更だなんだで通話会社のオフィシャルショップの窓口まで出向いたり、家電店やらケータイショップやらで、ウダウダと手続きするのも面倒でイヤなんですよね。なんかこう、いらんものまで押しつけてくるじゃないですか。歳のせいか、そういうのが面倒くさいんですよ。
で、そんな感じでネットで買って機種変更するのだよということを友人に話したところ、「窓口の綺麗なおねーさんとお話できるチャンスじゃないか。それを無駄にするなんて!」というようなことを云われたんですが、いやはやどうにもこうにもあかんのですよ。
なんていうんでしょうね。以前のシ○ィバンク銀行とかのアレじゃないですけれども、なんというか窓口関係の制服のおねーさんとか、スーツのおねーさんとか、あまり得手じゃないのですよ。いや、得手不得手の問題なのかはよくわからないんですが、苦手なんです。
なんかトラウマでもあるのかなんかわからないですが、異様に恐縮しちゃって、勝手に追い詰まった挙げ句に、僕の中のドM課長人格が顔を出してしまう始末なんですよね。我ながら、実に理解不能というかなんというか。
なんといいますかこー、バッチリ化粧をしていて、パリっと隙なく制服やらスーツを着こなしている女性って、なんというかこう「対外」のオーラが物凄い強くって、当たり前ですが、そういう状態で口から出される言葉って、全てが「業務」じゃないですか。
だからなんというか、契約やらなんやらで結構会話しているのに、その会話に人間味がないというか、人間扱いされていないというか、とにかくこう、そういうのが苦手なんですよねえ…。当たり前のことなんですけどね?お仕事でやってるわけなんですから。
そういうわけで、ネットで購入→自分で番号変更手続きという機種変更のやり方は、実に僕向きだったわけなんですよ。それに、そういう手続きを自分でやらせるということもあってか、ネットショップの機種変更って、そこいらのショップなんかよりゃ随分安いんですよね。
ポイントも結構たまっていたので、送料プラスαっくらいの金額で済むってこともあって、もうウキウキでさきほど購入手続きを済ませたんです。
が、申し込みをしてから、とんでもない事に気づいたんですが、こういう場合って、アドレス帳とかのデータ移行って、どうやればいいんでしょうか。いやもちろん専用ソフト使えば出来ますし、メモリーカードに転送してやればいいわけで、今まではそうしてきてたんですが、今使ってるソフトはアドレス帳を吸い出せないんですよ。
そして今の筐体がminiSD仕様だったので、それまで使っていたSDカードとかが使えなくなったりして面倒になったので、miniSDカードとか持ってないんですよね。しかも、今度機種変更する筐体はmicroSDカードですし、アドレス移行のためだけに買うってのも若干イヤです。何のために安く買ったんだって感じになっちゃいますからねえ。
で、慌てて購入したネットショップの手続き手順を読み返してみたら、ページの最後に「メモリーコピーは、お近くのオフィシャルショップにて“無料”で行えます」なんて文が。ああそうかー。それなら安心だねーってオーイ!!結局窓口いかなくちゃいけないのかよ!!
しかもなに?!無料って聞こえはいいけども、苦手な窓口にいって「すみません、ここで買ってないんですけど、すみません、データだけ移行して欲しいんです。すみません、無料だって聞いたんで、あのう、すみません」とかやんなきゃいけないわけですか?!
うわーイヤだ!すごくイヤだ!そんな風に頼んだら、鉄壁の対外業務オーラでフルガードした窓口のおねーさんが「はい、結構ですよー。では元の電話と、新しい方の電話をお渡しいただいて、少々お待ち下さい」とか云いながら、その裏では「やだやだ!貧乏人がまた来たわ。無料だからって余計な仕事持ち込むんじゃないわよ。おおかたオフィシャルのショップじゃ高くて買えないから、ネットで必死になって激安ショップを探したんでしょうね。やーねーこれだから貧乏人は。きっとヒキコモリなんだわ。第一なんなのよ、この挙動不審なデブは。やだ、よく見たら、もう冬なのに半そでじゃない!気持ち悪いわねぇ。大体転送必要なほどのデータもないじゃないの。貧乏人は手で入力しなさいよ。どうせアンタが登録したところで、向こうはもうとっくに消してるわよ。ああもう最悪…」とか思われるわけですよ!うわーッ!!イヤだぁーーッ!!もう帰る!!山に帰るーッ!!!(錯乱)
仕方がないので、また 素足で顔とか頭を踏まれる妄想をして 積極的にやり過ごすことにします。 (あくまでも自己防衛ですよ。うん。ホントですよ、ウソじゃないですよ)
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2006年11月10日-11:02
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「ウチのぱもらが卵を産みました…」
「ウチのぱもらが口角炎になりました…」
愛すべき我が「ぱもら」様を製作し、日本全国に里親さんができてから、ときどき各地でそんな報告をいただいたりしました。その度に「もっと強いヤツを作らねば!鍛えねば!」と考えていたわけですが、いかんせん、ぱもらの主成分は布。
腕はあるのですが、腕立ては出来ませんし、腹筋をさせようとすれば「あがー」といった感じで身体を起こし、その後やる気なく反り返るばかり。つり下げ腹筋なんてしようものなら「具」が頭に集中し、明らかにおかしな具合になるばかりです。まぁ布だから当たり前なんですけれども(笑)。
そんなこんなで、サンプルを作ってくれているお針子さんと何度も打ち合わせを重ね、ぱもらがケガをしやすい部位の強化方法を考えながら、作っては試し、作っては試しとサンプル製作を重ねていったわけですが、ようやくなんとか形になりました。
あとは希望数さえ揃えば、強化版が再生産できる感じになります。ですが、以前の調査では「ぱもらを欲しい!」という人は、とても再生産に出来る数量に満たない感じでした。
裏事情でアレなんですが、ぱもら&ねげらは、生地を一反で購入して使い切りにしないと作れないので、数量が少ないとベラボウに高くなってしまうのです。ぱもら1匹でン十万とか、そんな世界です(苦笑)。
そこでサンプル製作の間に生まれたアイデアを元に、ぱもら&ねげらの仲間を作ろうということになり、そこからまた応用的にサンプル製作を重ね、なんとか公開してもいい状態のモノが出来上がりましたので、御紹介したいと思います。
どーん。
どどーん。
一見「なんだこの茶色い塊は。巨大コロッケか?」といった風体ですが、まだ開眼式を済ませていないので、こんな感じになってしまいました(笑)。一応目標の着地地点は、今秋冬眠に向けて世間をお騒がせしまくってしまっている「くま」です(笑)。
「ぱもらの色を変えただけじゃないか!」と仰る方もいらっしゃるかもしれませんが、それがどうしてどうして、型紙の段階から改良を加え、クマの顔にしても大丈夫なようにバランス設計をし直し、とまあ、相当時間をかけて作った感じになっています。ただ、量産段階で、まだ若干の設計変更はあるかもしれませんが(笑)。
ちなみに、完成予想図的に開眼式を行いますと、こんな感じになります。
どーん。
どどーん。
はい、かなり素朴といいますか、シンプルな顔です(笑)。これをなんとか形にして、欲しいという方がいらっしゃれば、ぱもら&ねげらと同時オーダーにして作っていきたいな、と考えています。ちなみにカラーリングは白クマ、黒クマ(?)、そして写真の茶クマ(??)になる予定です。
名称ですが、「ぱもら」が「ぱんだ+まくら」から生まれた名前だったので(「も」はどこから来たんだとかガタガタいわない)、「くま+まくら」で、「くまくら」にしようと思っています。神奈川県の由比ヶ浜沿岸部とか、源頼朝が興した幕府とは一切関係がありません(笑)。
とまぁそんな感じで、まだまだ量産への道のりは若干長そうですが、なんとか量産まで持って行きたいと思います!ぱもら&ねげらと共に、興味のある方はコチラからメールで仮々予約をお願いします。メールをいただきましたら、MLに登録して進捗を報告させていただきますので!そんな感じで、皆さんよろしくお願いしますー!
セールスポイントは 「食われても痛くありません」です! (今年はパンダも半裸男に噛みつくわ、クマ被害は多いわ、大変でしたからねぇ) 追記:また「ねげらお届け」企画も、自動車免許取得から1年が経過し、ようやく若葉マークが取れましたので、折を見てマイカーにてお届けに上がりたいと思います。旅費ですか?ありませんよ?貧乏ライターになにいっちゃってるんですか?寝るところ?多分車の中ですよ?高速道路?お金がないから使えませんよ?まぁヒッチハイクの旅でないだけ、なんとかなるかなって感じです(笑)。まさかこの年になって、そんな冒険をすることになろうとは予想だにしませんでしたが(笑)。
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2006年11月15日-23:14
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自分でまじまじと見るものではないものですから、アレですけれども。あ、お食事中の方はご遠慮下さいね。若干グロ話ですから。
で、先日の話です。なにがどうしたというわけでもなく、おしりの一部がどうしても痛くって、病院に行ったんですよ。
と、こんな書き出しから始めてしまうと、我が愛すべき読者諸兄諸姉の中には「すわ、家元が誰かに掘られた!男色でござる!男色でござるぞ!」と大喜びでパニックになってしまう人もいると思いますので、まず最初に云っておきますが、件の「おしりの一部」とは肛門様ではなく、皮膚でございます。
簡単に云ってしまえば「吹き出物」の類とでも申しましょうか。正確に云うと「毛膿炎」なるものになってしまったんです。いわゆる「にきび」との違いは、毛穴の内部に細菌が侵入して炎症を起こすところまでは同じですが、いわゆる核というか芯がないのが、毛膿炎なんだそうで。
まぁとにもかくにも、ケツの毛穴に細菌が入り込んで炎症を起こしつつ、さらに膿んだというわけなんですよ。まぁ座り仕事ですし、ちょうどおしりの谷間のあたりでしたので通気性がいいわけもなく、赤くなったりする程度なら、割と誰でもなりやすい症状ではあるらしいんです。
ところがまぁ抵抗力が落ちているのか、よっぽどフケツだったのか(お風呂入ってますし洗ってますよ!!)、そこが強烈に腫れ上がって痛くてどうしようもなくなってしまったんです。
何しろ尻の内部の方ですので、ただでさえ身体のカタい僕ですから、自分では目視のしようがないわけです。仕方なく、パンツをずり降ろしてうつぶせになり、手を後ろ手に回して指でそこを探ってみたりするわけですよ。
もうなんといいますか、明らかに他人様にはみせられない姿です。さながら波打ち際に打ち上げられたトドがケツをかいているかのような姿とでもいいましょうか。まぁ打ち上げられたトドがケツをかくかどうかはわかりませんが、とにかく視認出来ない以上、触覚に頼るしかないわけです。
で、そんな感じでなんとか確認してみたところ、腫れは1cmくらいになっているようですし、なにやら内部に堅い異物感を感じます。ネットで調べてみると、まぁ中に脂肪やら皮脂やらが溜まってそんな感じになることもあるとのこと。
こりゃー市販の塗り薬を塗ったところでどうにもならんなと思い、悩んだ挙げ句に皮膚科に出向くことにしたわけです。皮膚科に行けば、まぁおそらく、ちょいと切開してとりあえず中身を絞り出すかなんかしてクスリを塗って化膿止めと消炎剤を出される感じだろうと思っていたわけなんですが、これがまぁとんでもない目に遭いまして。
そもそもが医者とはいえ他人様にケツを晒すという、それだけで結構ハードにイヤなプレイ(プレイ?)なんですが、その上尻の割れ目の内側ですから、「じゃあ患部を見せてくれますか」と云われたら、パンツを降ろしてケツを晒し、打ち上げられたトドにジョブチェンジしてから、なおかつ自分で尻の割れ目を開いて患部を指し示すという、ウルトラC的状況になってしまうわけですよ。羞恥責め専のソフトMな人だったら、これだけで本誌記者も思わず昇天級の羞恥です。
そんなこんなで「イヤだなあ、し、しげきてきだなぁ」とかと思いつつも受付を済ませ、問診票に記入をして患部を図示する欄にわかりやすく書いて受付に提出。順番を待っていよいよ診察室に入ったわけです。
まず最初の関門は、担当医が女医さんだったり看護師さんが若い女性だったら、もうそれだけで色々ヤバいなあとか思っていたわけですが、担当医さんは若い医師でしたし、看護師さんは中年の女性の方で、ひとまずは安心。心のどこかで若干ガッカリしている誰かをたしなめつつ、問診を受けます。
そしていよいよ「じゃあそこの台にうつぶせになって、患部を見せてもらえますか」と云われたわけですが、うつぶせになって患部がみえるラインまでパンツをずりおろしたところで、お医者さんが「あー赤くなってますけど、大したことないですねー、大丈夫ですよ」と云ったんです。
自分では視認していないのでわからないわけですが、明らかに患部はまだ見えていないはず。つまり患部以外の所も赤くなっているというような事なんでしょう。で、そこは軽度の炎症が起きている程度のものだということなんでしょうが、まだ肝心の患部を診てもらっていないわけです。
貴様、問診票に「尻の割れ目の内側(右)」って書いておいたのに、人の尻晒させておいて触れもしないで、勝手に大丈夫とか云ってんじゃねえよ、と。そんなにアレか、俺の尻は触れたくもないってことか。あんコラ?とか、羞恥の中で軽く殺意を覚えたりしたわけですが、診てもらわないしかたなく僕は打ち上げられたトドになったままフガフガと「いや、違うんです。もっと奥の方なんですよ」といいながら、尻の割れ目を広げて患部を見せたんです。
全く、こんなこと往来でやろうものなら明らかにダイナマイト逮捕な行為ですよ。そして皮膚科の病院の診察室でなければ、明らかに変態扱いされて通報→射殺コンボが確定するような変態発言です。
なんでこんなことをせにゃあならんのだと、心の内で滂沱の涙を流しつつの決死の行為だったのですが、患部を診た先生は、一言「うわっ…」ですよ。もうなんというか、俺の怒りのパワーで相手の陰茎を複雑骨折させられたらどんなに素晴らしいだろうと思いましたね。ヒトの陰茎は骨ないですけど。
で、しばらく様子を見た後で「はい、じゃいいですよー」と云われ、終了。処置は特になく「毛膿炎ですねー。飲み薬出しますんで、しばらく飲んでみて下さい」と云われたわけです。こっちはとにかく中身抜いちゃってくれと考えていたもんですから、この対応には若干面食らいまして。
「あの、座ってると痛いんですけど、今日はなんとかなりませんか?」と食い下がったわけですが「うーん、切開するほど酷く腫れてはいませんし、それに座り仕事でらっしゃいますし、みやもとさんのお尻は毛深いので、今日切開してどうこうしても、またすぐに他の所とか腫れちゃいますしねー」とのお返事。
さらりと「ケツの谷間が毛深い男」という十字架を背負わされてしまったショックに、さらに面食らいつつ、「じゃあクスリ飲んでれば、なんとかなりますかね?」と聞くと「いやー根本的に解決するためには、脱毛するしかないんじゃないかなあ」とバッサリ。さらに「今はレーザーとかでいい脱毛ありますから。うん」と追撃。
つまり要約すると「おめーのケツは毛深すぎて汚ねーから、非保険の美容整形脱毛でケツ毛抜いてから出直してこい」というわけです。もう、ショックと怒りでケツの毛が4mmくらい伸びたような気さえしましたね。踏んだり蹴ったりとは、まさにこのことです。ちなみにこの間、先生は一切僕にノータッチ。フィジカルコンタクトなしです。そんなに僕のケツには触りたくないのかと、やはりショックと怒りで、ケツの毛がさらに5mmほど伸びた気がしましたね(合計9mm)。
結局、消炎剤と化膿止めと痛み止めと、よくわからない漢方薬を処方され帰宅。3日ほどクスリを飲んでみたものの、どうにもこうにも痛みはが収まらないので、その数日後、皮膚が破けたのをきっかけに、打ち上げられたトドにジョブチェンジ&タオルを噛んで、自分で中身を絞り出してました(決してマネしないでください)。
その結果痛みもなくなり、今では普段通りの生活をしているわけなんですが、じゃあ一体僕は皮膚科になにをしにいったのかと。ケツをみられて、あまつさえ割れ目を広げさせられ、毛深いと罵られ、診察は一切ノータッチで終了。風よ雲よ心あらば教えてくれ、一体これはどんなプレイなんだと。一体僕はどうすれバインダーと。
全くもって実にガックリな出来事でした。なんといいますか、今回の件で唯一得られたことは「ケツが毛深い」という生まれて初めて知った事実だけでしたからね。そんな感じで、今回の出来事をまとめますと
皮膚科の診察代…1500円弱 処方された内服薬代…2000円弱 ケツの谷間が毛深い男という十字架…プライスレス
ってところでしょうか。
って知りたくなかったよそんなもん!! (自分じゃあんまり毛深くない方だと思ってたのになあ…)
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2006年11月21日-08:25
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突然ですが料理の話です。
クリームソース、ベシャメルソースとも呼ばれる「ホワイトソース」ですが、これは子どもの頃から僕の大好物の一つでした。
作り方は簡単。ナベを火にかけて、焦がさないようにバターを溶かし、そこに小麦粉を少しずつ加えてよく火を通します。バターと小麦粉は同量くらい。この時決して焦がさないこと。風味が台無しになります。
そして十分に火が通ったところで、牛乳を少しずつ加えて伸ばしていきます。塩胡椒をいれたりして味を調整しつつ、好みのとろみになるまで伸ばせば基本的には出来上がり。牛乳を混ぜる段階で、木ベラではなく泡立て器を使ってしまうのも一つの手です。
美味しく作るコツはダマにならせないことと、火加減を調整すること。コンロのガス調整つまみでやるのが難しい場合は、そのまま鍋ごと持ち上げて火から離して調整するのもありです。コンロの火を見ながら調整している間に焦げたりすることもありますから。また加える牛乳を温めておくのも一つのコツですよね。
そんな風に誰でも簡単に作れるホワイトソースですが、これが実に色々な料理に使えます。少々濃いめに作っておけばグラタン・ドリア・ラザニアなどのソースに使えますし、少しとろみを残すくらいにしておけば、シチューソースに使えます。クリームソーススパゲティにも使えますし、もう少しさらさらに伸ばしてリゾットなんかに使うのもいいんじゃないでしょうか。
ホワイトソースは鶏肉やホウレンソウ、白菜やブロッコリーやキャベツ。鮭やアサリといった魚介類などとの相性が非常にいいソースで、色々な料理に使えます。ほのかなバターの風味が牛乳と結びついて、なめらかで温かく、優しい味が素材を包み込む、そんなソースです。
繰り返しになってしまいますが、僕はこのソースを使った料理が大好きでした。母は料理は上手いは上手いですが「名手」というほどではなく、時々ダマになったホワイトソースが使われることもありましたが、それでもグラタンやドリア、クリームシチューなどの料理が出れば、僕は大喜びしてそれらを平らげたものです。
そんな中でも一番好きだった料理が「コーンスープ」でした。コーンポタージュではなく、コーンスープ。ホワイトソースを作り、牛乳と潰してないコーンの缶詰を開けて、その中のスープごと、少しずつホワイトソースに加えます。
塩胡椒で味を調えて、仕上げにローリエ(乾燥させた月桂樹の葉)を入れて、しばらく煮込めば完成。姉らは嫁に行ってしまいましたが、当時の我が家は5人家族でしたので、両手持ちの中鍋いっぱいにこのスープを作り、食卓に供されたものです。
僕は本当にこのスープが好きで、今思えばなんでそこまで入れあげていたんだろうと思うくらいです。外食に行ったときにコーンスープがあれば、もちろん頼むほどだったのですが、外で飲むコーンスープは、コーンをペースト状にして混ぜた、いわゆるコーンポタージュ。また味が甘すぎるように感じて、いまいち好きになれませんでした。
何分子どもの頃のことですから、家庭で食べた味が好悪の基準になってしまうのは、極めて当たり前ではあるのですが、プロが作ったコーンスープを飲んでガッカリしてしまうくらい、母の作るコーンスープが好きだったんです。
遊び心なのか面倒くさかったのかは定かではなく、そしておそらくは後者だと思うのですが、母はローリエを入れっぱなしにしたままスープ皿に注ぐものですから、盛り切りになった時は、家族の誰かの皿に必ずローリエが侵入しており「葉っぱ入ってるよー」「あら、おめでとう」というやりとりがあったりしたものです。
口に入れる前に気づけばどうということはないのですが、ローリエをうっかり口に入れてしまったときは、若干悲惨なものでした。香りづけの為に使うローリエですが、その葉自体の香りは強烈で、味も苦味のようななんともいえないものでして、それが幸せを噛みしめている最中の口の中いっぱいに突然広がるものですから、もう目を白黒させてしまうような衝撃だったんですよね。あれには本当に困ったもんです。
ですから、そこそこ育って来てからは、コーンスープを食べる前にローリエが自分の皿の中に入っていないか、警戒して探し、あった場合はスープ皿の縁に避けてから、幸せを満喫するようになりました。人間は成長するイキモノですからね(笑)。
盛り切りの場合は一晩でなくなってしまうものですが、少し多めに作ったときは、翌朝の食卓にマグカップに注がれたコーンスープが並びました。ちなみに、作る分量はその時家にあった牛乳の量に因るので、まちまちだったんですよね。
まぁそれはともかく、我が家では日曜の朝食以外は基本的に米食だったのですが、日曜日の朝食はトーストというのが定番でした。ですので、土曜の夜にコーンスープが出ると、日曜の朝はトーストにコーンスープという組み合わせが出来たわけです。
かりかりに焼いたトーストをコーンスープに浸して食べるという朝食は、少年時代の僕にとって休日の幸せを何倍にもしてくれる“口福”でした。さらに、トーストに塗るバターを、熱々のコーンスープに少しだけ浮かべると、白い表面に溶けたバターの黄色が広がり、それを混ぜて飲むコーンスープは、さらなる美味でした。
それほどまでに好きだったコーンスープですから、やはり自分で好きなだけ食べる→自分で作れるようになりたいという発想に結びつくのは意外と早く、小学校中学年になってコンロを自由に使っていいという許可が母から下りた頃に、一番最初に目指した目標地点はホワイトソースを作ることでした。
そんなわけで、ホワイトソースの作り方からはじめて、一連のホワイトソースを使った料理は、未だに僕の得意レパートリーの一つになっています。特にホワイトソースとブルーチーズを使ったクリームソースパスタは、誰に食べさせても結構な評価をもらっています。問題は若干くどい味になることですけども(笑)。
いつの頃からか、我が家の食卓にはコーンスープは上らなくなり、僕も歳を経て若干味覚が変わったのか、以前ほどの情熱をコーンスープに感じることはなくなってしまいました。しかしそれでも、好物の一つであることには変わりはなく、時々無性に食べたくなる一品です。
まぁそんな風に「ホワイトソース大好きー!」とか やっていたことが、今のクマ化した身体の 一因になっていることは 云うまでもないわけですけどね。 (乳製品+バターにさらに溶かしバターって…)
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2006年11月23日-10:46
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